新装オープン、大宰府温泉・みかさの湯と四王寺山散策 の巻   栗秋和彦

「みかさの湯が今月から新装開店している筈よね」とカミさんの独り言が多少気になった。今日は久しぶりに仕事がらみから逃れたこともあって、温泉への指向性は上々である。しかもこの湯は1月に訪れるも工事中で適わず、宿題は残ったままだったので思い立った時に行動すべきであろう、と午後からの出立であったが、いそいそと出かけた。しかしここ一、二週間、世の中は花見行楽に精を出す輩ばかりで、そちこちの野外はめっぽう賑やかだ。特に都府楼の中核を成す大宰府政庁跡から天満宮へ連なる道すがらは、桜並木に大勢の花見客が群がり、春爛漫の趣であって、湯浴みなんぞ思考の外だといわんばかりなり。あ〜ぁ少しだけうらやましいが、我々は脇目もふらずに (車窓を気にしながらも? )渋滞もどきの太宰府市街を抜け、四王寺山への山岳道を取った。目指すは1kほど上った、国民年金健康保険センター・みかさの湯である。

 

さぁて、満を持して3ケ月ぶりの営業再開、そして初の休日とあって、駐車場はいっぱいだったが、「お風呂も広くなりましたから大丈夫ですよ」と、こっちの懸念を払うかのような係の人の弁に、うんうん、そうか、期待に胸膨らませての入場であった。でこの湯の触れ込みは「太宰府で初めて掘削された温泉 ! 地下約1600mから湧きだすアルカリ性単純泉は筋肉痛・神経痛・関節痛・五十肩および疲労回復などに効果有り」とあるが、温泉分析表を見ると、泉温は34.2℃。天然温泉に偽りはないが、1600mも掘ってやっと34℃か ! の感は否めない。まぁ、入ってもいないのに先入観だけの批評は止そう。何せリニューアルオープンの目玉は新設した露天だもんな、と内湯をパスして露天へ直行した。う〜ん、確かに新しく大理石の浴槽は小奇麗ではある。しかし折角の高台にあって位置的には大宰府市街を見下ろせる筈なのに、周りは2.5mはあろうかの竹塀で囲われてしまっては眺望も開放感も何もないではないか ! が偽らざる思いであって、ただただ天を見上げるのみであったぞな。まぁ全てすっぽんぽんとまではいかぬだろうが、ビルの谷間の露天ではないし、何がしかの知恵を出して、折角のロケーションを生かす手立てが欲しいなぁ、とブツブツ。

新装なった国民年金健康保険センター・みかさの湯の全景         四王寺山への途中、桜並木の彩り

それでも小1時間ほどまどろんで上がると、カミさんの狼狽した表情と出くわしたのだ。聞けば履いてきたお気に入りの靴がないと言う。「もっとよく探せよな !」と先ずは最近物忘れが目に付く彼女へ注文を発したものの、置いた場所は分かっていたので、なるほど見当たらない。となると見知らぬおばさんが間違って履いて帰ったのか。ならば近くに類似の靴があってもよさそうなのに、それらしき靴もない。次第に現実を受け入れざるを得なくなってくると、カミさんも「編み上げの特殊な靴よ。間違える訳がないわ。きっと持って帰ったのよ !」と確信に満ちた面持ちで訴えるし、「まぁしかし、オレに言われてもねぇ」と半歩下がって受け止めるしかなかった。それでもしばらくは様子を見ようと、入口でお客の足元ばかりへ視線を落として待機したものの、出てくる気配はなかった。そして結局は宿のスリッパを借りて帰る羽目に。「車だからいいようなものの(いい訳ないか)、電車やバスで来たのなら帰りがみっともないったらありゃしないわ」と嘆きつつ、「いまどきリニューアルして鍵付き靴箱をこしらえないのも問題よねぇ」などと我が奥方は宿の設備・運営にも言及する勢い。となると第三者的な立場を装ってみたものの、この湯宿の印象はすこぶるブルーとなったが、まぁ人間は感情の動物だもの仕方ないわね。

ところで図らずもスリッパの身になった奥方を連れてはいるものの、このまままっすぐ帰る訳にはいかなかった。ドライブがてら背後に控える四王寺山へ上り、山塊を縦断して糟屋郡宇美町へ抜け、帰宅しようとの目論みだったからだ。太宰府市大野城市宇美町にまたがる四王寺山は、たかだか300〜400mほどの丘陵台地だが、日本では最初の朝鮮式古代山城が築かれ、山上一帯は国の特別史跡に指定されていると言う。それらの史跡を道すがら眺めつつの山上漫遊も悪くはなかろうとの思惑と、この台地の最高峰、大城山(410m)へあわよくば登ろうとの算段もあったが、こっちはスリッパ事件で潰えたも同然。しかしこの何の変哲もない山塊が全山特別史跡とは驚きであったが、そもそも博多へ転居して1年近くなろうというのに、実はつい先日までこの事実を知らなかった。南福岡の自宅から宝満山を仰ぎ見るに、手前のだらだらした丘陵(四王寺山のこと)が邪魔ったらしいとしか思っていなかったのだ。

土塁の向こうに宝満山の連なりを望む          「大野城跡」の看板と一緒にスリッパをひけらかす我が奥方

そこで今日はごめんごめんと言いながらの四王寺山詣でとしたが、うねうねと曲がる山道は満開の桜並木で彩られている。しかしここまで上れば酔狂な人影は見当たらず、艶やかな花のシャワーをくぐりながらの何とももったいない時を刻み、じわじわと駆け上った。すると今までの森の静けさから一変して広々とした草原、つまりは山上台地に出た。そして尾根上には土塁が延々と巡っており、なるほどこの山は環状になった中央部がくぼんだ擂鉢状の山だなぁとおおよその察しがつくのだ。で車はまさに擂鉢へゆるやかに下ろうとする峠で通行止めと相成った。ここから宇美町方面へは昨年7月の大雨災害の爪あとが未だ癒されず未開通のままなのだ。そして区切りよくその傍らには「大野城跡」の看板がある広場となっていて、見知らぬ土地では「先ず学習から」と看板を覗き込んだ。

何々「今から約1300年前、天智2年(662年)百済救済のため朝鮮半島に出兵した日本軍は、白村江(はくすきのえ)の戦いで唐新羅軍に大敗した。翌年、敵の侵攻にそなえて防人と烽(のろし)を置き水城を築き、さらに665年には百済からの亡命貴族の指導により大野城・基肄城(きいじょう)・長門城(山口県)を築いた。大野城は大野山全体を城とする雄大な構えの朝鮮式山城で山の稜線にそって土塁をめぐらし、谷には石垣を築き、その内側に倉庫等の建物を設け大宰府が危急の場合逃げ込み、長期間篭城防戦できるしくみになっていた」と、歴史的史跡の薀蓄を記している。

であれば折角の機会なので、例えスリッパ履きでも周りを少しぐらいは散策としゃれ込もう。ここからは東側に眺望は開けて、なるほど宝満山を背景に草原状の尾根には土塁がうねうねと続いており、まるで万里の長城のミニチュア版ではないか、と思わせるほど。これに沿って遊歩道(登山道?)もアップダウンを繰り返しながら延びている。まさにハイキングにどうぞと言わんばかり、大いに食指が動くところだが、このルート、お鉢巡りと言い四王寺山の外周をぐるっと回ると6.5kにもなる健脚向きのコースだと言う。と言うことは足ごしらえを差っぴいても、とても奥方と一緒という訳にはいくまい。これは単独でも是非近々のうちに、早駆け走またはMTBを駆って足跡を残さなければなるまいし、こんな宿題なら我が身は積極的だ。ハプニングで印象度イマイチのみかさの湯と、わずか10分余りの四王寺山散策であったが、次なる行動目標を得たことは大きい。春の宵、ボクはお鉢巡りに思いを馳せつつ意気軒昂に花街道を下ったが、その意味ではなかなか充実した半日であった。人間感情の動物だもの、終わり良ければすべて良しとしよう。

 (平成16年4月3日)

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