表紙の解説
 平治岳(ひ−ぢだけ、1643m) この版画の作者の父君・加藤数功氏は息子に英彦という名をつけた。英彦山からとったものであるらしいことは一目瞭然である。そして、その英彦氏は長男に平治と名付けた。九重の平治岳に由来する名である。氏は毎年、必ずといってよい程、九重を中心とした版画を賀状としている。実はこの版画も長男・平治の誕生の年の暮れに製作したものである。その平治岳に由来する名を戴いた長男の平治君、やがて息子にどんな山の名を冠するか‥…。

 平治岳、この山はもともとカリマタ山と称していたらしいが、この山の東側に「ヒージの野」という所があり、それを頂上に移し漢字を充てたという、故弘蔵孟夫氏の説明がある。九重のミヤマキリシマといえば、誰でもすぐに大船山の段原を思い起こすが、平治岳のミヤマキリシマの素晴らしさはそれ以上である。6月の上旬、牧の戸峠より久住を目指せば、星生山の北斜面のむこうに見える、くれない色に染った平治岳のスロープは、自然の移り変りに敏感な諸志ならば無感動ではいられず、強く印象づけられるはずである。

 この山の北麓には湯沢温泉がある。アブラメの良く釣れるという清流の片わらにポツンと建つ粗まつな建物、湯のたまるのも待ち切れず腰を丸めての入湯であった。人知れぬ辺境の貴重な秘湯である。                     (題字と版画:加藤英彦 文:挾間渉)

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