大分の山のいで湯  その1 別府

 我が大分県が全国に誇れるものは何だろうか。全国で一番目に挙げられるものは何だろうか。色々と調べてみたらそれは、一つは竹林の面積が一番だということと、もう一つは温泉の湧出量が一番多いということが解った。まさに大分県は温泉の宝庫である。美しい自然景観とマッチしたこの温泉を、大分県人はもっと誇りと思い、広く全国に宣伝しないことはないと考える。そしてその温泉の宝庫大分県の中で最も大きなものは別府温泉である。一夜千両のお湯が湧くと歌にもあるとおり、毎日72,000klの湧出量の温泉が別府湾へ注がれている。その別府は昔から別府八湯といって、それぞれが特徴を持った温泉場があり、今でもその風情を保っている。勿論その八湯はそれなりに入り尽くした感があるが、我々山のいで湯愛好会ではまだまだこの別府にも隠されたいい湯はないだろうかと訪ね探索しては新しい湯に入る喜びを感じているのである。以下はその成果の一部を紹介して別府温泉の再認識を図り、今後もこよなく別府温泉を愛してもらいたいと思うのである。

明礬温泉 とびの湯
 別府温泉の中で一番山手にある明礬温泉。ここの代表的な湯と言えば、「全国露天風呂ガイド」にも別府代表で載っている岡本屋旅館のざぼん風呂であろうか。その明礬温泉に「とびの湯」という共同湯がある。バス停「明礬温泉入り口」を過ぎ少し登った所に「明礬八十八ケ所」と書いたデッカイ看板が立っているが、そこより右山手にこの「とびの湯」がある。

 入り口に仏像が安置されている。その前にさい残箱が置かれていて、これに入浴科50円を入れて入る。中はきれいで温泉も明礬の湯にしては珍しい透明なきれいな湯で、単純炭酸泉か。湯舟は5人が一度に入れるくらいの大きさ。夜の7時以降は入れない。
       
照湯温泉
 5万分の1の地図を眺めていると、横断道路坊主地獄のやや上、春木川ぞいに温泉マークがある。照湯温泉と記されている。早速訪ねてみよう。明礬方向に右折してすぐ、道が大きく右ヘカーブする。バス停より左へおれて春木川にかかる橋の手前を右へ50mくらいでブロック作りの温泉小屋がある。集落の協同湯らしく「部落住民以外は禁止」の表示が有る。そこで、ちょうど入湯中のおばちゃんにことわってみると、有り難くも「どうぞ入ってもよいですよ」と言ってくれる。その言葉に甘えて入らせて貰った。脱衣所には集落の人の掃除当番表や温泉祭りのポスターが貼ってある。清潔なお風呂で、お湯もきれい。適温である。コンクリート作りの浴槽も広さは十分だった。隠された、魅力のある温泉の一つであった。(ただし、ここは集落の住民以外は入浴出来ないことになっているので、断って入る事。)

鶴見霊園奥の露天風呂(通称・鶴の湯)
 別府の鶴見霊園の奥にいい露天風呂があるという。情報を仕入れた準会員のM君の案内で出掛けてみた。明ばん温泉に行く途中にある「鶴見霊園」の広告案内板より左手へ登る。霊園の墓石群を左手に見ながら道はかなりの急勾配で上がって行く。上り詰めた所の狭い広場に車を停める。ここは本当は「車を停めるな」と書いてある。墓参りの人達の車回しの場所だ。左手に細い道がある。草をかきわけるようにして進んで行くと、細く水が流れている。その流れに沿って30mも上がっただろうか、草原に囲まれた窪地にお湯が溜まっているのを見付けた。ここが、通称、「鶴の湯」。岩の間から静かにお湯が湧き出ていて、湯の色はやや白っぽい。塚原温泉に似た感じだと思った。

 この夏、我が会の準会員であるS君の転勤が決まった折り、ここで送別会をやった。同好の士に呼びかけたところ、8人が集まったものである。湯の近くの草原にテントを2つ張り、焼き肉と生ビールでS君の栄転を祝って乾杯!・・・・・8人の酒盛りが盛大に始まった。ビールはまたたくまに空になり、それでも足りない者は水割りと、酔うほどにテントの中は最高潮に達する。ひとしきり飲んで騒いだ後、さすがは”いで湯愛好会”の連中である。深夜の露天風呂に全員が飛び込む。満天の星の下とはいかないが、雨は降りそうも無い。下の方には別府の街のネオンの灯りが見えていた。闇の中、ガスランプのほのかな灯りに浮かび上がった露天風呂で、裸の大人たちが酔いにまかせて語り、そして騒ぐ。誰にも邪魔されることもない、最高の一夜、最高の送別会であった。(この夜の乱痴気ぶり、後で写真を見ると、よくもまあ写真屋さんが現像してくれたなあと思われるものが何枚もあった程である。)

 こうしてS君は転勤して行った。彼は今、山のいで湯愛好会の静岡支部を作ろうと張り切っている。資料によれば、静岡は大分に次ぐ温泉県のようである。S君からの湯行報告を楽しみにしているところである。ところでこの鶴の湯だが、9月に入ってここを訪ねた人の話では、湯が湧き出ている様子がなく、お湯が澱んでいて、とても入る気になれなかったとか。聞くところによるとここの温泉は、その年の降水量によって多少違ってくるが、大体6月頃からせいぜい秋の初めくらいまでとか。今年は9月の初めで早や枯れ始めたものだろう。なお、この湯は別に“田代の湯”とも呼ばれているようだ。ちょうど稲の苗代の時期に入れるようになるところからそう呼ばれているらしい。
 
観海寺温泉(白湯)
 観海寺温泉は、かの有名なスギノイパレス大浴場で代表されるが、その裏手にひなびた湯があると聞いて早速出掛けてみた。白雲山荘の先の右の道へ車を急カーブさせると、ちょっとした山道となり、登りが急になる。車を道端において歩く。かなり登った一番奥まった所に白湯はあった。宿らしき母屋と、離れた一段上に「白湯」と書かれた温泉小屋がある。そこから上はもう全くの森林だ。近代ホテルが立ち並ぶ観海寺温泉のすぐ後ろに、こんな森の中の温泉場があるとは! 庭先に立って見下ろせば、別府の街が一望できる。こんな山の中、用心のためだろう、大きな犬が飼われていた。
 この白湯は、その名の通り、湯の色は白っぽい。泉質は硫黄泉か、少し熱めの湯である。岩風呂で入湯科は200円であった。雑踏を離れ、静かな森の中の湯に浸っての帰り、道端に沢山の土筆子を見付けて摘んで帰った。(以上 加藤記)

湯山温泉 1
 国土地理院の5万分の1図幅でみると、横断道路より明ばん温泉を経て十文字原に至る途中の右手、丁度、別府八湯の一つ柴石温泉のある谷の上流に当たる所に温泉のマークを見ることが出来る。前々から気になっていた温泉の一つである。昭和57年11月のある日、職場の同僚であるY君にせがまれての鶴見連山縦走の折り入湯の機会を得ることができた。

 その日は朝からまれにみる快晴無風に恵まれ、鶴見岳、鞍ケ戸岳、内山、伽藍岳など鶴見連山の各頂から、祖母・傾・国見など九州脊稜の山並みをはじめ九重連山、津江山系、英彦山系など飽くことなく眺めながらの7時間の縦走の後、狸峠を経て十文字原に着き、楽しみにしていた湯山温泉を目指すことにする。

 湯山温泉は十文字原と明礬温泉の間、県道を下にそれた谷筋に一すじの湯煙が上がっているところ。地元民の共同湯であり部外者は一切入湯させないと、道中小耳にはさんだ。ますます入湯意欲が涌いてきた。

 部落道のかたわらに車を停め、谷筋を100mも下って行くと小さなひなびた小屋が見えてくる。入口から覗き込むと目の前に地蔵様が祭ってあり浴槽が大小3つある。両側の大きなものは使用されておらず真ん中の小さなものから湯気が沸き上がっている。子供の浮袋や石鹸などが無造作に置かれており生活の臭いが感じられ何となく安心する。「入るべからず」とも「有料」とも何も書いていないし許可を得ようにも誰もいない。せっかくだから失敬する事にする。

 湯はちょっと熱い感じ、泉温は42・3度くらいか?泉質は不明。明礬温泉のそれとは明らかに異なるようだ。長い縦走で疲れた体から疲労がどんどんのいてゆく感じである。Y君と二人で記念撮影‥・・風呂上がりのビールのうまかったことは蛇足だろう。          
 明礬、湯山を始めここら辺りの温泉は鶴見連山の縦走と組み合わせると良い。近ごろはマイカー族が増えたせいか縦走など流行らないらしい。鶴見山頂の喧噪をやり過ごすとそこはもう静かな晩秋の山。ノスタルジックな気分になるのはこんな時である。‥・・・明ばん温泉あたりに車をデポし登山口の鳥居まではタクシーを利用するなどの方法をとるとよい。お薦めしたいコースの一つだ。(挟間記)

湯山温泉 2
 別府アルプスの北端、伽藍岳(1045m)の東麓にたたずむ湯山地区は戸数10数戸の山の集落。ゴーゴーと静寂を破る噴気孔群が地熱帯の上に集落があることを物語り、周囲の山の緑に白煙がたなびく様は山のいで湯への郷愁を誘うには充分である。中でもこの集落の上方に位置する森の中の一軒家、西温泉組合の共同湯、通称「上ん湯」は年季の入った木造の越屋根を有する、いかにも湯小屋と呼ぶにふさわしい共同浴場である。数年前の春、野歩きの際この湯を見つけてからは入湯の思いはつのるばかり。されど昼間は常に鍵がかかり、近所の民家に頼み込むも集落の民(12軒で共同管理している)以外は不可なりと、幾度となく断られるに及んでますます片思いは高ずるいっぽうである。こうなれば残る手段は入盗(湯)か。おゆぴにずむ追求のためにはある程度の危険?を甘受することも必要であろう。そしてその機会は昭和58年初夏に訪れた。高瀬ファミリーと山香町向野の地蔵温泉を稼ぎ、安心院経由で帰途の際、「ひょっとしたら開いてるかもしれない」という一縷の望みを託してこの湯を訪れてみた。

 が、今回も閉ざされたままである。窓越しに覗くと質素なコンクリート造りの浴槽に湯はなみなみと溢れ流れ去っていく。表情が垂涎の念に変わりつつある高瀬を横目に気持ちはまったく同感である。今日こそはどうしても入りたくて侵入ルートを捜す。で、信念?は通じるものです。湯小屋の橋に洗い場とおぼしき部屋があり、ここと浴室を隔てる壁の上部は大人がやっとくぐれそうな小窓が。そしてこれには鍵がかかっていない。「しめた!」なんとか入れそうである。意を決して高瀬と二人、この窓までよじ登り浴室に降り立つ。壁に質素な脱衣棚があり、入口ののれんには女湯と書いてあるが。「入盗?に女湯も男湯もないわいな!」脱兎の如く脱ぎ捨て念願の湯についに浸る。湯は少々熱め、浴槽の底は板張り。湯は透明ながら硫黄の匂いがプ〜ンと鼻をつく。硫化水素泉に間違いなかろうが、入盗の身とてのんびり楽しむ訳にもいかず、慌ただしく着衣してくだんの窓から抜け出る。

 とすぐ近所のおじいさんか?一人入浴にやって来たではないか。「フーフー、ホッ!」間一髪セーフである。ゴソゴソと鍵を開けて入ろうとしているおじいさんに向って無言の最敬礼。そして12軒の所有者の皆さんゴメンナサイ。しかし我々にとっては類い希なる密かなる湯。(入盗が)病み付きになりそうである。 (栗秋記)

へびの湯
 秘湯というフレーズだけに躍らされて、今日のいわゆる“温泉ブーム”の隆盛をみたことは、ある意味ではマスコミの罪である。何の変哲もない山間の温泉旅館や趣向を凝らしただけの町の観光ホテルまで、秘湯という形容語を冠するようになってきた現在、真の意味での秘湯を目指している我々“おゆぴにすと”にとっては迷惑せんばん、嘆かわしいかぎりである。

 もちろん、昨今のこの国では真の秘湯など殆どないだろうし、てらいもなく題名に秘湯の文字を掲げること自体面はゆいのだが、自分なりにイメージを描けば、通の人しか知らぬ湯、そしていで湯に浸るまでのアプローチが容易ではない地理的条件を有し、極力人の手が加えられていない湯、と言うことになろうか。となれば別府では真っ先に、内山渓谷にひっそりと湧く「へびの湯」を挙げなければなるまい。

 加藤兄からこの湯の存在を聞かされた時、居ても立ってもおれない自分を認めた。こうなれば入らなければストレスは高じるばかりである。早速、加藤のスケジュールまで決め込み(案内人として)、安心院、院内の里の湯巡りの帰途、立ち寄ることにした。先ずは明礬温泉から西へ林道に入る。鍋山を回り込むように高度を稼ぎ、途中からすの湯へ通じる道と分かれ内山渓谷へ降りるルートを取る。一旦高度を下げるが、1200mの内山から直接落ちる沢が内山渓谷である。再びグングンと高度を上げ、路面も悪相を呈してくるので急なカーブを曲がり込んだところの台地状広場に車を停める。これから先はジープ(4WD)の世界である。

 真っ正面に内山から伽藍岳へつづくなだらかな稜線を見上げながら、歩くこと10分で内山渓谷本沢へ下る踏跡に合する。分け入ってすぐ沢への最短距離を下るためヤブ漕ぎとなるが、ほどなく沢の合流点に出る。と、「ボコボコ」と湯の湧き出る音がかすかにする。まさに合流点がへびの湯だったのだ。沢の縁に2〜3人は入れる程の湯壷があり、上流は鬱蒼とした森の中のナメ。ここを伝わって20mほど上流の湯の噴出点からこの湯壷へ流れ込んでくる仕組。脱衣の時間ももどかしく飛び込む。湯温は40℃を少し下回る程度か。ちょうど壁湯の湯温と泉質をイメージできるが、何せここは大自然の真っ只中。周囲は薄暗く、名称どおり蛇でも居着きそうな環境だし、湯壷の中は枯れ葉やコケが同居し、ちょっと気にはなるが、これこそ一分の人工もない野天の証なのだ。蛇の大嫌いな加藤は見つけてもいないのに、この究極の湯を見下ろすばかりで入らぬと言う。何ともモッタイナイ。別府の温泉としては最高所、標高550mの内山渓谷に湧く「へびの湯」は、まさに“おゆぴにすと”のためのいで湯である。 (栗秋記)

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