秋の石鎚山系を縦横無尽に遊び尽くす!の巻 その3 栗秋和彦

        
         
左から手箱山、筒上山、岩黒山、西黒森山、瓶ヶ森、石鎚主峰(笹ヶ峰頂上付近からの遠望)

○遥かなり笹ヶ峰

 9年前(平成5年)のこの時期、息子と初めて石鎚を訪れ(※4)天狗峰に立った際、遠望した瓶ケ森の左肩、遥か遠方に見た高峰が気になったいた。今思えばそれが笹ヶ峰(1860m)であった訳だが、その時は石鎚本峰に登るだけが目的で地図の持ち合わせもなく、もちろん知る由もなかった。その後石鎚への山行を重ねるにつれ、この山系東方の盟主・笹ヶ峰の存在が次第に大きく重く心に残るようになってきたのだ。

 その一つの理由、ある数字にボクはまたまた惑わされた。石鎚本峰が日本100名山の一つなのはみんな知っている。しかし日本200名山、300名山というのも制定されており(らしい)、200名山まで拾うとこの山系では笹ヶ峰が顔を出してくるのだ。ちなみに300名山まで範囲を広げると、瓶ケ森、伊予富士の二山も加わってくるが、数多(あまた)ある全国の山々の中で200、300に入ることはまっこと誉れ高いことではないか。そしてその中でも300ではなく、トップ200なのだからなおさらである。

と書くと、反骨こだわり派?の首謀・挾間兄などは「山に序列をつけるとは如何なものか。山の真価はひとそれぞれが決めるものであって、公権力?の手に委ねられるものではない」などと反発すること必定である。まぁしかし200、300に選定された根拠は別にしても、少なくともそういう範疇に笹ヶ峰が挙がることは、この山の歴史や風土の重みはもちろん、風格ある山容、地元の民の親しみ度合など総合的に秀でていなければ成せるものではない。その意味では世に認知された証でもあり、この山系をこよなく愛する挾間兄の鼻は高くなって当然ではないか!と諭せば、それ以上反論はしまい。と論争シーンをシュミレートしてみたが、おっと、これはまったくの余談であって、ボクは本日登る笹ヶ峰の秀逸さを喧伝したかっただけである。

       さてこの山旅では概ね晴天に恵まれてきたが、今日は雲ひとつないとびっきりの快晴だ。締めくくりの笹ヶ峰(登山)には言うことなしであって、石鎚山系随一の眺望を誇るこの山からの石鎚本峰遠望はもちろん、重厚な土佐や阿波の山々もじっくりと眺めることができよう。と期待も大きかったが、それとは裏腹に桑瀬峠までの直登350mがなかなか手強かった。この二日間、目一杯遊び廻ったツケは疲労感として蓄積されつつあるのか、出だしの急登に身体の反応が鈍いのだ。一発勝負(日帰り山行)なら少々のアルバイトも厭わず、長時間の行動もさしたる不安はないと思うのだが、やはり寄る齢(とし)なみに勝てずか、の念がよぎる。

 一方、挾間兄の表情を盗み見るも、この人は無邪気にデジカメを撮りまくっており、もともとがノーテンキかつポーカーフェイスなのでなかなか読めない。夜はいつも早くから直上的昏睡モードに入り、短いながらも熟睡しているのも強みといえなくもないが、かように他人が気になるのもそれなりの根拠があった。それはこの直登コースで前に立ち塞がったオババグループの明朗・闊達な行動に惑わされたからである。と言うのも身体は確かに重かったが、彼等の歩行スピードに合わせるには難儀なので、すぐに追い越したまではよかった。「ワー、兄ちゃん(まさか?)たち速いねぇ!」との声に押されて我々はその後も早足で登りつづけた訳だが、すぐにはこのオバさまたちは離れないのだ。意図している訳ではなかろうが、なかなかの健脚ぶりにボクは焦った。

 もとより体調はイマイチのところにこの攻勢?は何だ!と思いつつ、ようやく後方視界から遠ざけたところで峠に到着。一本立てて額の汗を拭っていると、あまり間をおかずこの喧噪集団の御成り。そしてオバチャンたちの一部はその勢いを保ったまま、「今からトイレタイムよ!」と公言してすぐ近くの笹原に分け入ったのだ。「やや、何だ何だ!」と思う間もなく、それぞれ顔を笹原から出したまま、「ジョゴジョゴ!」と奔放に放つ大胆さには度肝を抜かれてオロオロするばかり。いやはやその仕草にはある種の「畏怖」を禁じ得なかったという訳である。とまぁやや誇張的な表現は戒めたいが、それほどオババグループのバイタリティに押された結果の疲労感でもあったと言えるのだ。

閑話休題、気を取り直していよいよ峠から寒風山、更には笹ヶ峰へと至る紅葉稜線漫歩である。中でも寒風山前衛岩峰を覆う紅葉群は際立っていた。澄みきった青空に屹立した岩場、そのコントラストに紅葉が映えるのは当然だが、加えて登路途中の岩場には鎖やハシゴなどもしつらえて、コースそのものもなかなかタフで変化に富んでいる。(寒風山という)叙情的山名にはまるで似つかぬワイルドな道のりであった。

    
 しかし頂稜部が近づくと丸みを帯びた山容となり、一帯はクマザサの世界へと変わる。気持ちのいい稜線漫歩を味わいつつ、頂を踏んだが、その東,、鞍部を経て目の前には本命の笹ヶ峰が目いっぱいに広がっていた。さすがにこうして仰ぎ見ると、一面笹原に覆われた山容はどっしりして、かつたおやかでりりしい。なるほど日本200名山に位置付けされるに充分な風格が漂っていた。そして見下ろした限りでは高度差もあまりなく、安直にクリアできるとふんでいた最低鞍部への道のりは、意外にも手強く、不安定な足場に気を揉みながらの小さなアツプダウンが繰り返し現れては、またぞろ足取りも重たくなるのだ。ここは我慢のしどころであって、最低鞍部からは比較的緩やかなクマザザ道が頂までつづいた。この稜線から振り返ると,,今まで瓶ケ森に隠れていた石鎚本峰が初めてその右遥か遠方に現れて、小さな歓声を誘った。そして丸山荘(山小屋)からの登山道と合流すると頂まではわずかだ。ここはいち早く駆け登りたい衝動に駆られるところだが、この頂をもって今回の山旅は果たしたことになるので、先ずは長老格の挟間兄に先頭を譲り、後につづいた。まぁ言わば目的成就の儀式みたいなものであるが、このあたりの気配りをことのほかヨロコぶ性質なので、止める訳にはいかないのだ。


               
                 笹ヶ峰の頂までは総じて緩やかなクマザサ道が続いた↑↓


 とまれ前評判どおり、みはるかす四国の山々を眺めつつのまどろみは格別であって、中でも石鎚本峰との遥かなる距離感は、この三日間の足取りを証明するに充分な時間距離でもあった。そしてこの隔てた空間をひとこと言い表すなら「思えば遠くへ来たもんだ!」が実感として湧きいずるのだ。「う〜ん、まさに凝縮された言葉だなぁ」とは傍らの挟間。その意味ではこの山旅をプロデュースし、こだわりの味付けで遊び心を満たしてくれた彼の役割はまっこと大きかったし、我が隊の平均年齢を下げ、機動的な行動実現の下支えを果たしてくれた正寿の両名に謝意を表したいが、まだまだ下り着くまでは気が抜けなかったことも記しておきたい。

               
                        念願かない皆の表情もゆるむ

 さて慌ただしくベース(寒風山トンネル駐車場)へ降り立って、帰途につくのみとなったが、まだひとつ楽しみが残っていた。そぅ、このトンネルを抜け愛媛県側の旧道を標高差650m、13kmにわたってダウンヒルに興じようというもので、もちろん車は正寿に任せて、おじさんライダー二名は再び風になったのだ。木立の中、カーブが連続する狭隘道ゆえ対向車には気をつかうが、およそ1km進んで50m下る比較的緩い勾配なので、スピードコントロールは容易だ。つまり余裕をもってダウンヒルが楽しめるということ。ボクはまたまたR.アームストロングになりきって“四国アルプス(※5)”を征したが、「プロローグをMTBで開始した以上、締めっくくりもMTBであらねばならぬ」と少年の瞳をして訴える挾間に苦笑しつつ、この山旅を終えたい(※6)。(完)

(※4))おゆぴにすとHPの「憧憬の石鎚山」欄の「快晴の石鎚山に遊ぶの巻」項、参照。もっともこの山系に立ち寄った最初は昭和44年の夏(17才)までさかのぼる。バイクで山陰、若狭、山陽、四国を巡った際、高知から松山への途中、面河渓から表参道を面河山(1600m)付近まで登り時間切れで引き返したことがある。
(※5)この近くには石鎚芸術村「チロルの森」なる公園?もあった。
(※6)帰途、西条市内で偶然湯之谷温泉を見つけて入湯したが、近在の民でごったがえす様はまさに銭湯の趣であったね。ブルーバックスの西日本温泉案内によると「西条市の西方3k、加茂川と中山川がつくる中洲を前にした療養向きの冷鉱泉。背後に湯之谷山をひかえ、前には田園の奥に燧(ひうち)灘が広がり、近くに64番札所、前神寺がある。単純温泉16.6度 加熱」とある。

                   
                         天幕の中の楽しいひととき

(コースタイム)10/14 寒風山トンネルP6:52→桑瀬峠7:28 34→寒風山8:14 24→笹ケ峰9:34 10:03→寒風山10:58 11:05→桑瀬峠11:33 37→寒風山トンネルP11:58 12:55→(寒風山トンネル旧道ダウンヒル byMTB 13q 標高差650m)→愛媛県側寒風山新道出合13:25 35⇒(車、西条市湯之谷温泉入湯。伊予小松〜大洲間高速道路&九四国道フェリー利用)⇒大分20:25 歩行距離10q 総歩行距離32q MTB総走行距離52q (photo by W.Hasama)

                                       (平成14年10月11〜14日)

(この山行のパートナー正寿君からのメール、10月15日)
挾間様 石鎚では大変お世話になりました.縦走と自転車の組み合わせが初めての小生にとって,とても新鮮で印象深い山旅となりました.また,食事も最高でした.あっという間の3日間でしたが,石鎚山系の新たな一面を垣間見ることができた気分です.取り急ぎお礼まで.栗秋正寿


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