G.Wこそ静かな山のいで湯
      『万年山〜岳の湯〜日平山』がお薦めの巻


 G.Wに“おゆぴにすと”第6号のグラビア撮影行をしようということになった。夜はくじゅうでテントを張り、第6号発刊へ向けての激論を交わし、機運を高めるというもう一つの目的もあったので、編集部(挾間、栗秋それに国東センチュリーラン帰りの息子の寿彦も付録として)のみならず加藤、高瀬にもやっと同意を取りつけ万全の態勢で望んだ。しかし当日午後からの雨でいささかのトーンダウンは否めない。テントの線は消え夕方、唐突に万年山々頂直下の山小屋を会場とした。

 ここは山頂まで350mの位置、標高1030mの地にあるが、普段は1.5km下った吉武台牧場のゲートから歩くことになる。もちろんこの日は我々のために(?)ゲートは開いていたので、車を乗り入れることができたのだ。早速、十数回目(?)の“おゆぴにすと”第6号編集会議&“おゆぴにすと”第6号グラビア撮影行前夜祭を挙行。この山小屋は一昨年に改装され、とても小奇麗で宴会、いや会議にもってこいである。もちろん、巷はG.Wの雑踏と喧噪のさなかであろうが、ここは別天地。メーサの上バネから断崖となって落ちる東壁を目の当たりにして、ミヤマキリシマやミツバツツジの群落の中に位置する最高のロケーション。もちろん貸し切りで議事(飲み方)は夜更けまで進行した模様であった。

          
                 万年山九合目小屋での小宴会 

 翌日は朝5時20分に起き、山頂へ。昨夕の風雨で大気中の塵が流され、視界はすこぶる良好。定番のくじゅうは目の前、由布・鶴見はもちろん鹿嵐、八面山の彼方に周防灘を経て本州(山口県)まではっきりと確認できる。目を北西から西方へ転ずれば、木の子岳、犬ケ岳、英彦山、岳滅鬼岳は当然。故郷の日田盆地の彼方には背振山地、津江の山々のはるか雲海上に頂をわずかにのぞかせるは雲仙か。そして南には阿蘇五岳が雲海を従えて横たわっており、360度の大パノラマを欲しいままにする。目的のご来光にも何とか間に合い、皆んな合掌、礼拝、そして持参の缶ビールでしっかりと乾杯の式典を終え、ならだかな山頂台地を西へとった。

 実はこの台地の西端の岩場に3年前、日田山岳会の元会長・故矢野真氏のレリーフが同会有志により建立された由、加藤が案内しようということになったのだ。こんな機会でもなければ、この山は東端に位置する山頂だけを往復してしまうので、言われてみればなるほど食指は動くのだ。そして約2kmのなだらかな草原をまさに頂稜漫歩の末、鼻ぐり岩の西端、登山道から少し離れた岩場の中段に、例のレリーフは小さくひっそりと埋め込まれていた。故人が万年山に生前、執着しごくであったとは言いきれないが、日田山岳会の地域性を考慮してこの地(日田の山並みや市街も望見できる)に造ったのではと加藤の弁。この岩場からは南西直下に山浦地区の下ノ園集落がメルヘンタッチに臨まれる。山に囲まれた隔絶された世界で、まるで平家の落人集落のごとくひっそりとたたずんでいたのが、印象的であった。さて、文字どおり朝飯前に4〜5kmのハイキングをこなし、いい汗をかいて小屋へ戻る。朝飯のラーメンがこんなにおいしかったことは久しくないのだ。

 ところで本日の本命はグラビア撮影行であるからして、まずはポピュラーなところで壁湯にしようということになったが、行ってみてやっぱり、イモの子を洗うがごとく、とても落ち着いて撮影なんぞ出来やしないぞとパス。続いて、宝泉寺温泉を横目で見て、桐木を過ごし、『せせらぎの湯・・・・・旅館と食堂、土産物売場を持つお店の名前。温泉地名で言えば桐木温泉か』へ。ここも車でいっぱい。すぐ奥の川底温泉も人で溢れかえつている。G.Wの真っ只中でも、人知れず、ひっそりと湯治場の雰囲気が味わえて、風光明媚な露天で、かつ山のいで湯たりうるところはないものか?と模索に思案を重ねる。

 で、ありました、加藤の総指揮で涌蓋山の西麓、岳の湯を訪れる。ゴウゴウと噴出する蒸気の立ちのぼる湯煙りの里、岳の湯集落。ここの高台に露天・桧風呂が我々を待っていてくれたのだ。しかし桧風呂とは言っても、この地では豪華絢爛たるそれや高級旅館のシックな雰囲気を求めてはならない。あくまでも、湯治場の風情を持つ露天なのだ。桧どこ?と言うような素朴なコンクリート造りの流しに楕円形の浴槽。よぉ〜く見ると、その浴槽の周りを桧の丸太棒が埋め込まれているといったところか。年輪を経た板囲いの脱衣所が2つ、そのすぐ裏手はゴゥゴゥと湯煙を排する煉瓦の煙突がにょっきりと突き出ており、背後の鬱蒼たる杉林が蒸気音を吸収する。また反対の正面彼方には、阿蘇の外輪山を望見するといったロケーションに、みんな満足して高温の単純硫黄泉に浸る。

         
                   湧蓋山麓・岳の湯

 そして本番。数回の「カッシャ!」という擬音が発せられる。挾間の手によるグラビア撮りの自動シャッター音だが、その度にどうも、おじさんたちは身構えてしまい、ファインダー越しの挾間カメラマンによれば「どうもぎこちない、硬い、おじんくさい。の三拍子揃っているぞ!もうちょっと何とかせい」と檄を飛ばす。3番目の指摘事項はいかんともし難いにせよ、久し振りのモデル稼業は100%満足のいくものではなかったようだ。そして湯は熱いので「カッシャ!」の合間は湯から飛び出てビールをグビグビと。こちらの方は皐月の涼風が身をつつみ、いたってリラックスできるのだ。とマァ、曲がりなりにも所期の目的は達したので、後は湯ったりと湯煙の大地の一角でくつろぐ。 

 さてこれからは“おまけ”である。もう一山登りたいとの皆んなの意見を集約した加藤は、宝泉寺から地蔵原へ抜ける丘陵地帯のピーク、日平山(969m)を提案した。昨年、開通したばかりで地図にも載っていない、引治から町田牧場を突っ切り、日平峠を越え地蔵原へ抜けるハイウェー(農免道路?)を利用するとアプローチがぐっと便利になったという。この山自体が広大な放牧場で、柵がわりの鉄条網をくぐり抜け、急斜面を牛糞に気をつけながら15分でガスのたちこめる山頂に辿り着く。そこは軽トラックの荷台程の岩塊が5,6個かたまっており、その傍らに三等三角点を見つけた挾間はことのほか表情が緩み、そして肩で息をしながらも、一人駆け足で登ってきた体力を誇示して遠慮がちに少し吠えた。「俺は10分で登ったんぞ、どうだ(まいったか?この勢いで今年の夏は北アルプスの早駆け登山をやるんだ、やりたい、やれるかな、サポート誰かおらんか?)」

 一方、無頓着組の他の4人はのんびりと頂での一時を過ごす。万年山の頂稜漫歩と同様、加藤の提案がなければ他の者はこの山を踏むこともはなかったであろうし、これからもおそらくないだろう。その意味では貴重なピークと言えるのだ。しかし欲を言えば、加藤触れ込みの眺望がきかず、この点だけが心残りであった。下山後は最も近い、筌ノ口温泉へ。ボクにとっては改装後、初めての入湯となったが、ここも壁湯と同様イモの子を洗うがごとし。「岳の湯とは天と地の差だね」とポツリと高瀬宣い、一同うなづく。重炭酸土類泉が大量に溢れ出るところは、以前のままの“筌ノ口”だが、モダンな造りの湯屋と、湯銭は200円と明記されたことは、ビジネスライクになりつつあるなと少し身構えてしまうのだ。湯治場の雰囲気からは少しづつ遠ざかりけり。時の流れに逆らうことの難しさを3年振りの筌ノ口温泉で味わった。(平成6年5月3〜4日)

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