久々復活の八面山アタック応援と最高点しょうけの鼻ハイクの巻 そういえばこのポイントは十数年前出場した際、父の応援を受けた峠だったか。なるほどこのコース中の最急勾配区間が手前に控えており、選手にとっては最後の踏ん張りどころであって、スタッフや某N新聞中津支局の記者を含め、けっこうな観戦者たちが今か今かと待ち受ける、格好の応援ポイントだったのだ。 でさすがに最初に駆け上がってきた選手は動作もキビキビ、小気味よくペダルが回り、なかなかのヒルクライマーとみたが、筆者の気持は既に彼に乗り移って、一気呵成に駆け上っているかのようだった、とカミさんの弁。あぁ図星だし苦笑いするしかないね。ただこのトップ選手、1分間隔で3人毎のウェブスタートなので、必ずしもタイムトップとは限らないことを織り込んでおかなくてはなるまい。その意味でとてもクライマーとは思えない体重過多の御仁や、蛇行しながらやっと上ってきたような、まるで筆者タイプのおじさんも中位で上ってきたりと、戸惑いも隠せなかったのだ。まぁそれは観戦する方の勝手であって、選手自身はたいそう難儀であろうことは充分過ぎるほど知っていますとも、ハイ。
さて傍から見て、レース全般の第一印象はまったくアットホームな大会運営で好感が持てたこと。過去の大会からして、最低でも100人超の参加はあるものと思っていたが、結局は41人と、幾ばくかの寂しさは否めなかったが、開催決定からの周知期間が足りなかったことや、翌26日、同種でメジャーな英彦山サイクルタイムトライアルを控えていたこともあって、いたしかたない面もあろう。しかしそれゆえこじんまりとした雰囲気は親しみやすく、手作りの味わいはこれからも残していくべきであろうが、見た目では予想していたより参加者の平均年齢が高く、この趣味の底辺拡充はあまり進んでいないことを裏付けていたのではと思うのだ。 となるとこれからの課題は若い世代の参入を如何に目論むかに、かかってくると思うし、一方で久し振りに復活したレースを真近に見れば、「こりゃもう見るより出るしかないぞ」との内なる声を再確認できたことが、一番の収穫だったかもしれない。 さてゴール地点でしばし歓談し、下山の途につく選手たちを見送った後は、計画どおりメーサの南東端、最高峰のしょうけの鼻(659m)を目指した。途中の無線塔(駐車場)までは立派な舗装道を車で稼ぎ、南東角へ延びる南壁沿いの頂稜をアップダウンを繰り返しながら進むと、昔(94年6月)の記憶では山頂はすぐの筈だったが、実際には700m先、南東端へ徐々にせり上がった登路を10分ほどで、どんづまりのピーク・しょうけの鼻に達した。まぁこの程度なら誤差の範疇であって、カミさんの抵抗もなく、ちょっぴり安堵だ。狭い山頂は低木が囲み北面しか見渡せないが、ファミリーハイクで訪れていた親子連れの先客は、かまびすしく昼食真っ最中の体。もっと見晴らしの良いところで弁当を広げればいいものをと思うのは、お腹グーグー、空きっ腹の我が夫婦のやっかみか。 さてちょっとだけ充実感を滲ませつつ、頂稜を引き返したが、途中南壁に突き出た露岩(第二観望)からの眺めも特筆もので、「真っさかさまに切れ込んだ深淵の谷底に目を奪わてクラクラだな!」とジェスチャーたっぷりに覗き込む筆者のパフォーマンスに対し、遠巻きに見遣るカミさんの呆れ顔が、これまたいとおかしく、名にし負う南壁の峻険さを印象付けたのだ。 ともあれ急遽思い立った八面山アタックの応援と、山上ハイクの帰結は、腹ぺこ解消と温泉入湯の二条件を満たすべく、八面山西麓山間の金色集落のどんづまり、金色谷の傾斜地に湧く金色(かないろ)温泉(の食事処と入浴)と定め、急いだのだ。とまぁ、前日には思いもしない山に登り、いで湯に浸るサプライズも、休日の過ごし方として刺激に富む行動形態であって、思い立ったら即実行するレスポンスのよさが身上であろう。ふくみ笑いが金色温泉露天に広がり、ゆらゆらとまどろむ。まさに至福のひとときに違いない。 (参加者) 栗秋、悦子(妻)
(平成22年9月25日) |
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