佐田の名所

佐田社の板碑


 佐田神社境内に集められた、4基の板碑。
 石材は凝灰岩。向かって右端のもの、左端から2番目のものが県指定の有形文化財となっています。

 【右端の板碑】
 高さ1.62m。元弘3年(1333)、示阿が願主となり中村青蓮寺中興の源秀上人を導師に仰いで供養されました。
 一般的に板碑と言えば、板状のものが多いですが、こちらの板碑は方柱をなし「角塔婆」「四面板碑」とも呼ばれています。四面いずれにも梵字が薬研彫されています。
 東には、カーンマン(不動明王)、南にはウーン(愛染明王)アー(日天)、西にはキリク(阿弥陀如来)サ(観世音菩薩)サク(勢至菩薩)、北にはアン(普賢菩薩)マン(文殊菩薩)を示す梵字がそれぞれ刻まれています。

 【左から2番目の板碑】
 正慶元年(1332)、示阿をはじめ時衆ら80人が阿弥陀に天長地久御代円満を祈願して建てられました。
 なお、この板碑に刻まれた「正慶元年」は北朝の年号であり、この年に後醍醐天皇が隠岐に遷されています。右端の板碑に刻まれた「元弘3年」は南朝の年号であり、この年に北條氏が滅び後醍醐天皇が再び京都に戻っています。

 佐田神社境内にはそのほか、反射炉碑(市指定史跡)耐火煉瓦塀両部鳥居(市指定有形文化財)があります。
 また、佐田地区内にはこのほか主な板碑として、大年社板碑(県指定有形文化財)且尾板碑(市指定有形文化財)があります。


  • [参考文献]安心院町・安心院町観光協会・安心院文化連盟(1982)『ガイドブック 安心院の里』
  • [参考文献]安心院町身心すこやか事業推進委員会(1988)『ふるさと佐田』
  •  右端、左から2番目が県指定文化財