厳冬・極寒の九重・坊ケ鶴でやせ我慢的非日常を愉しむの巻

    
                                              栗秋和彦

加藤、挟間の熟年コンビで睦月月末に厳寒の坊ヶ鶴で一泊キャンプを目論むという。挟間兄は昨シーズン、筆者とともに彼の地で極寒キャンプを敢行し、味を占めての連続プログラムといえなくもないが、己にとってもその非日常性は記憶に新しく、食指が動いたのは言うまでもない。しかし世俗事との兼合いでスケジュールが定まらず、静観せざるを得なかった。ならば(さや当てに) 血気盛んなスーパーシニアコンビの行状を心配せねばなるまい。つまり咆哮かまびすしく、気炎を上げ、替え歌500選などを繰り出して山上盆地の静寂を破る恐れを指摘したかったが、この時期の坊ケ鶴は無人の雪原が約束されたも同然で、放歌喧騒にわたってもまったくノープロブレムだった(うぐぐ…)

  
        暮雨の滝コースを行く 二題                        白い溶岩ドームの如く半分氷化した暮雨の滝

 ところが一週間前になって、加藤御大の都合がつかなくなり、計画は消滅したかに見えた。しかしポツンと一人残された挟間兄は単独行でも厭わない決意を表明し(2回もメールで知らさなくてもいいのに)、偉丈夫?にふるまっていたが、裏には誰か一緒に行こうよ、とラブコールの呼掛けに相違なかった。ならば負託に応えなければとの思いは、おゆぴにすとの性。何とかスケジュールを遣り繰りして同行を申し出たところ、「単独行の静けさを味わいたかったが、そうかい来るかい。なら来るものは拒まずたぃ」と嬉しきお言葉、フーフー。折りしも今冬最大級の寒波到来とあって、シチュエーションは申し分なし。何より人生の残り時間を鑑みれば、多少の障壁は排除し食指が動くときに行動しなければ悔いが残ろう。行くしかなかったのだ。

土曜午前中に大分入りして挟間車に拾われたが、今回も湯平温泉付近から雪道と化し、やまなみ道は真っ白け。地吹雪に見舞われた千丁無田の冬景色はまるで極寒のシベリアの如く(行ったことはないけれど)寒々と広がり、住民の労苦は想像に難くなかろう。日常の営みを非日常の目で眺めるに、多少の心苦しさは否めないのだ。

 で登山口の吉部で気温は−5℃。定番の暮雨の滝コースは雪深い森の中を詰めるので、風もなく寒さはさほど感じなかったが、むしろいつもの急坂ではアイゼンなしの身ゆえ、いらぬ力が入り多少の汗(ひや汗)は想定内のこと。この間2人の息遣いと、ときおり頭上からの落雪が林間に響き、あたりの静寂を破る。あぁまさに厳冬の九重に分け入った臨場感を一つ一つ確かめながら高みへと歩を進めたのだった、うんうん。

   
   坊ヶ鶴盆地の北端に辿りつく         白口〜中岳の雪線を仰ぐ         難儀の末、木立の中に張り終えた

もちろんこの寒波が途中の暮雨の滝にどんな変化をもたらしているか、ちょっとした興味をそそられ、鳴子沢へ駆け下った。とこれは予定の行動だったが、甲高い沢音からして氷瀑を期待しての寄り道ではなかった。ところが水量多きにも関わらず、白い溶岩ドームの如く半分氷化して芸術的な景観を提供しており、まさに今年の厳冬を実感させるのだった。

 さて森を抜け坊ヶ鶴盆地の北端まで登り詰めると、寒気は一級品だが薄日が差し、時おり青空も垣間見えて心躍った。盆地を囲む白銀の峰々が凛と映え、寒風も何のそのである。しかし午後2時過ぎに雪原と化した寂寞のキャンプ場に到着し、テントを張ろうとすると風は一段と強くなり、まるで強風下に着地したパラグライダーの如く、広げたテントはバタバタと煽られて設営どころではなかったのだ。う〜ん、困った。何か妙案はないのか、しばし思案。そこで易きに流れるK弟め(自分のことだけど)は、こともあろうにキャンプ場外れの避難小屋を指し「あの中にテントを張ろうよ」と言い出す始末。しかしさすがに沈着・冷静な重鎮・挟間は「いやいや、それは本筋を外れとるよ。林の中に場所替えだぃ」と自信たっぷりに言い放ち、風に煽られ危なっかしくも張ったままのテントをかかえ移動を開始、ずぶずぶと新雪にもぐりながらも林へ分け入り、無事に張り終えたのだった。

   
坊ケ鶴盆地を横断途中、寒々とした夕刻の山嶺 ひっそりとした法華院温泉山荘全景      熱めの硫黄泉に心は和む

なるほど葉を落とした疎林とはいえ、風は和らぎ張り綱を周りの木々に結わえれば完璧、安堵ひとしお。いやはや凍てつく大地にテントを張りキャンプすることを大儀としたこの山行を、いとも容易く宗旨替えせんと目論むこと事体、気恥ずかしきことであって、反省しきり。そしていつになく頼もしく思えた重鎮兄であったぞな。

 さてねぐらを確保した後はおゆぴにずむの実践である。相変わらず風は強いものの澄み切った冷気を切り分け、山上盆地を15分ほど歩いて法華院温泉山荘を訪ねた。こちらは寂寞の坊ヶ鶴とは違いそこそこの登山客を迎えている様子、生活感があり温かみは湯気のせいだけではなかろう。そしてガラス越しに大船山〜平治山の雪稜を眺めながら、熱めの硫黄泉にどっぷりと浸かれば、自ずと世俗は忘れて頭はからっぽになり果てる。こんな贅沢は不自由な環境だからこその感慨かもしれぬが、享楽の湯浴みも厳冬キャンプに身を委ねるにあたっての儀式と思えば、この湯の価値は更に高まる。と我が行動を喧伝しつつ夕暮れ迫る山上盆地を引き返したが、織り込み済みとは言え、ねぐらへ着くまでにはすっかり湯冷めしてしまい、やせ我慢的非日常を愉しむにはそれなりの覚悟が必要だったのだ。うっ、ブルブル。

   
 大宴会の始まり、先ずは熱燗をぐびぐび 朝食メニューは残り物を総動員した雑煮   出立前、テント内から森を見る

となると素早くテントに潜り込むしかなく、鍋に火をかけ食材を放り込み、グツグツと煮立つまでのもどかしさも一興として捉えよう。やがて熱燗も湯気立ちぐびぐびと飲み干せば、これ以上の至福は望むべくもない。厳冬・豪雪(高冷地九重でも数年に一度あるかないかであって、積雪は平均で5060センチ)の中、布一枚隔てただけの雪見酒だったが、この一枚のおかげで非日常的酒宴が張れるのである、とこれまた多少のやせ我慢を装いながら杯を重ね、時は流れた。

 ところが大宴会も終盤にかかり、場の威勢とは裏腹に挾間兄の言葉が不意を突いた。「クリさんよぃ、やっぱ宴会キャンプに最低三人は必要だわね」、「ん・・」、「二人だと話題が繋がらんし、合いの手をいつも入れなきゃならん けっこう疲れるんよね」としみじみと宣うのだ。咄嗟には「何をおいらで不服かよっ」、と思わず訝ってもみたが、なるほどもう若いときのように勢いだけで場を盛り上げたり、後先考えずに議論を戦わせ、あげくの痛飲もなくなってきた。その意味でただ単にウマが合うだけでなく、波長の合う話題を提供し、或いはその中に身を置き、心地よい会話を愉しむことで安寧を得ることが、こんな非日常的キャンプだからこそ必要ではないか、と重鎮兄は言いたかったのか。つまり年を重ねた分だけ、より示唆に富んだ話題が求められ、日常でのたゆまぬ研鑽が非日常の場に生かされなければ、ただ登るおっさんに成り果ててしまうぞ、と取れなくもなかった。

しかしそれも深読み過ぎかもしれないし、厳冬静謐な山上キャンプは里心を助長させるに充分で、寂しがりやの一面を覗かせただけ、と言う見方もあろう。ここは当の本人(挟間兄) に確認したかったが、改めて聞くのは野暮と言うものだろうねぇ。

   
   吹雪の坊ヶ鶴盆地を彷徨う筆者  膝下までの新雪を踏みしめてトレールをつける 今年も下湯平温泉・幸せの湯に浸る

 さてキャンプ宴会も食材が底をついたところでお開きとし、21時前には寝袋にくるまったが、火を落とすとみるみる気温が下がった。加えて夜通し吹雪に晒され、明け方には−10℃を大きく下回っていたものと思う(翌30日の午前9時で−9.5℃だった)。それゆえ酔いが醒めた未明からは寒くて眠れず、朝の来るのがこれほど待ち遠しかったことも久し振り。やせ我慢の度合いが大きく多いほど、より鮮明に記憶に残るは道理であって、そんなこんなの思いを背負って下山の途につくのも悪くはなかった。そしてしんしんと冷える大船林道を下りつつ、想いを馳せるはやっぱり山里の湯煙。照準を下湯平温泉・しあわせの湯に定めると、急に足取りが軽くなった。

(参加者)挟間、栗秋

(コースタイム)1/29 大分(松ケ丘)1040⇒(車・湯平温泉経由)⇒吉部登山口1208 27→暮雨の滝分岐(暮雨の滝検分)1322 38→林道合流点1402→坊ケ鶴1423〔テント設営他〕1518→法華院温泉山荘1538〔法華院温泉入湯〕  1618→坊ケ鶴1632 雪中キャンプ大宴会
1/30 坊ケ鶴910→林道合流点938→(大船林道経由)→吉部登山口1103 25⇒〔車・湯平温泉経由 下湯平温泉・幸せの湯入湯〕⇒大分(松ケ丘)1325

(平成2312930日)

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