「豊かさの貧しさ」と「貧しさの豊かさ」

−ネパールにおけるNGO活動で考えたこと−

西南女学院短期大学 食物栄養科

安部 一紀


この小冊子は、本学第八回公開講座(テーマ「現代豊かさ考」)において講演したも のをまとめたものである
目次 1 はじめに 2 ネパールの事情 2-1. 地理 2-2. 人口・民族 2-3. 政治・経済 2-4. 作物 2-5. 家畜 2-6. 農業 2-7. 水事情 2-8. 家・台所 2-9. 献立て 2-10. 食料生産量 3 ネパール人の一生 3-1. 一日の始まり 3-2. 生まれること・生きること 3-3. 病気 3-4. 老いと死 4 ネパール人の健康観・幸福感 5 ネパールの都市化と森林破壊 6 ネパールは何処へ行くのか? 7 むすび −「日本人の豊かさ」の貧しさ−
 「あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着 ようかとからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさっ ている。  からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉も ない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるか にすぐれているではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、 自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。  野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたが たに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾って はいなかった。きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこ のように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはず があろうか。  あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じであ る。ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであ ろう。  恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなので ある。自分の持ち物を売って、施しなさい。天に、尽きることのない宝をたくわえ なさい。あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。  (ルカによる福音書十二章) あなたがた貧しい人たちは、さいわいである。 神の国はあなたがたのものである。 あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいである。 飽き足りるようになるからである。 あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいである。 笑うようになるからである。 (ルカによる福音書六章)
1 はじめに  これからお話することは、私がネパールでのNGO活動(1989年〜現在まで・・「歯 科疾患と食生態との関連についての調査・研究」および「歯科診療活動」)におい て体験したことの中から、現在の日本の「豊かさ」とその「豊かさの貧しさ」につ いて考えたことです。  話の内容はネパールの人々の生活の有様、特に病気の事、その生と死、あるいは貧 しさとか幸福とかに関わる、かなり微妙な部分に触れる話になります。話の流れ で、あるいは説明不足や言葉たらずで場合によっては「差別的」と思われる所が出 てくるかもしれませんが、その時は、そういう気持ちで申し上げているのではあり ませんので、どうぞお許しをいただきたいと存じます。では、早速スライド写真を 御覧いただきながら、「日本人の豊かさ」とその「豊かさの貧しさ」とについて皆 様と一緒に考えていきましょう。目次 2 ネパールの事情 2-1. 地理  ネパールというと、エベレストやヒマラヤからの連想で、「寒いところ」というイ メージが強いでしょうが、地図を見ますと、緯度的には、台湾と沖縄の中間くらい の位置です。  地理的には亜熱帯に属し、バナナ・マンゴー・パパイヤなどトロピカルフルーツ も採れますし、象・トラ・サソリなどもいます。 ネパールは長方形をした国で、東西が約850キロ、南北が狭いところで200キロ、 広いところで240キロくらいです。面積は九州と四国を併せたくらいの広さと想像 して下さい。インドの北、中国のチベットに挟まれた小さな内陸国です。私達、ネ パール歯科学術調査隊が活動の場にしているところは、首都カトマンズから少し南 の方に、車で約50分ほど行ったところにあるテチョ村というところです。  ネパールは南のインド平原から次第に標高が上って、8000メートル級の山々の連 なるヒマラヤまで、ぐっとせり上がったような地形をしています。国を地形で分け ると、海抜0メートルからはじまるインド平原から続く「平原地帯(タライ)」と 4000メートル以上の「山岳地帯」、および、この二つの間に広がる「丘陵地帯」 となります。そしてこの丘陵地帯が国上の64%を占めます。丘陵地帯をイメージす るのであれば、足立山・平尾台から九重連峰へという標高の山の連なりを想像して 下さい。そして、その山には下から上へ段々畑がず−っと重なって、天まで昇って いくという感じです。日本の宮崎県椎葉村あたりのイメージとも重なります。住ん でいる場所から畑のあるところまでは相当の標高差があります。急な山坂の往復を 伴う日々の生活と労働がいかに大変かは容易に想像できると思います。平原地帯は 17%で、マラリアなどの風土病も多いところです。山岳地帯は19%で世界の屋根 のヒマラヤ山脈を含みますので、人は住めません。  ネパールで人が生活できるところは、平原から丘陵の地帯までで、最も高いところ で標高が3400〜3500メートル(富士山頂)位までです。ネパールの人口の約46.6 %が平原地帯に、45.5%が丘陵地帯に住んでいます。  ネパールの気候には雨期と乾期があります。雨期は四月ごろから始まり八月末〜九 月まで。あとは乾期です。乾期には雨は降りません。後述するように、この地理的 条件と気候条件の中で日々の食物を育て、生活を維持してゆくことは生易しいこと ではないのです。目次 2-2. 人口・民族  ネパールの人口の正確な数字はありませんが、約1200万人です。国教がヒンズー 教で、ンズー教徒が90%。仏教徒は5%ほどで、残りは民族で異なります。  ネパールは多民族国家で、大きくはインド・アーリア語族とチベット語族とに分け られます。ですからネパール人と一言でいっても、その内容は多岐にわたり複雑で す。民族が異なれば、言語・風俗・習慣など皆ちがいます。  民族は同じインド・アーリア語族といってもネワール族とかチェトリ族というよう に複雑に入り組んでいます。チベット語族にはタマン族やシェルパ族などがあり、 独得の生活習慣を持っています。チベット系の民族の中にはチベット仏教徒も多い ようです。目次 2-3. 政治・経済  政治は王様がいて立憲君主制です。三年前までパンチャヤット制度といって、村の 長老達が集まって議会を作り、王様の下で国民を指導するという制度がありました が、民主化運動が起こり、現在は投票によって国会を運営する西欧型の政治形態を とっています。が、実権はまだ王様が強いという国です。  国家予算は700億円でその三分の一が外国からの援助です。GNPは150ドル/人、 日本円で15,000円。日本の約1%です。アジアの最貧国の一つです。大人が一生懸 命に働いても一日30〜50ルピー(100円〜150円)程度です。ネパールの国家予 算を北九州市予算と比較し、一人当りの予算額を比べてみると、北九州市の予算が 年間で4900億円で人口が1000万人です。ネパールの予算は700億円ですが外国援 助を引いたら約500億円となります。人口は1200万人ですから、結局、北九州市 民1人分がネパール人の120人分ということになります。つまり、北九州市民は 120倍ネパール人よりも豊か(?)ということになります。(皆さんには、その実 感がありますか?)  ネパールの産業は、気候風土から想像されるように九割以上が農業です。石炭も石 油も金もダイヤも何も採れません。輸出する物も大したものはありません。じゅう たんとか麻布とかの農産品です。麻布はタイなどに輸出され、タイ米を入れて日本 へも来ています。日本では今、タイ米はゴミになって捨てられていますが、あのタ イ米を入れた麻布はネパール人が一日100円にもならない手間賃で一生懸命作った ものも多いのです。目次 2-4. 作物  主食用には米・トウモロコシ・麦・ジャガイモ・ヒエ・アワがとれます。豆類は種 類がとても多く穀類に次いで大切な作物です。田の畔には、大豆が植えてありま す。日本でも昭和30年代までは畔豆作りはやっていました。今は飽食の時代とな り、輸入すればいくらでも手に入りますからこういう農業はもう日本にはありませ ん。  野菜は人参・カボチャ・大根・玉ネギ・ネギ・ホウレン草・高菜・カリフラワー・ チシャの他、ニンニク・ショウガ・ウコン・トウガラシなどの香辛料作物など、日本 にあるものは大体あります。皆さんが行かれて食材料で困られることはまず無いで しょう。日本と本当によく似ています。大根は切り干にもします。山イモはお正月 ごろ山でたくさん採れます。日本の山イモより巨大ですが、昧はよく似ていて、と ても美昧しいです。ネパールでは蒸して食べます。ハヤトウリを発見した時は、と ても感動して、小倉にいるのかと錯覚したほどです。  果物は前述のトロピカルフルーツのほか、ナシ・ミカン・ザボン・リンゴ・スイカ などありますが、主要な作物ではありません。ほとんどが野生に近く、これらの果 物を食べるという習慣は、なったら食べる・もらったら食べるという程度です。目次 2-5. 家畜  家畜には、山羊・水牛・ヤク・ニワトリ・アヒルなどがいます。家畜を飼うのは堆 肥作りや農耕用・祭儀用が主要目的で食用が本来の目的ではありません。牛はヒン ズー教では神様なので、食べません。皆さんがネパールに行かれて、もし車で牛を ひき殺したら、あなた自身の命の保障はありません。それ程、牛は神聖な生きもの です。ネパールでは日本人は牛の肉を食べる野蛮人ということになるのです。しか し、考え方としては、この考えの方が理にかなっています。かつての日本も長い 間、殺生・肉食をいみきらって、動物の肉はもちろん、牛乳でさえ、生血を吸うよ うなものとして口にしなかったという歴史をもっています。日本で肉食が本格的に 始まったのは戦後で、その大きな原因はアメリカ食へのあこがれからです。ネパー ルのように自然風土が非常に厳しいところで、美味しい牛や動物の肉を食べたりす ると、一体どういうことが起こるでしょう?先ず飼育するために森林破壊・土地争 い・貧富の差が起こります。そういう事をし続けると、小国ネパールは、国そのも のが、とっくの昔に潰れてしまっているということにもなりかねません。インドに おいても、ネパールにおいても、家畜というものは、神様のように祭り上げたり、 祭祀用に祭り上げたりして、食べる「食糧」という考え方は、ほとんどとっていま せん。それは、こういう厳しい自然風上に住む人間の深い知恵ではないか。そうい うふうに思います。今、日本では、沢山の牛を飼い、豚や鶏を飼い、それらを殺 して肉を食べていますが、家畜を飼って、穀物(飼料)を家畜の肉に変えて食べる やり方は、穀物がもつ本来の栄養価の利用効率(エネルギー効率)からしますと、 その約90%は無駄になっていて、たったの10%しか肉に転化していないのです。 ですから、動物の肉を食べるということは、そういう意味でネパールのように貧し い、食糧自給国においては非常に効率の悪いことはもちろんの事、非常にぜいたく きわまりない食べ物の食べ方ということになります。今日「食糧危機も近い」とか で、先進国では人々を不安にしていますが、その人々が肉食を減らせば、この間題 はもちろんの事、森林破壊の防止やメタンガスによる地球温暖化の防止の解決にも なり一石二鳥の効果があることになります。  ネパールには山羊が多くみられます。山羊を飼う意昧には二つありまして、一つは ヒンズーの祭りの時、神への犠牲として捧げられることです。首を切って、血をこ のように家の門に塗ったり、自分の額に塗ったりします。もう一つは、特別なお祝 事の時に食べたり、その乳を採って飲んだり、チーズを作ったり、その毛や毛皮を 利用したり、そのし尿などから堆肥を作るといったマルチな利用法です。水牛やヤ クは農耕用と堆肥用。鶏やアヒルは卵を採ります。これらは食用にもしますが、 めったなことでは殺しません。食生態調査をしたら、動物の肉を食べるのは月に一 度あるかないか位でした。調査中おもしろいと思ったのは、ヒヨコの飼い方です。 ヒヨコは竹カゴの中で飼われていますが、その竹カゴの大きさ・形・竹の編み方な ど、私が小さい時、祖母の家の庭で見たのと瓜二つです。日本とネパールの国で、 その昔、ヒヨコの飼い方で文化交流があったわけはありません。たぶん、食とか性 とか生活の基本に関わる人の文化というものは、人間性の中に人間が本来共通に 持っている何か「種」のようなものがあって、同じような条件さえ備えれば、人種 や民族が異なっていても、まるで種から芽が出て花を開くように似たような発想を して、似たような事をするのではないでしょうか?目次 2-6. 農業  農業のやり方ですが、まず、山羊などの家畜のし尿を集めて堆肥を作ります。それ を背負子や天秤棒にかついで田・畑に運び、水牛やヤクなどを使って土中に鋤き込 みます。それから種を植えて作物作りです。稲作の場合、昔の日本のように綱を 張って整然ときれいに手で植えるやり方よりは、畑に作る陸稲の水田のような感じ です。ただし、機械や農薬はありません。除草など全て手作業です。堆肥を運ぶと 一口にいっても、その作業はなかなか大変です。この写真のように、村の娘達が背 負子に堆肥を入れたカゴを背負って(約20〜30Kg)、山の上の方や山の下の方の 畑に運ぶのです。これを何度も何度も繰返す大変な作業です。  農作業のスケジュールはどのようにして決めるのでしょう?。それは太腸の運行 です。それがその土地の祭りと連動していて、「○○の祭の次の日が種子まきの 日」などと決まるわけです。太陽の動きによって、季節が動き、季節の動きに基づ いて人間の生活が動く。その生活の動きの節目、節目に祭りがあります。ですか ら、季節・農作業・祭り(宗教)が一つとなってネパール人の生活がゆったりと循 環するのです。  ネパールの農業は日本式で表現すると、有畜・有機農業で、採れた作物は完全無農 薬有機作物ということになります。安全で・美味しい高級な食べ物というわけで す。これを日本の自然食の店にもってゆけば、きっと高く売れることでしょう。  もう一つのネパール農業の特徴はリサイクル式農業ということです。利用できる 物は全て利用して、又、田畑に戻します。日本では汚いだけの牛の糞もネパールで は真珠のような値打ちがあります。肥料になって、再び食べ物として再生します。 乾燥させて燃料にもなります。トウモロコシの実を収穫した後の芯の部分は乾燥さ せて燃料にします。田んぽの畔の雑草は鎌で切り取って山羊などの家畜の食糧とな ります。全てがこの調子で、物を最大限に利用した生活です。ですから、家や台所 からゴミが全く出ない生活です。ゴミは全て家畜のエサになるか、堆肥や燃料に なって、再び土に戻ってゆくのです。ゴミが出ないネパール人の生活は実に気持ち がよく美しいものです。  このようにして、ネパールの人々は自分の家で食べる分は自分の家で耕作して自給 しています。いわゆる自給自足・循環型(リサイクル)の農業が基本生活で、お金 で消費する日本のような生活形態はネパールでは基本的ではありません。  山で生活している人々は冬のために、夏野菜を干して乾燥野菜にしたり、春は山の 山菜を干して冬に備えます。カカニという所にいった時、山の斜面に切り干大根が 一面に干してあって、とっても美しい風景に出会ったのですが、その上へ、りっぱ なジープを乗りつけまして、まわりを視察して帰っていった外国人がいました。よ くみると日本人で、ジープに書かれているマークからお医者様とわかりました。心 の痛む風景となりました。目次 2-7. 水事情  食べ物の他に、生きる為には水が必要です。ネパーには雨期には雨が降り、水が ありますが、乾期は水がなく大変です。テチョ村には、いくつもの池(ポカリ)が 造られていて、そこで食器洗い、洗濯などの用をします。水牛や子供達が水浴をし ます。飲み水は、川の水・井戸の水・上水道の水を使います。上水道は時間給水で 朝1時間、タ1時間とかに決まっています。従って、生活用水はネパールでは基本は 川か池の水です。ネパールでは便所は作りませんので、時々、水や池に大便が流れ 込みます。もし伝染病でも患っていたら、この水を通してワーと拡大します。「欲 しいものは何か」とたずねると、「特別に何もないね−」と答えるネパールの人々 でも安心して飲める衛生的な水だけは欲しいと三分の一の人が答えます。それほ ど、水の間題は生活上、大きな間題なのです。台所で使う水は、大きな金属のつぽ に入れて、運びます。容量は20リットル位ですから、相当な重さです。この仕事は 女性(特に主婦)の仕事で、朝一番の仕事です。朝は5〜6時ごろ起きて、家の近く の川や池まで(平均200〜300メートル)2〜3往復して水を家の三階(台所)まで 運び上げます。屋内は電気もなく暗い上、階段も狭くて急ですから、足の悪い人は 大変だと同情しました。目次 2-8. 家・台所  民族によって異なりますが、テチョ村では、三階建てです。一階は家畜と農耕用、 二階が居住用、三階が台所・食堂となっていて、屋根裏を食糧や燃料などの貯蔵庫 に使ったりしています。  ヒンズー教では、いろんな神様がいます。水の神様・火の神様とか・・・。それが家 の中のあちこちにあるので、朝、起きたら一番に水を汲んで、水と花と供物を供え てお祈りをし、一日が始まります。前日の供物は新しいのに取り替えます。一応ゴ ミですから窓から外へ捨てるのですが、すると窓の下には鶏や山羊とかの家畜が 待っていて、それを食べます。ですから、ゴミとなった神様への捧げ物は、結局、 畜の餌になっているのです。そして、このゴミが鶏の卵や山羊の乳となって人々 の食べ物へと再生するのです。ここにも循環(リサイクル)が生きています。ま あ、見事というか、本当に物を生かし、使いきる生活のあり方に感心しました。  調理器は、なベ・かま・おけなど基本的なものが1セットあるだけ。食器も皿 ・コップが家族人数分あるだけで、ほとんど野外(キャンプ)生活の状況です。調 昧料は塩・油・香辛料だけです。砂糖は紅茶に入れる時に少し使うだけで、料理に は全く使いません。かまどは粘土で造ります。焚口と、鍋・釜をおく穴があるだけ の簡単なものです。この写真をごらんになって、御自宅の台所と比ベてみて下さ い。ネパールの台所は「なにもない」と思われるでしょう?でも人が生活するに は、これだけで十分だということも又、事実なのです。  かまどの燃料の確保は大変です。燃料は燃えるものは何でも使います。枯草・ ワラ・トウモロコシの茎や根・家畜の糞など。冬は内陸国ですから寒いです。特に 夜はそうです。しかし、台所がこの有様ですから、家内の暖房はほとんど無しで す。  調理と食事の世話など台所の一切は一家の主婦がとりしきります。この写真はか まどの前で煮炊きをしている主婦を撮ったものです。とてもいい顔をしています。 「これは私の座だ」という威厳と存在感があふれています。ネパールの主婦は家の 中に自分の座をもっています。この場所は彼女だけしか座ることのできない聖なる 場所です。以前の日本もそうでした。日本の家庭がいつも不安定な原因の一つは、 このような確な「座」を男も女も親も子も自分の家の中で失ってしまったからでは ないかと思います。  主婦は食事をつぎ分けて配食をしますが、その順序は子供、老人、男、女そして最 後が主婦です。この順序をどう見るかは御自由ですが、私には「弱い者優先」のよ うに思われます。このように、ネパールでは女性が生活をきりもりし、しっかりと 自立していて、生き生きしています。政府の閣僚や高官にたくさんの女性がいま す。この点からは日本はネパールよりずっと後進国(?)です。  食べる時は土間の上に、笹や板を敷いて座って手で食べます。食事を手づかみで食 べるということは、犬畜生にも劣る非文化的なと思われるかも知れません。ところ が自分でやってみると判るんですが、大変これはグルメな食べ方です。どういうこ とかと言いますと、お箸のような道具を使うと食物の温度・物性は視覚的・間接的 で想像力がいります。ところがこうして手でつかむと、目を閉じていても「ああ、 美昧そう!」と手の指先から味を感じます。グリコアーモンドチョコレートと同じ です。「二度美味しい!」。口の中に入れる前から温かいとか、さらっとしていて 美味しそうとか、いろいろな感覚が食物の香りや色合いと一緒に指先を通して口に 伝わるのです。裸の大将の「清さん」がてづかみでオニギリを美味しそうに食べる のと同じです。こんな歌も思い出します。「柿の実の 熟れたる汁にぬれそぼつ  指の間より秋は来にけり」。目次 2-9. 献立て  食事のメニューの基本は、主食と副食二種類(家によっては、アチャールという 漬物がつくこともある)の組み合わせです。主食は穀類にジャガイモです。米は米 飯、麦・トウモロコシ・アワ・ヒエなどは粉にしてディロやロティにして食べま す。ディロはそばがきのようなもの、ロティは粉をねって、うすく延ばして焼いた もの(パン)です。ジャガイモは、茄でて食べます。副食はタルカリとダルがあり ます。タルカリはおかずで、いろんなタルカリを作ります。季節の野菜を油で炊め て煮込み、塩と香辛料で味付します。冬は保存しておいた、干野菜や山菜に麦や ジャガイモなどを加えて、硬めのお粥のようにして食べたりします。ダルは豆の スープで日本のみそ汁のような汁物に相当します。ネパールでは豆の種類は豊富 (豆科の植物はヤセた土でもよく育つ)で、いろんなダルを作ります。  このような料理の食材料は全て自給自作なので季節が変れば、その内容も異なっ てきます。このようにして、ネパールの人は季節、季節のものを最大限うまく活用 しそれに順応しながらその生命を維持しているのです。通常の生活では、この主 食・タルカリ・ダルの三種が揃うことはあまりなく、主食とタルカリや主食とダル という組み合わせが多くみられます。  食事は一日二食(朝と夕)です。又、朝と夕、昨日と今日、で献立やその食材粋が 異なることはほとんどありません。畑に出て12時〜午後2時ごろ、お腹がすいた ら、カザといって干飯(チウラ)やポプコーンあるいはトウモロコシや大豆のいっ たもの、昨夜や朝の残りものを食べます。  お祭りは大きなイベントで、人々の生活に「生活指針」と「活力」と「栄養補給」 を与えています。祭りの日によって農作業の日程が決まり、単調な生活にアクセ ントが与えられ、祭りのごちそうによって、普通は食さない山羊や鶏の肉・卵も食 べられます。  ネパールの食材料には、とても硬いものがあって、なかなか食べるのには苦労しま す。調査したら歯の咬合力はとても強く、日本の子供など「ガラスのローラ」と いった感じで、ネパールの子供と比べると壊れやすい歯をしています。おたくの子 供さんはいり大豆(市販のでなく自家製のですよ)をバリバリ食べることが出来ま すか?ネパールの子供のおやつです。目次 2-10. 食料生産量  年間約1万トンの穀物が不足ですが、ほぽ自給できています。日本は必要な食糧 の半分しか自国内で生産していませんので、食料に関しては地球の寄生虫のような ものです。ネパールは、その点、自給率が100%に近い食糧自立国なのですが、今 後は、どうなるかわかりません。先に述べたように、ネパールは利用できる土地は 山の天ぺんまで利用し、家畜を飼い、堆肥を作り、作物を育て、食べた後は余すと ころなく再び土に返して、物を循環させるといった、有畜・有機・循環式の農業を ずーと続けて来たわけですが、もし、このリサイクルの環の一ケ所でも破れること になると、このシステムは機能しなくなる恐れがあります。例えば、「カトマンズ に出て、一日働くと30ルピー(100円)もらえるそうだ」という事になって、その 魔力に魅せられた山の人々が農業を捨てて山を下ってゆくことになったら、はたし てネパールはどうなるか?ちよっと考えてみて下さい。目次 3 ネパール人の一生  以上、大急ぎでネパール人の生活の有様をお話してきました。少しは、ネパール人 の生活のイメージが湧きましたか?今、皆さんは心の中で、「そういう厳しい生活 の中で、人々の幸せは何なのか」と思われているかもしれません。今から、その辺 の事をお話します。目次 3-1. 一日の始まり  ネパールに行きますと、日本でいう寺院・祠(ほこら)・お地蔵さんみたいなもの が 、行く先々にあり、人々は朝・夕お参りをします。一日の始まりも神様への捧 げ物と祈りからです。ヒンズー教や仏教といった宗教が人々の生活の中で生きる基 盤となっているのです。ネパールの人々は「神様がいらっしやる」と信じて生活し ています。だから自分が何かを行う時には、自分が先に立つのでく、まず「神様は どう思われるか」と考えるのです。ですから、「自分がしたくても、してはなら ぬ」事と「自分はしたくない事でも、せねばならぬ」事の区別と判断がきちんとつ くのです。一日の始めを祈りではじめるネパールの人々は判断の中に「自分が常に 先に立つ」先進国の人々よりもずーと謙虚で安らかに生きています。目次 3-2. 生まれること・生きること  赤ん坊は、ネパールの厳しい生活の中で、どのように育ってゆくのでしょうか。村 を歩いてみると、母親が赤ん坊を背負ったり、抱っこしたり、家の外で日光浴をさ せていたり、オムツを換えていたり、そんな風景にあちこちで出含います。これは 竹篭の中に寝かせて、あやしている写真です。よく見ていると、何かと、赤ん坊に 言葉をかけながら、篭をゆすって、面倒を看ているのです。とにかく、ネパールで は赤ちやんが一人で居るという風景はありません。誰かがそばについています。母 親がいない時は子供や老人、近所の人と誰かが看ています。日本の赤ん坊に比べる と全然寂しくないのです。これくらい、まわりの人間に囲まれて、見守られて、結 果として死ぬことがあっても、これなら悪くないなと思います。ほったらかされた り、邪魔ものにされたり、粗末に扱われて死ぬわけではないのですから。日本の乳 児死亡率は5。ネパールはその30倍の150位です。非常に高率です。その結果、平 均寿命も50歳ほどです。なかなか衛生環境も食糧事情も良くありません。栄養調査 をしてみました。日本人の基準値で比較すると、栄養不足で皆んな病気になるか死 んでもおかしくないような状態です。ところが事実は、ネパールの人々は朝は5〜6 時からタ方5〜6時ごろまで天秤棒をかついだり、背負子をからったりして日長、農 耕に従事して、元気に働いています。さっきからの写真で見るように、表情は何か しらニコッとした感じで柔和です。そんなにガツガツとした感じがなく、ゆつたり (ビスターリとネパール語で表現します)生きているのが現実です。目次 3-3. 病気  病気になったら、どうするのだろうと心配していらっしやるかもしれません。ネ パールの医者は全部で1200〜1300人です(日本では約20万人)。しかも、その ほとんどは首都カトマンズに居住していますから、ほとんど無医村です。病気に なったらどうするかといいますと、ジャンクリと呼ばれる祈祷師が出てきて、病人 の家のまわりや枕元で骨笛をふき太鼓をたたいて、夜中じゅうでも、病気が良くな るように祈祷します。骨笛は人間の骨から作った笛です。病気は気からといいま す。きっと、熱心に祈ってもらっている事によって病人の気が安らぎ、病人自身の 生命力が病人自身を回復させてゆくことになるのではないかと思いますが、ジャン クリの祈りによって、しばしば病気が良くなるようです。  ルネ・デュボスというノーベル賞学者が、ある本の中でこういう事を書いてい ます。「現代人は、おそらく、とくに賢くなったわけでもないのに、うぬぼれだけ は、たしかに強くなって、病気を撲滅するための最高の道は、科学知識と医学的技 術によるほかはないと断言している。アメリカの医学の指導者の一人は、「健康は お金で買える」とさえ宣言した。しかるに、現代のアメリカ人たちは、自らの身体 と精神の科学的な取扱いを得意がってはいるものの、45歳以後の平均寿命は、今日 もなお、数十年前とはほとんど変わらないし、じっさい、現在のヨーロッパ人の寿 命よりは短いのだ。アメリカ人は、世界最高の生活水準を誇っているが、その収入 の10%は医療費として消えている。そしてふえていく病人をみんな収容できるほど の病院を建てかけているのだ。お金があれば、心臓病、ガン、さらに精神病を癒す ための薬がつくれると思いこまされているが、これらの病気を多発させる日常生活 の誤ったおくり方を認めて、これを是正する努力についてはなんら知っていない。 彼らは他のどんな国民よりも声高に笑い、そのいたるところで出会う国民的なほほ えみは、あらゆるポスターや雑誌に、さらに芸能人や政治家によって、いやという ほど見せつけられている。しかし、4人の市民のうちの1人が、少なくとも数カ月間 から数年にわたって、精神病院で過ごさねばならないのだ。じっさい、すぐれた健 康という仮面自体が、精神異常を、いっそうかりたてているのではないかと、疑い たくなる。私たちの社会に、ごくありふれた日常生活の間題を解決するために、薬 に、そしてまた医者にたよる人達の数がますますふえていく今日の時代を、世界史 上最高の健康状態にあると宣言するのは、どう考えても妄想ではなかろうか。」 (健康という名の幻想:紀国屋書店)と。ここでいう現代人とは、アメリカ(や日 本)のような医療先進国の人間を指しています。  ネパールには病人がたくさんいます。平均寿命も50歳。乳児死亡率も日本の30倍 です。でも、精神科の患者さんとか、そういう精神的な悩みで病気となる人は、日 本やアメリカのような先進国に比べるととても少ないのです。「豊かな国の病気」 と「貧しい国の病気」は、その有様と原因が大きく異なっているのです。最先端の 「科学技術力と物量」によって病気を制圧する近代医療と「祈る」という「人の行 為」によって病める「人をいやす」ネパールの医療と、まるで月とスッポンのよう な相異なる二つの医療のあり方。高齢化社会に向かう日本の医療にとっても大いに 考えさせられる事柄です。目次 3-4. 老いと死  老後の様子を話しましょう。年をとりますと、この写真のように孫達に囲まれて生 活します。働ける人間は田・畑に出ていますので、家に残るのは子供と老人ですか ら、自然な成り行きです。このおばあさんは、一日このように竹篭の中の赤ん坊の めんどうを看、孫達にめんどうを看られて暮らすのです。この人は長男夫婦と同居 しています。隣の家は自分の兄弟の家、その隣は親戚の家です。だから、なかなか 毎日が賑やかで、しかも安心な生活です。  死んだらどうなるかと言いますと、チベット族では、ラマ教の坊さんがきて、死 体を篭に乗せて背負って山へ運んでゆきます。山へは親戚の他、村人が大勢ついて ゆきます。ある人は泣きながら、ある人はお祈りを唱えながら、また、ある人は鐘 や太鼓を打ちながら、ずーと山へついてゆくのです。ここで葬るわけですが、埋葬 するのではなく、ククリという山刀で体を切り分けます。そして、鳥が来てそれを 食べるのです。鳥葬といいます。鳥は天へ舞い上ってゆきます。鳥が天へ舞い上っ ていったら、死者は天の神様のところへ帰って行くのです。だから死は悲惨なこと ではありません。むしろ人々にとっては悲しいけれど幸せな風景なのです。こんな 風景を見ながら「僕が死んだら誰が見送ってくれるかなあ」と思いました。皆さ ん。ネパール人に負けぬ自信はありますか?僕なんか、いま死んだら、四月に建て たばかりの家のローンは帳消しになるし、生命保険もいっぱい(?)ありますか ら、だれかさん、濡れ手に粟と喜ぶんでは・・・。わかりませんよ。昨日、NHKの夜の 八時の時代劇スペシャルでやっていましたが、主人公が長年の城勤めを停年となっ ためでたい日の夜。意気揚々と帰宅したら、その家の奥方が「これで私はお暇させ て頂きます」と。寂しい人生ですが、私にもありうる話です。目次 4 ネパール人の健康観・幸福感  私達調査隊は医療班も作って、村人の歯の治療・予防活動をやっています。しか し、このような医療活動をすること自体、村人とその生活にとってプラスなのかマ イナスなのかということは大きな間題です。また、医療をうける村人が、どのよう なことを健康や病気について考えているかを理解しておかないと、本当の意味で村 人のためになる医療を行うことができません。この点をちゃんとふまえて活動をし ないと、私達調査隊の行為は、博多弁でいう「全くの、いたらん世話」「おせっか いやき」ということになり、ひいては、善意から出発した行為が、村人の価値観や 村の人間関係など、人々の大切な生活基盤そのものを壊してしまうという結果にも なりかねません。そういう事から、村人が、どのような健康観や幸福観をもってい るかを知るために、いろいろと調査を行いました。  日本人に「健康とは、どのような状態の事を考えますか」とたずねると、返事はほ ぽ身体状況に関する事が一番多く、次に精神的な事と社会生活に関することと続き ます。例えば、「癌に患らない・寝たっきりにならない・悩みのないこと・人間関 係が良い」などです。同じことを村人にたずねると、ほとんどの返事は、「病気で ないこと・元気に働けること」です。つまり、村人は体が少々どうかあっても、実 際、日々生活ができていれば「自分は健康であって、不健康ではない」と思ってい るのです。ひるがえって考えると、日本人の場合は、自分の身体のことや人間関係 の些細な事で、くよくよと思い患っているということです。  「健康のために日常どのような事に心がけているか」も尋ねてみました。日本人で は、「食生活に気をつける・休息をとる・安静にする」という返事が多いようで す。ネパールではどうかと言いますと、「なるべく体を動かすこと」という返事で す。これには、私も驚きました。先に話したように、村人達は朝5〜6時から起き て、タ方の5〜6時ごろまで、水汲み・農作業と良く働いているのです。その人達が 健康のためにはなるべく体を動かすことに心がけているというのです。重いものを 持ったり歩いて行くのはなるべく避け、なるべく机について仕事をして、帰宅した ら、なるべく体に良い美昧しい物を食べて、風呂に入り、あとはTVを見てゆっくり と休息するという私達の平均的な健康習慣とはずいぶんと違います。 幸福観を知るために「今、何が一番欲しいか」を尋ねました。日本では、お金・ 休み・健康という返事が返ってきました。たしかに、お金があれば、よい食べ物も 手に入るし、健康も買えます。日本では健康もお金で買う。お金がなければ健康に なれない。そういう社会になりました。ところがネパールで同じ質間をしたとこ ろ、返ってきた返事を間いてびっくりしました。たぶん日本以上に、お金が欲し い、家や病院や・・・とたくさん出てくると思っていました。ネパールの識字率は30 %位です。ですから、親は子供に教育を受けさせ、いいところに就職させたいとか きっと思うに違いないと思っていました。ところが返事は「特にないね」でした。 これは本当にショックでした。日本人の返事だったらわかります。北九州市民はネ パール人の120倍の費用がかかっているのですから。しかし、返事は全く逆で、そ ういう豊かな日本人が「もっと欲しい」で、貧しいネパール人が「別にないよ」な のですから、「エッ?!」と我が耳を疑ったわけです。「休み」についても同じで す。大した労働もしていない日本人が休みを欲しがって、日々肉体労働しているネ パール人が「別にないよ」なのですから、やっぱり「エッ?!」と言わざるを得ま せん。だから、今の生活に対する満足度・充足度・あるいは幸福度、そういうもの を基準にして測ってみると、一体、日本人とネパール人は、どちらが自分を幸福と 思っているのかと考え込まざるを得ません。従って、日本人の「幸福の方程式」は ネパールでは通じないのです。NGO活動とか海外援助というものはよほど深く相手 を知った上で、よく考えて活動しないととんでもない生活・文化の侵略になってし まうのです。目次 5 ネパールの都市化と森林破壊  ネパールの現在はどういう事態が進行しているかといいますと、先ほど言いました ように700億円の国家予算のうち三分の一以上が外国からの援助です。それにODA の資金流入があります。ODAが入って、山を削って大きな道を作ったり、ダムを 造ったり、発電施設を建設したり、川に橋をかけたりといろいろしています。日本 やアメリカなどの先進国からみるとネパールは低開発国で、かわいそうというわけ です。ところが、そのような資金の流入と物資の流入でネパールはどうなっている かというと、首都カトマンズでは、物が増え、人が増え、お金が増えていす。車も 5年前初めて見た時より、とても増えています。ところがこれらは、ほとんどが外 国(インド)の中古車ですから、モクモクと黒煙を出して走ります。ですから、 今、盆地のカトマンズはスモッグと大気汚染で呼吸器疾患の病人が増え続けていま す。オートバイが走り、町が騒々しくなってきました。そこへ、村から、お金や物 を求めて人々がどんどん降りてきます。町に出れば日銭が稼げます。うまくゆけば 50ルピーになるかもしれません。そこで、物を売買すれば儲けが出ます。そしたら 日本製のラジオやカメラが買えるかもしれません。だから村は次第に過疎となり町 逆にスラム化しはじめています。山の村の田畑は水で流されたりして、収穫が減 り、村の自給自足のシステムは壊れ、そして人が住めなくなる・・・という事態が起こ りはじめています。これはテチョ村の小学校の校長先生のお宅に招かれた時に写し たものです。台所がきれいだからと言われるので見ました。校長先生の自慢です。 かまどをこわし、電気を引いて、そこに日本の電気炊飯ジャーがありました。この 家の燃料は灯油(石油)です。牛の糞やトウモロコシの根ではありません。石油と 電気で生活しているのです。これは、先進国流に言えばとても進んだ生活です。し かし、本当はネパールでは一滴の石油も出ません。外国の援助がなければ、電気も ないのです。校長先生の陽気さとは裏腹に私の心はすーと冷えてゆきました。  ところで、ネパールでは、道も橋もダムも何年かすると駄目になります。何故か? 工事で山を削るので山が荒れます。雨期になるとそこへ鉄砲水がわーと流れてきま す。一夜にして山はえぐられ道や橋は流されてしまいます。そして、ダムはそれら の土砂で次第にうまってゆきます。ネパールのような山岳地で、山に木が少なく、 雨期と乾期がはっきりと別れているような国では、山を削るような工事をすれば、 こうなるのです。でも、先進国は援助してやっているのですからいいことをしてい るわけで精神的には満足かもしれません。ところが、援助した資金は結局は何処へ 行くかと言うと、一部分はネパール国内を流れますが、大部分はネパールを一国の 企業へ還流します。ネパール人が道やダムを造るのではない。ネパール人は単なる 労働力を提供するだけで、資材・機材は全て援助国の企業が本国から運んでくるの です。労働も喜びとし、労働という日々の生活を通して神と人と自然に出会う、貧 しいけれど、満ち足りた生活と人生を営んできた、気高く優しいネパールの人々 が、このような社会変化の中で、単に日銭を稼ぐ労働者に転落し、その見返りとし て西欧式の豊かな生活を手に入れるとしたら、それは本当に豊かになることなので しょうか。しかし、外国からのお金や物の流入は、確実にネパール人の自給自足を 基盤とした生活の実態と、それに根ざした心のありよう、人と人との関わりを確実 に破壊しはじめています。目次 6 ネパールは何処へ行くのか?  お金のない、お金のいらない生活をしているネパールにお金がぐるぐる回りはじ めています。そして、生活するのにお金が必要になってきました。校長先生の家 は、村人のモデルとなります。今、テチョ村には電話が一つだけありますが、その うち、だんだん増えてゆくでしょう。そうなってゆくと、人々はどうするかという と、「もう、畑で働くのは、お金にならんからだめだ」と。昨年ごろから、村に じゅうたん工場が増えはじめました。羊毛はニュージーランドから入ってきます。 これを婦人達が糸につむぎ、娘達がその糸を工場に運んでじゅうたんに織るので す。こうして出来たものが、ヨーロッパや日本へ出てくるのです。一日中、土間に 座って約10時間は働いています。これで労賃はいくら位と思いますか?50円、 100円位です。今ごろの日本の子供は決して喜ばないような金額です。でも、ネ パールでは、これは大金です。このような生活がテチョ村にも侵入してきていま す。村の女性達がじゅうたん産業に吸収されると、村の田圃−食料自給と生活の基 盤−はどうなるのか?赤ん坊は?老人は?そして人々のあのニコッとした笑顔は?  今、カトマンズが都市化し、卵や肉を食べる人が増えはじめています。ここにも、 その土地の自然や風土に無関心で、単純に「自分が学んだ科学への信頼と人々へ の善意」に凝り固まって行った、先進国の援助や指導の結果が顔を出しています。 この為、周辺部の村々では、鶏や山羊を沢山飼って、卵や肉を売る新しいタイプの 農業が広がりはじめています。三年前に調査した時には、卵や肉を食べるのは月に 一度位。それも何か特別の時で、量的にも大したものではありませんでした。それ が今、増えはじめています。すると、ネパールのような自給自足の国では肉を食べ る人の10倍の人がお腹をすかしはじめる事になるのです。  コカ・コーラも売っています。いくらと思いますか?じゅうたん工場で働く娘達の 一日分です。でも、これを買う人がいる。ということは、それだけ貧富の差が出て きたということです。歯科医療や食生態の面からも大変困ったことです。  この子を見て下さい。最近、カトマンズでこういう、ひとりぼっちの、誰もお友 だちがいない子が、ちょいちょい目につくようになりました。(私のネパールの友 人は、日本の仏教会の援助をうけて、親のない子の為の小学校を開設しました。) これも新しい変化です。ネパール人の中の何かが壊れつつあるのです。目次 7 むすび −「日本人の豊かさ」の貧しさ−  ネパール人の生活をまとめると次のようになります。ネパールの国はこんなに小さ い。でも、ネパールの自然・風土から人々は食物と生命を育まれて、それを再び自 然・風土に帰してゆく。水も空気も土も・・・様々なものが人々の生命と生活の中を循 環し、自然界の循環系を通って、再び食物として再生し、人々の生命と生活を育ん でゆく。このようなリサイクルシステムで成り立っているのがネパール人の生活の 基本型です。ですから、国は小さく貧しくとも、人々とその生活は天与の「ネパー ルの自然と風土が内蔵する能力」の範囲内で、自給自足しながら、たいした迷惑を他 国にかけることなく生き続けてゆけるのです。人は死にます。50歳で死にます。 でも、村人が大勢集まってお葬式をしている。お医者はいません。でも祈庸師がき て一晩中その人の為に身と心をつくしてお祈りをしてくれます。ほったらかしの赤 ん坊はいません。母親が抱っこし、背負ってくれます。老人には子守という仕事が あり周囲には、鼻をたらしたかわいい孫達がいます。隣近所には、親しい人々が住 んでいます。寂しさのない安心な生活です。  日本人はネペール人と比べると太陽のように巨大な生活をしています。でも、そ の豊かな生活の基盤は、きわめて不安定です。なぜなら日本人の生活の全ては外国 に依存しているからです。私達は非常に豊かな生活をしているかもしれません。し かし、その元は、みなどこかの他国から奪ってきたものです。石油にしても、鉄に しても、木材にしても、食料にしても・・・・・・必要なものはみなそうです。日本人は  天与の「日本の自然と風土が内蔵する能力の範囲」を巨大にとび越えて分不相応の 生活をしているのです。「地球が有限の生態系(リサイクル)であり、人間の生命 と生活の根本は、地球自身がもつ自浄と再生の能力に依存している」という不動の 厳然たる事実からすれば、今の日本人の生活は単に分不相応と言うにとどまらず、 他国人の幸せを食べつくすことによって成り立っているといっても過言ではありま せん。宇宙から見るとブラジルや東南アジアの森林がどんどん切られ無残な姿を露 呈していす。そしてその原因に日本の豊かさがあります。昨年、米の国際価格が高 騰し、ネパールをはじめ東南アジア・アフリカの諸国は、米が買えず、お腹を減ら しています。そこにも日本人の豊かさが関係しています。その原因を作った日本で は、今、タイ米は、ゴミとして捨てられています。いわく、「タイ米は臭くて食べ られない。パサパサして美味しくない」と。でも、タイでも、ネパールでも、同じ その米が人の食べる大切な米なのです。そして、本当は、その米は、日本人も同じ 人である限り、日本人にとっても人の食べる大切な米であるはずです。  今、地球の生態系が地球環境の破壊によって、ほころび始めています。これは、人 類の生存にとっては危機的出来事です。炭酸ガスの増大は、異常気象をもたらし、 徐々に人類の生存を脅かしはじめています。オーストラリアでは、オゾンホールの 拡大で皮膚ガンが増加しています。しかし、このような出来事にネパールの貧しさ は無関係です。この事に関係と責任があるのは豊かな国の人々とその生活です。北 九州市民の一人分はネパールの120人分です。その北九州の人に幸せであるために 「何が欲しいか」、と聞いたら「もっと、もっと・・・」と言い、ネパールの人は「い や別に・・・」と答えます。これが本当に豊かな人間のあるべき姿なのでしょうか。  今、北九州は水が足りません。九州大学の高名な先生が言いました。「だからダム を造らなければ」と。だが、人間というものは「喉元すぎれば熱さ忘れる」で、新 しいダムを造っても、数年のうちに、それに見合った生活を始めますから、全ては 元の木阿彌です。そして、又、高名な先生から「だから、ダムを造らなければ」と 御託宣をいただくわけです。私が小さい時は、便所に行くと、軒下の天井から水を 入れたバケツのようなものが吊り下げてあって、その下をチョッ、チョッと掌でつ つくと、手の上に水が落ち、十分に手をきれいにすることができました。おそらく コップ一杯分もなかったと思います。水洗式になったら、一回の用便でバケツ何杯 分も使うよりました。この頃は、お尻をふくのにも水、いやお湯を使います。ボタ ンを押したらチューと出ます。こんなことをすれば、水はいくらあっても足りるは ずはありません。いつまでも水不足とダム造りのイタチゴッコがつづくのです。  私達日本人は、自分の生活を、このようにして、いつも「不足」から出発していま す。実際は十分にあるにもかかわらずにです。ですから、日本人の行動の方程式は 「○○がなければ△△できない」と言うことになります。でも、ネパールでは、 「足る」から出発する。これを方程式化すると「○○がなくても△△できる」とい うことになります。だから、「一滴の水でもあるだけ有難いやないか。大切に使お うね」という生活になるのです。だが、同じ事実が日本人では「一滴の水しかな い」になってしまうのです。「欲しいもの、願い事は何か」と聞いた時、「別に」 という返事が返ってくるのは、先述のように自然や風土や宗教にうら打ちされたこ のような物事への深い思いがあるのです。私達が調査で行きますと、「よう来 た!」と最大の歓迎のしるしに食事を出してくれます。大抵食べると下痢になるん です。(だから本心はありがた迷惑。でも手を合せていただきます。)ところが、 わかった事ですが、私達がごちそうになる。すると、その分だけその家族の食 べる分が減るのです。余分に作る余裕はない生活ですから。でも、調査に行くと、 やっばり、「どうぞ!」です。  これは、友人に聞いた話です。日本の外科医がNGOの活動中、病院に一人の婦人の 患者が来た。見たら、できものが足にある。すぐに皮膚ガンとわかりましたので、 「そのまましてたら生命を落とす。手術をして、足を切ろう」としました。そした ら、その婦人は大変嫌がって「いらん!」と。何度言っても判らんから、ネパール の看護婦さんに説得するように頼みました。ところがタ方になっても、その婦人は やっばり聞き入れようとはしない。それで看護婦さんに「どうして?」と聞いた ら、その婦人が言うのに「自分には子供が三人居る。自分は山に住んでいる。だか ら、もし、足を切られたら、誰が明日から子供達の面倒を看るか?。手術で私の生 命は助かるかも知れない。でもそうしたら、片足が無くなって働けない自分は、三 人の子供の面倒を看ることができなくなる。私は生きている限り、自分の子供の面 倒を看たい。だから、足を切るのだけはやめてくれ。自分が死んだら、きっと新し いお母さんが来る。死ねば来れる。でも自分が生きていたら新しいお母さんは来る ことが出来ない。自分が死ねば新しいお母さんが来るから、そしたら、あの子達 は、ちゃんと面倒を看てもらえる。私は安心だ。私は安心して死ねる。だから私は 自分の命がなくなることはなにも借しいことはない。だけど足を切られることだけ は困る」ということだったそうです。  「ネパールは低開発国で遅れている。日本は先進国で豊かな国だ。ネパールは原 始的な貧乏な暮らしで、日本は進んだ生活だ」という考え方もありますが、はたし て本当にそうなのか?これは、皆さん、今晩ゆっくり考えてみて下さい。  戦後の日本がやってきたことは、要するにアメリカを手本とし、追いつけ、追い 越せで、アメリカ式の物量主義を真似て、あらゆる事をアメソカ式に合理化してき ました。母乳を捨ててミルクに乗り換えた事など、その喘的な例です。その事に よって「便利・楽・衛生的・女性の自立・育児からの解放・・・」と様々なメリットが 得られたと喜んでいる人も多いのですが、赤ちやん自身がそのことによって失った ことは何によってとり返すことができるのでしょうか。そのようにして物事を合理 化し、合理化し、ついには、合理化しすぎて、家族は核家族から、核分裂をおこし て崩壊し、いまはホテルの住人のようにばらばらになってしまっています。そして 社会はその基盤である家族というコミュニティーを失うことによって強大な力で人 間をスラム化し始めています。こうして日本人は、アメリカ人と同じように「合理 的な愚か者」になったのです。学間・教育はあっても「足る」ことを知らない人間 です。ネパールは乳児死亡率150、平均寿命50歳、GNP150ドルの小国です。牛の 糞も利用するし、トイレは道端、食べ物は貧しい。でも、あの人々は自らの手で自 給自足しながら、天与の「ネパールの風土と自然の内蔵する能力」の範囲内で、 「うーん、別に・・・」とニッコリしながら安心して生活している。いうならば「非合 理的な賢人」です。学問はなく識字率は低くても「足る」という事を知っていま す。だから、「多くを望み過ぎる」という愚かさから解放されているのです。  しかし、そのネパールも、今、大きく変わりつつあります。そして、私達日本人 と同じ道を歩み始めているようです。その一番大きな原因はネパールのあの「自然 と風土が内蔵する能力」をはるかに越えた強力な「先進国と自らを呼んでいる豊か な国」の援助金なのです。  話を終える締め括くりとして、ネパールの隣国ブータンの事を話しましょう。  ブータンは今、鎖国をしています。今日の地球上で鎖国している国はブータンぐ らいではないかと思います。ブータンは一度門を開けて、GNP追求競争に参加した ことがあります。工場を造るための資金作りに豊かな森林の伐採を行いました。工 場が建設され、人々は山を下りて町へ集ってきました。だんだんと収入も増え、お 金も回りはじめ、人々は豊かになってゆくように思いました。そうした特、ふっと 気が付くと田畑で働く人の姿が減り、田畑が荒れ始めていました。そしたら、昨日 まで、穀物の自給ができていたブータンが穀物の不足を生じたのです。そこで、今 まで稼いだお金を出して米を買おうとしたら、お金が足りません。今までは、食べ るのに困ったことはなかったのに、だんだんとお腹がすいてきます。「何かおかし いぞ」と気がついた。ブータンの王様は、そこで何をしたかというと、「森を回復 しよう。どんなに国が発展しても、もし自分達の生活基盤の森を失ってしまった ら、何によって、自分達の幸せの源を取り戻すことが出来ようか?自分達の生活の 基盤・幸せの源はブータンの森だ。森がある限り自分達は耕作が出来るし、食べ物 があるし、村の暮らしも続けることができる、そう考えて、再び鎖国をしたので す。今、ヒマラヤの小国ブータンは、一度破壊した森とそれに連なって存在してい た「村とその人々の暮し」を元に戻すことが如何に大変なことかという事を身に滲 みて体験し実感している国です。自らの国の針路を「後進国」で在る事に執った 国、「非合理的な賢者」の道を歩みはじめた小国ブータン。その「貧しさの豊か さ」は21世紀に向かって「豊かさの貧しさ」に悩み続ける先進工業国日本の在り方 に大きな指針と勇気と光を投げかけることでしょう。本当に考えさせられる「非合 理的賢者」の国ブータンの在り方です。  ここに一つの寓話があります。  「地球人が滅亡して2万年後、宇宙人が地球にやって来ました。宇宙人が地球を発 掘すると、あちこから、沢山の紙片が出土した。考古学者が調査したら、それは、 2万年前、地球を支配した生物の使っていた最も大切なものと判明し、その遺跡を 「金塚」と名付けました。「金塚」の前には立札が立っていて、それには、次のよ うに記されていました。「かつて、地球上に、人類という名の愚かな生物が存在し た。彼等は自らの存在の基盤である地球の自然と風土を開発し、その全てを自らの 豊かさの為に食べつくし、終に、自らの生存の道を断たれた。この「金塚」はその 愚かさの代償である。」と。  そして、立札には最後にこう書かれていました。  「だから、自分の生命や生活の事で思い患うな。あなたがたの天の父は、これら の事は全て御存じである。天に宝を貯えなさい。あなたがたの心の存る所に、あな たがたの宝も存るのである。貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのもの である。」と。  地球を回る宇宙船から地球をみると、地球の中が汚れています。アマゾン流域や中 東の石油地帯、それに東南アジアの森林地帯は赤茶けて、黒ずんで見えるそう です。でも、緑が美しく輝くオアシスのような所がある。それがブータンです。 1993年、先進工業国による地球環境の破壊から人類を守るため、生物多様性条約と いう国際条約が結ばれ、今日の地球上で最も生物の多様性の密度が高い、地球の最 重要地域にブータンが選ばれました!目次 【参考資料】 著者らが「ネパール人の健康および食生態に関して発表した研究・調査報告」の リスト(興味のある方は資料を御請求下さい) 1. テチョー村の食生態について−ネパール人の歯科疾患と食生態に関する総含研究の  ための予備調査から−・西南女学院短期大学紀要、1990。 2. ネパール歯科学術報告−テチョ村の食生態と歯科疾患との関連について−・西南女  学院短期大学紀要、1991。 3. ネパールにおける歯科学術調査と歯科医療協力(上)−ネパール歯科学術調査隊の  概要−・歯界展望、1991。 4. ネパールにおける歯科学術調査と歯科医療協力(中)−口腔疾患の実態調査と治療  協力・歯界展望、1991。 5. ネパールにおける歯科学術調査と歯科医療協力(下)−歯科人類学・咀嚼機能・食  生態調査とまとめ−・歯界展望、1991。 6. 山岳高地民チベッタン族の食生態とその背景・九州歯科学会誌、1993。 7. 日本人とネパール王国テチョ村住民のPhenyl-Thio-Carbamide(PTC)に対する味  覚反応の比較・九州歯科学会誌、1993。 8. ネパール王国カトマンズ盆地のNewar族、Chetri族、Bramham族のPhenyl-  Thio-Carbamide(PTC)に対する味覚反応について・九州歯科学会誌、1993。 9. ネパール人子供の足部の発育・西南女学院短期大学紀要、1993。 10. ネパール住民における上顎中切歯の捻転について・九州歯科学会誌、1994。 11. ネパール人の若年者における顎関節症の疫学的研究・九州歯科学会誌、1994。

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