彼の気持ち


 が。死を覚悟したの上に居座るシャルナークは、大きなため息をひとつついたと思えば、さっさとの上から退いていた。べしゃりとシーツの上に潰れるも放置で。
 諦めたように情けない声を出しただったが、ベッドの端に腰を下ろしたシャルナークに疑問符が浮かぶ。あれ、追求されないのかと瞬きをすれば、あがるのは呆れを多分に含んだシャルナークの声。
「まったくもーさー、ガキじゃないだろーもー」
 ガリガリと自分の頭を掻いてうなだれるシャルナークに、さすがに上半身を起こしてシーツの上を赤ん坊のように這って歩き、はシャルナークの隣に腰掛けた。
『シャルナークさん?』
 先ほどとは一転して覇気のないシャルナークの様子に、は心配している気持ちを隠さずに名前を呼んだ。
 ちらりと横目でそんなを窺ったシャルナークは一拍置いて、力なく笑うしかない。
 目が雄弁に語っている。はついさっき、ほんの数秒前はシャルナークの怒気に晒されていたというのに、そんなのすっかり忘れたかのように彼を心配している。そんな彼女に、さらに怒りを向けるほど現在のシャルナークに余裕がないわけでもない。
 そもそも、余裕がない自分に対して嫌悪している状態で、さらなる自己嫌悪に陥るシャルナークではなかった。
「あーもー、ほんと暢気だよね。は。絶対ノブナガに襲われてたんだろうにさ」
「しゃる? もと、ゆくり」
「こーんな可愛いもの着せられちゃって、似合わないなりに逆にあれだしさー」
 ため息をついてうなだれるシャルナークに、早口ながら呆れた口調の中に「かわいい」という単語を聞き取ったは、はて何のことやらと首をかしげる。……が、シャルナークと同じようにベッドに腰掛けた自分の下半身が目に入ると、その動きの一切を止めた。
「……」
「……え、なに。もしかして、たった今気が付いたとか言わないよね?」
「……」
「……マジかよ」
 無言で自分の下半身、むしろ視界に入る自分の体に目が釘付けになっているに、天井を仰ぎ見るシャルナークの行動や言葉など意識にかすりもしていない。
 は現在の状況を理解するのに精一杯だった。

 フリフリも良いところな、淡いピンク色でうっすら透けている布地の、ネグリジェらしきものを纏っている自分自身を。

(なんっっっっじゃこりゃぁぁあああああああ!!!)
 どこか昔懐かしいドラマ張りに、内心雄叫びを上げていた。寧ろ銀の魂な漫画を例に挙げたほうが良いだろうか。
 くだらないことを考えながら、膝より少し長い程度のそのネグリジェらしき衣服に目が釘付けな。そして素足である足首には、可愛らしいフリルに濃い目のピンクリボンを通したなんかしらんが可愛らしいものが結ばれていた。良く寝ていた間に解けなかったものだと感心するほど、きつくもなくゆるくもない絶妙なリボン結び。
 思わずネグリジェの裾をめくってパンツの確認をしてしまうに、の様子を観察していたシャルナークは即座に視線を逸らした。
 パンツも布の端がフリフリでリボンが彩りピンクベース、だがしかし、ネグリジェと違って透けていないし布の面積も常識範囲内程度には使用されているデザインだった。年齢とか好みとかはとりあえず置いておいて、紐パンやら透けパンという部類でないことに、ほっと胸をなでおろしたは、力なく手を離してネグリジェの裾を整えた。
 シャラリと、今度は手首で金属が鳴る。
 ああ、なんかそういえば手首にブレスレットらしきものが巻かっていたなと、自分の手首に視線を向けたは、左手首に巻かれたそれを観察する。
『……シルバー? それともプラチナとか?』
 ないわー、などと呟きながらなんでこんなものをつけているのか思い出そうとするが、全く記憶にない。
 やっぱり綺麗だなぁと、小さな鎖状の金属と彩る小さな石たちに見惚れるが、ノブナガさんにはなんかそういえばこれ見てたときに自分を褒められたなと、連想して思い出してしまう。お世辞だと自分に言い聞かせるが、やはり褒められて悪い気はしない。
 ブレスレットを見ていたと思えば、うっすら頬を染め出すに、再び観察をしていたシャルナークの目が細まった。
「……なに赤くなってんの」
 機嫌の悪さを隠そうともしていないシャルナークの低い声に、びくりとの肩が跳ねる。おそるおそる視線だけ上げてシャルナークを見上げれば、怒っているというよりも不機嫌そうで。……おや? との眉が上がる。なんとなく、本当になんとなくだが……シャルナークの様子が、拗ねているように見えた。
 低い声は怖いが、眉間に皺を寄せてじっとを見下ろしているシャルナークの口が、どこかへの字に見えるような閉じ具合で。目も睨んでるくせに、の反応を待っているかのようにそこまでの眼力がない。
 おやおや? とばかりに、不思議に思ったはそのままの体勢で、じっとシャルナークを観察する。
「……」
「……」
「……なんでしゃべらないんだよ」
「……」
 段々と頬を赤く染めていくシャルナークが、根負けしたようにつぶやいた。思わず内心ガッツポーズを決めるだが、やはり拗ねているようにしか見えないシャルナークにノーコメントを通した。そのまま首を横に振ると、ベッドに仰向けに倒れこむ。
「ばっ、見えるってば!」
 倒れた拍子に裾がめくれたのか、赤い顔のままのシャルナークが両手をわたわた動かしての膝にタオルケットを放り投げてくる。優しいなと思わず笑ってしまうだが、そのままタオルケットを体にかけて横になったままシャルナークを見上げた。ベッドの端に腰掛けたままのシャルナークは、赤い顔のままでタオルケットを投げた後、そのままの近くに両手を着いたまま。その手を指で突いてみると、面白いように肩を跳ねさせて背筋を正すシャルナーク。
 いきなり純情キャラに鞍替えとはすげぇな、と心の中でつぶやきながら思わず力の抜けた顔で笑ってしまう。その顔を見て、目を丸くするシャルナークだったが、つられて力ない笑みを浮かべるとそのまま大きなため息を吐き、うなだれる。
「なんだよ、その子供みたいな顔……」
 手ぇ出そうとしたら、なんか罪悪感わきそうなんだけど……。
 ノブナガたちが聞けば、「どの口で」と総突っ込みがきそうだが、幸か不幸か言葉の意味を理解しないしかおらず、しかもでそんなシャルナークの言葉を解読する気すら起こさなかった。
 またなんか分からんことしゃべってるなぁ、でも多分セルフ突っ込み中なんだろうなぁと、自己完結をしてしまっていた。
 そんなうなだれるシャルナークを放っておいて、はタオルケットを体にかけたままごろごろベッドの上を転がってみる。と言っても、女性一人用にしては少し大きい程度のそれはすぐに落ちそうになるので、必然的にベッドの上を左右に激しく転がりまくるという奇行になってしまうが、は気にしない。先ほどノブナガにいった「忘れていること」を思い出そうと、取りあえず転がって頭の回転も上がらないかなという浅はかで寝ぼけた行動を繰り返す。
「…………
「……(なんだったかなぁ、何忘れてるんだろうなぁ)」
「………………
「……(人生掛かってるレベルで大事だった気がするんだけど、なんだったかなぁ)」
「……いい加減にしないと、やっぱり気を取り直して襲うけど」
「……!(あ、なんか今シャルナークさんの言った言葉で思い出しそうだった!)」
 転がり続けるの上に、覆いかぶさるようにシャルナークがのしかかる。の体をまたいで、両手はの顔の両脇に置き、少しだけ真剣みを帯びた口調での視線を自分に向けさせる。
 驚くか身を竦めるかするかとシャルナークは予想をつけていたが、は思い出せそうだった事実に輝かんばかりの眼差しでシャルナークを見上げていた。
「…………」
 なんでそんなに嬉しそうなんだよ、お前。
 思わず脱力して再度うなだれたシャルナークだが、タオルケットで蓑虫のように自主的に手も足も出せなくなっているは、首を傾げながらも輝く眼差しを止めない。シャルナークの言葉遣いが、若干乱暴なことにも気づかない。
 気を取り直してシャルナークがを見つめるが、大人しくシャルナークを見つめ返していただったが飽きたのか、肩まですっぽり蓑虫のようにタオルケットが巻きついたところから、腕だけでも出そうと体をうねうね悶え始めていた。
「……」
 思わず静かに見守ってしまうシャルナークだったが、の顔の両脇はシャルナークの両手があり、その所為でかは大きな行動が取れず、シャルナークの見下ろす範囲でしか体を動かすことが出来ていなかった。そのため、文字通り手も足も出せずタオルケットの端を掴むことも出来ず、何度か身悶えては赤い顔でタオルケットを押し広げようとして力尽き、また気合を入れてはタオルケットと静かに格闘するという、知らない人間が見れば馬鹿馬鹿しいにもほどがある行動を繰り返していた。
「……なにしてんだか」
 けれど、シャルナークは楽しそうにの奇行を見守っていた。シャルナークが手伝えばすぐにの奇行は納まるという事実は、意図的にシャルナークはなかったことにしている。は自分の行動に夢中で、シャルナークに頼るという頭がない。
 その、シャルナークに頼る気がまったく見えないのが少しだけ気に障っていることもあり、笑顔で見守りつつも手助けはしない。
 さらに、手伝わない上、シャルナークを気遣ってぶつからない様に身悶えているの頭に手を伸ばす。触れて、シャルナークに視線を向けたに言葉は向けず、笑顔だけ向けるとそのままの喉元に舌を這わせた。
『え』
「……」
『……え?』
「……」
 が戸惑いの声を上げるが、シャルナークは仕返しの意味もこめて視線も向けずに舌を這わす。
 時折水音を立てて皮膚に吸い付き、唇を離さず舌を這わして移動する。震えだしたを舌先で感じて、にやにやとシャルナークは口元を緩める。
『……ッ、……!?』
 こいつら、首が好きなのか! そうなのか男共……っ!?
 ノブナガのときを思い返し必死に歯を食いしばって耐えるだったが、ノブナガの時とは違い、シャルナークの楽しそうな気配は分かった。
 足か腕が自由なら、思い切りシャルナークに振るってやるところだが、まだ蓑虫状態のまま。そのおかげでシャルナークが首から下を触らないのかもしれないが、これでは見たまんま、手も足も……。と、シャルナークの手が、鎖骨付近から巻きついているタオルケットの端に手をかけた。そのまま巻きつきを緩めたかと思えば、躊躇いもなくタオルケットを下に引き下げる。晒されたネグリジェの胸元にシャルナークの顔が近づいたとき、は考えるより先に体を動かしていた。
「ぐっ、ぅあッ!?」
『っ破廉恥バカセクハラくそ野郎ー!』
 自縛してしまった両足でシャルナークの股間を渾身の力で蹴り上げた上、反動に持ち上がった頭でシャルナークに頭突きを喰らわしたは、こちらに来て初めてといっていい罵倒をもぶつけた。シャルナークが軽く目を回しているのを見もせず、浮き上がった彼の上半身に体当たりを食らわしてベッドに転がした上、緩んだ胸元から自身の両腕を出すと、手早くタオルケットを体から取り去る。そのタオルケットもシャルナークにぶつけた上、怒りと羞恥のまま適当な靴を足に引っ掛けて部屋を飛び出していった。
「……っくしょ、いてぇ」
 思わぬ反撃に驚いたシャルナークだったが、それだけで後れを取ったわけでもないのにベッドに寝転がる。視界の端で翻る短い丈の薄い生地は色気を出すためのもののはずなのに、嫌に子供じみた動作で乱暴にシャルナークの視線をさらってどこかへ行ってしまった。股間も痛いし額も痛いのに、それよりも真っ赤になって涙目という王道な反応をしたの表情や仕種が、これまた王道も王道に目に焼きついてしまって離れない。
 廃墟の中を駆けていく足音は、見もせずに履いた細いヒールに悪戦苦闘し途中何度か転ぶ振動も伝わってくる。高くはないが細いヒールを選んだのはパクノダだが、走るために履くとは彼女も想定していなかったため、きっとあっという間にあざだらけになるだろう。また泣きそうな顔で、もしかしたらぼろりと泣くかもしれない。その顔も見たいなぁと子供みたいに純粋に残酷なことを考えるシャルナークは、のひょろい蹴りで痛んだ股間がそろそろ落ち着いてきたため、上半身を起こす。かといって、別の意味で下半身はいつでも元気になりそうだが。恋とは恐ろしい。むしろそんな金にならない感情を覚えた自分に驚く、と、心の中でぽつりとこぼす。
 好きな女がした格好は、よっぽどでない限りときめくもので、下半身にくるものなんだなぁとしみじみと、本人も居ない分堂々と思い返すシャルナークの口元は緩んでいた。
 寝ぼけて自分で着替えを選んだと言えば、どれほどは驚くだろう。もしかしたら青ざめて空を仰ぐかもしれないし、真っ赤になってベッドの上をごろごろ転がるかもしれないし、逆に布団にもぐりこんで出てこないかもしれない。もしかしたらもしかすると、八つ当たりしてくるかもしれない。そのどれでも面白いなぁと、立ち上がろうとしたときにふと気づく。
 じんわりと額がしびれている。ただ額をぶつけられただけではない、打撃を受けたような痺れ。指先で擦ってみれば、その指先にまとわり付くうっすらとした皮膜。
「……え?」
 それはに触れたときに見えるオーラに似ていて、瞬きの間にふわりと風に溶けていった。



『ちくしょう幻影旅団じゃなくて二名はただの変態じゃないですかまずはお友達からじゃないんですかアダルティーですね愛がなくても突っ込めるってかそんな大人になんてなりたくないっつーかもう大人だけどそんな異性関係いやだわ妊娠したら一人で育てられないっつーの身分証明書も仕事もないですよ居候の癖に行きずりの相手で妊娠とか笑えない相手にとって不足はないけど絶対あの二人やり逃げするだろ絶対華麗に見事に跡形もなく逃げるだろう女の敵だな最低だよちくしょう』
 ぶつぶつ文句を言いながら時折瓦礫に引っかかってすっ転びながら、はシャルナークから少しでも離れようと適当に廊下の角を曲がり、直進し、階段を上ったり降りたり落ちかけたりと、鼻息も荒く廃墟を歩き回っていた。
 今は建物に関しての恐怖心も、幻影旅団かもしれない人間と行き当たるかもしれない恐怖も忘れて。朝の冷たい空気も和らぎ、日の光も十分に降り注いでいるからこその暴走だったが、はそれらを自覚せずに歩き、ひらひら翻る裾も気にしてなかった。
「やぁ、なにしてるんだい。
『ヒソカさんこそ。そのメイクと髪型だと朝の時間帯自体似合いませんよね』
 ヒソカが一室のドアを開けて顔を出しても、視線を一瞬向けただけで通り過ぎざまに母国語で暴言を吐いて歩き去るほど怖いもの知らずだった。
 その反応にはさすがのヒソカもきょとりと目を丸くして、何度か瞬きをしてからの背中を見送る。小さな背中はすぐに角を曲がって見えなくなったが、瓦礫に突っ込んだのか変な声を音がするが、歩く音は止まらない。
『なんでこんなところが崩れてるんですか姉○物件ですか○歯物件実は耐震性抜群なんですよとある震災でも崩れなかったんですよ手抜きの癖になんなんですかちくしょー!』
 しかも無機質にまで暴言ぶちかます八つ当たりっぷり。母国語が分かる人間が聞いても関連性が良く分からない暴言っぷり。興味を覚えたヒソカはその後をつけて回るが、は気づく素振りも振り向く素振りも見せず、一本道しかないかのごとく迷いなく突き進んでいく。先ほどまで見知った気配と居たはずのの反応に、手でも出したかと思うが出したのならこんなに元気に動き回れるとは思えない。子供みたいなじゃれあい程度でこんな反応では、あの二人も大変だとからかう材料にほくそ笑む。
『だぁああ! うざい! 痛い! あ、なんかこのサンダル? あれ、ミュール? 靴の種類なんて分かるか可愛いけどヒール高いからひっ転ぶのかちくしょう誰の趣味だ良い趣味だな!』
 そんなヒソカにやはり気づかない。脱げかけて吹っ飛びかけた履物を、自分の足の裏の汚れを払って履き直すのはいいが、片手はそっと伸ばされたヒソカの手に置いていた。
『ん?』
「うん?」
 疑問符を浮かべるとは違い、語尾にハートがつくそうな声音で返すヒソカ。手を伝ってヒソカの顔をみたは、瞬きをすると素直に笑った。
『ありがとう、ヒソカさん』
 嬉しそうにぎゅっと手を握りなおし、履き心地を確認するためすぐに視線を外したに、ヒソカは視線を逸らさなかった。
 の手から伝わって、視認出来ているオーラは喜色満面。そしてなにやらヒソカ以外に文句があるのか、ぷりぷり子供のように怒っているかのようなパチパチ弾ける刺激的なもの。
「……やっぱり、君、面白いねぇ」
 ねっとりとした声と笑みで告げたヒソカに、首をかしげながら手を離して一人できちんと立ったは笑う。
『なんだか分からないけど、褒められた? の、かな? ありがとう』
 また笑ったと、ヒソカの目はうっそりと細められた。わざと怖がるように言ったというのに、は何か吹っ切ったかのように意に介さず笑う。将来有望なのかなと、舌なめずりをしてしまいそうになっていた。
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