拒否権無し


 その日、は漫画を読んでいた。絵柄は日本でよく見るものと似ているのに、言葉だけが違う漫画たちは、最近「好きこそ物の上手なれ」の言葉どおりの効果を発していると分かり、シャルナークが選んでプレゼントしたものだ。
「お、ま、え、のー」
 そしてシャルナークの選択は間違っておらず、文字を読むことに時間がかかりながらも、中々の速度では読み進めていた。昼に渡された単行本は、夕方現在25巻まで進んでいる。好きこそ物の上手なれとは、昔の人は良く分かっている。は時折「あいうえお表」に目をやるが、それでも結構な速度で読み進めていた。
 ちなみにこのシリーズは、主人公の成長物で現在52巻まで発売され、今なお人気連載中の作品として名高い。が、絵柄が古くてべた過ぎると嫌いな人間も多い。多少グロイ場面もあるので、そこら辺も好き嫌いの明暗を分けている。だからこそ、このシリーズを勧める時は注意が必要になる。
「おまえの、おもいどおり、に、な、ぞ」
 けれどは時折奇声を発したりはするが、楽しんで読んでいると誰もがわかる態度だった。シャルナークにも再三お礼を言い、そして内容を知っているかと語り合いたいと言う素振りまで見せた。
 これにはシャルナークもひどく満足し、興味がないはずだったその漫画を読破した上に、に乞われればいつでもその話の相手をしてやっていた。
ー、どこまで読んだー?」
「ぞえいと、まるーのいきうちー」
「一騎打ち? アララカの?」
「そー。でもだいじょぶ、あららかは、きといきてる」
「あ、まだアララカの生死分かってないところか」
「いきうちおわらない、あららか、こまでない」
「アララカはね、このあとね」
「やー! しゃる、め! め!」
「このあと、マルーがー」
「だめ! だめです!」
 時折読んでいるの邪魔をし、嫌がる顔を見ては楽しんだりもしていた。
 耳をふさぎ両肘で開いた本に視線を向けようとするの、その耳から手を引っぺがしてまでネタばらしをしようとすると、は本気で嫌がるので面白くて止められない。
 こうやっていじめた後しばらくは警戒されるが、少し優しくすればすぐに警戒を解いてまたいじめられてくれるのだ。他の者に止められるときもあるが、大概はが助けを求めてこない限りだれも手を出してこない。漫画の話題が分からないと言うのも有るが、助けを求めてくるが誰を指名するのか気になっていると言うこともあった。
 だから、強制的に二人の世界になるこの愛ある苛めを、シャルナークは頻繁に行った。特にコルトピが傍にいるときは、積極的に漫画の話題でに話しかけていた。
 いつものようにコルトピの傍に座っているも、この漫画の話となるとコルトピそっちのけでシャルナークと楽しそうに会話する。コルトピのことを口にせず、「しゃる、しゃる」と舌足らずに名前を呼んで話をするのだ。シャルナークには優越感さえもたらす時間だ。
 最初の方にから話しかけられたり自分から質問したりと、傍にいるからと相手をしていたコルトピも最近はわざわざ遠くへと移動したりする。そしてシャルナークと話をしているをちらりとその目で見るのだが、はまったく気づかない。
 それにショックを受けたのかどうなのか、コルトピはそのまま外へと出てしまったこともある。シャルナークはコルトピに同情しつつも、それでも「しゃる」と目の前で自分を呼ぶを独占することが楽しくて仕方がなかった。
「こるとぴ、きょう、なにする?」
 そんな他愛ない話題を探してまでコルトピに話しかけてきたが、今や何もなくてもシャルナークを探すのだ。コルトピがいるときは、やはり好意の為かもはや習慣なのかその隣を陣取っているのだが、いないときはシャルナークの傍にわざわざ来る。そしてもたれ掛かって来たり、なんでもない話をするのだ。天気、ニュース、洋服、お笑い、仕事、これから、今まさに目の前を通り過ぎた動物の話など、本当になんでもない話題。
 シャルナークは、の心が自分寄りになっているとほくそえんだ。最近はコルトピの方がを避ける日もあるくらいで、落ち込んだはますますシャルナークの傍に寄り添う。
 上手く行き過ぎて怖いくらいなのだ。

「なに? こるとぴ」
 耳からようやく両手を引き離せたと思ったら、割り込んできた無粋な声。が嬉しそうに返事をするのも癪に障る。けれどがコルトピに惚れているのは周知の事実でコルトピ本人も知っているので、いまさらどうこう言えない雰囲気がある。
 コルトピがに構えば、は本当に嬉しいのだと知っているのだ。それはもう、メンバー内での常識である。
「うん、ちょっとこっちきて」
「うん、いく」
 シャルナークがその会話を聞いていながら、の手を握っている己の手に力を加えると、不思議そうに見つめられる。
「しゃる、はなす、して」
「やだ」
「しゃる?」
 の不思議そうな視線以上に、コルトピの視線が突き刺さってくる。温度があるかどうかも分からないその視線は、しばらくシャルナークとの手を見つめていたが、不意に反れる。シャルナークはなぜか詰めていた息を吐いた。
、来て」
「うん。しゃる、はな……して。はなして」
 どうにかまともな言葉をしゃべるの唇が、シャルナークに近づく。ただそれは、シャルナークの目を間近で見るために寄せられただけだと分かっていながら、シャルナークは動揺した。両手を握られ固定されたが、それで自分の意思を明確に伝えようとしているだけだと、分かっていながらシャルナークは手の力を抜いた。手の力を抜くしかなかった。
「ごめん」
「んーん、たのしかたよ」
 またねと言って立ち上がったは、歩き出したコルトピの後を、シャルナークを振り返ることなくついていく。
「邪魔してごめんね」
 そうは欠片も思ってないだろう口調で、コルトピはわざわざ振り返ってまで言ってくれた。どことなく笑っていたと思うのは、シャルナークの被害妄想だろうか。
「こるとぴ、ようじ、なに?」
が食べてみたいって言ってた果物、見つけたから持って帰ったんだよ。食べてみる?」
「ほんとう? たべる、たべる!」
「言うと思った」
 他愛ない会話だ、他愛もなく色恋の空気さえ持たない会話だ。
 分かっていながらシャルナークは唇を噛んだ。とても悔しい。手を離した自分が悔しい、呼ばれればついていくの態度が悔しい、自分は絶対的に愛されてるとでも思っているようなコルトピの態度が、本当に悔しい。
 仲間としては文句などないのに、こうやってを挟むとなんと憎たらしい存在になるんだろう。目がくらむような嫉妬で、シャルナークはその場にひっくり返った。
「今に見てろ……」
 聞く者のない呪詛を、その口から吐き出した。
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