なんでやねん


『あ、こんなことしてる場合じゃなかった。ヒソカさん、ありがとうございました、失礼します』
 瞬きをしたは、ヒソカのことを重要視していない素振りで頭を下げると踵を返す。礼儀正しく下げられた頭に、翻されるネグリジェ。
 綺麗な蝶のような装いは、翅をむしるように服を引きちぎってみたい衝動に駆られる。その後どうするかなんて考えない。ただ、そうしたら面白そうだという思いつきに、ヒソカの手がの腰に伸びる。ふわりと、それこそ蝶が舞うように宙に浮かせて引き寄せると、空中で片足を前に出したは気づかずに次の一歩をさらに踏み出す。それはヒソカの腕の中で、またもや空中になってしまったため、地面を踏むことはなかったが。
「……」
『……』
「……」
『ヒソカさん』
「なんだい?」
 うふふ、とでも笑い出しそうにご機嫌なヒソカの声が、の耳のすぐ後ろから吹き込まれる。頭が何か考えるより先に、の背筋に何かが走った、悪寒か、快感か。
 どんな意味で鳥肌が立ったのか認識する前に、うっかりの肘が背後を襲う。もちろん、ヒソカが笑ってそれを腹に受けて痛くもかゆくもない。の肘が少々しびれる程度。けれどはもう片方の肘でも攻撃する。それも受けて、またクスクス楽しそうに笑うヒソカ。耳の後ろで笑うのは止めない。
 たっのしそうだなぁ、この兄ちゃん! などと胸中で毒付くだが、両肘がしびれて声も出ない。それもヒソカは楽しそうに笑うだけ。
 しかも、の腰に片腕だけ回していたはずなのに、一通りに好きに行動させた後は大好きなおもちゃを抱きしめる子供のごとく、両腕でを背後からやんわり抱きしめてきた。くんかくんか髪や首筋を嗅ぐ音もする。鼻息があたってますよ、お兄さん。
 先ほどまでシャルナークにあれで、その前はノブナガにそれで。次はヒソカにこれか。
 ちょっとは遠くを見つめてしまう。
 けれど、クスクス笑いながらの知らないのオーラを楽しんでいるヒソカは、ご機嫌さんにを地面に下ろそうとせず抱きしめたまま。
 それがたとえ、くんかくんか匂いをかがれて、耳に息を吹き込みながら現在進行形であちこち体を触られているが段々眉間に皺を寄せていっても、関係なくヒソカはご機嫌さん。は遠くを見てしまう。
 抵抗しないのは、してももし本物の、本物のヒソカだったら意味がないからだというのもあるが、シャルナークやノブナガと同じ意味での危機感を感じないのもある。
 一切の欲情をされてないことくらい、にも分かる。色がない。空気に一切お色気がない。内心大笑いしてを抱きしめている可能性は否定できないが、この兄ちゃんは現在普通にセクハラしてるだけの兄ちゃんだ。というのがの認識だった。
 漫画の一場面ならば周囲にトーン描写がふわふわきキラリンッとしてそうなぐらい、本物ヒソカだったら吹き出しからハートマークがたくさんでてそうなくらい、楽しそうに人の体を弄り回してくすくす笑って息吹きかけて、しかもエスカレートしてうなじ舐められたりしての口から変な声で始めているが、それにさらに気をよくしたヒソカがべろりと耳の後ろも舐めてきているが、身をよじってささやかな抵抗をしつつもは性的に食われる心配が出来なかった。

 だってこの人、私相手に勃たないっしょ。

 全く持ってお下品にも分かりやすく、密着しているヒソカの股間は静かだった。こんなにスキンシップをしているのに、ピクリともしていなかった。がへこんで、さっきとは別の意味で遠くを見たくなるほど静寂に包まれていた。
 これならノブナガさんのほうが、分かりやすくてよいよ…。などと思ったりするくらい。
 けれど、だからこそ心配しなかった。勃起しない。いいことだ。青い果実でもないですしな。
 それはそれで死亡フラグが立つのだが、抱きしめる程度には気に入ってもらえているようで。は一応好意っぽいものは受け取っていた。つらつら考えているうちに肘のしびれも治まって来て、ヒソカの舌はうなじと言わず首といわず耳の後ろといわずベロベロ舐めているし、片手はのやわっこいが大きくない胸をむにむに直に揉んでるしで、この世界で初めては男にここまで体を触られているのに、性的なにおいが一切しない妙な空間にさらに遠い目をしてしまう。
 一応、両手でヒソカの手を引き剥がそうと努力しているが、拘束されている上体格からなにから敵うはずがない。ヒソカに簡単にあしらわれている。もまれても気持ちよくないもんだなぁ、胸って。などと意識も遠くへお散歩に出かけだしていた。もうすでに男の人に触られていやーんというより、ヒソカというキャラに欲情されてない自分の体への落胆のほうが強い。触られているという触角の精度も半減する勢いで。いや、ここまで女体に触れてる男なら勃起しようぜ! 欲情して! 襲われたくないけど凹むわ! いっそ自分への好意を持ってくれてるらしいノブナガに触られたほうが嬉しいわ! もう屈辱で泣きそうになっていた。
 ヒソカは相変わらずクスクス楽しそう。時折の周りの空気でも読むかのように顔を上げて、にんまり悪い顔をしている。は知らないが、オーラが一喜一憂しすぎててヒソカの腹筋が今以上に割れそうなほど笑いを堪えて震えていた。
『ヒソカさん、私一応生娘なんでやめてもらえませんか』
「なにを言ってるのかなぁ? 分からないよ」
『ヒソカさん、絶対了承以外の返事ですよね。やーめーてー』
「ああ、またオーラが揺らぐねぇ。綺麗な色だ。……本気の抵抗が無駄だって分かって、一応行動する時ってこんな色なんだねぇ」
『はーなーしーてー。乳首つまむな』
「色気ないねぇ、ボクたち」
『はぁ、ときめかない私は不感症なのだろうか』
「落ち込むことないよ。ボクも落ち込んじゃう」
『絶対語尾にハートとか星つけてますよね…』
 ぐったりするは、噛み合わない会話以前にヒソカにペロペロされすぎて変な声を上げた分も疲れていた。あんな色っぽい声が出せるんだね自分、と新発見に感動を覚える体力もない。いつの間にか当たっているヒソカの股間は膨らんでいた。胸を触っているヒソカの指使いもいやらしい気がする。肌の表面を撫でてつまんでいた最初とは違って、ゆっくり肌の奥からくすぶらせて官能を引き出そうとするような……。の思考がしばしその現実を拒否するようにとまった。視線は外へと向く。
 外からは昼に近いほどの明るい日差しが差し込んでいて、廃墟を優しく包んでいる。……のに、色気があるんだかないんだが、お互いに絶対に欲情しないだろう間柄の二人が乳繰り合っている。違う、が性的嫌がらせをされている、一方的に。そしていつなにがきっかけで勃起したんだ、ヒソカ。空気も雰囲気も一切変わった瞬間を感知しなかったぞ。の視線は日差しを見つめたまま、大きくため息を吐き出した。
 誰か助けに来ないかなと、もうやけくそになってはまだぺろぺろ舐めてるヒソカの耳をつまむ。そのままから引き剥がそうと引っ張る。なぜかされるがままのヒソカは「イタイイタイ」とご機嫌に笑いながら引っ張られるがまま離れていく。余りにも素直で、は耳をつまんだまま、左右に揺らしてしまった。ヒソカが愉快そうに揺れる。怖い。身長の高い男性の耳を、男性より身長の低いネグリジェ姿の女がつまんでゆすり、男性が揺れる。なにそれ怖い。
 しかも女は男に抱き上げられたまま、足は空中に浮いている。けれど振動はゼロ。男の首から下は動いていない。なにそれ怖い。
 しかもいつの間にか、後ろから抱き上げられてるのが体の側面から抱き上げる体勢に変わっている。お姫様抱っこなのに早業怖い。ヒソカの顔が良く見えて怖い。
 が声もなくドン引きしているのが良く見えているはずのヒソカは、満面の笑み。オーラもビビッてヒソカから一番遠いの足先に逃げ込んで靴の飾りの振りをするかのように、小さく丸まってぶるぶる震える蒼白気味の色味。お姫様抱っこという俗称から、世の乙女の大体がときめく横抱きをされたというのに、本体もオーラもビビッて蒼白。ビビッてヒソカの耳から指を離すのも忘れている。
「フフッ」
『!?』
 ビクゥッ! と、大げさなほどにの体が飛び上がる。ヒソカの腕の中で。オーラも猫の逆立った毛のように、ビヤッとぶわっと逆立って即座にの背面へと消えていった。ヒソカを直視したくないとでも言うように、本体の背中へと身を縮ませるオーラ。まるで人を二人相手しているような反応の違いに、ヒソカの笑い声が大きくなる。
「フフッ、フフフッ」
『……ぃやいやいやいやいや』
 ゆるゆると首を横に振りながら、か細い声を出して突っ込みを入れる。その頭からは、すでにシャルナークへとのあれこれも、ノブナガとの気まずさもふっとんでいた。むしろ目の前のヒソカをどうにかしてくれるなら、今は彼らに縋りついて助かるものなら縋りたかった。クロロに足洗って舐めろといわれれば……、あ、それは無理だわと、自分の妄想ながらの頭が一部冷静になる。の少し雰囲気の変わったオーラに、ヒソカが小首をかしげる。がビビッた弾みで離された耳は少し赤くなっているが、ヒソカは少しも怒っていなかった。腕の中に捕まえた蝶だか蛾だかが、鱗粉を撒き散らして逃げようとしている程度にしか思っていない。自分で自分の翅を傷つけて、人間に壊されるのを哀れにも待っている昆虫。
 その昆虫が少し自分たちと似た構造をしているとしても、一向に違和感を感じる事無く、ヒソカは笑みを絶やさない。
 けれどにも自我や本能はあるもので、『これは確実に、興味対象を見るクロロなどと一緒の視線! やばい解剖されるかもしれないし、青い果実じゃないから確実に数秒でバラッバラッにされる! これは某海賊の外科医さんじゃないので、確実に死ぬ方の解剖ですね!』などとヒソカの楽しそうな視線の意味を、悪い意味で正確に受信していた。ヒソカの耳から離れた指先は、変に空中で留まっている。
「……で、なにをしてるのかしら」
「……スキンシップだよ」
 涼やかな女性の、呆れたようなため息つきの突っ込みと、ヒソカの語尾にハートをつけた可愛らしい返答。
 思わず顔を向けたがみたのは、片手で頭を押さえた胸元が相変わらず大胆なパクノダ。
 は彼女から後光をみた。女神だと思った。ヒソカの腕の中だというのに、全身虚脱する程度には安堵した。
「おっと」
 それはさすがのヒソカも予想外だったのか、少しだけ驚いたような声で抱きなおされる。少しだけ目が見開かれて、声にヒソカの顔を見上げていたはうっかり目撃してしまった。ちょっと驚いた声と表情が、ちょっと可愛かったと見つめてしまう。あ、良いもん見たと反射的に儲けた気分になる。数秒前までその男にいやんな場所を触られていたにもかかわらず。
 のオーラが、一瞬ふわんと柔らかく丸く膨らんで、ヒソカの頬をや目尻を撫でた。ヒソカもの顔を見るが、は脱力した体でヒソカを見上げて、少しだけ嬉しそうに笑っていた。ヒソカも、少しだけ毒気を抜かれる。
 キミ、さっきまでなにされてたか覚えてるのかい? 呆れた気持ちとともに吐き出そうとした言葉は、パクノダのため息で引っ込んだ。
「とりあえず、クロロが呼んでるから……は怪我してるのね? 癪だけどヒソカ、そのままをつれてきてくれる?」
「いいよ」
「いきなり機嫌よくならないで。、説明はノブナガからさせるから」
『え、あの?』
 が気がついたときには、パクノダは既に背中を向けていてヒソカも歩き出していた。自分の名前とノブナガの名前、あとそういえばクロロの名前も聞こえたのは分かったが、単語を拾い損ねた頭は文章を構成できないで居た。ヒソカは漫画ならハートの吹き出しを出してるほど、ご機嫌そうに見えるニコニコ笑顔で歩いている。怖い。
 いつのまにか自分の足からなくなった履物は、きっとその場に放置されているのだろうと辺りを見回す
 あっという間に見覚えのある広めの一室にたどり着いた三人は、部屋に入るなり散開する。ものの見事な散開。
 パクノダが音もなく自らの右数メートル先へに立ち、ヒソカがを放り投げて天井に飛び上がるような動作を見せて前方へと跳び、放り投げられたは放り投げられたと気づくまもなくノブナガの腕の中に居た。
『え』
 自分を抱き上げてる人間が瞬きの間に入れ替わったことに驚くが、誰も何も言わない。当たり前のようにパクノダは前方のクロロへと歩を進めるし、ヒソカは跳んだ先でシャルナークから投げられた石つぶてを避けるためにその場で足を止めた。は瞬きを三回した。ノブナガはの額に口付けた。シャルナークはそんなノブナガにも石つぶを投げて、ノブナガはクロロの傍にを抱えたまま跳躍した。
『え』
 なにもかもあっという間に過ぎ去ったとしか思えないは、同じ言葉を口にするしか出来なかった。
「積極的だな、ノブナガ」
「ヒソカてめぇ死ね。殺す」
「クククッ。ひどいなぁ、いきなりなんだい?」
 クロロのセリフを無視して、ヒソカに睨みを飛ばすノブナガの米神には血管が浮いていた。が、それを嬉しい楽しいと思いこそすれ、怯むヒソカではなかった。暖簾に腕押しぬかに釘。盛大な舌打ちをしたノブナガは、腕の中のが(どうかツバは掛かりませんように)と、会話内容は分からないまでも目を瞑って祈っていることには気づかなかった。

 しばし、喧々囂々と言う雰囲気ではないにしても、ノブナガとヒソカとシャルナークが険悪な雰囲気で言葉を交わし、それにパクノダが突っ込み(だとは認識した)、クロロが楽しそうに笑うという時間が続いた。は聞き取ろうとノブナガの腕の中で大人しくしていたのだが、そのうちヒソカに触られたデリケート部分がむず痒いような気になってきて集中力が続かず、結局彼らがなにを話し合っているか詳しくは理解できなかった。
 自分の名前がたびたび出ていることと、なんだか聞いた端から脳内で言葉に変換する前に消されていく言葉があるのは分かっていた。
 自分の意思でその言葉が消されていくのではなく、当たり前のようにその言葉の意味を理解する前に消されていくのだ。
 背筋がゾッとする。いきなりシルクハットから光が溢れてきて、隠されてきた記憶が出てきたときのような、得体の知れない感覚が、当たり前のように自分の脳みそをいじくっていると自覚してしまう。しかも、これまでもそれは行われていたかのように、感覚に違和感がない。
 何度知らないうちに消されていたのだろう。どんな言葉が「存在しない」ことになっていたのだろう。思い出すことも出来ず、記憶に残すことも出来ていないのだろうと、にもすぐに分かる。恐ろしい想像は止まらなかった。その想像は、確実に現実に近しいものだと感覚で分かっていたから。
 そんなの不安や悪寒や恐怖は、触れているノブナガにつぶさに伝えられていた。目に見えるオーラの独特の動きと、移り変わる色彩。それがなくとも、の顔色や虚ろになっていく目の光でも理解は出来ただろう。
。……
 シャルナークとヒソカの口論が過熱しているのを良いことに、ノブナガはを揺すって正気に戻そうと名前を繰り返す。抱きなおして顔を寄せて名前を呼べば、ぼんやりと戻ってきたの正気にノブナガの表情も緩む。
『このうるさい中、寝てたのか?』
 からかうような口調に青白い顔色でも、はゆっくりと口を笑みの形にする。その頭の中には、ノブナガが今思い出しているような数時間前に交わした気恥ずかしい出来事などなく、自分の脳みそが勝手に弄られている事実第二弾にただただ耐えていた。
 だからこそ、笑っては自分の心情を隠そうとする。
 オーラがすべて駄々漏れにさせていることも理解しておらず、そのぎこちない演技もひどいものだと分かっていないが故の、馬鹿馬鹿しい対応。だというのに、ノブナガはそんなの対応が可愛いとすら思えた。こんな境遇にした、の居候先の男女二組をどんな風して苦しめて殺してやろうかと笑顔の下で考えるほどには。
 実際に怖い思いをさせる直接のきっかけは幻影旅団である自分たちであると言うことは、ノブナガの脳裏にはない。すべて居候先のサテラの両親たちの所為であると思っている。都合の良い考えではあるが、ノブナガや他の幻影旅団にとっては当たり前の事実だった。自分たちは、を解放してやるだけ善人だとすら思っている。
 そう、を解放してやる、そのついでに自分たちは財宝を頂く。
 クロロが笑いを収めて、ゆっくりとへと視線を向けた。

「……わたし?」
 がぼんやりとクロロに視線を向ける。クロロはの目が、完全なる正気に戻ってないことも承知のうえで、にっこりと好青年然とした笑みを浮かべた。
シルクハットを持ってきた」
 には聞こえなかった。何も聞こえなかった。脳内がノイズも走らせずに消していく。けれどクロロは怯えるの様子が分かっていながら、笑みを浮かべたまま続ける。
「触れ。今度は確実に開け」
「わたし」
「触れ。開けろ。」
「わたし」
番人のお前が開け」
「……」
俺たちは鍵を持っている

 ノイズが走った。
 は自分が金切り声を上げたと思った。絹を裂くような耳障りに高く、伸びる悲鳴を上げたと思った。
 けれど、は口すら開けていなかった。頭を抱えたと思った両腕は、大人しくノブナガを掴んでいた。目の前に黒い物体がある。これはなんだろうと思う。それを手入れしている自分がいた。そうだ、これは自分が手入れしなければいけないもの。手入れすることが契約。殺されても殺しても私が手入れをしなければ。いけない。秘密。ひみつ。あばく。試練。段階。間違えれば。手入れを。これは私がまもるもの。

「…………」

 誰かが何かを言っている。

「…………」

 それは正しい手順を踏んでいる。

「…………」

 けれど、また、番人を殺す試練がくる

「【あなたに ひとつ の しつもん を】」
「【しんじつを はなす かくご は あります か】」

 クロロが笑う。

「【もちろん、愛しい人】」

 クロロの片手がの心臓を狙って、勢いよく伸ばされる。まるで漫画でも見た、キルアが囚人から心臓をもいだときのように美しい手の形。
 その造詣と美しさに見ほれ、言葉は合ってるのに殺意を押さえ切れなかったのかを狙うクロロに泣きたくなる。ここでクロロは軽くとも半死半生になってしまう。悪ければ、幻影旅団の団長といえど死んでしまう。今度はシャルナークが止めてくれる気配もない。
 は瞼を伏せた。
 けれど衝撃も、クロロのこもった悲鳴も聞こえず、不思議に思って瞼を開けば見えたもの。
「さて、戦闘といこうか」
 シルクハットから出てきた昆虫を模した黄金色の、正真正銘の【番人】と。クロロが刃を交えていた。
「おっかしーと思ったんだ。みたいに弱っちい女に番人やらせるなんてさ。いくら都合の良い人間だって、役者不足もいいとこだろ」
「わざと目に見える番人に危害を加えさせ、本来の番人が討ち取るというのは単純だが、古典的で一定の効果が認められる」
「それでもさー。わざと怖がらせて、本来の番人がその分強化されるとか信じたくないんだけど」
「ゲームでは良くあるんだろう? この場合は、の恐怖や死にたくないという意思が、本来の番人の強化剤。だからこそ、表の番人になるには条件がある」
「納得いかないんだけど。に怖い思いさせるのも意味わかんないし。本来の番人はただの虫だし」
「メッキじゃなければ売れるだろう。黄金だしな」
「あ、しかもぞろぞろ出てきた。、重たくないー?」
 楽しそう、笑うクロロと、シャルナーク。
 季語なし。
『いやいやいやいや』
、重たくないかってよ』
『虫いっぱい出てきてるよ!? 人間サイズになった二足歩行の黄金色の虫が山ほど出てきてるんだよ!? 武器持ってるんだよ!? キメラアントが何十話も早く出てきてる状態なのにあの二人の余裕なに!? なんなんですか私がおかしいのかどうなんだ!?』
、落ち着け。団長たちだぞ』
『重くないっちゅー話やけども!! シルクハットこの後は放って良いから放っちゃうけども!! さっきまでの私のシリアス返せ! というかヒソカさんさりげなく参加してんじゃないっすわ!!』
「重くないし、この後はシルクハット触ってなくていいってよ。んでもってヒソカは死ねってよ」
「ヒドイなぁ。絶対言ってないだろう?」
 は混乱していた。部屋を埋め尽くす勢いで、シルクハットからぞろぞろ人間サイズの虫が出てくるのもそうだが、旅団面子が全員笑顔でに対して友好的。しかもきちんと虫退治中。

 罠に掛かってたんじゃなかったんですか!?

 混乱するをよそに、あっさり虫を退治したクロロたちは、ボス虫を踏んづけて捕まえて、首だけにしたその虫になにやら話しかけていた。うへぇなとど言いながらしかめっ面をするシャルナークも、ポーズだというのが分かる。でもにはグロイ光景なのだが、頭の中に潜んでいた記憶が次の手順を思い出していて、吐き気まではいかなかった。現実味がないのもある。血液のような殺害の香りもしないのが大きい。
「【よくぞ たどりついた】」
 番人の首と、のセリフがシンクロする。
 その後、死の罰ゲームありのパズルゲームやらカードバトルっぽいものがあったのだが、は原作ジャンル違いだと思うまもなくクリアしていく旅団面子に呆けるしかなかった。

 金銀財宝はもとより、失われた民族の遺物や蔵書が山ほど手に入ったクロロたちの満面の笑みに、はノブナガの膝枕の上ですっかりふてくされていた。数時間にも及ぶ悩みだとか苦悩だとか恐怖とかが馬鹿馬鹿しいほどあっさりだった彼らの実力に、自分が居候させてもらっていた本当の理由もあっさりなくなって、途方にくれた上での不貞寝だった。
、すげぇぞ。なんか首飾りとかいるか?』
『あんなごついもん、着けられますか』
『ああ、ばばあ用だな。んじゃ、あの細身のはどうだ?』
「こういうのが似合うんじゃないかい?」
「ヒソカ近づくな止めろ消えろ死ね」
「シャル、落ち着けヒソカ死ね」
「保護者二人はひどいなぁ」
、とりあえずノブナガの膝から起きなさい。もう大丈夫よ?」
「ああ、この本はいいな。、よくやった」
 誰がなにを話しかけてきても、は拗ねていた。不貞腐れていた。もう自分の存在価値がないことを知っていて、最後に甘えようと不貞腐れていた。
 もういいよ、どうせあと数時間で飽きられて殺されるか捨てられるかするんだし? 良かった虫が本来の虫の体液とか人間と同じ赤い血とか流さなくて。あの匂いダメなんだよね! しかも闇の罰ゲームとか同じジャンプでもジャンル違いすぎだろ王様も社長も盗賊もこの場に居ないのに発動するなよ馬鹿野郎この野郎このトリップ特典ただの死亡フラグオンリーじゃねぇか!!
 一人一人が何か言うたび、の頭を撫でて笑うのだが、はぶつぶつ早口でノブナガの膝の上で拗ねて起きようとしなかった。ぐりぐりノブナガの腹に自分の額を押し付けて、オーラを小さな竜巻(質感は粘っこい)にして複数発生させてみたり、カマイタチのように触る人達の手を弾いたり(怪我はしない)と徹底的に外界と自分の意識を遮断していた。
 ノブナガはそんなあからさまに拗ねるの態度にご満悦。ぐりぐりとの頭を撫でるが、この数時間後にはノブナガたちに殺されるか捨てられてのたれ死ぬ未来しか見えないは機嫌を直さない。
 ここまで来たら彼らが≪が漫画で知っている、本物の≫幻影旅団だと理解して納得して咀嚼してしまわねばならないのだとわかって。
『わたしどうせしぬし』
 思わずつぶやく。小さく、拗ねたようにノブナガの腹に自分の額をこすりつける。
『死ぬのかよ』
『別にシルクハット関係じゃないですけど、たぶんこれ死にます』
『なんでだよ』
 不思議そうに、顔を見上げればきょとんとしたおっさんの可愛い顔が見えて、は一瞬笑いかけて眉間にぎゅっとしわを寄せた。それを見てノブナガが噴き出したので、はもう一度ノブナガの腹に額をこすりつけて摩擦熱を起こしてやる。熱いあちぃ! と笑いながらの悲鳴が上がるが無視した。
 このまま気を失ったら楽かなとか考えながら、は後ろで楽しそうに騒いでいるメンバーの声に耳を澄ませていた。


『……フィンクスさん、そういえばいませんね』
『……』
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