110年前、たった10ヶ月滞在しただけなのに,佐伯市民には,忘られぬ人になってしまった
月曜日は,お休みです
城下町佐伯



〒876-0848
大分県佐伯市城下東町9番37号
;0972-22-2866

私が,ご案内いたします
坂本邸 傘にふれる

 佐伯市は,大分県の最南部にあり,これより下(地図上で)には市とつく町はありません。この町に明治26(1893)年,今から約112年前、国木田独歩が、請われてやってきました。DOPPOさんって誰?ってきっと言われそうです。ええ、文学者ですけど明治の方ですし,もうそんなもん知らん、とおっしゃる方がたぶん多いでしょうね。
ですけど、佐伯市に来たときは既に教頭職の肩書きまでつけてもらっていたくらいだったんです。なんでたった10ヶ月で、佐伯からいなくなったかといいますと、実はです・・・・(内緒の話なんですが)この方お顔に似合わず結構過激な行動派の方でして,せっかくの就職口の佐伯の学校から、お前なんかおらんでも結構と、おん出されてしまったんですよ。その時、独歩わずかに22歳、当時の佐伯の人口も、5000人ほどの町でした。

座敷からみる和風庭園 独歩が愛用したという
     文机が右端に見える 昔の佐伯の写真集
 DOPPOさんは、「武蔵野」という有名な作品を残し,37歳というはかなくも短い一生を終えました・・・といった紹介では、あんまりです。
 写してきた写真をご覧下さい。この日本家屋は、坂本さんという方がつい最近まで自宅として使用していました。建築は幕末とのことで、もう150年近く経ったものです。佐伯市がそれを独歩館として整備していますから、 日本建築や、日本家屋の設計に興味のある方とっては、参考になるものでしょう。それにもまして”若葉のころ”とつい言葉が出るほどのこの緑したたる建物に付随した日本庭園の粋は、どう表現したらよいでしょう。県下には、各所に個人 顕彰の博物館や記念館がありますが、この独歩館は、DOPPOさんの業績もさることながら、古い日本建築と庭園美の魅力があります

裏山を借景にした庭園 白壁の土蔵は独歩の関連資料室
になっています 蔵書の展示
 でも、ほんとうのことを言うと、独歩さんは寂しかったんだと思います。早稲田を途中で中退したといっても東京で暮らしていたんですから・・・。当時、鉄道は日豊線なんか影も形もありませんでした。どうやってきたかと言いますと、多分神戸か広島あたりまで汽車で下り、そこから門司とか色んな場所に停泊しながら船で佐伯まできたと思うんです。
星雲の志とは、こんなじゃない!と悩み続けたんじゃないでしょうか。県南に行きますと, ちょっと寂しくなりますからね。だけどそこがいいんです。県南には、今でも日本人が忘れた思い出みたいなものがあるんです。人情にもやさしさがあり、風景にも、ほんとになくしてしまった記憶の断片が、蘇るような不思議な気持ちになってきます。
今回、なんでこのHPを作ろうかと思ったのも、案内のおねーさんのやさしい気持ちに、ついふらっと来てしまいました。訪問客は私以外誰もいませんでした。けれど億劫がったり厭がりもせず、懇切ていねいに説明を続けてくれ、帰りがけには小雨が降り出したので、傘まで貸して見送ってくれました。


奥の間からみえる美しい日本庭園
修復前の坂本邸クリックで拡大

 大分から佐伯市までは、自動車で1時間とちょっとかかります。観光で行っても、 藩制時代の武家屋敷が続く街並み以外これと言って特に みるものはありません。何もない場所に行くというのも、時にはよい小旅行かもしれません。 それが、ほかの観光地にないよさのようにも思えます。山はどこまでも青く、海も青く、 川も清らかに流れています。もうたいがいの観光地巡りにもあき、特にどこに行く 宛てもなくなったといったようなそんな時、佐伯市は、意外な程興味をそそられる場所なのかもしれません
(注;旧海軍の軍港跡や、その関連施設は、あります)

国木田独歩の記念館や、記念碑などを紹介したページは、下のようにたくさんあります。それぞれクリックで見ることができますから、参考にして下さい
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25.JUN.2005