筒上山〜手箱山と瓶ヶ森林道
                 挾間 渉
 四国に渡る機会は滅多にないし、仕事のことも気になるしで、散々迷った挙げ句の石鎚行であった。

 8月1日 松山市内でレトルトなどを中心とした食糧を買い込み、国道33号線三坂峠〜久万〜御三戸を経て石鎚スカイライン入口、さらに土小屋(標高1492m)の岩黒山荘近くに着いた時は15時を少し回っていた。予定では今日から3日間、主としてここをベースに石鎚山系の夏を満喫しようというものだ。

 初日から2日目前半は1泊2日でこれまで未登の筒上山と手箱山の頂に立つこと、2日目の後半は土小屋から瓶ヶ森を経て寒風山トンネルへと続く瓶ヶ森林道をMTB(マウンテンバイク)で走査しながら未登の山を稼ぐこと、そしてさらに余力があればいったん寒風山トンネルまでベースを移動後、翌日午前中にかけて笹ヶ峰まで1泊2日でピストンすることだ。何しろ気持ちとは裏腹に4月に現職場へ転勤となって以後、ほとんどまともに運動する機会もなく、身体はなまり放題なのだ。

筒上山から手箱山
 筒上山(1,859.3m)へは岩黒山荘脇から岩黒山散策路となっている林に入っていく。山頂までは距離にして約4km、標高差は350m程度、スカイラインから見た頂上直下の急登を差し引くと、なだらかな登りの、森林浴の、快適な散策路が予想された。実際、予想に違わず、しっかりした踏み跡、ブナ、ミズナラ、ウラジロモミなど、豊かな植生が展開する小径がいきなり続いた。

          
 松山市では水源・石手川の貯水量が少なく給水制限に入ったと聞いていたが、ここ筒上山へと至る岩黒山の南西斜面の登山道は諸所に水場にも恵まれ静かな山歩きだ。歩き始めて45分少々で丸滝小屋に着く。小屋は閉ざされており厳重に鍵がかけられている。

 ここからはいったん下りとなり、筒上山の東側(高知県側)山腹をしばらく進む。ウラジロモミ、ゴヨウマツ、ミズナラが群生し、林床が背丈の低い笹で敷き詰められているので快適だ。時折行く手を阻む懸崖には立派な桟道が整備されいる。時間が遅いせいもあるだろうが老夫婦1組に出会っただけで、1人だけの静かな山歩きだ。

          
 手箱越が近づくほどに勾配を増し、気が付けば両側にはロープが張られ、可憐な花々があちらこちらに顔をのぞかせる。トレーニング不足の我が身にはこの勾配はちょっとこたえるが、それでもデジカメを取り出し夢中でシャッターを押した。

 お花畑を過ぎしばらく急登すると周囲が明るくなり、突然大きな石垣の下にでた。石垣を回り込むように登り着いたところが手箱越小屋である。まるで城塞のような石垣の上、テント10数張りがゆっくり張れそうな広い敷地の真ん中に小屋は構えているが、敷地の周囲には厳重に鉄条網の柵が張り巡らされている。どうもこの筒上山〜手箱山の山域の小屋はすべて修験道の道場であり、一般の登山者の緊急避難のためではないようだ。別に小屋の使用をあてにしていたわけではないけれども、古い記憶ながら登山者で賑わう小屋の光景がガイドブックに紹介されていたように思い、拍子抜けだ。

           結局、鉄条網の門の前の狭い水場を今日のキャンプ地と定め、幕営準備の前に空身で取り敢えず山頂を目指すことにする。

 小屋から山頂へは標高差100m足らず。鈍頂であるが手箱越小屋側は懸崖が立ちはだかる。この難所には鎖場があり、注意深く鎖をよじ登り頂稜部に立つと急に眺望が開け、後は熊笹の小径4,5分で山頂だ。修験道の山だけあって鳥居をくぐると正面に祠がある。ここが山頂だ。天気も良いので、のんびり景色でも眺めながらうたた寝をしたいところだが、単独行で人っ子一人いない静かな山の夕暮れ時は何となく気が急く。

         

 手箱越小屋の夜は、全くの静寂と満点の星。明け方から風が少し強くなったが静かな、だけどちょっぴり不安な一夜だった。午前4時半に起床し、スープ、パン、サラダの簡単な朝食を済ませ、この山域もう一つの1800m級の貴重な一点、手箱山に空身で向かう。
 
 大半が愛媛県または愛媛県と高知県との県境に位置する石鎚山系の山々にあって、手箱山(1806.2m)はその全山塊が唯一高知県に所属する。山頂は、手箱越から東に伸びた高低差の少ない稜線の末端にあり、稜線を縫うように平坦な道が続き、その南北に、遥か徳島県紀伊水道に河口を持つ吉野川の源流地帯が展開する。

 手箱越からは約1時間の歩程となっているが、空身のせいか30分で山頂に達した。幅広い山頂の傍らに祠がある。東側に少し下ったところに手箱小屋があるが、この分ではどうせ鉄条網か何かで厳重に閉ざされているに違いないと、割愛する。山頂から手箱小屋方面に向かう東斜面は熊笹が敷き詰められ、瓶ヶ森山から笹ヶ峰へと続く山並みの格好の展望所であるが、あいにくどんよりと雲に覆われている。

 今日の予定は、土小屋から瓶ヶ森山、寒風山へと続く、標高1500〜1700mの高所に伸びる瓶ヶ森林道をMTB(マウンテンバイク)で走査することにある。走査などというと大袈裟だが、学生時代にまだ工事中のこの林道を瓶ヶ森まで歩いたことがあり、あれから30年以上も経っているにもかかわらず頭の中は昔のイメージのままなのだから、その変貌ぶりをこの眼で直に確かめたい、という気持ちからである。そんなわけで、今日は長い一日となりそうだ。先を急ぐことにしよう。

 小屋で荷物をまとめ往路を足早に、といっても日没との競争で気が急いた昨日とは違って今朝は気持ちのうえで余裕があり、筒上山系の自然を再確認しながら、下って行く。

    

 途中、土小屋からの今朝一番の登山者に会い、以後次々と中高年の登山者が続く。その多くがカメラを片手にしており、ある夫婦からは「キレンゲショウマはもう咲いていたかしら?」などと問われ返答に窮した。何しろ、こっちは植物名にはからきし弱いのだ。どうやら、この山域は、この時期四国・石鎚山系でも植相の珍しいところらしい。で、件のキレンゲショウマであるが名前だけは知ってはいたものの、帰宅後再確認したところ、それらしいまだ咲き始めを撮らえた1枚があった。午前9時丁度に土小屋着。
                        
土小屋の水
 石鎚山系の開拓者・北川淳一郎先生(旧制松山高等学校教授、旅行部=現愛媛大学山岳部)の著書「愛媛の山岳」(昭和36年)の中に土小屋の水のことについての記述がある。「慥にここの水は味ひが良い。やわらかみがあって一種の香気さえあるように思う」と。また「土小屋の水は四国一だ」との当時の小屋の主人の言葉も紹介している。学生時代に一度だけ土小屋を通過したが、石鎚スカイライン工事の真っ最中であり、記憶もおぼろげで土小屋の水にめぐりあえたものかどうかはっきりしない。この文章に接して以来、僕の頭の隅には、この‘土小屋の水’への思いがいつもあった。

 すなわち今石鎚行の目的の一つに「土小屋の水をたっぷり味わい、好物のざるそばをつくって食べる」というのがあった。土小屋に下り着くや直ちにMTBを車から取り出し、‘土小屋の水’を求めて付近をうろうろするが、今一つ場所が特定できない。岩黒山荘のすぐ傍らにも清浄な水が豊富に流れ、小屋の主人は「飲用可」というが、水温など、求めていた‘土小屋の水’とは隔たりがありすぎる。

 そこで結局、筒上山への登路の途中、昨日の入山時と先程、2度にわたって味わった、岩黒山の水場まで汲みに行くことにする。土小屋から歩程10分の所にあるこの水場は、ほかの水場と比較して水温が明らかに低く、流量に間歇的な変化を持ちながら崖の岩の割れ目から湧きだしている。北川先生の記述にある「岩黒山の最深部に水源があって、そこから出てくるのかも知れない」とういう推測も当を得たものに思われる。場所は少し異なるかも知れないが、これこそ僕が求めていた‘土小屋の水’に相違あるまい。

 5リットルのポリタンクいっぱいの水を片手に往復20分少々を要して戻るや、石鎚山頂の眺めの良い場所を選んで早速そばを茹で始める。双眼鏡で仰ぐ弥山山頂には新しい小屋が完成し紅白の垂れ幕が確認できる。岩黒山荘の主人の話だと今日は頂上では今時分餅まきの最中だという。そんな石鎚山を眺めながら食べるそばは最高だ。

               
瓶ヶ森林道と東黒森山
 食事を終えると早速MTBによる西日本有数のスカイラインの走査だ。このスカイラインは、土小屋〜瓶ヶ森間が9.8km、瓶ヶ森〜寒風山トンネルが16.7km、計26.5kmの道のりで、最高所は1700mを超える。石鎚山を様々な場所から遠望できるのも魅力だ。四国道路地図(昭文社、1995年)にも「断崖のダート路、壮大な風景美」と紹介されていることから、てっきりMTBの世界と思っていた。ところが実際は、道幅こそ普通車がやっと離合できる程度ながら、立派な舗装道路だった。

 岩黒山(1745.6m)から伊吹山(1502.8m)に至る北面では、西条市を経て瀬戸内海に注ぐ加茂川源流地帯を見下ろしながら、よさこい峠とシラザ峠(いずれも約1400m)を通過。ここから瓶ヶ森(1896m)から西黒森山(1861m)に至る稜線の南面、すなわち、このスカイラインの最高所・標高1700m超まで吉野川の源流地帯を右手に見下ろしながら一気に登ることになる。標高差はたかだか300mとはいえ、この登りは正直言ってこたえた。そういえば、土小屋付近に、今秋このスカイラインで開催されるマラソン大会の案内が表示されていたが、その名も‘酸欠マラソン’・・・。

 石鎚山系には1900級の山が本峰と二の森の2座、1800級が西ノ冠岳、筒上山、手箱山、瓶ヶ森、西黒森山それに笹ヶ峰と合計6座ある。昨日筒上山と手箱山を稼いだことから、1800m以上で残る未登は西黒森山と笹ヶ峰の2座となった。今日は瓶ヶ森林道を寒風山まで往き、復路に時間を見ながら未登の山に足跡を残すというのが計画だった。

          
 ところが、どうもこの酸欠スカイラインの、とくにシラザ峠から瓶ヶ森の登りで消耗し過ぎたらしく、まだ時刻は正午を少し過ぎたばかりだというのに、足の筋肉疲労と倦怠感に襲われ始め、寒風山トンネル(標高1100m)まで足を伸ばすと復路は相当難儀をしそうな気配となった。そこで東黒森山直下(標高1500m、土小屋より16km地点)で引き返すことにし、易しそうな東黒森山(1735m)を一つ稼ぐことにする。これさえも登りで足が前に出ず、何ともしまらない登山であった。復路は、わずかな勾配でさえ難渋する始末。貴重な1800級・西黒森山の横を通り過ぎながらも稼ぐ気になれず。

                
風景を楽しむには体力が必要だ
 ほうほうの体で土小屋に戻ったのが、それでもまだ午後3時。沢で冷やしておいた缶ビール2本でのどを湿らし、レトルトの牛丼で空腹を満たし明日(笹ヶ峰)に備え、面河〜石鎚山の夕暮れを眺めながらのんびりと過ごすが、夕方になっても倦怠感が取れず明日への意欲が湧かない。

 体力のないのはもとより織り込み済み。「大いなる石鎚山の山懐に抱かれて数日がすごせれば至上の喜び」と割り切ったものの、どこかに性急さを求めるのが己が信条。体力あってこその「山の愉しみ」なのだ。今年は9〜10月に3度も3連休がある。つまり機会は何度でもある。それまでの間にトレーニングを重ね、何とか以前のように思う存分山を愉しめる身体造りができそうだ。石鎚は逃げはせぬ、などと都合の良い理由を並べ立て(単に里心がついた?)自分を納得させる。・・・・それから土小屋を後にするまでにさしたる時間はかからなかった。
 
(コースタイム)
8月1日 土小屋15:49→丸滝小屋16:37→手箱越小屋17:35→筒上山山頂17:52→手箱越小屋18:10
8月2日 手箱越小屋5:32→手箱山山頂6:05〜6:15→手箱越小屋6:40〜7:30→丸滝小屋8:24→土小屋9:00〜10:55→(自転車)→東黒森山取り付き12:40→東黒森山山頂13:05→東黒森山取り付き14:05→(自転車)→土小屋15:05