落し物。



 その日は珍しいことに、エニエス・ロビーの廊下に何かが転がっていた。
 はて、掃除の行き届いた場所だというのに珍しいと、カクが近づいて手に取ってみれば、それは小さな小さなかぼちゃだった。しかもそのかぼちゃには表情が付いていて、意図的に四角く鼻が切り取られていた。
 他の目だか口だかは、どこにでもいるだろうハロウィンの様相であるからして、帽子のようなものをわざわざフェルトで被らされていることから見ても、カク自身を模していると見て間違いないだろう。
「姉さんじゃな」
 カクはピンときたぞと笑みを浮かべ、片手でかぼちゃを弄りだす。
 ご丁寧にくり抜かれたのだろう中身はなく、フェルトの帽子を取ってやると空洞が良く見えた。フェルトの帽子は後ろ部分だけかぼちゃに固定されており、それで取れていなかったのだと納得がいく。
 かぼちゃのお尻部分には、ご丁寧にも「カク」の文字。
 喉の奥でくくくと笑うと、帽子を被せなおしてやる。
「お揃いじゃな」
 かぼちゃと顔を見合わせて、カクはこのかぼちゃの製作人を探すことにした。きっと今頃足りないこのかぼちゃに気づいて、あちらこちらと探している最中だろう。もしかすると、他のかぼちゃに埋もれて気づいてすらいないかもしれない。
 落としていたよと差し出せば、どちらにせよ感謝されるに違いない。
「さて、お前の母さんはどこいったかの?」
 カクは自分の分身のような小かぼちゃを手の中で転がしながら、あちらこちらと覗き込みながらを探し始めた。

 途中にある図書室、収穫なし。
 渡り廊下、黒い使いかけのフェルトを二枚。
 中庭の木の下、地名の書かれたリストを一枚
 廊下の隅、自分達の名前と地名の書かれたメモ
 廊下のベンチ、中くらいのハロウィンかぼちゃ三つ。

「姉さんは駄目じゃなぁ」
 どれもこれも失くしてはいけないものだろうに、落とせば気づくものだろうに、カクは笑いながら拾い上げていった。かぼちゃは重ねて自分の肩に乗せ、バランスを取りながらテンポ良く歩いていく。
 落し物の中身としては、特にカクたちの名前と地名のリストなど、通常なら首が飛ぶような機密事項だ。あれには以前の任務先とこれからの任務先が書かれていた。勘のいいものなら、名前と地名だけで分かるだろう。
 でも拾ったのは自分だし、落としたのはだ。
 内部にカクたちの敵がいないとは言わないが、もし誰かこのメモを見たものが居るとしても、脅威にはなりえないだろう。カクたちはそれだけのことをやってきたし、それゆえの特権すら持っている。それに誰かがこのリストを頭に叩き込んで、なにか仕掛けてくるとすれば、が動くだろう。それに伴って、スパンダムも動くだろう。
「ハロウィンひとつで、大騒動じゃな」
 すでに誰も口にはしないが、は化け物と呼ばれる人間だ。悪魔の実を食べたわけでもないので、ルッチたち悪魔の実を食べたものたちは歯牙にもかけない話だが、一般の海兵としてはの存在は脅威だろう。
 歳を取らず、任務から必ず帰ってくる、後ろ盾も持った、法的に殺しを許可された化け物。
 カクの前でがその名称を嘆いたことはないが、気持ちのいい話ではない。スパンダムの後ろ盾を彼女が望んだところを見たこともなく、逆にスパンダムの横暴な態度にいつも待ったをかけているのがだ。彼女を知らないものは、真実を何ひとつ見ていないと分かる。
「まぁ、関係ない話じゃ」
 けれど、どうせそのような者たちは早かれ遅かれいなくなる。今日カクが可愛らしいかぼちゃを見つけたように、のイベント好きな行動を見ていれば、自然と理解していくだろう。
 理解しなくとも、そういう人間は得てして自ら危険に飛び込んでいく。そしていつの間にか姿を見なくなるものだ。見る目のない人間で生き残ることが出来るのは、よほどの馬鹿か悪運を持つ人間だけだろう。

 カクは廊下の角を曲がると、階段を上っていく。手の中のかぼちゃは、もうほどよく温かくなってしまっていた。そして階段を上りきったところで目当ての人物を見つけると、カクは考えていたことを一時凍結して、ついでに肩に乗せていたかぼちゃたちを廊下の隅に置き、笑いかける。
「姉さん、なにしとるんじゃ」
「あら、カク帰ってきてたの?」
 体を低くしてあちらこちらを見つつ、はカクを一瞥しただけで言葉を返す。それはちょっと大雑把過ぎんかのとカクは寂しく思うが、何かに集中しているときはしょうがないのだろう。きっと今の頭の中は、カクそっくりなかぼちゃ一色なのだ。
「今日帰ると伝えておったと思うたが、わしの伝達ミスかの?」
 カクがわざとらしく寂しげな声を出すと、はようやく顔を上げてカクを見た。ごめんねと笑いながら言い、背筋を伸ばしてカクに向き直った。
「いいえ、今日だって言ってたわ。おかえりなさい、カク」
「ただいま、姉さん」
 お互いに歩み寄って抱き合うと、生きている実感が湧いてくる。
 カクは姉の肩に頭を置くと、そのあたたかさに息を漏らした。
 当たり前のように存在する自分を受け入れてくれる人間、そんな存在が自分に居るということを、カクは改めてありがたいと思った。
「何を探しておったんかの」
 抱きしめながらも手のひらに握っているかぼちゃ。の顔を見ずに言うと、もそのまま抱き合ったまま笑い出す。囁くような笑い声だった。
「秘密」
 ばれていないと思っているからか、どこか楽しそうに笑っていた。カクも思わず、つられて笑ってしまう。
「また悪巧みかの」
「失礼な。素敵なことよ」
「姉さんの素敵なことは当てにならん。ルッチに八つ当たりされるのはごめんじゃ」
「なんでルッチが出てくるの?」
 不思議そうに言われ、カクは思わず苦笑する。
 ルッチがの行動に敏感なわけを、がいまだに気づいていないとは思えない。
 けれども、そういうことに疎いのだと思ってみれば、なるほどしっくりくるかもしれない。いや、ルッチの愛情表現はすでに幼い頃からの恒例になっているので、もしかしたら、愛情ではなく「弟から姉への親愛の情」と認識しているのかもしれない。
 自分で打ち出した仮説だが、後者のほうがよほどしっくり来るような気がして、カクはルッチが憐れに思えてきた。これはなんと言ったらいいのか、アピール方法の間違いと言うか、習慣と化してしまった哀れな効果か、それとも告白しなかったための自業自得か。
 まぁ、ルッチがを独占することに対しては反対の意を持つカクにとって、それは憐れだが好都合と言うものだ。ルッチが気づかぬ限り、今の現状を逆手にとって接触過剰にでもならない限り、カクにとって問題はない。
「哀れな男じゃなぁ、ルッチは」
「だから、なんでルッチが出てくるの? お兄ちゃんだから?」
「姉さんが気にすることではないわい。さ、わしを労わってくれ」
 手っ取り早くの意識を自分に向けるため、カクはから体を離し、手に持っていたかぼちゃを差し出した。
 驚きで目を丸くするのを見て、にんまりと口の端を上げる。
「わしを置いていくとはなにごとじゃ、痛かったぞ、と言っておるよ」
 幾分高めの声を出して小さなかぼちゃを揺らすと、まいったなーとは声を上げ、弱ったぞといった視線でカクを見つめてきた。きっと今言い訳を考えている最中だなと見当をつけたカクは、先に笑って許してやることにした。
「怒ってはおらんよ、わしの分だけ落としたのは不満じゃがの」
 すまし顔でかぼちゃを差し出すと、はありがとうと言ってそれを受け取った。
「ごめんなさい。拾ってくれてありがとう、もう落とさないわ」
 大事そうにかぼちゃを手のひらに包むのを見て、カクは腰に手を当てて茶化すように言ってやる。
「わしの分身のようじゃからな、大切にしてほしいわい」
「やだ、それならカクを優先して大事にするわよ」
 茶化していったはずなのに、えらく真剣な表情で見つめ返されてしまい、カクはしばし動きを止めてを見つめた。もカクを見つめ返すが、すぐにカクかぼちゃへと視線が映りにっこり笑う。
 そして柔らかくなった表情でもって、片手を伸ばしてきた。
 帽子越しに触れた手は、何度もカクの頭を撫で、囁く声は信愛に満ちていた。
「貴方が無事に戻ってきてくれて、本当に嬉しいわ。今年も一緒にハロウィンを楽しめるんですもの。また一緒に騒ぎましょうね」
 いつまでも子供扱いしたその態度に、カクは到底腹を立てられそうもなかった。
 優しい目がカクの戸惑いを見つめていて、けれど決して笑わない。
 そのまま寄せられた顔はカクの胸にもたれ、小さな声でカクの無事に安堵したと囁いてくる。
 自分達だけに向けられる、この絶対的な愛情。
 無償の愛と言うものがあるとすれば、これが近いのではないかと思わせるほどの、あたたかい感情。きっとに恋人が出来たとしても、自分達に向けられるこの感情は、変わることがないだろうと思わせてくれる。
 感謝の言葉を言いたいが、なにやら面映くて敵わない。
 カクはせめてものお返しだと、寄せられた頭に囁いた。
「……姉さんの料理の味見は、わしの仕事じゃからな。死ねんよ」
 上げられた視線に笑いかけると、も同じように笑みをこぼす。
 ささやかながら穏やかな時間に、カクは胸をあたたかくした。
 この時間がなくならないように、穏やかに笑った。


back