泥だらけ
シャルナークは本のページをめくるを横目で見て、自分の読んでいた本を閉じた。
ぱたんと穏やかに紙の圧縮されたその音は、しずかに空気に溶けて消えていって、本はシャルナークの片手に収まった。そしてネコの様にしなやかな足取りが動いたかと思うと、腹這いになって本を読んでいるの隣に忍び寄り、静かにその背中に上半身を乗せた。
「しゃる?」
「んー」
猫がそうするようにの背中の上でのびをすると、シャルナークは欠伸をして一息ついて、の背中の上でしばらく身動きをすると、良い具合に収まったのか腹での背中を押しつぶす格好を取り動かなくなった。
潰されているほうのは笑い、読んでいた本に指を引っ掛けながら重い重いと身をよじりだすが、シャルナークは笑って唸るだけで一向に退く気配を見せない。
「しゃる、おもい、どく、する」
「んー、今良い具合なのにー」
が寝返りをうとうと腰を捻るが、それに合わせてシャルナークも転がり、連動して回転するだけの遊びの様に決着がつかずしばらく部屋の中を二人揃って転がっていくが、シャルナークの重みと回転の痛みにがひと叫びして音を上げ、目を見合わせて笑い合った。
「しゃる、おもい、ひどい」
「折角寝てるおれごと転がる、が悪いんだよ」
「しゃる、わるい」
「が悪い」
いつの間にか二人とも持っていた本を放り出し、シャルナークは仰向けに寝転がったの腹の上で笑い、はそんなシャルナークが重いと連呼しながらも笑って会話をし続けた。
「あ、が喋るとお腹鳴るね」
「……なる、ちがう、うごく」
ふとの腹部に耳を当てたシャルナークが、爽やかな笑顔で言い放った一言にの呼吸が止まる。
きちんと1時間前に食事をして空腹ではないはずだし、腹に命が宿っているわけでもない。純粋なる消化活動の音だと動揺を押さえ込むと、詰めていた息を吐いて呆れた声を出した。
そんなが努めて冷静に対応しているというのに、オーラのほうは瞬間冷凍されたかのように巨大な氷山を模して色を変え質感を変化させ、シャルナークの肌を冷気で撫でていったかと思うと、今度は安堵したかのようにそのオーラを溶かし穏やかな茜色に変えて柔らかく慰めるように流れていった。
どれだけ表面を取り繕うとも、に触れていると必然的に伝わってくる感情は、シャルナークに笑いを起こす。の腹部に顔を伏せ、堪えきれぬ笑いを漏らして身体を揺らした。
「しゃる?」
「、本当に隠し事出来ないよね」
ばれているとは微塵も思っていないその様子に、シャルナークは頭に手を伸ばして良い子良い子と撫でてやる。意味の分からないは、上半身を起こしてシャルナークの頭を転がすと、流れで膝枕となったシャルナークの顔を覗き込む。
「なに、見惚れた?」
のオーラがシャルナークの頬に触れてくるのを感じ、多少自惚れながらの頬を手の甲で撫ぜると、じっとシャルナークの顔を覗き込んでいたは、お返しの様にオーラに重なるようにシャルナークの頬を撫でた。
「しゃる、そくりね」
「なにに」
「こども」
「え?」
「しゃる、わたし、おやこ、そくり」
それはそっくりじゃなくて、親子みたいだって言うんだよと脳内でシャルナークはにこやかに返答するが、実際は口も開けずにに頬を撫でられるがまま。せめて恋人みたいだとか夫婦みたいだとか、そっち方面に意識を向けて欲しいと思うが、頬に飽きたかシャルナークの髪を撫で始めたには伝わらない。
「しゃる、ころがる、よごれ」
はシャルナークの髪についた泥を払うと、自分の髪も気になってきたのか片手で髪を撫で付ける。それにシャルナークは自分の手を伸ばし、頭下げてと言いながら髪に指を絡ませた。
案の定、綺麗に掃除されてるとは言いがたい仮宿の中を転がった所為で、の髪もいくらかの泥がついていた。シャルナークの指を動かすたび、ぱらぱらと乾いた土くれが落ちていく。乾いたその音が鳴る度、は楽しそうに表情を緩める。
「ちいさい、こどもみたい」
「が?」
「ふたり、いしょよ」
「子供みたいにはしゃいで遊んだから?」
「どろ、つくあそぶ、むちゅうになてた。だから、こども」
「ああ、確かに」
夢中になって転がりあって、汚れるのも気にせずに笑い合った。何の気兼ねもない時間に、シャルナークは髪から指を離すと、もう一度の腹部に耳を寄せた。の手が、瞼を閉じたシャルナークの後頭部を撫でる。
「しゃるー?」
まどろむ子供に母親が語りかけるような、そんな優しい呼びかける響きに、シャルナークの唇がうっとりと笑みの形に溶けていく。なに、と本当に眠りに落ちるような不安定な返事に、がこめかみの髪を弄った。
「ねる、する?」
「こうしてると、子供のいる夫婦みたいで」
「え?」
「なんか、安心する」
上半身を少しだけ動かして寝る位置を修正すると、シャルナークは本格的に寝る体勢に入る。起こすべきか寝かせておくべきか悩むを片目だけ開けて見つめると、身体の上に置いていた自分の手を、シャルナークは差し出した。
「手、繋いでよ」
「ほんとう、ねる、するの?」
「ん、なんか本当に眠くなってきた」
もぞもぞと動いて手を差し出してくるシャルナークの幼い様子に、は少しだけ苦笑すると手を握り返した。
「しゃる、あまえこ」
「今日は親子なんでしょ? なら、おれ甘えっ子の子供でいい」
「しゃる、おとしは?」
「さんさい」
「うそつき」
の密やかな笑い声を子守唄に、シャルナークは誰も邪魔しない眠りの中へと、ゆっくり沈んでいった。
手のぬくもりだけは離さないように、まるでその繋がった手が現世に帰ってくるための唯一の道しるべの様に、しっかりと握って眠りの中へと落ちていった。