涌蓋山ワンデイハイク   
九重の秋は山といで湯に最高なのだの巻

 10月9日(金)夜、週明けに提出予定の気掛かりだった資料をなんとかまとめ上げ、明日からの2連休をいかに過ごすかでボクの頭の中は一杯のまま帰宅した。内心は無性に山のいで湯に行きたかったが、家族は川棚温泉一泊だの、ハウステンボスへ行こう!とか半ばアテにはしてないよと言いながら淡い期待を抱いた発言が続いた。ここは変な期待感は持たせてはならぬ。はっきりとそして、考える暇を与えぬように性急に山のいで湯へ決めつけなければ.......と少々あせりながら久し振りに高瀬兄へTELする。「風邪ぎみだけど山、行くよ!」「九重やろ?」「うん!」 よ〜し決まりだ。5月の由布岳山開き以来の山行になりそうである。TELのやり取りを聞いていた奥方だけは悟ったようであったが、兵隊たちの造反を考えると、作戦発表は明日の車上に持ち越すことが賢明であると判断した。

 10日、AM7:45 仕方なく親に付いてくる世代の純は車の中でもグーグースースー。彼女はまだ『ハウステンボス』のつもりのようだ。中津、深耶馬、玖珠経由で待ち合わせ場所の長者原には予定到着時刻より、ちょっぴり早くAM10:35に着く。連休の初日で快晴とあってか、予想どおりの車と人の流れの中でやっと駐車スペースを探しだし、高原のひんやりとした空気に触れ、九重を実感する。

 一方、純はようやく朝の眠りから醒め、ここが目的地とは違う!ということをうすうす感じたらしく、依然として後部座席を占領したまま狸眠りを続けていたが、「軽くうどんを食おう!」の声が耳に入るとこれに抗しきれず、ようやく親子4人、秋冷の長者原に降り立つ。一時期低迷していた『登山』が最近、またブームになりつつあるなと思っていたが、これを裏付けるような賑わいがこの界隈にあった。

 が、昔とはちょっと違う。そぅ、その多くは中高年のグループや家族連れで、若者の登山者はあまり見かけられないことである。刹那的に結果を問うスポーツや躍動感があり、かつスマートな見てくれがもてはやされた、軽薄短小の時代も終わりを告げようとしてる昨今の情勢からして、若者も少しづつ登山の世界に戻ってくるのではとよんでいるが、それにしても元気印のオジ(イ)さんやオバ(ア)さんの多いのには多少の戸惑いを隠せない。金と暇を持ち体力も維持しつつ、自然と付き合う趣味に目覚めたこと自体、ご同慶にたえないのだが、山がオジババだらけになってはつまらないものね。

 やっぱり、若者がもっと山に入らなければ、山歩きの活性化はないのだ。と思いつつ、まわりを眺めて見る。ここ長者原で、オートバイやしゃれた車を駆ってドライブを楽しんでいる軟弱、見てくれ至上主義(こういった、先入観や言い回しそのものが既に典型的な“昔は良かった口癖おじさん”の証と言われそう....)のお兄さん、お姉さんに告ぐ! 「山はいいぞぅ、山はきついぞ、山のビールはうまいぞ」とけしかけようにも、目の輝き(額に汗して山に登るという情熱)のない者に何をいっても始まらない。とボクは“やまかけうどん”をすすりながら悟ったのだ。

 そこへ約束の時間ちょうどに高瀬ファミリーが現る。ボクは咄嗟に、この大問題の見解を正人兄に問うてみようと思ったが、『山はロマンですよ。そぅ山は早池峰、男は賢治。このウスラバカ症候群の若者たちにイーハトーブの良さがわかりますか?』と意味不明の話になりそうな予感がして、現実に戻りどこに登るかの話題に絞った。「やっぱりアノ風邪気味で、体調がよくないし、あまりきつくないところで.......コホン」「それじゃ涌蓋山あたりで....林道を車で稼げば楽だもんね」とのボソボソ会話で涌蓋山に決まった。

 ところが林道に乗り入れて少し走ったところで車が4〜5台停まっていた。「こんなところに車を置いて何をしとるんやろ?」「もしや.....」そして案の定、ヘアピンカーブを曲がった先に恨めしいゲート(鎖)がしっかりと我々を見据えていたのだ。『山頂には行きたくない』と長者原でうどんを食う場面から、主張し続けた純はここで遊んでいると言い出すも、誰も残らないことがわかると、しぶしぶと付いて行くことにしたようであった。それでも「山頂までは行かんからね!」としっかりと予防線を張りながら、同調者を探し狙っていた模様。一方、寿彦は我関せずとばかり、いつものパターンで先頭をスタコラサッサと歩き始める。そして父親はごく自然に車のルーフからMTBを取り出し、これを駆って林道をつめるという計画を実行に移した(本当はせっかく久し振りに家族や高瀬一族とくじゅうを歩くのに何をいまさらMTBなんて無粋な!という声が聞こえてきそうで、かなり気をつかいながら.....)。

 適当な斜度の林道はまさにMTBのためにあるようなもので、家族や賢治先生らとの“だべり山歩き”の誘惑を断ち切っても、余りある充実感がある。特に、微妙なバランスを保ちながら砂利や轍を避けたり、路肩いっぱいの草付きを進んだりと、ルートを選ぶ面白さや、目一杯の急坂をローギアで脈拍数いっぱいまで上げ(さしずめ原動機付きなら、タコメーターの針がレッドゾーンに突入する様か)、これをクリアした時のヨロコビなど、イーハートーブの桃源境彷徨にも優るとも劣らず(何のこっちゃ?)カンドー的なのです。途中、林道から登山道に変わりしばし森の中の踏跡に導かれ、再び林道に出るとすぐに涌蓋越しに到着。30分余りのアルバイトで少々物足りないが、MTBはここまでで皆を待つ。ひぜん湯方面からのグループや家族連れの登山客が路肩に放り出されたMTBを横目で見ながら、きまってボクの風采を確認し、複雑な表情で通り過ぎる。

 そして待つこと30分でノラリクラリ歩調の本隊が到着。「さぁ、山頂へ!」と笛吹けどなかなか踊ってくれず、純はもちろん風邪気味の高瀬一族も近くの草原で日なたぼっこに費やすという。結局、親子3人で山頂を目指すことになり、足早に潅木帯をつき抜ける。草原状の急な登りになって奥方の足取りが鈍くなる。こんなときは「母上、振り向いてごらん」とやさしく声をかけるのを忘れない。硫黄山の白煙を中心にくじゅうの雄大なやまなみを一望におさめる事が出来、疲れも幾分和らぐことを期待して。そして更に傾斜は強くなる。寿彦はどんどん前に行くし、やっぱりスケープゴートの母上は額に汗しながら、伏し目がちになり喘ぎ、吐息となる。そこですかさず山の植生に詳しいボクは「ホラ、そこの岩陰のノコンギクを見よ!可憐な花びらがすてきだろ」と休む口実を与えることも忘れない(実は、加藤から戴いた雑誌BAHANの特集記事“くじゅうの植物・花”を調べてノコンギクの名前を知ったのだが)。

              

 そして、久し振りの山頂は大勢のハイカーで賑わっていた。カン高い声で注意や“べからず”の類いをまくし立てる女の先生に引率された、30人ぐらいの小学生のグループ、福岡(話し方ですぐ分かる)のオバちゃんかしましグループ、ひっそりと山を楽しんでいるといった風情の寡黙な中年夫婦らしきカップル等々、様々な人生模様(?)の頂であったが、彼らにはうらやましくも共通していて、我々にはない決定的なものにいちはやく気がついた寿彦はそぉっとつぶやく。「お父さん、みんなお弁当うまそうね」「.....。ホラ寿彦、さっきうどんを食ったじゃないか」「あれ昼ご飯!?」とこの話は更に続きそうであったので、話題を替えザックから双眼鏡を取り出して、寿彦に提案する。「あの下のゴルフ場みたいな原っぱで、きっとお姉ちゃんたちが遊んでいるよ。見てごらん」と。すると興味をそそられたのか、食い入るように見入りやがて「あっ、お姉ちゃんが自転車に乗っている!」とスットンキョウな声に始まり下山の号令がかかるまで、飽くことなく双眼鏡を握りしめ、眼下の風景を楽しんだ模様であった。

 そして、下山は駆け足で一気に涌蓋越しへ(もちろん一人、遅れた人がいた)。ここから3〜4分歩くと、急に視界が開け、例のゴルフ場のような草原に出る。ここは豊後牛の放牧場なのである。柔らかい日差しのなかで、遊びつかれたのか豊後牛ならぬ、大小5人の惰眠を貪る姿があり、寿彦の奇声で登頂隊に気付いた娘たちが出迎えてくれた。この牧場はひぜん湯への下山道にもなっているのだが、とても気持ちのいい所で我々も寝そべったり、高瀬家のお弁当をつついたり、MTB遊びに興じたりと、時の過ぎるのも忘れてさわやかな高原の休日を楽しんだ。そして、涌蓋山とくれば下山後の湯はやっぱり筋湯に落ち着く。たくさんの湯浴み客を迎えながら、ドゥドゥと流れ落ちるうたせ湯のもぅもうとした湯気に包み込まれ、心地よい山の疲れが湯と共に流れ去る。『山のいで湯は筋湯に始まり、筋湯に極める』とうたせにこうべを垂れながら御湯彦氏(もはや賢治先生ではなく)が宣うそばで、ボクは黙ってうなづいた。          (平成4年10月10日)

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