"裂織り"についてちょつとだけお話しましょう。いまでは,この言葉は染色や織物をする人、
 また古い布が、好きな人以外にとっては『死語』に近いものがあります。
 でも,日本がこんなに近代化が進み,社会が高度成長を遂げる,昭和30年頃以前には、どこにいっ
ても普段にみかけるような織物の種類でした。
 今の社会のようになんでも使い捨て、スーパー、百均に行けばなんでも揃う、という時代と違い,物
を大切にした時代、布も大切に扱われました。それは,特に女性の手で一筋一筋織り上げられてい

ましたから、最後の一片までおろそかにすることなどできなかったのです
 糸がほどけたり、繰り返し洗濯し薄くなり、もうこれ以上使用に耐えなくなった布は、集めてほどき
1cmくらいの幅に裂き、織り糸に使用します。その糸を柱にして横【緯】糸に使います。縦【経】糸に
には、ふつうの木綿糸なんかが、使われました。でき上がった生地が厚手で、とても丈夫ですので、
一番多く見られるのは帯に利用されたものです。その外、敷き布(カーペット)や冬場の、普段着、
野良着、なんかが多く見られます。
(一般的に,東北地方のものと言われていますが,それは初期に書かれた著作からの引用で
す。”裂織り”は、始めに書きましたように日本全国で、広く見られる普通の織物の種類です)


三崎裂織り
 四国から、九州(大分県)に向って針のように長く伸びた半島ー愛媛県佐田岬一帯には、使い古した藍染めの古布などを材料にして、独特の裂織りが製作されていました。
一部の古布好きには、古くからその存在は知られていましたが、一般にはほとんど知られていませんでした。昭和40年頃を,境として急激に消滅し、今”愛媛県歴史文化博物館”などで調査、記録、保存が進められています。
野良着,仕事着,帯などがみられ、右の写真のように裾(すそ)に、白い色が織りこまれている特徴があります。

この紐を,クリックすると裂織
 りの拡大写真が出てきます


 この2つの帯は、地元大分県で収集した当店の保存資料です。上の茶色は、上手で大島,木綿など様ざまな反故布が組み合わされています。薄紫色が、ほんのり織り込まれて女性用なのでしょう。
下は,黒と白の木綿の古布が材料=黒色は、藍色と同様昔の布に豊富に使用されました。絣のような地模様が、すなおでしぶい仕上がりになっています
 上の2点は,"Kei工房"のかなさんが製作した最近の作品です。現代の,若い感覚で古布の裂き織りを創作したものです。
材料は、絹と藍染めの混合です。縦糸は丈夫なように麻糸を使用しました。今は,豊富な色が揃いますので,紫やピンクとか面白いアレンジが楽しめます。技術を、母親から習得しながら,京都の織りの修行に行き腕を磨きました
【CLKで拡大】



裂織りについてもっと知りたいときは
 八田尚子(はった・なおこ)著『裂織の本』が、手ごろでよくまとめてあるほうでしょう。”着る”という日本の衣服史から始まり、東北地方や、主に寒冷地での裂織りの紹介がある。
 付録に手軽にできる裂織り、展示・体験施設などまで付けてある労作の割りに、裂織りそのものに対し,ボロ、襤褸(ぼろ)、しょせん痛んだ布のリサイクルの言葉がひんぱんに出て来るのが惜しまれる。古布、裂織りに愛着があるのであれば、言葉の配慮も必要かと思われる。表紙に使用された赤い地模様の裂織りは、東北地方、秋田県などにみられるマットレスや、コタツ掛けに使用されるもの、この裂織りも廃絶しかけていた


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