耶馬溪町立永岩小学校
耶馬溪町一番山の中にあった学校と言えるでしょう。平成17年3月1日、旧下毛郡(4町村)と中津市の合併により中津市立永岩小学校に校名変更しました。本校は、中津市の中心部より約34キロメートル離れた中山間部にあり、校区は大きく5つの自治区(相の原・小屋の原・川原口・中村・両午)に分かれている。学校南方向の山頂には、日本有数の山城であった長岩城址が今も残り、山裾を流れるモチノキ川流域にはサンショウウオも生息し、歴史的史跡や豊かな自然に囲まれた中山間地に位置する。平成26年閉校しました。校舎は、クラシックでとても落ち着きます。大好きな校舎の一つです。令和3年にいっても全然変わっていませんでした。長岩城保存会の方が維持しているのかも。
下毛郡本耶馬溪町大字川原口780番地

校訓
進んで学習する子ども
思いやりのある子ども
元気よくやりとげる子ども


校歌
  作詞 本匠 幸人 作曲 魁生 理  
1 山のふるさとわれらが母校 朝な夕なに手に手をとって
  みんなで学ぼうあなたもぼくも あれらは永岩永岩小学校

2 虹のふるさとわれらが母校 大きな夢を谷から山へ
  みんなでかけようあなたもぼくも われらは永岩永岩小学校

3 歴史のふるさとわれらが母校 遠い祖先のおもかげしのび
  みんなで守ろうあなたもぼくも われらは永岩永岩小学校 

   階段を登ったところに校舎があります。門柱が石です。とても古い感じがします。懐かしい。    運動場は、とてもこぢんまりしています。
   講堂の入り口も懐かしい様式です。    校舎の上に教職員住宅が残っています。
   教室棟です。狭いところに平屋で繋がっています。    一輪車がいっぱいありました。
   令和3年に行きました。長岩城の碑があったことに気づきました。    長岩城の配置図が掲げられていました。
   丘の上の住宅はなくなっていました。    建物は、前回と同じでした。草もありません。

沿革史
明治7年        川原口村73番地川原口小として創立
明治20年       津民村尋常小学校永岩分校となる
明治36年       新校舎建築
大正13年 4月 1日 津民尋常小学校永岩分校となる
昭和16年 4月 1日 津民村国民学校永岩分校となる
昭和16年 9月 校舎移転
昭和21年 4月 1日 津民村立津民小学校永岩分校
昭和23年 3月    PTA公民館を建設寄贈 講堂としても使用
昭和29年 3月    現在の新校舎 旧職員室建設
昭和31年 4月 1日 津民村吸収合併により耶馬溪村立津民小学校永岩分校となる
昭和32年 4月 1日 独立し耶馬溪村立永岩小学校となる。
5月 1日 独立式典
昭和34年12月30日 旧職員室を廃棄し校地を拡張し、旧講堂を移築し本館とする。
昭和35年12月14日 簡易上下水道工事完了
昭和36年 1月25日 僻地集会所完成 新運動場、職員住宅建設移転落成式
昭和37年 2月22日 運動場北側拡張工事完了
昭和39年 2月20日 粉ミルク給食開始
昭和40年 4月 1日 町制施行により耶馬溪町立永岩小学校となる
昭和43年 9月 3日 生乳給食開始
昭和45年 2月18日 給食施設設置完了
昭和45年 4月13日 完全学校給食開始
昭和45年 9月23日 校歌制定記念式典
昭和46年 3月18日 卒業記念庭園完成
昭和47年 3月13日 資料室新設工事完成

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