山からの便り・二題
その1
 拝復 爽涼の秋となりました。今夏は特に暑く9月になっても38度までの日もあり何日になったら涼しくなるかと心配していましたが、やはり彼岸になると急に涼しくなり特に寒い位の日もありました。今冬、貴殿と別れて熊本へ行き、本田や奥野と会い、翌日、鹿倉山へ登り川内市の温泉宿で一泊、同日弁財天へ登った。翌日市比野温泉で一泊、八重山へ登り宮の城温泉で一泊、翌日烏帽子岳へ登り、次いで弁礼ケ岡へ登って帰ったが、毎晩家へ電話しても誰も出ず心配して帰宅したら、置き手紙があり、孫が生まれたので病院へ妻が行って留守と判った。

 又1月下句に長女にも孫が生まれ、妻から手が廻らぬから、何処へでも出掛けてくれとのことで、北は雪があり、兼ねての九州の離島の一等三角点の旅を実現しへ、甑島を始めトカラ列島、中之島御岳、徳の島井ノ川岳、奄美大島の湯湾岳に登って帰った。同5月は伊藤先輩と伊勢や飛騨の猿ケ馬場山等を登り、6月は浅草岳始め新潟の一等三角点を登り、7月から8月は北海道JAC80周年で暑寒別岳へ参加して、利尻岳、斜里、羅臼、阿寒岳、大千軒岳と山旅を続けトムラウシ温泉に2泊して登頂帰京した。北海道は温泉が多く、最初は函館の湯川温泉、羅臼の地の涯ホテル温泉、定山渓温泉、洞爺湖温泉、登別温泉と温泉で疲れを休めて登山を続けた。

 8月後半、立山・剣・後立山縦走。9月、東京の新ハイキングクラブの要請で神田区民会館へ話をしにいく。ついでに9月16日富士山を登り、帰路大鳥屋山を始め釈迦ケ岳(監原温泉)・白根山(日光湯元温泉)・苗場山(前日、湯比曾温泉)と温泉宿に多く泊まった。又、今月も10日ごろから東北の一等三角点の山旅に出掛けて、東北のひなびた湯へ入る積もりです。4月に阿武隈の一等を登り、鉱泉に泊まったことが多かった。

会報有り難う。 敬具   昭和60.10.3    坂井久光

その2
拝復
 お便りと「おゆぴにすと」第3号を頂戴し誠に有り難うございました。なかなかお忙しいなかを「おゆぴにすと」の刊行は大変だったでございましょう。早くお礼状をと思いながら、熊群山に行きましたのが8月の末、その後、夜峰山、万年山、こうもり山、伐株山、俵山、そして山口県の平家ケ岳から金峰山、長野山、馬糞ケ岳と歩き廻っていて今日になりお許し下さいませ。

 いつも楽しい「おゆぴにすと」を拝読させて頂き、私一家ではもったいなくて友人、知人に回覧させて頂いています。「山と渓谷」10月号に「いで湯行脚半世紀、ついに達成日本2000湯入湯」の文章を読み、私はいったい何ケ所行ったのかなあと数えてみましたら、やっと164でした。その内、九州は88ケ所でした。北海道11、東北21で、東北は岩手に長男が住み出して6年通い続けたものですから、の数ですが、その割には同じ所が多く、もう少し欲張ればよかったかなと思っています。やはり山が主になるので、なかなか足をのばすゆとりがないようです。クマさんは24回目がトムラウシ温泉で、私もこの夏行ってきましたのでとてもなつかしく思いました。

 今年は、山の方はだいぶ稼ぎました。2月にニュジーランドヘ行き、マウントクックのトランピングをし、オリウェ山(1917m)など登りました。 3月に鹿児島の甫与志岳、烏帽子岳、金峰山を歩き、鹿児島温泉、谷山・吹上温泉に入りました。4月からは山の会報に書いています通りで、6月は古都西安とシルクロードの旅をし、7月はじめは北海道、後半に娘達一家とワゴン車で北アルプスヘ行き、乗鞍遭難の同じ日、私共も乗鞍の剣ケ峰を3才、5才の孫達と歩きました。久し振りに上高地にはいり、後に恵那山に行き、日本百名山も80山となりました。

 この後共お元気で楽しい「おゆぴにすと」の発刊を祈念致します。      かしこ
                                             昭和60.9.23  柴田ツネ子
(編集部註 坂井久光氏は一等三角点研究会会長で、全国の一等三角点の山に足跡を残すべく山旅を続けられている。一方柴田ツネ子さんは福岡山の会・会友で、ご主人は同会の重鎮・芳夫氏・・ご夫婦で日本百名山を目指して山旅を続けられている。前者は加藤会員あてに、後者は挟間会員あてに、それぞれ”おゆぴにすと”の礼状としてよせられたもの。いずれもご自身のライフワークとして永年にわたっての登山活動は我々おゆぴにすとも学ぶべきことが多いと思い、ご当人の了解も得ず勝手に掲載した次第です。無断掲載ご容赦ください。一日も早く目標が達成されますようお祈り致します。)

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