山といで湯のひとり旅      柴田ツネ子
 未知なる山を求めてさすらいの旅に明け暮れる日々、津江山塊に出かけてみる。この所頻繁なる山行日数(今年になって150日)にふところさびしくシュラフを持って出かける。それもテントから炊事道具まで用意すると痛む腰がいよ々ひどくなりそうで、何とか身軽にと三度の食事も弁当にして火を使わずにすますことにする。八方ケ岳と酒呑童子は昔歩いていたが、その中間にあるハナグロ山は交通の便が悪くなか々近寄れなかった。

 いつまでも高嶺の花では手折りたいのが人情、車を持っている人に依存していても、らちがあかないのですべてを歩こうと決心して出かける。その日は日田あたりからしぐれ模様となり薮漕ぎでぬれたくはないので、林道のある山はないかと地図を探し、近くに格好の未知の山、鈴ケ岳が目に入り急遽杖立へと変更する。小雨降る湯の町杖立の日田バス発着所は広くて赤い長いすがたくさんあり、良いねぐらになりそうと先ず思う。切符売場のご婦人に尋ねると暗黙の了解を受ける。大きなリュックは片隅に預けてナップザックで簗瀬までバスに乗り北河内の部落を通りイボの神様や猿田彦に挨拶しながらNHKの電波中継所に上がる。三等三角点を確かめる。雨も上がり墨絵のような湯の見岳や亀石山、吉武山にカメラを向け今年の初めての山92山目に別れを告げ往路を戻る。杖立では無料の穴湯に入り対岸のカエデの黄葉をめでた。バス停での一夜は何事もなく過ぎた。

 翌日は7時のバスで松原ダムに出、乗り換え時間が長く寒いので歩きだす。間もなく通りがかりの車に便乗することができた。山仕事に行く人でくぬぎの紅葉しはじめたのを見て、くぬぎの葉と赤牛の色が同じ頃がくぬぎの伐り時や、下筌ダムと室原氏のことなど話されるうちに栃原に着き、ここで村営バスに乗り換える。車中で村人や運転手にハナグロ山のことを尋ねるが、ハナグロ山をご存じない中年男性は酒呑童子山や出雲岳、尾ノ岳は話題にしてくれたが、一般的な山ばかりの中で暮らす人たちには山の名前など関心がないようである。

 話はそれるが、地図を片手に未知の山を歩く時、未知を尋ねる相手は男性の年寄が良い。若い男性は車で行動するので山道については不明である。女性は行動範囲が狭く的確な返事が得難い。しかし男の年寄ならいいかと言うと技術を要する場合がある。それはうさん臭そうな目で私を上から下まで眺めまわし「あんたひとりでか」と問われた時である。「おなごがひとりでいけん々」とてんで相手にしてもらえなかった事は数えるにいとまがない。そこでこの頃は連れは向こうで待っていると騙すことにした。

 さて、寄り道した話を元に戻して、バスは終点の地蔵元に着く。バスの運転手に降車場所の家が熊本営林署勤めの人だから道を尋ねていくようにと言われていたので寄ると、幸い山仕事に出かけられる寸前で種々話されたあと「入口がわからんじゃろな、峠まで行きまっしょう。」とトラックで穴川峠まで運んで頂いた。遠坂氏は来た道を戻り仕事場へ。私は強い風が吹き渡るハナグロ山へ行き忠犬ハナグロの祠をカメラに納め、手かじかむ山頂(三等三角点)で阿蘇の鞍岳を眺め早々に下山した。カエデの紅葉やタカノツメ、シロモジの黄葉、そしてブナやアカシデなどの落葉を踏みしめ、うす陽さす八方ケ岳も望みながら穴川峠へ下った。

 ここでも通りかかった熊本木材会社の青年の車に便乗できた。栃原で初めての津江温泉(硫酸塩泉)に長々と浸り村人とよもやま話に興じたのである。休憩室がありお茶がおいしく途中外出しても一日券400円で過ごせる。ハナグロ山へ出かけるまでに幾年月逡巡したことであろう。案ずるより生むが易しとはこの事であった。それにしても多くの人々に厚いなさけを頂き、私のひとり旅は充実している事に深く感謝致したい。(1987.11.13)

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