こころの山・ふるさとの山B   高隈山   松田篤司    

 鹿児島と言えば、「花は霧島 タバコは国分 燃えてあがるは オハラハー 桜島・・・」に代表されるが、私の心に残る山は残念ながら、チョイと違うのである。それは桜島の東南部、国立体育大学の出来た鹿屋市の北西部に位置する、高隈山である。高隈山は、鹿児島市より望めば、桜島の右奥手に山並みを見せているが、何の特色も無く、どちらかと言えは登山者も少なく地味な山である。

 なぜ心に残るかと言えば、私の山登りそのもののスタートとなった山であったからである。高校に入り、一応サッカー部に所属し日々”キャプテンつばさ”を目指し白球をキックしていたが、社会科の授業で山岳部顧問の田尻先生(今では鹿児島山岳協会長とかに出世してしまったが、当時は山の知識は少なかった。)が、冬の霧島山縦走を語ってくれた。そして最後に「山は良い。背筋がピンとする。入部歓迎だ。」と、熱っぽく語った。それに乗せられて入部してしまい、新入生歓迎登山が、この”高隈山”であった。

 鹿児島市より南海郵船のフェリーに乗り約1時間の船旅をし、垂水市に着く。(これがチョイとした遠征気分になる。)ここからが大変なアルバイトである。海抜0メートルからの登山開始(登山者の少ない理由の一つが、このアプローチの不便さにある。)猿ケ城林道をあえぎながら登ること4時間、夕闇迫るころ猿ケ城に着き、営林署の小屋に宿泊し、いろりの周りで火を囲み歌を唄ったり、山の話しに夜遅くなるまで花が咲く。
 翌朝、美しい渓谷を2度渡り原生林の中を山頂へ向かう。この山は山頂直下まで樹林帯で展望がきかず、独立峰の開聞岳や霧島山系と違い人気の無い原因の1つであろう。山頂で、どこかの大先生と同じくバンザイ三唱をして、私の登山活動のスタートの山を終えた。

 それから在学中の3年間、色々な山に登ったが、この高隈山に一番多く通った。ルートも色々と変化を求めたし、また、亡くなった先輩の追悼登山を、校内マラソン10キロを走った後実施したり、非常に私にとっては思い出深い山となった。
 それは、決して主役になれないが、主役を引き立てる重要な脇役の山である。登れば登るほどこの山の魅力が感じられた。おそらく3年間で20回程度は登ったかと記憶している。

 もう10数年、高隈山には接していず、状況が良く解らないが、人手も多く入り、かっての静かな山のムードは失われたらしいが、我々オユピニストにとってチョイとうれしいニュースとしては、猿ケ城ラジウム温泉(猿ケ城ラドン温泉)ができたらしいことである。ある雑誌の記事によれば、秘湯の1つとか。是非帰省の折り時間をつくり、ゆっくりと昔の山登りを顧みつつ湯に浸って新旧対比をしてみたい。

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