熊本のいで湯と山巡り
      今西錦司先生と共に
  加藤英彦

 昨年11月今西先生が来られた向坂山は、J.A.C東九州支部の主催だったが、今回2月の連休を利用して九州へ来られたのは、熊本支部が主催したいで湯巡りの山行のためである。J.A.C東九州支部より6人が参加、今回今西先生とご一緒するのは岩坪玲子(岩坪五郎夫人)さんである。

 2月9日(土)熊本空港着11:50分。天候がやや荒れていたのか大阪よりの飛行機が少しおくれて到着。

 熊本支部、西沢支部長、本田氏、中村氏と我々6人。早速めざすは益城町の飯田山(431m)という小さな山。車道の道幅がせまくて我々のマイクロは登れそうもなく車を捨てる。先生をのせた4WDは前夜来の雨でややぬかるんだ道をスリップしながら登っていく。登りつめたところお寺がある。そこより先生一行も歩き出す。伐採した杉の間を抜け山頂へ約40分の登り。例のセレモニーの後すぐに下山へ。

 御船町インターより高速に入り、菊水インターまで一気に走り今日の宿・玉名温泉(立願寺温泉)山の家旅館着。さすが山の家旅館だけあって、古くて迷路のようになった旅館だ。7ケ所も温泉があるという。夜は今西先生を囲んで熊本支部の方も人数が増えて合計15名、宮崎の大谷夫妻も8時過ぎに到着し、一段と賑やかになる。

 翌朝(10日)早く露天風呂へ入る。気持のよい朝風呂だった。ただ、風呂でK君としゃべっていたが先生の寝ていた部屋がすぐ横だったので朝早くめがさめたぞと言われたのにはうかつだったか。

 今日の予定は観音岳経由小岱山(501m)一等三角点のある山で、厳冬期全山縦走だ。少し雨模様だったが観音岳周辺の整備された登山道を約40分で山頂へ。そこより小岱山へ。山頂にて地元有志の方の出迎えを受け、周辺の植物その他の講義をうける。今西先生にお会いできたのをいたく感激してのことである。下山は直接車道へ下る。先におりて車を廻していたが下山したところが違っていて多少まごつく。玉名へもどって一番うまいといううなぎ屋で遅い昼食。

 大分組はこれではもの足りんというので、一等の熊ケ岳(685m)へ行こうと先生に伺ったら、すぐに行ってこいと許可が出て車にとびのる。植木の駅のところよりめざす熊ケ岳への道へと入りこむ。途中一ケ所行きどまりでバックするも次はうまくさがしあて林道の最終地点で車をおりる。約15分の急登の後、山頂はガスの中、晴れていればみえるであろう有明海が残念だ。少しアラレまじりの中恒例のセレモニーもそこそこに一気に車へとかけもどる。

 今晩の宿、山鹿温泉の清流荘着。またここでも昨夜よりもメンバーは増えていた。宿はホテル型式で昨夜の方が情緒があってよかった。2日日ともなれば、宴会もなれてきて歌や踊りもとびだす。

 翌日(11日)、霧の中山鹿温泉発。国道3号線をすこし北上したところで車をすてる。今日も朝加わったメンバーが増え一行25名となる。震(ゆるぎ)岳という416mの一等三角岳(補点)の小さな山だ。途中ブッシュがややあったが熊本組の先行露払いで道も明白である。今日の山行で一番低い山であったが一番きつい山であった。先生も連日の山行で疲れたか、山頂について一服後、今日このあと予定していた西岳はやめにすると言い出す。

 我々大分組はせっかく来たんだからと、下山後山鹿温泉へ昼食に行った先生達熊本組と別行動で西岳へ。震岳にて今日大分よりかけつけたU君を加えて1行7名となる。西岳(648m)は林道がかなり上まで入っており、山頂へは約15分の登りで到着。なるほど先生が来ない理由がわかった。何のへんてつもない特徴のない尾根筋にやっと三角点をさがしあてたといった山頂であった。

 下山後先生達の今夜の宿である菊池温泉へ。旅館城乃井。大分組が先生にことわりなく西岳へ行ったのが原因か先生の気嫌が悪くてシラけた雰囲気だ。しばらくいたが大分組は帰りのあいさつをして旅館をあとにする。先生の気嫌をそこなうとむつかしいということだ。帰路一等三角点の尾の岳(1041m)へ、今回の山で一番高い山の尾の岳が一番容易に登れたのは皮肉か、車を置いて5分で頂上へ、しかし頂上周辺は雪景色が少し残っていた。

 帰途長湯温泉に入り、大分着20:30分。熊本の温泉をたっぷり楽しんだ山行であった。

 尚、後日先生より礼状が届いた。今回の山行で九州本島の一等三角点のある山を全部登り終えたことになるとあった。これで九州における登山は一区切りついたこととなる山行であった。先生においては今回の山4つを追加して1470山位の登山となっているはずである。目標の1500山まではもうすこしだろう。目標めざして最後のガンバリを願うばかりである。

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