本耶馬渓町立東谷小学校
西谷対する東谷です。それぞれ戦後新制中学も持つ人数の多い学校でした。どの町でも周辺から減ってきます。平成16年上津小学校との統合になりました。この東谷も少子高齢化になって廃校になりました。
下毛郡本耶馬溪町大字東谷3283番地

校歌
作詞 松田 正義 作曲 真浄一雄   
1 耶馬の東の清い谷 学びのにわにかんばしく
とうといちえの花がさく そうだ そうだ
摘んでのびよう この花を 東谷 東谷わたしの学校

2 かならし山のふところの 学びのまどはたくましく
  世界のはてにかようまど そうだそうだ
  高くひらこう このまどを 東谷 東谷わたしの学校


校歌
 ・考える子   ・明るい子  ・ねばり強い子 ・元気な子
 

   校舎の前には広い庭園があります。向こうの色の濃い校舎は後で取り壊されます    教室棟でしょうか。ここだけ古いです。昔の校舎を残したのでしょうか。ボールから守るためかネットを窓に貼っています。
   外のトイレは、昔の形です。改良してサッシになっています。    民家風の建物がありました。職員住宅か宿直室でしょうか。倉庫か休養室に使用されていたかもしれません。
   体育館です。校舎とはミスマッチです。多分地域の運動の中心として作られたのではと思います。    簡素な閉校記念碑です。校舎が無くなったときには目印にはなるでしょう。
   運動場の端に相撲場とプールがありました。管理するのは遠かったと思います。ただ、作る場所はここしかないですね。    閉校後は、地域の資料館として使われています。東谷むかし館です。
   令和3年に行きました。資料館が閉鎖されていました。校舎は、ありましたが痛んでいました。古い校舎はなくなっていました。    寂しく相撲の土俵は残っていました。
   プールも残っています。    草が覆い尽くしています。
   令和5年に行きました。校舎はそのままです。かなり痛んできました。    体育館もそのままです。簡易トイレが外にできていました。体育館で人の声がしていました。使用されているようです。


沿革史(本耶馬渓町史より)
明治6年3月4日   青山校城井村、東城井村、上津村、東谷村、西谷村校区に創立
明治7年2月5日   東谷村字中手原に開設
明治20年4月    東谷校を東谷簡易学校と改称
明治25年10月   小学校令改正により東谷尋常小学校と改称
明治31年2月    新校舎及び分教場を設ける
明治36年7月   本校は、第一東谷尋常小学校 分校は第二東谷尋常小学校と称する
明治43年4月   農業補習学校併設
明治45年4月   東谷第二尋常小学校を分教場に 本校は、東谷尋常小学校となる
大正6年12月   新校舎新築移転
 昭和38年まで不明
昭和38年6月1日 学校給食開始
昭和40年11月3日 相撲場改築
昭和46年2月10日 岩石園設置
昭和50年8月1日  プール竣工

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