耶馬溪町立深耶馬溪小中学校
耶馬溪の一目八景にから山の中に入った学校です。深耶馬溪の地域は広いですが集落が点在しています。他の中学が合併した後もしばらくありました。交通の関係でしょう。その後閉校になり現在は、私設の美術館になっています。美術館なので運動場は、あれています。
同じ敷地にありましたが、校歌は違っていました。平成15年閉校
下毛郡本耶馬溪町大字深耶馬溪1525番地


深耶馬溪中学校
  作詞 松田 正義 作曲 真浄 一雄   
1 そのかみの歴史を誇る語りぐさ 陣屋の台に平家谷わが父母の住むところ
若い力よたくましくこの丘にこの谷に 自由の道を開くのだ文化の花を植えるのだ
その力こそ我等我等我等深耶馬中学生

2 果てしなくあや雲なびきすがすがと 家ごもり台に朝がくるわが学舎のあるところ  清い心よひとすじにわが国人類の 永久の平和を祈るのだ世紀をこえて守るのだ
  その心こそ 我等我等我等深耶馬中学生

深耶馬溪小学校
  作詞 本庄 幸人 作曲 魁生 理   
1 春高原の浅みどり 桜の園の学舎に
集いてここに幾星霜 ああ深耶馬のわが母校

2 秋れいろうの青空に 平家の谷の水澄みて
清き教えの学舎は ああ深耶馬のわが母校

3 冬銀嶺の家篭台 樹氷の孤高相鳴りて
一本櫟は名は高し ああ深耶馬のわが母校 

小学校校訓
べんきょうする子 やさしい子 たくましい子

中学校校訓
・進んで学ぼう  ・助け合おう   ・ねばり抜こう

   校門に美術館の門がありました。    平屋の建物がコの字形でありました。
   玄関が、学校としたら珍しいかな。    体育館だけとても新しいです。地区の避難所になっています。
   令和4年に行きました。校門の所に変わりがありませんでした。美術館は休館しているようです。    校舎の裏です。管が張り巡らせていました。何でしょうか?
   校舎は、そのままですが傷んでいないようです。    校舎の道路側です。綺麗です。

沿革史
深耶馬溪中学校
昭和22年 4月    深耶馬溪中学校新設 高等科の教室使用
昭和40年 4月 1日 町制施行により耶馬溪町立深耶馬溪中学校となる
昭和40年 8月20日 現在地に特別教室として校舎建築
昭和40年11月30日 落成式(131坪)
昭和40年12月 1日 移転開始
昭和41年 9月13日 職員住宅起工
      11月25日 竣工
昭和41年11月    体育倉庫新築
昭和42年10月 1日 校歌、校旗制定
昭和43年 7月13日 中学校専用水道竣工
昭和43年 7月31日 校札工事完成
昭和44年 8月29日 運動場鉄柵工事完成
昭和46年 4月 9日 完全学校給食開始

深耶馬溪小学校
明治 9年       岩屋学校設立 児童数60名 1年より4年単級
明治14年        校舎を小柿山に移転 小柿山簡易学校と改称
明治24年4月     家篭に移転 岩屋鴨良部落は、10日ごとに出張授業
              柿山尋常小学校となる
明治32年       岩屋鴨良に分教場設置
昭和 3年       深耶馬溪尋常小学校となる
昭和16年       国民学校令により深耶馬溪国民学校となる
昭和20年       高等科併設 鴨良校改築
昭和21年11月    新校舎落成
昭和22年       学校教育法公布により深耶馬溪小学校となる
昭和24年 5月    岩屋校改築
昭和25年 9月    中学校炊事場移転
昭和29年 8月    職員住宅落成
昭和35年 4月16日 新校舎落成式
昭和39年10月    岩屋分校改築落成
昭和45年 7月 7日 校歌制定
昭和46年 4月    ミルク給食から完全給食へ
昭和47年       岩屋分校通学道路舗装
昭和48年        岩屋分校完全給食

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