雲仙・天草、山と海といで湯を満喫! 栗秋和彦

 初秋の九重はさわやかである。夜ともなれば思いがけぬ冷気に身が引き締まり、改めて山にいることを秘に喜ぶ習癖を持つ者は私一人ではあるまい。

 ここ、くじゅうヒュッテに集いたる7名のオユピニストたちの関心事の一つは、初秋の九重でのゆらぎであり、他の一つは「おゆぴにすと」3号発刊記念と銘打った宴であろう。この席で編集苦労や、次号に向けての意見交換等、口角泡を飛ばすHやKの傍らで私はゆらぎの大家、高瀬に意見を求めたところ素敵な答えがかえってきた。

             
                  くじゅうヒュッテにて、おゆぴにすと勢揃い

 「平松御湯彦の連載もんを除いてはイマイチや。反省点も多々有る。がしかし明日、明後日は連休。雲仙へでも足をのばしてゆらごうじゃないけ・・・クリさんよ」「ウン。オユピニズム実践の場として申し分ないね。」かくて九重から雲仙ヘオユピニズムとゆらぎの相関性について究明の旅が始まったのだ。もちろんBIKE2台を積み込んでいるのは当然。近々に迫った天草トライアスロンヘ向けてのトレーニングも忘れてはいない。

 先ず、やまなみハイウェイを南下。途中、大観峰を経て菊池へ抜けるミルクロードに入る。車は多いが流れはスムース。菊池温泉を横自で見やり(既入湯)、山鹿温泉、玉名温泉の通過には後髪を引かれつつ(未入湯)、少しでも早く雲仙へ辿り着きたい一心で長州港へ。ところがここで改めて今日、明日が連休ということを思い知らされる。

 乗船待ちの車と人でいっぱい、待ち時間は2時間半程度とのこと。昼頃には島原半島上陸をもくろんでいたのに早速のスケジュール修正である。

 ジッと待つのも能がない。BIKEに熱い視線を注ぐのはこんなときだ。大勢の待ちぼうけ人間の羨む視線を浴びながらさっそうと漕ぎ出すのは一種の快感なり。

 荒尾方面へ往復15K、長州の街中を5K程度の快速ランで身体のエンジンは充分暖まったが、特徴の無い街並み、平坦過ぎるロード、対岸の起伏に富んだ島原半島を眺めながらの走りだからなおさらこの地が貧弱に見えてくる。フェリーよ、早く我々を乗せて連れていってくれ、多比良港へ。

 その多比良港着は午後3時一寸前。一目散に南下し島原を目指す。ここには未人湯の島原温泉があり是非一点をしるさねばならない。地図を頼りに島原市街南部の温泉給湯所を目標に根松下地区へ行き適当に市民に尋ねてみる。「ホラ、そこの丘の上に保養センターがありますばい。そこ温泉ですよ。お兄ちゃんたちどこから来なさったん?」後段の質問には答える間もなく礼を言い、一気に駆け上がる。

 あった、あった!島原市街や有明海の眺めが素晴らしい丘に立派な3階建てのビルがそれ。正確には島原簡易保険保養センターと言う。重炭酸土類泉31℃を少々加熱した適温の湯にレモンを浮かべて香りほのか。新しいタイル張りの大きな浴場に大きな浴槽、窓外には雲仙岳の前衛独立峰である眉山がそばだち雄大雄大、快適快適、スケジュールの遅れも忘れて長湯となる。(大人300円〉

 さてさて次は雲仙か。何とか暗くならないうちに普賢岳登山を終わればいいやと思いつつ仁田峠へ直行。峠の展望台から北へ向かってどっしりとひかえたる鈍頂が普賢岳(1359m)、雲仙の最高峰である。展望台からアザミ平までは妙見岳の山腹をトラバースする、比較的平坦で遊歩道と呼んでもおかしくないくらいの立派な道、アザミ谷に入ると急な登りとなり稜線に出て間もなく山頂。展望台からの所要時間は約30分(ジョギング登山)、子供づれでも一時間もあれば充分だろう。東面の有明海は薄雲で見えなかったが、国見、妙見、野島、高岩山と雲仙の主な峰々を指呼の距離に見ながら涼風に吹かれて気分は最高。頂きでの10分間があっという間に過ぎる。下山も往路を引き返し所要時間25分で仁田峠の展望台着。5時45分をまわったところでまだ明るい。爽快な汗を流しに雲仙温泉に直行しよう。

             

 雲仙温泉は古湯、新湯、小地獄と3つの温泉の総称であるが、新湯を中心とした界隈はゆったりとした間隔をもって建つしゃれたホテルが多く高級リゾート地と呼ぶにふさわしい地区で、必然的に我々が長居をきめこむところではなさそう。

 一方、新湯から南へ2km程下った小地獄は昔ながらの湯治場の雰囲気。特に共同湯は素朴で趣きのある湯だから、是非とすすめてくれたのは島原簡保センターのフロントマン氏。充分うなづけるだけのことはある。外観、内部とも歴史を感じさせるたたずまい。コンクリートの台が脱衣棚のかわり、薄暗い湯屋の奥からうたせ状に適温の真白な湯がドウドウと流れ落ちて硫真の臭いを漂わせる風情は、この種の共同湯にはピッタリである(大人100円)。浴後、湯煙に導かれて裏手の山にまわるとそこは一面噴煙ゴウゴウと草木一本もない、まさに地獄の景が広がり、小地獄の由来を語るには充分であろう。

             
                     雲仙・小地獄の共同湯にて

             
                        雲仙・清七地獄にて

 さて、満足して次なる望みは腹の虫をなだめること。再び新港へ戻り、一善飯屋を探すが、何せここはリゾート地。とあるホテルのレストランでようやく目的を果たす。が、共同湯はこの界隈でもちゃんとあるのがうれしい。

 こちらは築後間もない木造モルタル造り、湯は硫黄泉だが小地獄に比べると濃度はずっと薄い。立派なホテル群の中にある共同湯、存在価値はここにあるのだ(新湯共同湯 大人80円)。
 そして今宵の寝ぐらは近くの白雲池キャンプ場へ。何故か妙に落ち着く所はやっぱりテントなのです。

 翌16日は6時より行動開始。先ず早朝の雲仙温泉街を自転車でポタリング。朝風呂は古湯の共同湯「湯の里温泉」と決めこみ訪れるも、9時からとのこと。仕方なく引き返し新湯の高級ホテル街に差しかかったとき、突然高瀬が「雲仙観光ホテル(U.K.H)で朝風呂とブレックファーストを!」とのたまう。

 「何を血迷ったか、マサト兄。U.H.Kと言えばスイスシャーレー建築の極め付け。雲仙ではもとより日本国内でも屈指のホテルであるぞ!ワンダラーを迎えてくれるはずがないわい。」と消極的意見には耳もかさず果敢にも直談判し、かなりの時間を要しながらもOKのサインが出た。「これは一つの奇跡である。」と思いつつ、高瀬を見ると「亀の井別荘でも、玉の湯でもいれてくれるじゃろ。スイスシャーレーが入れてくれん訳がない」と屈託のない笑顔を見せる。彼の判断基準からすれば、湯布院の宿が最高なのであろう。とにかく感謝しながら風呂へ直行する。ごく自然に備えつけているバスタオル、バスローブを手にとり(またすぐ戻す)、一段低い浴室へ。小じんまりした円形の風呂と黒色の柱にベージュの壁がとてもシックで気分はリッチマン。高瀬の鼻は高々である。

 浴後はアンティークな椅子やテーブルが白壁によく似合うダイニングルームヘ。入り口に居並ぶウェイターの中からチーフらしき人を探し出し朝‘食の直談判である。ここでもかなりの時間を要しての許可となる。

 おもむろにテーブルにつき周囲を見渡す。バロックの調べが流れる中、洋食器のこすれあうわずかな音を楽しむように食事をとっている泊まり客が認められる。ムム・・・・・。「お客様。ナプキンをおとりくださいませ」ウエイトレスの声で我にかえる。Tシャツと半パンのいでたちは我々二人のみ。客人やウェイター等の鋭い視線を感じながらもオレンジジュースを飲み、トーストとハムエッグを味わい、ブラックコーヒーの渋さと何といっても胃におさまったような気がせず、TA]を払う食事こそ高級リゾートホテルの証なのだ。妙に納得したところで雲仙に別れを告げよう。

 次の小浜温泉へは橘湾目がけて車で20分程下ったところ。海岸通りにある町営の共同湯「浜の湯」に浸る。食塩泉が熱く、力んでいると、見慣れぬ風采を認めて湯浴み中の原住民から、沖に停泊している石油備蓄タンカーの船員と間違われる。

 と、高瀬がきっぱり「我々はおゆぴにすとです!」と弁明に努め、ますます正体がわからなくなったという表情を見て楽しむ。

 さて、いよいよ次は天草だ。風光明眉な海岸沿いにR251を南下して1時間後には半島南端の口之津から天草下島北端の鬼池港へ渡る雲仙天草観光フェリー上の人となる。

 天草は初めての地であるが、今回は、来る10月13日の天草トライアスロンの自転車コースの試走が最大の目的である。鬼池港に降り立ち、おもむろに下田温泉方面ヘポタリングを開始する。アップダウンも少なく右手に天草灘を見ながらの走り易いコースで、これなら本番では平均時速30kmは下るまいと予想しながら、通詞島折り返しで鬼池へ戻り、更に本渡市内まで約30kmの試走を行ない水泳会場である本渡海水浴場ヘゴールする。水着持参の高瀬は残暑厳しい海岸からしばしの間、海に漂い傍観者の私にはうらやましいかぎりである。
 BIKE、SWIM両コースとも概要をつかむことができ、ほぼ初期の目的を達したので次は天草のいで湯を巡ろう。手始めは本渡温泉へ。5万分の1の地図を見ると市の東北部、
海岸沿いに温泉マークがあり気になっていたところ。ここが本渡温泉であるが現在は旅館もさぴれて湯は出ていないという。訪れた旅館の女将が申し訳なさそうに答えてくれた。代わりに天草上島の下浦地区(本渡市)にある下浦温泉を教えてもらう。

 こちらは本渡市街を抜け、瀬戸大橋を渡り上島に出て3km程南下すると道端に「天草温泉ヘルスセンター」の看板がありすぐわかる。背後に山が迫り畑と民家が10数軒の小さな集落の一角がそれ。名称は大袈裟だが、しもたや風の木造2階建て。入り口には大きな温泉マークと、宿泊、湯治、宴会、休息と書かれた古い看板が掲げてあり、近在の民が利用する湯治場の雰囲気。敬老会らしき御老人の一行が座敷を占領していて昼食の真最中である。湯は硫黄泉を少々加熱すると宿の女中さんはおっしゃるが、温泉についての説明はあまり自信がなさそう。とにかく入ろう。きれいな浴槽が二つ有り、熱めと適温に分かれているのはうれしい。迷わず適温の湯にどっぷりとつかる。湯はきれいで単純泉かと思うくらい。すこし硫黄の香りが漂う。

 ともあれ天草のいで湯に一点をしるし、時は午後1時を少しまわったところでありそろそろ帰途につかねばならないが、途中立ち寄った海岸のいで湯についても書き留めておこう。下浦から瀬戸大橋へもどり、三角方面へ向けてすぐの地点。海岸の空き地の一角にブロック造りの小屋があり、この中から温泉(35度くらい)が湧き出て、かたわらの粗末なコンクリート造りの露天風呂へ流れ込んでいる。口に含むとわずかに硫黄の香りがあり、また炭酸もかなり含んでいる模様。生温かく今日の陽気にはピックリの湯である。壁に立てかけた看板(坂切れ)には「犬はいれるな!」と書かれてあり、付近の住民が犬を連れての散歩の途中、一緒に湯をたのしむというところらしい。本渡市内で昼食をとったカレー専門店「くろんぼ」の主人のご教示がなければ完全にパスしたところである。所有者不明なれど貴重な一点、下浦温泉だけではものたりなのかったので、大満足。勝手に「瀬戸温泉」と名づけて、これからは脇目もふらずに大分を目指そう。

             
                      天草上島の瀬戸温泉にて

 大分着18時(昭和60年9月14−16日の記録)

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