肥前の名山「天山」と古湯・熊の川温泉を訪ねて
                                  高瀬正人  

 恒例の年末行事に参加出来なかった挟間の欲求を満たすべく、昭和61年の初山行を肥前の名山、天山とその周辺の湯とする。折からのインフルエンザに冒され、知恵熱に息も絶えだえの栗秋は、1月2日4:30分発の名車B.M.W(Bluebird Muntainering Wide Car)に乗り込めず今回不参加。大分を出る頃の小雪が、湯平周辺より積雪、水分峠ではノロノロ運転となり行き先を案じる。久留米、佐賀に入り天候も次第に回復したが、背振山系は雲の中、雪の中。粗末な道路地図に、しかも”道路わからん症”のナビゲ一夕ー挟間を頼りにようやく、午前9時肥前小城町に到着。残念ながらここでも視界悪く、目指す「天山」は見えない。肥前小城と言えば羊かん。長崎街道の休憩所として小城羊かんは有名で、町の中にも到る処に羊かん屋が軒を並べている。そのうちの一軒で軽い朝食を済ませ、天山を目指す。

 小城町の西はずれより北へ向かい、工事中の高速道路高架橋をくぐって、ふもとの天山神社を過ぎる頃より、みかん畑の急な七曲がりを登り詰め川内分校に到着。周辺は積雪5cmで雪が舞っている。ここで身仕度を整え、雪の中姿を見せない天山を目指す(10時20分)。ここからの登山者はどうやら我々2名だけのようだ。

 工事中の林道をだらだらと登る。地図によるとこの林道をは8合目まで続いている。約30分、曲がりくねった林道は面倒とばかり直登すると右か左かまた林道、エイッと左に取るも「はるげてんざん橋」を渡る頃、ミステイクに気づく。道が下り過ぎている。また登り返すと程無く林道より分かれて案内板と共に山道があり、ここを右手に取る。急な登りと笹が道をさえぎり、また積雪で露出した岩が非常に滑りやすく、案の定挾間滑って尾てい骨をしたたか打つ。早くこの登り難いやぶ道から逃れたいと思っていると、突如開けた台地に出た。小さな池と鳥居と避難小屋がある。上宮である。ここで親子5人の登山者に出会う。川内分校よりはここまで1時間10分。

 避難小屋と見られるブロック造りの中にはゴミが散乱。ここも同じかと嘆く。この天山神宮上宮は、阿蘇大宮司、南朝の忠臣阿蘇惟直の墓が有る。延元元年(1336年)、足利尊氏を筑前多々良浜に迎え撃って敗れ、天山のふもとで自刃したという。高さ28尺の石造りの鳥居を潜り抜け「九州自然歩道」の立派な案内板に導かれ、更に登り詰める。この頃より、時折雲間より佐賀平野と有明海が白く光る。程無く、天山とあまのやまとのコルに出た。途端に、小雪混じりの烈風の歓迎を受ける。ここで初めて天山山頂を見る。

 標高1048.2m、肥前アルプスの別名を持ち、古くから佐賀の人々に親しまれてきた名山である。両側スギ、ヒノキの造林を横目に雪でクラストし滑り易くなった緩傾斜の道を約30分で山頂に立つ。丁度12時。多くの記念碑、案内板等が建てられているが、残念ながら周囲は何も見えない。晴れていれば360度の展望が得られるはずだったのに。今は、北斜面からの烈風の為に、周辺を散策する気起こらず。測量用ポールの基に一等三角点を見出す。「天山」は多久市、富士町、厳木町の接点にあり、県立自然公園でもあるが、その頂きはあまり特徴のない緩やかな草原状であり、春のうららかな日に親子連れでのんびり登るのにうってつけの山のように思える。

 大分より通算7時間余かけて来たのに、無念の歓迎だ。5分程で山頂を後にする。上宮で2組の登山者と出会う。かなり年配の6・7人パーティは熊本からで、どうやら今日は「古湯温泉」に宿泊の予定とか。回復した天気の中、一気に林道を下る。川内分校付近は雪もほとんど消えかかっている。振り向けばさき程の烈風が嘘のように悠然とした山容の天山が仰ぎ見えた。

 天山神宮参拝の後、一路古湯を目指す。道路はこの天山東側を大きく回り込み約1時間、山峡のいで湯「古湯温泉」に到着。川上川上流の渓谷沿いにあるこの古湯は、名の通り古い歴史を持つ、昔から有名な温泉で鶴霊泉と英竜泉の源泉をもつ泉温35度の単純泉である。

 共同浴場を探すも見あたらず止むなく中央にあり共同浴場代わりに利用されているという温泉センターに入湯となる。250円の入湯科也。コインロッカーの脱衣場は混雑している。浴場に入るとまさにイモの子を洗わんばかりの人の多さにびっくり、入湯気分を味わうどころではない。古湯を後に、嘉瀬川沿いを下り車で5分で熊の川温泉着。ここでも我が目指す共同湯はなく、やむなく旅館・観水荘の温泉に入湯と相成る(何と入湯料500円也)。まるで植物園のような湯だが、こちらの方は岩風呂、緩和低張泉の(日本一の放射能泉・・・いささか誇大広告の感あり)程良い温度で存分今日の疲れを癒す。熊の川温泉は大分のいで湯でいえば、湯ノ釣温泉と言った感じで、可も無し不可も無し。

 夕闇迫る頃川上川沿いを一路大分へ。途中、天ケ瀬温泉共同湯で、ひと休み。天ケ瀬の若男若女と混浴、やっぱり大分のいで湯の方がエエナア。あまりあわてて帰ったのと、まともな道路地図を持参していなかった(極めて優秀なナビゲ一夕ーがいたにもかかわらず)ため、佐賀のいで湯、川上峡温泉のすぐ横を通過していたとは「山のいで湯愛好会」取締役員としては、情ない。次に宿題を残すことに相成った。(昭和61年1月2日の記録)

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