香々地町立三重小学校
香々地の中心地から夷谷方面に行くところにあった学校です。長い伝統を持っています。
戦後は中学校も併設されました。
平成24年香々地小学校と統合した。児童は、香々地小学校へ通っている。西国東郡香々地町大字上香々地4389 明治8年創立

校歌
作詞 中野三治   作曲 千本延隆
1 どこまですんだ大空に はじかみ山の青い色
  仰げば語る地に立って 希望を胸にすすめよと
ああ ぼくたちの わたしらの三重小学校

2 花咲く岸は鳥が来て きょうも流れる竹田川
  仲よし達にささやくは 力のかぎりはげみあえ 
ああ ぼくたちの わたしらの三重小学校

3 すなおな子どもよい子ども 強い体にきたえよと
  走る丘から見上げれば まるい青空まるい月
  ああ ぼくたちの わたしらの三重小学校

校訓
学習にはげむ子ども あいさつできる子ども がまん強い子ども
ものを大切にする子ども

  小さな学校ですが立派な体育館です。     地元熱意の分かる閉校記念碑です。
   校舎は鉄筋の二階建てです。    木造二階建てもありました。
  令和3年に行きました。木造校舎は取り壊されていました。ほかは、そのままですが使用されていないようです。    運動場の向こう側にプールがありました。水が入っていませんでした。


沿革史
明治 8年 2月     佐古学校創設
楽庭学校夷村字楽庭に仮校舎を作る 生徒数20名
明治 9年 4月     国実九蔵宅に移転
明治10年 4月 4日 党民の暴動で臨時休校
      4月28日  楽庭学校開校 就学者48名  
      5月10日  佐古学校開校 就学者96名
      7月     見目村三光寺に移転
明治14年 3月     香々地村堤勘三郎宅に移転 佐古に分教場を設置
明治14年 6月  楽庭学校校舎新築
明治19年 4月     佐古分教場は神田学校から分離して楽庭学校と合併して三重小学校となる
明治19年        三重簡易学校となる
明治23年 1月     長小野字石仏に元楽庭学校の校舎を移転改築
明治25年11月     三重尋常小学校と改称
明治27年        教員3名 訓導1 准訓導1 雇教員1
明治28年        入学児童 男子26 女子16 在籍児童148人
明治33年        小学校令改正尋常小学校修業年数4年 義務制となる授業料徴収しなくなる
明治36年 2月     現所在地に新校舎建築竣工
明治41年 4月     三重尋常小学校に高等科を併置し岬高等小学校の三重蓄財厚生を収容し三重尋常高等小学校と改称する
明治42年        岬高等小学校の校舎一棟を譲り受け移転改築する 尋常科6学級 高等科一,二年の複式で1学級 計7学級 校長1男職員7 裁縫科担当教員1計9名
大正12年 6月     校舎新築 五教室 土間 便所 1棟
昭和 7年12月     北校舎落成
昭和16年        国民学校令により三重国民学校となる
昭和22年    学校教育法公布により三重村立三重小学校となる
昭和27年        中学校移転により教室に余裕が出る
昭和30年 3月     新校舎落成校門の正面に木造二階建ての本館、教職室も楯完全給食実施
昭和31年 5月     僻地集会所を兼ねて講堂を建てる
昭和33年        6学級 児童数275名 
昭和39年        校歌制定
昭和39年11月     鉄筋コンクリート新校舎竣工 運動場拡張 特別教室増築
昭和50年 2月15日  百周年記念式典、百周年記念碑建立

三重中学校沿革史
昭和22年 2月11日  三重中学校を三重小学校併設で設置を決める
5月 5日  開校式 生徒数99名
昭和23年 4月     生徒数113名
昭和25年 4月 1日  香々地町三重村組合立香々地中学校三重校舎となる
昭和27年 7月     校舎完成につき実質統合

閉校誌
楽庭学校
明治 8年 2月     学制に基づき夷村字楽庭の舞台を以て仮校舎とし児童を集めて教授を始む 生徒数20余名
        5月     速見郡杵築町より二名の教員を聘用せしも3ヶ月にして共に辞職せり
        8月     新たに教員を採用す 9年3月辞職する
佐古小学校は、明治8年2月に創立し教員を採用し民家を校舎に充て教授を始めたり
楽庭学校
明治 9年 4月     東国東郡双子村、本郡上真玉村の二名を教員に聘用す
        7月     学校世話方を推薦し学事に関する事務を嘱託す
佐古学校は、4月 他の民家に移し速見郡杵築町の人を採用し教員となす
楽庭学校
明治10年         西南の役起こるや4月土寇の擾乱ありて機械器具を破壊せられ一時休業するの不幸に遭遇す
        4月28日  開校 就学48人 日々出校39人(用務所記録)
佐古小学校は土寇の擾乱の際機械器具・校舎等悉皆焼失し臨時休業3ヶ月に及びたり
        5月10日 開業、就学96人日々登校90人(用務所記録)
        7月    見目三光寺に移す
楽庭学校
明治11年 7月     二名教員辞職す 直入郡竹田町より教員聘用す
明治12年 4月     従来算術科は筆算のみなりしも珠算を加えて併用することとなれり
        7月     教員辞職す 宇佐郡両川村、同郡拝田村より聘用す
明治13年 1月     学校世話方を廃す
       10月     学務委員教育上に力を盡し向学心を喚起し校舎新築の急務を説き直ちに着手するに至れり
       11月     二名教員辞職す 速見郡杵築町より聘し教員とする
明治14年 6月     新校舎落成し新校舎に移転す
       12月     学務委員校舎新築教育熱心の功労により大分県より賞状を下賜しられる
佐古学校 3月 香々地の人所有の民家に移転す 依て宇佐古は通学里余に及ぶを以て分教場を設置したり
楽庭学校
明治15年 1月     教員辞職す 堅来学校教員を採用する
        6月     学務委員辞職する 新学務委員採用される
        7月     5等訓導任ぜられる
明治16年 7月     之より先令を以て従来の教則を改正せられ上下両等を初中高の三等とし試験を行い引き直したり
        9月     試業規則の改正により本学期より小試業大試業の三種に区別して施行せり 訓導辞職す この訓導は赴任以来就学の奨励・教授の改良に力を盡し大いに面目を一新せり 岬村の教員を聘用す
明治17年 7月     教員辞職す
        8月     新訓導任ぜらる
佐古学校
       12月     字神田に新築し神田小学校と改称す
楽庭学校
明治18年 4月     訓導辞職す 新訓導にんぜらる
       11月     訓導辞職す 西真玉村より教員を聘用す
明治19年        神田小学校佐古分教場と合併す
        4月     合併の結果位置を長小野に移し民家を以て校舎に充てる 教室の不適・運動場の狭隘・教授に不便甚だしかりき
佐古学校  4月     佐古分教場は神田小学校と分離し楽庭小学校と合併する
明治20年 6月     これより先小学校令を以て尋常・簡易の二種に分かれたり 本校は簡易を至当とし三重小学簡易校と改称する
明治21年 1月     岬村出身者本校訓導に任ぜられる
           5月 教科用書を変更す
明治22年 5月     県属巡視として来校し校舎の新築書籍器械等の設備を厳訓せらる 訓導辞職する 新たに岬村出身者を訓導に任じる
       10月     校舎建築の件にて臨時村会を開く 議論紛々 元楽庭小学校校舎及び附属家屋を長小野字石佛に改築することに決す
明治23年 1月     校舎新築なる 現役場支所北隣(字石佛)
       10月     教育に関する勅語 並びに文部大臣の訓示下さる
明治24年 1月 7日 公布せられる  小学校設備準則出る
明治25年11月     簡易を尋常に引き直し三重尋常小学校と改称する
       12月     学務委員辞職し新たな学務委員となる
明治26年 8月     訓導帰郷のまま半年余を過ごし、その間雇い教員一人にて教鞭を執りしかば学校只其命脈を存するのみなりき
明治27年 4月     本郡玉津町出身者訓導任ぜらる
明治30年         生徒 入学男24人女18人 在籍男140人女42人 学級3学級
        9月     生徒数増加せるを以て3学級に編成す 校費金245円38銭 校舎に大修繕を加え表面に土塀をなし門構えを設けたり
明治31年         生徒 入学男21人女24人 在籍男108人女58人 校費金264円68銭 従来職員4名なりしが法令の結果増給し得ざるを以て村経済上1名を減ずることをなれり
明治32年         生徒 入学男22人女15人 在籍男102人女63人 校費金278円53銭 本校は従来運動場狭く管理上の困難甚だしかりしが数度村会に向かって請求せしも容れられず本年漸く畑5畝歩を借り入れ之に充つることとなりたり
明治33年         分教室を設く 生徒増加せるを以て民家を分教室とし3学年を移す
        9月     就学児童増加せるを以て4学級に編成す 校費385円8銭9厘
明治34年11月     校舎建築の議再び起こり35年度に改築すべきことを議決し教育基金500円借入の件県知事に出願せり
明治35年 5月     教育基金500円借入の件許可せらる
        6月     校地764坪を金395円余にて買い入れ校舎建築を請け負い入札に付し1725円余にて2人に落札す 工事監督委員には4名を推選す 成効紀元11月末日なりしも翌年2月15日漸く落成式を挙行することを得たり
明治37年 7月     前年度就学出席歩合成績優等に付賞旗規定により優等賞旗を授与せらる
明治41年 4月     学制改正の結果及従来北部3村組合立岬高等小学校分離解散の結果元岬校の旧校舎1棟を譲り受け現地に移転再建し 教授用機械器具の1部も譲渡されたるを以て本村に高等科を併置し三重尋常高等小学校と改称す
明治45年 7月30日 明治天皇崩御
大正 2年 9月     三重尋常高等小学校更衣に委託す 1ケ年手当金10円
大正 4年11月10日 御即位奉祝式を行う
       11月17日 学校・軍人分会・青年会と連合して奉祝記念大運動会
大正 6年10月27日 小学校・青年会主催連合大運動会実施(10月25日の予定なりしも雨天のため本日に順延)
大正 8年 7月 9日 香々地小学校に於いて本県農会主催農事巡回展覧会が開催され、小学校児童全員青年会員参観す 各自手帳鉛筆持参
       10月 1日 三重農業補修学校始業式
       10月11日 小学校青年会連合大運動会挙行
大正 9年10月17日 小学校青年団連合運動会実施
大正11年 5月     新たな医師校医となる
大正12年         明治41年元岬高等小学校分離の結果、一校舎を譲り受けしものも児童数増加と共に狭隘となり且つ腐朽甚だしく為に教育上不便少なからざるを以て・校地62歩を拡張 ・建築入札費8389円40銭
大正14年        従来実習地は畑6畝を借り入れ村農会と共同し農業科の実習に資す
大正15年 7月 1日より全国に青年訓練所開設せられたるを以て本村も規程により同日開所式を行い農業補修学校い併置せり
昭和 3年10月10日 今上天皇即位御大典奉祝式 小学校庭にて式後祝宴 旗行列 変装行列を行う 夜は提灯行列で村中を練る 佐古区民は役場から郷倉まで
昭和 4年12月21日 奉安殿落成式及び御真影拝載式挙行 近来希有の盛典
昭和 5年 9月     オルガン1台を寄贈 オルガン対価145円
        9月23日 オルガン開き音楽学芸会を教証寺で実施
昭和 6年 5月     実習地(水田)返却
        7月     実習地(畑)返却
        8月     学校所有新実習地に初めて播種
        9月     村長バスケットボール及びボール寄贈
       10月     校地に忠魂碑建つ
昭和 7年 2月     教育者に下賜の勅語拝受
        8月     農舎建設・肥溜設置 新校舎着工
       11月     運動場西端埋め立て
       12月     機械体操肋木建設  新校舎竣工
昭和 8年 5月17日 住民所有の柑橘園借入 養鶏(24羽)養兎実施 運動場土容れ実施 高さ7寸 皇太子御降誕記念植栽 児童給食用ハガマ購入
        7月     頌徳碑建立
昭和10年10月22日 報徳週間作業奉仕
       12月初旬  防火避難演習訓練
昭和11年 7月29日 国旗掲揚台備え付け(大正11年入学制寄贈)地鎮祭
        8月19日 国旗掲揚台竣工
        9月17日~18日 防空演習開始職員全部指導の任に当たる
昭和12年 7月 7日 盧溝橋事件勃発愈々動員下令して緊張を帯びる
        7月27日 動員下令
        7月28日 学校長宇佐神宮祈願参拝
昭和14年         学校にラジオを設置
        4月     米穀配給統制法公布 この年から学業成績は10点法で評定するようになる
昭和15年         本年初めて下記の繰り替え授業をなし銃後不足の労力を補充し併せて後留守宅に勤労奉仕す 夏季繰り替え授業7月22日~7月31日 繰り替え休業9月20日~10月1日
昭和16年 4月 3日  三重村国民学校と改称する 初等科6年 高等科2年となる
昭和17年10月13日  秋季体練大会実施
       10月     青少年義勇軍後援会費徴収 児童5銭 職員10銭
       12月     出征兵士に慰問文発送
昭和18年 2月 1日  耐寒行軍実施
        3月15日 運動場砂入れ 三重村運輸組合員総出動し川砂百台衣装を入れる。今まで石多く児童の運動に大いに障碍ありしも一朝にして実に立派な運動場となる。川よりの砂上げは全職員・児童
昭和19年 2月下旬  運動場開畑作業207坪甘藷畑にする 国内食糧事情逼迫のため
昭和20年 9月25日 終戦報告祭を日枝神社で行う
        9月26日 学校経営の根本方針について職員会議を持つ
       10月 5日 帰還軍人慰安会をもつ。小学校講堂、午後4時開会
       12月     武道具を回収 廃棄
昭和21年10月10日 秋季大運動会(復活)実施
昭和22年 2月11日 三重村63制設立準備委員会を開く
        2月18日 大分師範学校教授来校保護者総会で講演
        4月 1日 新学制による小学校が発足し三重村立三重小学校と改称した
昭和23年 5月14日 PTA発足 三重小三重中統合のPTAとして発足
        9月 1日 ミルク給食(捕食含む)開始 調理婦1名雇い入れ婦人会員応援 
               6年修学旅行実施 大分別府方面戦時中からやめていた修学旅行を復活した
昭和24年 2月19日~25日部落PTAを開催
        6月14日 しらみ駆除実施
昭和25年 3月 2日 1日遠足 6年宇佐神宮バス・軽便利用 5年生以下中山仙境
        3月 7日 北々郡音楽会 旭座
昭和26年 3月17日 1日遠足 全児童尻付山に登山
       この年の農繁休暇 6月6日~8日麦刈り休み3日間 6月害虫駆除3回、その日は休業 6月24日~29日田植え休み5日間 11月5日~10日稲刈り休み
        7月19日 ピアノ開き大学芸会 山葉ピアノ購入 村外来賓多数盛会
       12月16日 公民館祭り、児童成績物を展覧す
昭和27年 2月 5日 部落教育懇談会開始
        3月12日 5・6年生児童学校植林をなす 大字荒谷 杉700本
        7月下旬  特別教室施設 音楽・衛生室・購買部
        8月上旬  特別放送施設完備 受信機・拡声器・マイクロホーン 各学級の受信設備完了
        9月中旬  視聴覚教育開始
       10月     ミルク給食廃止
昭和28年 4月28日 PTA総会 
        9月 7日 倉庫建設完了
        9月14日 井戸工事完了
昭和29年 2月 6日 全校児童より集めた愛の餅400個を春日園に贈る
        5月よりハジカ大流行 臨時休業
        8月    市町村合併により香々地町発足 香々地町立三重小学校と改称する
        9月29日 三重小・区民連合大運動会
       10月 2日 校舎建設起工式
昭和30年 1月14日 国庫補助図書充実費決定40050円
        3月 4日 香々地町合併祝賀旗行列に5・6年参加
        3月    本館及び給食室落成
        3月 6日 落成式挙行
        7月25日より職員研修旅行(雲仙・熊本方面4日間)
        8月     運動場地均し工事
       12月     へき地集会所建築起工式
昭和31年 3月 6日 郡指定保健研究発表会 一般会員80名
        5月     へき地集会所=三重公民館(三重小学校の講堂を兼ねる)落成寄付100万円 町費90万円 内容施設は地区民の寄付
昭和32年 8月29日 運動場南側石垣積み替え工事完成(30年10月崩壊した石垣の組み替え工事)
        9月 7日 台風10号水害により上記石垣一部決壊
       10月     再度積み替え工事実施 西校舎屋根葺き替え工事 体育用具・図書館充実費として児童一人あたり10円徴収することとなる
昭和33年 5月     給食費1ヶ月170円(40円増) 給食用ミキサー購入
        6月     運動場排水溝竣工(石垣崩れの原因排除)
        9月25日 全国一斉学力テスト実施
       10月11日 全女児しらみ駆除実施
       11月10日 模型飛行機大会実施(その後数年間定行事となった)
昭和34年 2月20日 香々地地区連合音楽会に出場(三浦小学校)
        4月 1日 新学校医任命
        4月17日 校舎校具修理(大工5日間)
        5月17日 町内小学校体育デー、香々地小学校におけるドッジボール大会に参加
        8月13日 6年長崎鼻キャンプ実施
        9月 4日 前庭小飼育池完成
昭和35年         施設設備 1理振適用を受ける 2PTAより理科振興費の援助 3理科準備室・図書室の改造 4小鳥小屋設置 5教材園整備(職員児童作業)
       10月 5日 大運動会
       11月15日 模型飛行機大会実施
昭和36年 2月27日 学力テスト実施
        7月18日~20日 臨海学校開設 全校児童貴船海岸に行き水泳練習並びに宮山においてその他の学習をなす
       10月     給食婦(1名)町費負担となる
       11月28日 郡市教育振興協議会指定理科研究発表会 主題 児童に科学性を身につけさせるための指導法の研究
昭和37年 2月21日 郡連PTA研究会の開催 郡連P会長は三重小学校P会長
        4月30日 ユニセフより送られたオルガン1台着荷
        5月10日 小児まひ予防ワクチンを全児童服用する
        7月31日 教育課程研究会に全教員参加
       10月 2日 校門門柱竣工
昭和38年 2月26日 町内小中連合音楽会 本校にて 午後は、本校独自の音楽会
               へき地(1級)に指定された
        5月20日 少年赤十字団に加盟
        6月27日 少年赤十字結団式
昭和39年 2月15日 開校記念日に当たり校歌制定式
        4月     大分県教育委員会より保健体育研究校の指定を受ける
        8月     北校舎が危険校舎となり改築並びに運動拡張も同時に着手
       11月     上記工事完成
昭和40年 2月23日 保健体育研究校第1年目研究発表会を開く
        4月     新たな歯科校医決まる
       10月     前年度改築した北校舎の東側に更に特別教室二教室の増築並びに水道施設を完成させる
       11月10日 保健体育研究校として第2年次発表をする
               道路側ブロック塀を寄贈により作る 本校校旗を寄贈により制定 寄贈により本校に鼓笛隊を編成する
昭和41年 6月 1日 保健体育研究校として第3年次の発表を行う 器械運動を重点目標として巧緻性や体の正確な支配力を養うことを追求した
       11月17日 保健体育優良校として文部省表彰を受ける 岐阜市での表彰式に校長列席 体育主任文部教研のために上京
               寄贈により玄関前に噴水池を設置
昭和42年12月19日 西国東学校保健会指定保健研究校となり発表する 研究テーマ 児童の体位に応じた机椅子の研究                  
               学校給食において脱脂粉乳を生乳に切り替える
昭和43年 9月10日 講堂用暗幕全部(14枚)を取り替える
昭和44年 1月     運動場西側の60メートルの柵を鉄柵に改造
        4月11日 これより宿日直廃止
        9月 1日 温室一基設置 材料費寄贈 設計並びに工事は職員作業
       10月17日 陸上記録会 この年より開かれる 4年生以上参加
       12月19日 耐火庫設置   
昭和45年 5月     校舎・講堂外部及び校舎内の全面塗装をする
       10月20日 町内陸上記録会(香々地小学校にて)
       12月 3日 へき地診療を受ける(眼科耳鼻科)
昭和46年 2月20日 校内マラソン大会
        3月30日 三重小スポーツ少年団町内ソフトボール大会で優勝
       10月13日 第3回香々地町内小学校陸上記録会が香々地小学校で開催された
       11月     講堂内部の全面塗装をする 講堂化粧幕並びに中幕新調
昭和47年        本年度研究テーマ 生き生きとした国語教室の経営
        7月18日 自転車乗車テストを行い合格者に乗車許可証を交付する
昭和48年 3月     県小国研指定国語研究第1年次文書発表
        3月18日 三重小スポーツ少年団町内ソフトボール大会優勝
               県小国研指定国語研究発表会 1 研究主題 国語の表現力を高める指導 2 研究内容 主として物語り文を通して、話す活動、書く活動の研究
昭和49年10月 5日 開校百周年記念運動会
       11月27日 県書写研究会指定書写研究発表会 参加者130名
昭和50年 2月15日 開校百周年記念式典・学習発表会・展覧会 開校百周年記念碑を建立
昭和54年 1月26日 給食優良校として表彰
        9月 3日 プール竣工・トイレ水洗化
昭和56年 4月 1日 県僻地センター校指定
       11月 5日 第28回大分県へき地教育研究大会
       11月     運動場排水、整地工事完成
昭和57年11月27日 九州地区僻地教育研究大会発表
昭和58年11月22日 西高教振助成、郡同研助成、町同研指定同和教育研究発表会
昭和61年 2月14日 本館鉄筋二階建て校舎落成
        3月20日 運動場排水工事完成
昭和62年11月 6日 第33回九州へき地教育研究大会研究発表(道徳)
昭和63年11月 2日 西国東学校保健会指定保健公開研究発表会
平成 元年11月14日 西国東郡同和教育研究会指定同和教育研究発表会
平成 5年 3月31日 体育完成落成式
平成 7年 8月25日 飼育小屋完成 コンピュータ設置
        8月31日 北校舎内壁塗装工事完成
       11月 2日 文部省指定へき地教育研究発表会
平成 8年 6月20日 プール濾過器塗装工事
平成10年 4月 3日 図書室改造一部障害児学級設置
平成11年 9月22日 保健室改造・2階パソコン室増築
       10月20日 西国東郡同和教育研究会指定同和教育研究発表会
平成12年 7月10日 北校舎裏フェンス・プールフェンスの取替修理
        9月18日 プールの排水用バルブ取替
平成13年 2月15日 ボーリングのポンプ取替
平成14年 1月 8日 ボーリング新設設備完成
平成15年 1月20日 ジャングルジム・滑り台回収
        1月22日 給食室裏側側溝の蓋新設
平成16年 4月22日 九州地区へき地教育研究発表会の指定を受ける
        4月27日 地域とはぐくむ学習力向上モデル事業の指定を受ける
       10月     台風被害の修復(本館・北校舎・プール更衣室屋根修理)
平成17年        平成の大合併により豊後高田市・真玉町・香々地町が合併し豊後高田市となる
        4月     豊後高田市立三重小学校となる(1市2町合併)
       11月11日 九州地区へき地教育研究大会大分大会研究発表会
平成19年 4月 1日 大分県青少年赤十字活動推進校指定(平成19・20年度)
平成20年 5月 8日 「人権の花」運動指定
       11月21日 人権教育研究発表会
平成21年 4月 1日 「英語教育改善のための調査研究事業」(文部省)指定
        6月23日 家庭科教育学級開級式(22年2月まで6回開催)
平成22年 8月    閉校記念事業実行委員会発足 実行委員長他役職員決定 総務部事業部行事部三部組織
平成23年11月10日 「英語教育改善のための調査研究事業」(文部省)研究発表
平成24年 3月18日 記念碑除幕式 閉校記念式典開催 閉校記念誌発行
        3月31日 三重小学校、香々地小学校と統合     


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