テチョー村の少年

    麻生 弘
ネパールの首都カトマンズから車で一時間あまりの所にテチョー村はある。毎年、年末年始にかけて、歯科治療のボランティア活動が、この村でおこなわれていて、私の参加も三回目になった(途中一回休みがあるので、四年前からの参加になる)。

 テチョー村の診療所の回りには畑が広がっていて、畑のはずれには小さな小屋が建っている。何のための小屋かと思い、畑の中の道を通って歩いていくと、入り口の前にその少年は立っていた。七、八歳ぐらいと思われる少年は、じっと私の方を見つめていたが、輝くような眼差しに、なんとなく目が合わせられなかった。

 少年の許しを得て、中へ入らせてもらうと、それは小屋ではなく、粗末なカマドと寝床だけの小さな家なのであった。中にはほかに子どもが数人と母親がいて、どうやら五、六人の家族がこの小さな家で暮らしているのである。電気も水道もトイレもなく、殆ど家財道具もないこの家の暮らしぶりは、私には想像もつかないものであった。

 滞在中、何度かこの家へ足を運んだが、私に対する少年の態度はいつも実に素気ないものであった。かといって無視しているわけではなく、なんとなく相手はしてくれるのである。写真を撮ればそれなりにポーズをとってくれるし、身ぶり手振りでの会話にも応対してくれた。カトマンズ市内で、やたら親しげに声をかけてくる物売りのネパール人たちとの応対にイヤ気がさしていた私には、そんな少年の態度は、かえって心なごませられるものがあった。

 翌年も少年は変わらぬようすで入り口の前に立っていた。少し背も伸び、いくぶんたくましくなったように感じられた。前年に撮った写真を母親に手渡すと、うれしそうにしてくれたが、少年の素気なさは相変わらずであった。

 翌翌年、少年はもっとたくましくなっていた。もう私の顔は覚えてくれているようで、やっと少し笑ってくれたような気がした。畑のはずれの崖の所で、少年の写真を何枚か撮った。  日本へ帰って、恵まれすぎた環境の中で 日々暮らしていると、ふとあの少年のことを思い出すときがある。ぬくぬくとした温室暮らしを反省し、「また会いに行くからな。元気でいろよ」と、ときどき心の中でつぶやく私である。
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