挾間町立朴木小学校
挾間町の朴木地区にあった学校です。お隣の石城西部小学校と同じように極小規模校でした。両校での「荒城の月」は、町や市の音楽会では有名でした。今は、農事法人が入りカフェなどをしています。
大分郡挾間町大字朴木726番地明治8年創立

校歌
作詞 作曲  二宮 昭二
1 大空高くそびえたち ぼくらを守りはげまして
  強く明るくのびのびと 育てとさとす由布の嶺
  仰いで学ぶ子どもです

2 八重の桜よ山桜 色もやさしく香りよく
  姿をうつしひのもとの 平和を築くそのために
  誓って学ぶ子どもです

3 秋は深山のもみじ葉よ 父母も学んだ由布川の
  花咲き香る高台に 学ぶぼくらは日本の
  強く正しい子どもです

4 窓辺に寒き木枯しも 吹く白雪に凍るとも
  くじけず負けず頑張って 明日の日本をつくるまで
  学ぶぼくらの朴木校

校訓
・根気よくがんばりぬく子ども ・体をきたえ進んで働く子ども ・礼儀正しくきまりを守る子ども ・思いやりがあり信頼される子ども

   屋根瓦の色が目に入ってきます。    閉校記念碑です。とても立派です。
   校区内の地図がありました。    トイレは、外にありました。
   学校は、丘の上にあります。    今は、農村カフェが入っているようです。
   令和4年に行きました。食堂の旗が出ていました。    遊具もそのままありました。全体が使用されているの運動場の草も少ないです。


沿革史(挾間町史より)
明治 8年 3月     挾間学校朴木分教場として創立
明治32年10月     宮口に新築移転
昭和15年        現在地に新築移転
昭和34年 3月     新校舎落成
昭和39年 1月26日  講堂竣工
昭和46年 5月     水道施設敷


閉校誌
明治 8年 3月 挾間学校朴木分校設立
明治10年 6月 朴木小学校創立
明治14年    今在家に校舎新築
明治19年10月 朴木簡易小学校と改称
明治25年12月 由布川尋常小学校朴木分教場と改称
明治27年 2月 第1代校長就任
明治32年10月 午五校地に新築移転(開校記念日10月18日)
明治40年 4月 朴木尋常小学校創立
明治44年 6月 由布川第二小学校と改称
        7月 校舎一棟増築
大正 3年 5月 由布川第二尋常小学校と改称
大正14年10月 新校舎増築
昭和 2年11月 旧校舎方向転換運動場拡張
昭和 4年 4月 由布川村立朴木尋常小学校と改称
昭和15年12月 新校地(現在地)に校舎移転
昭和16年 4月 学制改革により朴木国民学校と改称
昭和22年 4月 由布川村立朴木小学校と改称
昭和25年 3月 朴木小学校帽章、校歌制定(投じ本校教諭の二宮昭二氏作詞作曲)
昭和29年10月 町村合併により挾間村となる
昭和30年 4月 町制施行により挾間町立朴木小学校と改称
昭和34年 3月 新校舎落成 現西校舎を残し運動場を拡張し校舎新築(屋根はオレンジ色)その間隣接する農協二階にて授業実施
       12月 給食室、水道施設竣工
昭和35年 2月 完全給食実施(昭和50年町学校給食センター完成まで自校調理方式にて実施 給食記念日) へき地校に確定
        7月 水道施設完了
昭和36年 4月 茅場地区朴木校区に編入
昭和40年 1月 へき地集会室(講堂)落成
昭和41年10月 郡指定へき地教育研究発表
昭和42年 5月 校長室改造工事竣工
昭和46年 5月 水道施設新設(庄内町小挾間字鳴子田禅淡湖より)
昭和52年 8月 保健室改装
昭和53年 5月 朴木水道完成
       11月 文部省指定全国へき地教育研究大分大会にて石城西部小学校との「荒城の月」合同演奏会(集合学習) その後石城西部小学校閉校後も「荒城の月」の演           奏を現在まで引き継ぐ)
昭和54年12月 体育倉庫新設
昭和55年 9月 本館屋根瓦オレンジ色に吹き付け
昭和56年    「山のこの歌」を全校の歌に取り入れる 
昭和57年11月 郡教育振興会指定研究発表会会場朴木井路研究を劇等で発表
昭和58年 1月 学校林校舎裏側部分道路拡張工事のために掘削
平成 元年10月 校長室改造
平成 6年 3月 滑り台設置
平成17年10月 町村合併により由布市立朴木小学校と改称
平成19年 7月 市境氏による第1回朴木小学校学校規模適正化説明会開催
平成22年 3月 由布市立小学校適正化推進計画に伴い平成23年3月31日閉校 統合先は由布市立挾間小学校と決定 在籍児については保護者希望により由布市立由            布市立由布川小学校への区域外就学が認められる。
平成23年 2月 閉校記念式典開催
平成23年 3月31日 閉校


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