クリさんの山のいで湯行脚D 
好感度100%国東の山といで湯合宿

〜宇佐・風土記の丘から六郷満山がみえた?の巻〜 栗秋和彦

 3年前、赤根の湯から残照に映える千灯岳(606m)を仰ぎ見て以来、尖塔をイメージさせる山容にすっかり魅せられ、登高意欲はますますつのるばかりである。背後にたたずむ最高峰、両子山の鈍頂と対象的だからこそ鋭鋒の価値は高まる。挾間の言によれば他の国東の山々と同じく登路は自由、つまりルートはなくヤブこぎを意味する。冬枯れのこの時期がまさに登山シーズンなのである。

 1泊2日の県北合宿(とはいっても2人だけ)のメニューの一つとして位置づけ13日夕刻、宇佐・橋津の賄いつき合宿所(挾間宅)へ乗り込む。まず橋津から風土記の丘を巡る一周15kのランニング。風土記の丘外周3kは芝生の中の絶好のクロカンコース。赤塚古墳、免ケ平古墳、鶴見古墳.....まるでここはタイムスリップパークなのだ。池あり森あり適度のアップダウンの小道をつなぐ『瞑想クロカンルート』が素晴らしい。

 途中、福勝寺古墳の高まりから望む国東の山々のシルエットを指して挾間いわく「古墳時代から宇佐仏教と天台宗修験道を経て明日の六郷満山いざないへの旅へ。合宿の幕は今、開かれんとしているのだ!」 わかったような訳わからん体で厳粛に受けとめながら帰途を急ぐ、そうキロ4分を維持して!春寒のランニングは、この宇佐の田園地帯を看破するだけではなく、長洲の浜にある長洲温泉・潮の湯に浸り、合宿所での心高鳴る酒宴、更には明日の千灯岳へと続くであろうことは明白。(新装となり賑わいを増した潮の湯で、長洲弁を操る近在の民の会話を聞き流しながら重曹泉に身を委ねる2人の暗黙の了解事項なり)

 翌14日、合宿所の朝は宿酔いをさます”水”を奥方からいただくシーンから始まる。それでも9時過ぎにはキチンと山靴のヒモを締めて出発。空気は冷たいが、空は申しぶんないほどよく晴れ上がっている。豊後高田から天念寺耶馬を経て地蔵峠を越えると、両子山から文珠山、千灯岳へと続く山塊が眼前にあらわれる。ヘアピンカーブの連続を急降下するとほどなく、懐かしの赤根の里へ。千灯岳への取り付きは更に500m程北上した、一ツ瀬溜池から東へ上る林道を300m入ったところ。ここで車を捨て、沢を渡り、杉林へ分け入り登山開始。

 登るにつれ雑木林にかわるがヤブはさしてしつこくなく、着実に高度を稼ぐが急坂は相当なもの。稜線直下で壁にぶつかり一寸手間取ったが、右に回りこんで稜線に出る。ここまで林道から1時間余、更に東へ雑木林の頂稜を10分程で山頂にたどりつく。途中、岩稜の片すみには先日来の残雪であろう、ザラメ雪がポツンとひとかたまり取り残されていた。

 頂は鋭峰からして360度の眺めと思いきや以外に鈍頂で、樹木の間から周囲の山々が少し開ける程度。探しまわったあげく、ようやく三角点を見つけ出し思わずニンマリ。太陽の光はやわらかく、空気は冷たく乾いている。これまでいくつもの山の頂に立ったけれど、国東の山々はキリリとひきしまった”てっぺん気分”は味わえないが、おだやかさでは他を寄せつけない。挾間が入れたあついコーヒーをすすりながら僕はつぶやく。「うん、山はやっぱりいいぞ」山頂というものは、このようにいつもいいものだ。まして念願の千灯岳だもの。

 しかし残念なのは、山頂というのは登ったら必ず降りなければならないということだ。いかに気に入ったからといって、ここに踏みとまり残りの人生を頂に捧げるという訳にもいかない。後髪をひかれながら林道めがけて駆け下り、30分余で車上の人となる。時間は12時を少し回ったぐらい、もう一山欲しいところである。僕の心を見抜いたのか挾間のサゼスションは適確であった。「短時間で登って、眺めが良く、簡単な岩登りも楽しめる不動山(352m)に案内しよう」

 千灯岳の北、約2kに位置するこの山は形状からしてユニーク、まるでナバロンの要塞、あるいは『風雲たけし城』の城壁、はたまた軍艦のブリッチか、千灯の集落から岐部へ抜ける峠まで車を飛ばせば、歩程は10分で頂直下の五辻不動尊に着く。真昼から白髪のオババがお堂にこもり、何やら呪文を唱えており一部に怪しい妖気が漂っていたが、挾間の感性がそれをとらえた様子はもちろんない。早々と岩稜の南端まで登りつめるが、あと10m程の高みである山頂は垂壁が立ち塞がり、我々を寄せ付けない。がここからの眺めは素晴らしい。南に千灯岳の鋭峰が真近、その奥に文珠山、西に目を転じれば鷲巣岳から黒木山へ連なる岸壁群。しばし絶景を楽しみ赤根の里へ引き返す。

 点在する50戸余りの民家にはわらぶき屋根も混じり、ここ赤根の里はひなびた風情が漂う。雑貨屋でカップラーメンを買い込み、赤根温泉・国見町研修センター”渓泉”へ。湯の里としての歴史は古く一説には元禄時代ともいわれ、明治から昭和の初期にかけては病を患う者の湯治場としてけっこう賑わったとのことだが挾間の言い分は湯の歴史とは一寸違う。近ごろのつくられた温泉ブームとは無縁の山里の湯を守り伝えようとする”おゆぴにすと”的正義感からくる正論を珍しくも吐く。

 「この前、テレビを見ていたら女子大生が何とかいうひなびた山のいで湯、しかも露天風呂にすっぱだかになってVサインをしているんだ。しかも渓流沿いの歩道を通る人にむかつてワーワーキャーキャーと」「嘆かわしい! 山のいで湯を冒涜する以外何ものでもない!」「こういうやからは山のいで湯愛好会の崇高な理念から照らし合わせても、すぐさま排除すべきだ」「山のいで湯の正常化は我々の手で!」とカンビール2本で意気盛んである。

 僕は内心「そんなのは東京周辺の話しだろ。豊の国のいで湯はまだまだ....」と思うも口には出さず。とにかく”渓泉”はヤングギャルがひなびた山のいで湯を求めておしかけてもおかしくない雰囲気、と挾間。何となく緊張して玄関をくぐる。まず、前述のVサイン声かけバカギャルがいるとしたら入口に転がっている履物でわかる。即座にそのあたりを見ると15.6足の大足のランニングシューズがキチンとなべられている..(どうも男もののようだが) 耳をすます。館内に黄色い声はとびかっていない。許可を得て階下の温泉にまわると雑踏の感あり。しかし男の声のみとすぐわかる。「う〜む、バカギャルどもはいないようだな。う〜む、よかったよかった」と挾間が「よかった」と言っているわりにはあまり嬉しそうでもない顔で言った。

 湯は硫黄臭のする石膏硫化水素泉がなみなみと。青年団風の連中に声をかけると、まぎれもなく赤根地区の青年団。町内地区対抗の駅伝を走ったあとで、打ち上げ前の湯浴みだそうな。村の若者は健全なのだ!あ〜ぁ。窓ごしに午後のやわらかい日差しが差し込み、何とか正常化委員長の挾間の表情がただの『おゆぴにすと』にもどった。「う〜ん。いい気分だなぁ、山のオフロはいいネェ」

 静かな山歩きと、山のいで湯ののんびり合宿も帰途、天念寺耶馬の奇岩攀じ登りに興じて幕。合宿の締めは挾間宅にて若奥方がいれてくれた香りたかいコーヒーがつとめた。(完)

                        (昭和63年2月13〜14日の記録)