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国民目線の政治家に
昨年、国民の多くが期待して投票した民主党だったが、最近の政情を見るに、何だか裏切られた感がする。 今、一番心配なのは子ども手当てや高校無償化である。一見良い政策のようだが、よく考えてみると所得制限もなく一律支給なので、まさにバラマキ政策と言える。その上、これらに対する財源もないので国債はますます増加し、ギリシャ財政危機の二の舞の心配さえある。 私は毎日のように図書館に通い、地方紙・全国紙に目を通し、特に「声」欄をしかと読んでいる。そこには庶民の哀歓や切なる叫びがあり、共感する。 政治家は、常に国民目線でものを見て、いち早く庶民の気持ちをキャッチし、痛みを知るべきである。自己の利益よりも国民や国、地方の利益を最優先し、大局的・長期的視野で判断のできる人物であるべきだ。政治家の皆さんには、ぜひこのような要件を満たすべく頑張ってもらいたい。(平成22年5月27日大分合同新聞「読者の声」掲載) 「東洋のナポリ」 私はバスで30分ほどの大分県別府市を毎週のように訪れる。俳句や短歌の素材や、ホームページ用の写真にするための風景を求めて旅するのだ。 別府温泉は、源泉数、湧出量ともに日本一を誇る。泉質など特色の異なる温泉を八つに分け、総称して「別府八湯」と呼んでいる。 温泉だけでなく、景観も素晴らしい。湾に臨み、山の斜面に旅館などが林立する景色や夜景がイタリアの都市ナポリに似ているということで、「東洋のナポリ」と呼ばれていた。四季折々の自然や風情ある湯煙の風景に、訪れる人はだれも心癒やされるだろう。(平成22年5月1日讀賣新聞「気流」掲載) 「品格」失われる社会 最近、品格の疑われる人が多くなったように感じる。街を歩いてもバスや列車に乗っても、服装や言葉の乱れた人に出会うことがしばしばある。
昔から日本人は、たとえ貧しくとも気高い精神と品位を保つべく心掛けてきた。今や古き良き慣習が失われ、品格のない社会へと変わりつつあるのは誠に残念だ。 こうなった原因の一つに、テレビの影響が大きいように感じる。教養的な番組よりも超娯楽的なものの方が多く、演じる出演者の言動に起因することも考えられる。番組作成者は、品格に配慮した内容を常に心がけるべきだ。 いまひとつは教育、特に家庭教育が十分なされていない感がある。子は親の後ろ姿を見て育つという。親は自分の言動に心して、子の鏡であるべきだ。国民こぞって、服装や言葉遣いなどに気を付け、真に品格のある社会になることを心から願っている。(平成22年4月24日大分合同新聞「読者の声」掲載) 「おとうと」見て感動 本紙によると、ベルリン映画祭で閉幕作品として上映された「おとうと」の山田洋次監督に、特別功労賞「ベルリナーレ・カメラ賞」が贈られたそうである。
過日、私もこの作品を見て大変感動を覚えた。この映画は、賢く優しい姉と、破天荒で自由気ままに振舞う弟の、再会と別れの物語である。その姉弟愛に、あふれる涙を止めることができなかった。 今の日本社会は家族のきずなが非常に希薄になっているように感じる。家族間の殺人さえある世の中だ。そういうイメージの中、このドラマを見て、姉が問題児の弟に、よくあそこまで優しい手を差し伸べられるものだと感心した。病める現代社会において一条の光明を見出したような気持ちになった。 家族のきずなの大切さを描いたこの映画は、現代を生きる家族にとって、きっと明るく愛のある家庭や社会をもたらすであろう。(平成22年2月26日大分合同新聞「読者の声」掲載) いま最も大切なのは家庭教育 最近の世情を見るに、車や携帯電話、テレビなどのお蔭で便利で楽しい世の中になった観がある。しかし、良い面だけではなく悪い面も併せ持っていることも否めない。むしろ悪くなった方が多いと言っても過言ではあるまい。 私は現在、車の免許を返上し、携帯電話はいまだに持っていない。また、くだらないテレビ番組は努めて見ないようにしている。 いま最も大切なのは家庭教育だと思う。子は親の後姿を見て育つ。親は子の鏡であるべきだ。家庭教育で最も気をつけなくてはならないのは次の点ではなかろうか。 1、「長幼の序」を守り、礼節を重んじる。2、善悪の判断が正しくできる。3、正しい言葉づかいができる。4、くだらないテレビ番組は見せない、携帯電話は使わせない。5、新聞や読書の習慣づけをし、知的好奇心や考える力を付けさせる。6、温かく思いやりのある人間に育てる。 このように家庭教育を大切にして、一人でも多くの明るく良い子の育つことを願う。 富裕層増税や庶民減税を検討して 今や、日本を始め世界中に不況の嵐が吹き荒れている。少しでも需要を増やそうと、デパートやスーパーは言うに及ばず、普通の商店でさえ値下げの傾向にある。また、円高のせいで海外旅行も値下げの傾向にある。一見ありがたいようだが、果たしてこれでよいのかと心 配でもある。 購買力が落ち込み、物が溢れているから値下げをせざるを得ないし、また、円高のせいで輸出も伸び悩んでいる。そうなると商品を生産している企業で働く人々の賃金に影響が出るだろう。給料が下がったり失業者が生まれたりする可能性もある。さらには倒産の恐れさえあり、景気はますます悪化する。まさにデフレスパイラルである。 この際、鳩山新政権が「友愛」の精神を大いに発揮して、庶民のことを真剣に考え景気回復に努めてもらいたい。諸外国では、富裕層増税や庶民減税などが実施、あるいは検討されていると聞く。わが国でも富裕層増税や庶民減税などの実施を考慮したらしたどうだろうか。きっと需要全体を押し上げ、景気回復の効果が期待できると思う。(平成22年1月30日朝日新聞「声」掲載) 国民目線で真剣に考え行動する政治家 戦前、地方議員は土地の名士や資産家がつとめる「名誉職」で無報酬(実費弁償のみ) だった。戦後、だれでも議員になれるようになって報酬が出るようになった。 ゆえに、かつては井戸と塀しか残らないほど、私財をなげうって政治活動に尽力する「井戸塀政治家」と呼ばれる人がいたが、今では皆無といってよいだろう。 実母から12億円もの巨額資金の提供を受けた鳩山由紀夫首相や「不動産は先生の趣味だ」と言われる小沢幹事長など富裕層の政治家には、恐らく庶民の痛みは分からないだろう。 昨春、名古屋市長に選ばれた古紙回収業者の息子河村たかし氏の言動を見て、この人こそ「井戸塀」に近いと感じた。市長選の際、市長給与年2,578万円を約3分の1の800万円にすると言っていたが、その通り800万円程度と聞く。まさに言行一致の政治家である。昨年末には、市民のために市民税10%減税をなし遂げた。 このように常に国民目線で、庶民のことを真剣に考えて行動する政治家こそ適任ではなかろうか。 温かさをくれた「釣りバカ日誌ファイナル」に感謝 この程、山田洋次監督の国民的人気最終章作品「釣りバカ日誌ファイナル」を見て感動を覚えた。 映画は、いつも時代の波に乗った内容に編集されている。今や不況最中、鈴木建設も御多分にもれず、業績悪化の一途をたどっていた。そこで会長のスーさんこと鈴木一之助は無期限の給料全額返還を実行する。この会長の姿勢に経営者としての愛社精神を見た。 一方、万年ヒラ社員で破天荒なハマちゃんこと浜崎伝助は、この際、何とか会社の力になりたいと釣りの人脈から、大きな受注に成功し会社に多大な貢献をする。そのご褒美として休暇を貰い、スーさんと一緒に北海道へ行き渓流釣りを楽しむ。何といってもハマちゃんの良いところは、いつも自分をバカにして人を笑わせるところにある。また、妻のみち子さんをこよなく愛している。片や、みち子さんは、良妻の見本のようにさえ思えた。 国民的人気シリーズが幕を閉じるのは実に残念だが、ほのぼのとした温かさを与えてくれたことに感謝している。 勇気と示唆を与えてくれる坂の上の雲 昨年末からNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放映が始まった。 司馬遼太郎は、映像化しないほうがいいと考えていたようだ。その理由を義弟が、「それは日露戦争を取り上げているために、映像化すれば、どうしても戦争シーンが目立ったり強調されたりしかねない。活字で表現した意図と違ったものになりかねない、という危惧ではないか」(NHK出版「坂の上の雲」)と述べている。だが、NHKの企画意図には、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いないとあり、まさに現代の日本人に勇気と示唆を与えてくれるドラマである。 巷では、「坂の上の雲放映弾劾」とか「憲法9条に反する」「戦意高揚」「ナショナリズムの高揚」等いろいろ意見があるようだ。言論の自由だからいろんな意見があってもよいが、どう受け止めるかはこちらの自由だ。 江戸時代から西欧型へと革新せざるを得なかった明治時代を知るという意味でも大いに意義がある。 程よく酒を嗜む 「人生酒ありて楽し」である。酒は、悲しい時も楽しい時もよい。
川中美幸の歌「生きてゆくのが つらい日は おまえと酒が あればいい」で始まる「ふたり酒」が好きだ。まさに自分の人生のように思えて慰められ、元気づけられもす。また、明日から頑張ろうという気持ちにもなる。
若い頃から晩酌を欠かさなかったが、74歳の今でも嗜んでいる。酒を控える「休肝日」を週2日設けることは肝臓を休ませるうえで良いことは十分解っているのだが、目の前の肴を見るとなかなかできない日があるのも事実である。 酒について書いたのを機に、これからは程よく酒を嗜み、残りの人生を妻と健康でできるだけ長く楽しみたいものだ。 バランスのとれた政策を このたび、政権交代した鳩山由紀夫首相率いる民主党は「友愛」を旨とし「やや大きな政府」を推進し、社会的弱者と地球環境に配慮した国づくりを目指しているように感じる。 これまでの自民党は、国民の貴重な税金の多くをダムや高速自動車道等公共事業に使ってきたが、中には無駄もあったかもしれない。今回、民主党は、これを見直し「コンクリートから人へ」と大きく方針を転換した。 「コンクリートから人へ」の政策には良い面と悪い面が同居する。社会的弱者にとっては有難いことであろう。しかし、コンクリートに税金を使わないということは、公共事業を無くすことを意味する。まず、今までダムや高速自動車道等公共事業の建設工事に携わってきた人々が失業の危機にさらされることになる。次に、ダムや高速自動車道の完成を期待し楽しみにしていた人々を失望させ不便を強いることになる。 民主党は、マニュフェストに載せたからといって、やみくもにダムや高速自動車道等公共事業を中止すべきではない。地元住民の「声」を真剣に聞き本当に必要かどうかを真摯に考慮すべきである。さらに多面的に検討しバランスのとれた政策をとることが大切である。 弱者と環境に配慮を これまで自民党は「小さな政府」を目指し、さらに市場原理至上主義を採ったので、貧富の格差がますます拡大し社会問題となった。 経済学者・福島清彦氏は自著「ヨーロッパ型資本主義」の中で、「欧州連合が目指すモデルは『社会的な資本主義』で、ゆとりと思いやりの社会、社会的な弱者と地球環境に配慮した国づくりを強調している。この福祉国家路線の資本主義の考え方に共感を覚えた。 このたび、政権交代した鳩山由紀夫首相率いる民主党は「友愛」を旨とし、「やや大きな政府」を推進しているように感じる。ぜひこの際、真に社会的な弱者と地球環境に配慮した国づくりを実行してほしい。 ただし、マニフェスト実行にこだわり、やたらと予算を拡大すると、かえって国民に負担をかけることになるので、その点の配慮も忘れないでほしい。(平成21年11月21日大分合同新聞「読者の声」掲載)
車をやめ公共交通機関の利用を 車なしの生活を始めて25年になるが、私も妻も免許証を返還し、運転することはない。出かけるときはもっぱら歩くか、バスや電車を利用している。車なしの生活を始めたきっかけは、何といってもバスの便が比較的多く、利用しやすい環境だったことである。
車のない不便さよりも、メリットの方が多いように感じる。まず、交通事故の心配がない。次に、歩くことは健康によい。さらに、ガソリン代、税金、保険、車検などが不要で経済的。最後に、二酸化炭素排出による地球温暖化防止に役立つ。
そのためには、バスを利用しやすい環境をつくることが大切である。たとえば、運行本数を増やしたり、利用者の利便を図り、都合のよい場所にバス停を設置するなどの対策が必要になる。多くの人が車をやめ、バスや電車を利用するようになると、交通渋滞や大気汚染も緩和され、バス会社の経営も安定し、サービスの向上につながると思う。(平成21年11月13日朝日新聞「声」掲載) 会話授業担当楽しい思い出 14年前、県立高校の商業科の講師になったときのこと。全校朝礼で新任あいさつをすることになり、思い切って英語でスピーチした。
問題意識持って読む70代の今前任校の養護学校のことを話し、最後は「一緒に勉強できるのを楽しみにしています」と締めた。商業科目の中に英会話の授業もあるので、私は10年間英会話学校で学んでいた。とは言え、その学校で英語を教えるわけではないので、私の英語のあいさつは印象的だったようだ。 それがきっかけで翌年から、外国人のALT(外国語指導助手)と、英会話の授業を担当するようになった。英語での指導は勇気もいったが、慣れると楽しく、良い思い出になった。(平成21年11月8日讀賣新聞「気流」掲載) 毎年、新年度を迎えると高校の教科書の販売が始まるが、終わってから残った教科書を一般の方にも販売する。その時、私は売れ残った国語や日本史・世界史などの教科書をよく吟味して買うようになった。
かつて新聞で、高校生の中で何人か、年度初めに購入した教科書を春休みにすべて読破するという記事を読み感心したことがある。それに引き換え私が高校生だった頃、さほど興味関心を示さなかったことを恥ずかしく感じた。 しかし今やシニアライフ、国語では、文章の書き方やスピーチの仕方、厳選された古文や漢文、随筆や小説、評論、詩、俳句、短歌などに出会うのが楽しみである。 また、日本史や世界史は、温故知新ということわざもあるように、歴史を勉強して現代のことを解釈、理解する上でたいへん役立つ。日本史では、織田信長や豊臣秀吉の時代、幕末の動乱と明治維新、第2次世界大戦、世界史では、イギリスの産業革命、アメリカ独立革命、近代市民社会をもたらしたフランス革命、アジアで最初の共和国を実現した辛亥革命等々に特に関心がある。 70代の今でも教科書は実に面白い。常に知的好奇心と問題意識を持って教科書と取り組み、さらに豊かな知識や感性を育てて行きたく思っている。(平成21年9月29日朝日新聞「声」掲載) ラジオ体操15年夫婦で健康維持 毎朝、夫婦でラジオ体操を続けて15年になる。お陰で大きな病気もせず、元気な日々を送っている。 高齢の夫婦がラジオ体操によって元気を回復したという新聞記事を読んだことがきっかけだった。以来、私たちも見習って始めた。夜10時に就寝、朝は5時に起床する。ごみ出しや庭の掃除をした後、自宅で6時30分から10分間、ラジオから流れるかけ声とピアノのメロディーに合わせて体操に励む。 手足を伸ばしたり、体を曲げたりする効果で、柔軟性が増した。バランス良く歩けるようになり、転ぶこともない。早寝早起きの習慣が身についたことも健康維持に役立っている。 今やラジオ体操は欠かせない日課だ。命ある限り続けたい。(平成21年9月3日讀賣新聞「気流」掲載) 童謡・唱歌で心癒される 隣の団地の公民館に開講されている「童謡・唱歌」教室に通うようになって7年目になる。 そこでは、最初に「春が来た」「夏は来ぬ」「赤とんぼ」「冬景色」等々各シーズンに合った四季の風景を、次に「かたつむり」「夕焼小焼」「汽車」など幼かりし日々のもの、さらに「早春賦」「浜辺の歌」「荒城の月」など美しい日本の調べを中心に歌っている。 よく童謡、唱歌は心の原風景を思い起こさせてくれる癒やしの音楽といわれるが、まさにその通りである。たとえば「故郷」を歌うと、ウサギを追った「かの山」を、また「夏は来ぬ」では早乙女たちが裳裾ぬらして玉苗を植えていた姿をほうふつさせられる。 このように童謡、唱歌を歌うと、子どものころに遊んだ山や川、海などの景色が昨日のことのようによみがえる。 姿勢を正して腹の底から大きな声を出し、童謡、唱歌を歌うことは、私にとって最高の癒しであり喜びである。(平成21年8月28日西日本新聞「こだま」掲載) 2大政党制へ 政権交代を期待 いよいよ衆院選が始まった。先の東京都議選の結果、自民党は歴史的惨敗を喫した。この遠因は郵政民営化を推進すべく「小さな政府」を目指した小泉元首相にあると言っても過言ではあるまい。 国民の多くは郵政民営化に反対していたにもかかわらず、巧みな演出の小泉劇場に踊らされてしまった。その後、政権を引き継いだ安倍、福田、麻生の各内閣も国民の期待には沿いきれなかった。むしろ自民党政権に対する国民の不満や怒りは増幅の一途をたどった観がある。あまりにも国民の心情を軽視した結果であろう。この際、謙虚に反省すべきである。 今や民主党は追い風に乗っており、自民党の劣勢は否めない。民主党にとっては、まさに絶好のチャンスであろう。アメリカでは共和党と民主党の2大政党があり、ほぼ互角に政権をとっている。これを機会に、わが国もアメリカ同様2大政党制となり政権交代を期待するところである。 我々有権者は、各党のマニフェストで「理念・政策」をじっくり吟味し、どの党が現代社会改良に最も相応しいかをよく考えて投票に臨むことが大切である。 歌い続けたい「愛国の花」 目下、私は「童謡・唱歌」の教室に通っているが、時々、福田正夫作詞・古関裕爾作曲の「愛国の花」を歌う。 「真白き富士の気高さを こころの強い楯として ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 地に咲き匂う国の花」 この歌は、母として妻として家庭や国を守り、銃後に励む女性の姿を、桜、梅、椿になぞらえて描いたものである。福田正夫作詞、古関裕而作曲。軍歌の一つかも知れないが、士気を鼓舞する軍歌とは異なり、あくまでも女性を「国の花」と讃えている。確かに当時の女性は、心の強い優しい母、妻として国につくす女性であった。 歌詞や旋律もよく、歌っていて実に「愛国の母」をほうふつさせられる。戦時中、渡辺はま子さんによりよく歌われたが、現代を生きる人々にも、きっと生きる糧や元気が与えられると思う。 いたずらに軍歌を忌み嫌うのではなく、生きる上で役立つものは歌い続けて行きたいものだ。ちなみに、インドネシア初代大統領スカルノもこの歌を好み、自らによるインドネシア語の歌詞もあると聞く。 手みやげは心 子どもの頃から私が他家を訪問する際、母は必ず手みやげを持たせた。 その習慣が自然と身についたのだろう。今でも他家を訪れる時は、必ず何がしかの手みやげを持参することにしている。かつて、同僚の家に友人と2人で招かれた時のことである。手みやげの習慣が自ずと身についていた私は、家から心ばかりの品を持参したが、友人は何も用意していなかったのでとても恐縮していた。他家を訪問するということは、その家の人に時間や接待などで迷惑をかけることになるので、手みやげを持参することは礼儀であると思う。 手みやげは訪問する人の心を表している。ホンの気持ちだけでも持参して喜ばれた時は嬉しいものだ。 見事なハナショウブ 先日、ハナショウブで有名な別府市の鶴見岳南東側山腹にある神楽女湖しょうぶ園を訪れた。紫や青、黄、淡紅、白などのショウブが咲き誇っており、存分に楽しんだ。
地元はもとより、県外からも多くの観光客がバスで押しかけていた。観光バスのガイドが私に、「ここはチョウチョウがたくさんいますね」と言ったことが印象に残った。
バス停からしょうぶ園までの約500メートルの道のりは新緑に覆われ、薫風が漂っている。そこにはチョウチョウが飛び交い、ウグイスやホトトギスも鳴いている。喧騒の都会では決して味わえない風景であり、きっと人々の心を打つのであろう。
花は人の目を楽しませ、心を和ませてくれる。この大自然に囲まれた神楽女湖で色とりどりの3万本の見事なハナショウブを観賞することは、最高の癒やしである。(平成21年7月8日大分合同新聞「読者の声」掲載) マニフェストに国民の声反映を 日本の政治と政党のあり方はこれでよいのかといつも思う。国民の多くは今の政治や政党のあり方に不満を抱いているに違いない。国民の声に真摯に耳を傾けていないと感じられるからだ。 各党は、国民が何を求めているかを調査し、政権公約(マニフェスト)に反映させてほしい。そこでは実現する時期、財源まで具体的に約束すべきだろう。また、不信感のもととなっている企業献金、つまり政治とカネの問題についても、今一度、そのあり方を検討してもいいのではないか。 要は党利党略より国民。そのことを肝に銘じ、堂々と国民のための理念と政策を訴えてほしい。(平成21年6月21日讀賣新聞「気流」掲載) 信念貫く生き方感銘 過日、NHKドラマスペシャルで、激動の昭和を駆け抜けた一人の「侍」、白洲次郎のドラマを見た。本紙の記事でも父・文平が大分県荻村(現竹田市荻町)に住んだことに触れていたので親近感を覚えた。 戦中戦後の激動期に政界の影武者として活躍し、信念を貫いた次郎の生き方には感動の連続だった。 特にGHQ支配下、吉田茂元首相の懐刀として活躍する次郎のダンディズム。その生き方は現代にも十分に通用すると感じた。できることなら、この骨太で信念を貫く生き方を見習いたいものだ。 果たして今の政界に、彼のように良心的で、輝かしい日本の未来を夢見て信念を貫く政治家がいるだろうか。政治家には私利より国民の生活を優先する姿勢がなければならない。8月の最終回が楽しみだ。(平成21年6月7日大分合同新聞「読者の声」掲載) “休肝日貯金”の成功談聞き発奮 職場のOB会に参加した。約300人が集まり、米寿などを迎えた人たちの祝賀も行われた。代表してあいさつに立った88歳の男性の話が印象に残った。
その人は若い頃から毎日、晩酌を欠かさなかった。60歳の時、酒を控えて肝臓を休ませる「休肝日」を週に2日設けると健康にいいと、テレビ番組で知った。しかし、夕食になると、つい飲んでしまう。それで休肝日には貯金箱に200円入れ、福祉関係に寄付しようと誓った。すると酒を控えることができるようになったという。 趣味にしている詩吟で張りのある声を披露し、年齢よりずっと若く見えた。私もこの人にあやかり、休肝日を設けることにした。(平成21年5月28日讀賣新聞「気流」掲載) 熟慮断行した最高裁判決に拍手 最近の最高裁判所の判決内容には目を見張るものを感じている。 まず、痴漢容疑の大学教授を一、二審で実刑とした判決を逆転無罪とした。また、殺人の時効が成立しているにも拘わらず、民事で遺族への賠償を確定した。更に、「体罰」に関する損害賠償訴訟で、一、二審を棄却し、児童側敗訴の逆転判決をした。 実際には痴漢行為をしていないにも拘わらず、容疑をかけられた教授の気持ちはいかばかりであったろうか。また、たとえ殺人の時効が成立しても、遺族の気持ちには耐え難いものがあった筈だ。最後の体罰にしても、実際には体罰を振るってないにも拘わらず、嫌疑をかけられたのは不本意であった筈だ。 このように無実の人や被害者に熟慮断行した今回の最高裁判決に拍手を送りたい。いよいよ裁判員制度がスタートしたが、裁判に携わる全ての方々はこのことを十分肝に銘じてほしい。 われわれ消費者に安全と安心を与えて マスコミ報道によると、消費者庁は今秋にも発足する見通しである。安心して消費生活ができるようになると期待している。 最近、食品の偽装や欠陥、詐欺等が横行するようになった。たとえば、食品の原産地を偽る、不良品を使って食品を作る、インターネットで無料のサイトしか見てないにも拘わらず納得の行かない金額を要求する、また、子どもと偽って親に哀れみを感じさせ不当な金額を要求する。等々。 故にわれわれ消費者は安心して物を買うことやインターネットでサイトを見る、電話に出ることさえためらわれるようになった。 現在、地方都市にも消費生活センターが設けられ窓口が開かれている。消費者行政に当たる方は、業界や社会に対してモラルを喚起し、食品偽装や悪徳商法、詐欺など決して起こらないよう努め、われわれ消費者に安全と安心を与えていただきたい 消費税率引き上げに関して納得のいく説明を このところ、消費税率の引き上げに関して賛否両論が相次いでいる。 資本主義では競争原理が働くゆえ、どうしても貧富の差が生じる。言わば消費税は社会的・経済的弱者救済の目的で誕生したと言える。ヨーロッパでは付加価値税と呼ばれており税率も結構高いが、生活必需品等に関しては軽減税率が適用されていると聞く。 年金や医療、介護等々福祉国家を目指すわが国にとっても、社会保障費の財源確保は重要な課題である。しかし、消費税率を一律に課すのは一見平等のように見えるが決してそうではない。経済的弱者のために、ヨーロッパ諸国を見習い食料品などの生活必需品は軽減税率を課すべきだと考える。 政府は、この際、消費税率引き上げに関して国民に十分納得のいくよう説明すべきである。 社会保障制度充実を 19日付朝刊の「東西南北」に、「格差社会」のことが詳しく述べられていたが、まったくその通りである。 学生時代から、市場原理の働く「資本主義」と計画経済の「社会主義」のいずれが経済体制として優れているか考え、理想卿を目指してきた。しかし、結果として社会主義は挫折した。 かつてアダム・スミスが「国富論」の中で「見えざる手」を説いた。よく考えてみると、目には見えないが、世の中は何か大きな力によって導かれ、調和が取れているように感じられる。そう考えると、資本主義こそ自然の摂理にかなった体制ではなかろうかと思うようになった。そこで、これを基盤としながら、その欠陥を修正しつつ福祉国家へと近づけていくのが最良の策と考える。 市場原理至上主義では格差は広がる一方だ。わが国も北欧諸国の高福祉政策を見習うべきである。そして社会保障制度を充実させ、国民に安心と安定を与えることこそ最も大切である。(平成21年4月26日大分合同新聞「読者の声」掲載) よみがえる青春時代 舟木一夫コンサート2009を、いいちこグランシアタで聴いたが、その感激を忘れたくない。観客は、圧倒的に還暦前後の女性が多くを占めていた。私は少ない男性の一人だったが、とりわけ彼の歌に引かれていたので、聴きに行った。
舟木一夫さんの曲は、「高校三年生」をはじめとして「修学旅行」「学園広場」「君たちがいて僕がいた」「花咲く乙女たち」等々、たくさんある。彼の歌を聴いていると、自分の青春時代をほうふつさせられる。 わけてもワルツ調のしっとりとした「学園広場」を聴くと、50数年前の高校時代にタイムスリップしてしまう。共に語り合い歌った友のことや、セーラー服のよく似合う片恋の子と初めて手を取りフォークダンスをしたことなど、胸に込みあげてきて思わず涙ぐんでしまった。
年を取っても、やはり若いころに歌った歌を聴くと、もう一度青春がよみがえったような気分になるものだ。(平成21年3月24日大分合同新聞「読者の声」掲載) 規範のある人間を育てる教育こそ大切 最近の世情を見るに、理由なき殺人や無差別殺人、いじめや自殺、各種詐欺、贈賄、脱税、汚職等々信じ難く忌まわしい事件が毎日のように目に入ってくる。 何ゆえにこのような社会になったのだろうか。第2次世界大戦を境に戦後日本の教育のあり方に大きな原因があるように思う。 終戦までは修身教育で、父母への孝養や夫婦の調和、兄弟愛等々規範のある教育がなされていた。ところが、戦後は民主主義を核とし、自由や平等を尊重する教育がされるようになったが、自由や平等の真意をはき違え、身勝手な行動をとる人間を生み出す結果となった。 今の乱れた世の中を正すには、人間の正しいあり方や生き方を教示している論語や儒教、仏教等々を参考に規範のある人間を育てる教育を施すことが最も大切である。 人の心打つ文章考える至福の時 脳の活性化のためには、読み書きが一番効果があると思う。知らないことを知るのが読書の楽しみだが、さらに自分の思いと同じことが書かれていると、わが意を得たりとうれしくなる。 一方、文章を書くことは自己表現だ。どう書けば、人の心に響き、共感が得られるのか考えるが、なかなか難しい。上達するには、お手本になる名文をたくさん読まなければならない。 題材を求めて毎日のように図書館に通い、新聞や雑誌に目を通してメモをとる。書き終えた文章を何度も声に出して読んでは推敲している。常に知的好奇心と問題意識を持ち、人の心を打つ文章を書きたい。そんなことを一生懸命考えている時が至福と感じる。(平成21年3月18日讀賣新聞「気流」掲載) いなくなった井戸塀政治家 かつては、井戸と塀しか残らないほど、私財をなげうって政治活動に尽力する「井戸塀政治家」と呼ばれる人たちがいた。果たして今、そんな政治家がいるだろうか。 選挙の際には有権者に頭を下げるものの、当選すると有権者そっちのけで、名誉と富を手にしたことを喜んでいるような政治家が多い。 だから、子供にも後を継がせようとするのだろうか。一体誰のために政治をしているのか、と首をひねりたくなる時がある。 政治家を志す人は、誠実で、私利より国民の生活を優先する姿勢がなければならない。(平成21年2月15日讀賣新聞「気流」掲載) 「英語で授業」健闘を このほど公表された高校の新学習指導要領案には、「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と、明記されている。 退職した年の9月から、大分商業高校商業科の講師として手伝うことになった時のことである。全校朝礼で新任あいさつをすることになり、思い切って英語であいさつをした。 あいさつは意外性もあり、インパクトがあったようだ。当時、既に国際経済科も設置されており、英語を解する生徒もかなりいた。カナダからの交換留学の女子生徒が「Wonderful! Wonderful!」と言ってくれた時は、とりわけうれしかった。 以前から英会話に関心があったので、会話学校に通っていたのが役立った。翌年からALT(外国語指導助手)と一緒に、英会話の授業を担当するようになった。英語を駆使して指導するのは、会話力アップには最善の策である。最初は勇気がいるが、慣れてくると楽しくなる。現場の先生方のご健闘を祈る。(平成21年1月15日大分合同新聞「読者の声」掲載) 同級生との交流は宝 高校卒業以来50有余年が経つ。以前は、何人かの同級生と、たまに葉書や手紙、電話などで交流するくらいだった。 今や情報化、パソコン全盛の時代となった。電子メールの一斉送信機能を利用し、多くの人とほぼ毎日のようにメーリングを楽しむ時世である。情緒としては手書きの手紙が一番だが、利便性と迅速性ではインターネットに勝るものはない。 数年前から、われわれ同級生(男性5人、女性2人)も、「さくら会」と名付けてメーリングを楽しむようになった。第二の故郷・椎田をはじめ、広島、名古屋、東京、遠くはカナダなど。お互い来し方やシニアライフ、配偶者、子、孫、クラスメイトの消息、クラスメイトとの恋物語、健康、趣味、同級会の件等々いろいろと情報交換を楽しんでいる。たまに、テレビや新聞を見ては、最近の政治、経済、社会、教育等に関して時事放談を楽しむこともある。 このように気のおけない同級生との交流はまさに掛け替えのない宝である。 「漢字博士」は楽しい 毎週土曜日、本紙夕刊の「漢字博士」で、漢字の読みや書き取り、意味などを試すのが楽しみである。漢字の読み書きが正確にできる人を見ると、教養のある人だという印象を持つ。
漢字を分析してみると、基本的には一字ごとに意味を持っていることが分かる。例えば、女が良いから「娘」であり、女が家を守るから「嫁」であり、心がないから「忙しい」等々興味津々である。 昔から「読み書きそろばん」が教育の基礎といわれてきた。しかし、今やパソコンや携帯電話で簡単に変換できるので、これらがおろそかになった。私は常に国語辞書を傍らに置いて、分からない漢字などがあるときは必ず引くように心掛けている。
日本語を正しく読む、書く、話す力を身につけることこそ最も大切である。(平成20年12月13日大分合同新聞「読者の声」掲載) 感動した二つの言葉 過日、本紙の「郷土の本」欄に俳誌「蕗」(9月号)が紹介され、主宰・倉田紘文氏の「身の丈の慈悲の心の涼しけれ」という俳句が載っていた。これを読んで私は思わず感動を覚えた。 まず「身の丈」という言葉に引かれた。今の時代、身の丈に余るような生活をしている人が多い中、派手ではなく謙虚に生きる姿勢を好ましく感じた。次に「慈悲の心」に快い気分を覚えた。人を哀れみ慈しむ、情け深い「慈悲の心」に接すると、本当に幸せな気持ちになるものだ。 作者ご自身もそうであろうが、たぶん作者を取り巻く人々の中に「身の丈」や「慈悲の心」を持った方がいらっしゃるのだろう。こういう方に接する時、きっとすがすがしく良い気持ちになられるのだろう。 これを読んだ私は、俳句の素晴らしさは言うまでもないが、特に「身の丈」と「慈悲の心」を心掛けていこうと思った。(平成20年10月14日大分合同新聞「読者の声」掲載) 消費促進のため少しでも値下げ 最近、原油高の影響で食品などの値上げが続いている。私たち年金生活者にとっては深刻な問題だ。 買い物に出かける時は、折り込みチラシを見て、当面必要なものを買うようにしている。店頭で見かけた値下げ品の中に、近いうちに使用するものがあれば購入しておくなど、工夫してやりくりしている。 商品の価格を下げると、消費を促進する。商店は薄利多売を強いられることになるが、結果として景気の回復につながるのではないだろうか。 物価を少しでも下げて需要を増やすことが景気の回復をもたらすと信じている。(平成20年9月21日讀賣新聞「気流」掲載) 「愚直な人生」に誇り 順風満帆とは程遠い人生を歩んできた。かつて高校教師をしていた時、校長より推薦され、教頭試験を受けるようになった。当時も県会議員等、しかるべき人に頼めば有利だといううわさはあった。 私にも「県会議員か誰かに頼んだか。頼んだ方がいいぞ」という話はあったが、誰にも頼まなかった。もとより管理職としての資質のない私は、その任にあらずと、50歳まで受けたが、その後は辞退した。 校長とヒラ教員では、社会からの尊敬の度合いや待遇、収入面等で月とスッポンの差がある。退職後も校長には、比較的良い処遇が待っている。真摯にして実力で校長になった人には敬意を表するが、金やコネで校長になった人は一抹の後ろめたさを感じていることだろう。 社会的地位も名誉も何もない私だが、別に悔いはない。むしろ今では、愚直な人生を貫いた自分を褒めてやりたい気持ちだ。正直者がばかを見る世界であってはならない。(平成20年8月3日大分合同新聞「読者の声」掲載) 定年後の趣味 海外とも交流 毎朝、起床してすぐにインターネットでニュースを読むのが日課だ。
分からないことが出てきたら検索サイトで調べ、時にはゲームを楽しむこともある。 もともとメールやネットサーフィンを楽しんでいた。物足りなくなって、66歳の時にはホームページ(HP)開設にも挑戦、3日かけて完成させた。このHPが取り持つ縁で、北海道から沖縄まで、海外はカナダやハワイ、ブラジルの人たちとネット上の交流を楽しんでいる。 インターネットのおかげで、定年退職後の生活の幅が広がった。いまや私の心強い味方だ。(平成20年7月20日讀賣新聞「気流」掲載) 教育に携わる者自ら襟を正して 大分県の教員採用試験をめぐる汚職事件は地元教育界に大きな衝撃を与えた。小学校の校長らが自分の子供を合格させるため、県教育庁の職員に金品を渡したというのだから、言語道断だ。 かつて教育委員会に勤めていた人から話を聞いたことがある。彼が要職に就いた年、70個余りのお中元が届いた。潔癖な人だったので、生鮮食料品以外はすべて配達証明付きで送り返した。生鮮食料品は時価に換算して現金で返したが、その金額は20万円を超えた。その年の歳暮は4個に減ったという。 教員採用にかかわる人がすべて彼のような姿勢を貫けば、汚職事件は起こらない。教育の信頼を取り戻すため、関係者は襟を正してほしい。(平成20年6月30日讀賣新聞「気流」掲載) 顔見ての診断 患者は安心感 最近、医療環境の電子化が進み、カルテを電子化する病院が増えている。しかし、医師がパソコンの画面を見ながらマウスを動かし、患者の顔をよく見ていない、という声も聞かれる。
かつて私が掛かっていた医師は「どうしましたか」と笑顔で迎えてくれていた。患者の話をよく聞きながら、まず手をとり手のひらを診たり脈をとったりする。やがて目や舌の状況を診る。 そして必要に応じて尿や便、血液の検査をしていた。
患者との会話に重点を置いて診断をしていた。
それが今や尿や便、血液検査、レントゲンなどの結果を直ちにコンピュータに入力し、そのデータを基に診断するようになった。カルテの電子化はまさに科学の進歩による恩恵である。私の掛かっている病院の先生は、マウスを動かすだけでなく、会話を交わしながら、患者の顔をよく見て、患者の身になって真剣に診てくださる。 このように医師が、常に思いやりの心、慈愛の心をもって患者に接してくださると、それだけで病気が治ったような気になるものだ。(平成20年6月16日朝日新聞「声」掲載) 月給のカット英断感動した 蒲島熊本県新知事が厳しい財政難対策として、自ら月給100万円をカットし24万円とした。
一般に、国政や地方政治に携わる政治家の年収は高額である。政治家の皆さんは本当に国民の痛みや切なる気持ちが分かっているのだろうかと思ってきた。 政治家の年収を減額すべきだと思うが、中には選挙に落ちたときのために必要という人もいるようだ。しかし、少なくとも兼職している政治家は減額すべきだと思う。 蒲島知事は議会で「『隗より始めよ』の言葉通り、まずは私の給料を削減し、県民の平均給与月額とほぼ同額にした。私の決意だ」と説明した。「隗より始めよ」を身をもって実行したわけだ。 その英断に私は感動した。諸経費を差し引くと手取りは10万円を切った。貯金を取り崩して生活しなければならないだろう。知事は「妻もたぶん耐え忍んでくれる」と期待しているという。
自分の花 咲かせようなかなかできないことではあるが、政治に携わる人はこのくらいの気概をもつことが必要ではないか。知事の自分自身の身を削る財政改革の成功を、心より祈る。(平成20年5月9日朝日新聞「声」掲載) 資本主義は競争原理が働くゆえ、著しい社会の発展やサービス向上をもたらす。能力のある者にとっては資本主義社会ほど住みよいものはないであろう。しかし、社会的・経済的弱者にとっては必ずしも住みよい社会とは言い難い。 格差社会が生まれた結果、「勝ち組」、「負け組」という呼称が目立ち始めたが、この表現は人間を冒涜し、適切ではない。人を地位や名誉、富で評価すべきではない。生きとし生けるものすべて存在意義があり価値がある。 自然界では、ボタンのように華やかな大輪の花を咲かすものもあれば、スミレのように野や山にひっそりと人知れず咲いている花もある。どの花が尊いということではなく、皆それぞれ精いっぱいその場で命を輝かせている。 これと同様、われわれ人間も、持ち場、持ち場で精いっぱい自分の花を咲かせればよい。世界でたった一つの花を咲かせよう。(平成20年4月30日大分合同新聞「読者の声」掲載) 良い近所関係で気持ち良く生活 「近所付き合い大切にしたい」という女性の投稿(21日)に同感だ。郊外の住宅地に建てた家に住んで25年になるが、私たち夫婦も以前から近所の方と親しく付き合い、いつも笑顔であいさつを交わすよう心がけている。知り合いから野菜をたくさんもらったら、おすそ分けするし、旅行をしたら、土産の菓子を配ることもある。お蔭でトラブルもなく、気持ち良い関係を保っている。 最近は個人情報保護などの影響もあって付き合いがだんだん疎遠になり、味気ない社会になりつつある。マンションでは部屋番号だけで名前も出さず、ほとんど言葉を交わすこともない人が多いと言われる。 しかし、近所同士なら、顔見知りになってあいさつを忘れず、時にはおすそ分けもするような関係を築いた方がお互いに快適な生活を送れるのではないかと思う。(平成20年4月30日讀賣新聞「気流」掲載) 詩歌の世界今宵も遊ぶ 毎週、各新聞の「文芸」欄を楽しみにしている。そこには市井に生きる人々の自然や人生に対する情感で溢れている。
俳句は五・七・五の季語を含む十七文字で感動などを表す世界最小の定型詩であるが、四季折々の風景の一瞬一瞬をカメラで切り取ったようで景が浮かぶ。短歌は日本人の根底に流れている五・七・五・七・七のリズムで景や心情がよく出ている。川柳は日常生活や世相を風刺しユーモアを交えて描写しているので面白い。詩は心や景を自由な形式で書いているので分かりやすい。いつもこれらから感動をいただいている。 各紙の「文芸」欄に掲載される「選者のことば」を参考に、俳句や短歌などを詠んでいる。外出する時は常にメモ帳を携帯し、夜は枕元に置いて休む。できあがった作品を何度も推敲する。今の私の心情を次のように詠んでみた。 『新聞の選者のことば胸におき詩歌の世界今宵も遊ぶ』 庶民の声読み政治に反映を シニア・ライフの現在、時代の波に乗り遅れまいと、毎日のように図書館に通い、全国紙、地方紙に目を通している。特に興味関心を持って読んでいるのが、読者の「声」欄である。 そこには市井に生きる人々の哀歓や切なる叫びがある。共感することや感動することも度々であるが、元気ももらい、教えられることもしばしばである。微力ではあるが私も投稿している。共感のお便りをいただくと意を強くするものだ。 ところが、読者の中には、この庶民の声を負け犬の遠吠えぐらいにしか思ってないのかと感じるときがある。無視しているか、関心を示さない人がいるからだ。さらに政治家でさえも読んでいないと感じることがある。年収の高額な首相をはじめ、政治家の皆さんは本当に国民の痛みや切なる気持ちが分かっているのだろうか。 国政や地方政治に携わる政治家は、この庶民の声をいち早くキャッチして、政治に反映させる姿勢こそ大切である。 物買うだけが幸せ? 1日付朝刊、池澤夏樹氏が見た世界と日本「幸せは買えない」は実によく現代社会を分析している。氏はフランスに来て「日本人は消費者としてしか幸福感が得られなくなっていることに気付いた」と述べているが、同感である。 最近の例を挙げれば、福袋を買い求める客の姿に象徴される。東京のあるデパートには開店前に約6700人が殺到、中には、前日の夕方から並んだとか、新潟から来たなどと報道していた。果たして幸せは物を買い求めることによってしか得られないのだろうか。 初詣に行く人は多い。真摯な気持ちで日本社会の平安や世界の平和を祈る人もいるだろうが、多くの人はわが利益のみを祈っているのではなかろうか。「常におてんとうさまが見ていらっしゃる」という気持ちがあればモラルの低下などないはずだ。 飽くなき欲望を追求するだけでは真の幸せは得られない。心の美しい品格のある人間であらねばならない。(平成20年1月13日大分合同新聞「読者の声」掲載) 問題あっても笑い心がける 昔から「笑う門には福来る」という。怒ったり悲しんでばかりいると顔の相も悪くなり、体調まで悪くなりそうだ。逆に、いつも笑って暮らすとおのずと人相もよくなり健康的で、人間関係もうまくいくように感じる。
心や体に何か問題をかかえている時は、なかなか笑えるものではないが、努めて笑うように心がけている。特に次のテレビ番組はよく見て笑っている。 まず『バラエティー生活笑百科』。時代に即した相談を取り上げる漫才師の話芸もさることながら、各相談員がそれぞれの立場から達者な話術で面白おかしく展開してくれるので愉快である。内容が暮らしの中のトラブル解決というもので、弁護士による解説もあり実生活上役立つ。
次に「新婚さんいらっしゃい!」。桂三枝師匠の軽妙なタッチの話しが面白い。内容も適当にエッチで気持を和らげ楽しくしてくれる。
笑いが免疫力を高め健康によいことは確かである。泣いても一生、笑っても一生、同じ一生ならば笑わにゃ損、損!(平成20年1月9日西日本新聞「こだま」掲載) 補給支援法案は正論か 12月16日付け朝日新聞朝刊2面に“補給支援法「年内採決を」”という見出しがあった。これは自民党の大島理森国会対策委員長が徳島県上板町での講演の際に、「年内に、参院で否決でも良いから意思を決めて欲しい」と述べ、野党側に年内採決を求めたものである。私もこれに賛成である。ただし「与党側も参院での採決を尊重する」という条件付である。 2001年9月11日米国でテロリストにより中枢を狙った同時発生テロ事件が起こった。これに対して米国はまずアフガニスタンに対して「対テロ報復戦争」を開始した。次に、「大量破壊兵器の保有」を根拠にイラクを侵略。しかし、テロリストも大量破壊兵器も未だに見つかってはいない。逆に今では人道支援という名のもと「アフガニスタンやイラクへの活動」が行なわれている。 自民党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動を国際貢献とし、その継続を金科玉条のように言い、補給支援法の成立を急いでいるが、果たしてこの活動が正しいと言えるのだろうか。 先に行なわれた参議院選の結果こそ最も民意を反映しているのではないだろうか。 郵便局に納得のいくサービス望む 郵政民営化がスタートして早や3ヵ月目になるが、このところ定額小為替に納得がいかないという人が多いようだ。 郵便局に行き定額小為替のことを調べてみた。定額小為替は額面50円、100円など7種類あり、手数料は従来10円だったものが100円になっていた。たとえば450円の場合、400円と50円の2枚が必要となり200円の手数料がかかる。わけても50円の場合は額面より高い手数料を払わされることに納得がいかない。郵便局の職員に料金が上がった理由を尋ねたところ「民営化したので税金がかかるようなったから」と話していた。 公共性の強いものを民営化したら、このような状態を招くであろうことは予測していたので、私は終始郵政民営化には反対だった。しかし、国民の多くが、元首相の小泉劇場に踊らされてしまった結果こうなってしまった。 民営化しても、かつて全国津津浦浦過疎地にまで郵便物を運んだ旧国営郵便局のように愛のある納得のいくサービスをして欲しいものだ。 “優しい”配達続けて 12日付本欄、村上丈士さんの「“新生郵便局”に期待」の中に、「民営化になっても私たちはこれまで以上に期待している」とあったが、全く同感である。 今まで、過疎地にも簡易郵便局が設置されており、また、いかに山奥や離れ島であろうと、安価な均一料金で郵便物を日本全国津々浦々まで配達してくれる国営郵便制度に感謝していた。 ところが、小泉元首相は「小さな政府」が理想で、民営化した方が活性化するとばかりに郵政民営化に踏み切った。しかし、過疎地の簡易郵便局の削減や安価な均一料金による配達サービスなど危惧されている。公共性の強いものを民営化するに当たっては慎重に考慮しなければならないと思う。 民営化したからには利益追求だけでなく、日本全国津々浦々、過疎地にまで愛の郵便物を運んだきた国営郵便局を超えるサービスはあっても、決して落ちることのないようにして欲しいものだ。(平成19年10月29日大分合同新聞「読者の声」掲載) 先行独の轍を踏まないよう 郵政民営化がスタートして2週間余り。果たしてサービスの向上につながるのだろうか。 郵政民営化に関しては、国民の中にかなり反対の声があった。にもかかわらず、小泉元首相の多少強引とも思える政治手法により成立したと言っても過言ではあるまい。 民営化した局を訪れてみると、公社の時と同じように笑顔で出迎えてくれた。しかし、過疎地の簡易郵便局が減り、払込手数料が上がったと聞く。一方、地方自治体では、公有地に設置された郵便ポストに対し、占有料を徴収する動きが広がっている。 かつてドイツも郵政事業を民営化したが、うまく行かず、結局、政府が再統合したという経緯がある。日本がこの轍を踏まないことを願うのみである。「小さな政府」が理想ではあるが、公共性の強いものなど例外のあることも十分考慮しなければならない 聞こえて来るのはサービスの低下などデメリットばかりだ。民営化した以上は「本当に良かった」というメリットの声を聞きたいものだ。(平成19年10月17日朝日新聞「声」掲載) 二大政党が誕生し、政権交代を期待する 今回の参議院選の結果、自民党は歴史的惨敗を喫した。その原因はあまりにも国民の心情を軽視した結果であろう。
野党も沢山あるが、国民の多くはとりわけ民主党を支持した。もっと野党が連合して協力体制をとっていれば勝てた選挙区もあった。現在の日本の政党を見るに、与党は自民党・公明党、一方野党は民主党・共産党・社民党・国民新党・新党日本・そうぞう等で構成されている。ここで可能ならば野党が一党に統一するのが理想である。しかし、科学的社会主義を標榜する共産党は無理かもしれないが、その存在意義は大いにある。 アメリカでは共和党と民主党の二大政党があり、ほぼ互角に政権をとっている。日本の民主党は思想的に、右から左までいろんな人々で構成されている。この際、各野党は主義・主張の多少の違いを捨てて、大同団結すべき時ではなかろうか。 わが国も、一日も早く政界が再編成されて特色ある二大政党が誕生し、国民の負託にこたえてほしいものだ。 許せぬ世の中のうそ 最近の世情を見るに、うそであふれた世の中になってきた観がある。例えば、牛肉を偽装した食肉加工会社ミートホープや虚偽申請をした介護サービス会社コムスン、赤城徳彦前農相の政治活動費の二重計上。特に領収書のコピーによる報告書は、明らかにうそをついていることを証明しているようなものだ。国民を欺くこうした行為は決して許せるものではない。 私は、「うそつきは泥棒の始まり」と母から厳しく育てられた。うそをつかないということは、人間関係において信頼を築くうえで最も大切なことである。 かつて社会学者マックス・ウェーバーはその著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、人間は、欲望に従って利益を追求するだけでなく、自己コントロールもしなければならない」という趣旨で倫理の必要性を説いている。 経営者も政治家も、決してうそをつかない強烈な倫理性と奉仕の精神を持つことを切に望む。 (平成19年8月7日大分合同新聞「読者の声」掲載)
「レジ袋」削減に協力に協力しよう 「レジ袋」の削減に協力を仕出して早や3年目を迎えている。それは、地球の環境保護と自分の利益のためでもある。 毎日、少なくとも1回はスーパーに買い物に出かける。以前はレジ袋をたくさんもらって喜んでいた。ゴミ出しなどに利用できるからだ。しかし、地球の環境を汚し、環境破壊につながると聞いてレジ袋を止めることにした。残飯等は新聞紙に包んで最後にゴミ袋に収納すればよい。昔は皆、買い物の際には、買い物籠や風呂敷を持参したものだ。世の中があまりにも便利になり過ぎたのが元凶であると気付いた。 行きつけのスーパーでは「お客様エコカード」を発行している。マイバッグを持参すれば、買い物1回につきスタンプ1個が押印される。スタンプ20個で100円と引き換えてくれる。また、環境デー(その店は毎月15日と末日を指定)には、牛乳パック30枚を持参するとスタンプ5個を押印してくれる。たとえ僅かでも嬉しいものだ。このシステムがやる気を起こさせているのは確かである。わが家では、買い物の加勢をしてくれる夫も「レジ袋」削減のよき協力者である。 今後、地球環境保護のため日本国民全員が「レジ袋」削減に協力すれば地球温暖化を少しでも遅らせることになると思う。(育枝の作品) 憲法や格差を見極め投票を 参議院選の投票日が7月29日に確定した。今の政権政党は、憲法改正、つまり憲法9条を変えようとしている。このまま政権を維持している限り間違いなく憲法9条改正への道をたどることになるだろう。
また、格差拡大が、大きな社会問題となっている。資本主義社会では競争原理が働くため、行き過ぎると落ちこぼれが生まれる。近ごろ、これが顕著になり、一握りの「勝ち組」と大勢の「負け組」が誕生している。 参院選で、あなたは、どの党に、どの候補者に投票するだろうか。常に自分に忠実だろうか。就職の世話になったから、仲人をしてもらったから、会社の上司に頼まれたからなど、義理や人情で党や候補者を選んではいないだろうか。現在の日本社会を見る時、「負け組」が大勢いるにもかかわらず、相も変わらず政権交代がないことに首をかしげたくなる時がある。 もし憲法9条改正に反対であり、経済的、身体的な弱者すなわち社会的な弱者の救済を考えるならば、義理人情にとらわれず、真に何が正しいかを見極めて投票に臨むべきであろう。(平成19年7月5日朝日新聞「声」掲載) 年金の確認徹底して 最近、年金の記録漏れが社会問題となっている。この原因をひと言で言えば、その業務に当たっていた職員の確認の不十分さにあると言っても過言ではあるまい。
かつて私が高校の教師をしていたころ、原簿から評価点などを転記して指導要録を作成する作業があった。私は強迫的と思われるくらいよく確認をしていた。職員の組織の中でも再度点検が行なわれていた。その結果、転記ミスなど全くなかった。今の世の中、確認が足りないばかりに事故が起きていると感じることがしばしばある。 国民の貴重な財産を預かる社会保険庁の職員は、常日ごろから法令をよく熟知し、国民一人一人の年金に関する記録が正しく記載されているか十分点検する義務がある。それがかくもずさんなものになっているのは、いかに業務に専念していなかったかを証明しているようなものだ。 今後は真摯な態度で、十分過ぎるくらい確認や点検作業を行なってほしい。(平成19年6月29日大分合同新聞「読者の声」掲載) 競争か平等か仏の大統領選 6日にフランス大統領選の決選投票がある。私はこの選挙に大変な関心を抱いている。 保守系与党のサルコジ氏はアメリカ型自由競争社会を志向しているようだ。一方、左派野党のロワイヤル氏はヨーロッパ型の高福祉社会を志向しているように見える。まさに競争か平等かを問う大事な投票である。格差是正が叫ばれている日本の我々も、決して無関心ではいられない。
あなたなら、どちらに投票しますか。能力があり、よく働いた者が成功する社会目指し、いわゆる成果主義を採れば国際競争力も向上し、確かに経済は成長するかもしれない。しかし、経済的、身体的な弱者すなわち社会的な弱者は取り残されてしまう。この矛盾をどうすればいいのか。 足して2で割ったような経済体制はできないものだろうか。いわゆる自由競争の資本主義をベースに、平等や福祉をうたう社会主義的要素を加味した社会である。 最終的にフランス国民がどちらの候補を選ぶのか、それが目下、私の最大の関心事である。(平成19年5月4日朝日新聞「声」掲載) 昭和は遠くなりにけり 今年から4月29日の祝日は「昭和の日」に変わり5月4日が「みどりの日」になった。俳人中村草田男の句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」というのがあるが、昭和を50年余り生きてきた私にとっては「昭和は遠くなりにけり」といった感がある。
戦時中は、昼夜を分たずの空襲で、常に生命の危険にさらされていた。戦争に負けはしたがその危険から開放された戦後。わけても強く印象に残っているのは、ラジオ番組である。まずラジオから流れて来る「リンゴの唄」に惹かれよく歌ったものだ。しかし、当時の先生は「子どもが流行歌など歌っていけない」と言って叱ったが、それでも歌っていた。次に同じ年ごろの川田正子さん歌う「みかんの花咲く丘」は、明るくて平和な響きが印象的でこれもよく歌った。連続放送劇「鐘の鳴る丘」も楽しみに聞いていたが、この主題歌「とんがり帽子」も好きだった。 日本は、敗戦で経済的には食うや食わずの最低生活を余儀なくされたが、それでも国民は皆それぞれ希望を持って明るく生きていた。 国語力を身につけることこそ最も大切 去る4月24日、全国学力テストが実施された。競争をあおるとか序列化につながるなど反対の声も聞かれたが、私は賛成である。
特に今回、新聞に掲載された問題と解答を見て、国語の問題の一つに、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が採り上げられていたことを高く評価している。何故ならば、最近「自分さえよければ」という風潮があり他者への配慮が足りない人が多くなってきているからである。子どものころ、母がよくこの物語を語ってくれていたことが強く印象に残っている。今時、「蜘蛛の糸」は実によい題材だと感じた。さらに最近の子どもたちの苦手とする「読解力」、「思考力」、「表現力」を問う問題が作成されていたことも評価したい。 よく「文は人なり」といわれているように全ての学問の基礎は国語にある。そういう意味でも、日ごろから読書や作文に励み、「読解力」、「思考力」、「表現力」の備わった国語力を身につけることこそ最も大切である。 教養的な番組もっと 安倍総理は「美しい国、日本」を目指そうとしているが、現実はますます離れていき、「一億総白痴化」の感さえする昨今である。 いったいその原因はどこにあるのだろうか。ゴールデンタイムのテレビ番組にあると言っても過言ではあるまい。各局とも視聴率の向上を狙ってか、お笑いや占い、不倫ドラマ等興味本位のものが多いように感じる。 特にお笑いでは、相手の人相や性格などの弱点をネタに笑いをとるなど下品である。かつての古典落語は内容で勝負したものだ。歌番組にしてもドラマにしても浅薄で、見応えのあるものが少なくなってきた。 ゴールデンタイムのテレビ番組は娯楽本位ではなく、政治や経済、教育、歴史、文芸といった教養的なものを中心とし、さらに名画、スポーツ、叙情歌、自然の風景など、真に国民のためになる番組を流すべきであろう。(平成19年4月22日大分合同新聞「読者の声」掲載) 誠実な政治家選ぼう 2月16日付「論説」に脇鉄一元別府市長の政治姿勢が載っていた。我々有権者に候補者を選ぶ際の大きな指針を与えてくれた。 脇元市長のことは聞いてはいたが、かくも清廉潔白で業績を残した政治家だったとは知らなかった。かつて、政治家が政治のために自分の財産を使い、井戸と塀しか残らないほど一生懸命尽くすことを「井戸塀」と言ったが、脇元市長はまさにそれである。 最近の政治家を見ていると、誰のために政治をしているのかと思いたくなる時がある。一般に政治家の所得や年金は高額である。首長の退職金もしかりだ。減額すべきだと思うが落選したときのためにできないという政治家もいる。真に国民のために働いていれば、決して国民は落としはしない。 脇元市長は「政治家としての第一の要件は正直でウソを言わぬこと」と断言している。真に立派な政治家を選ばねば良い国家・社会は生まれない。(平成19年3月6日大分合同新聞「読者の声」掲載) 子どもに情操教育を 先日、JA大分中央会などの主催で「お弁当まつり」があった。料理研究家高橋和子さんによる「お弁当ワンポイントアドバイス」は健康と愛情に配慮したお話で、とても有意義だった。 さらにプログラムの中には童謡歌手しゅうさえこさんの「ファミリー・コンサート」もあった。会場には老若男女大勢の参加者、その中には就学前の子どもたちもたくさんいた。しゅうさえこさんのコンサートが始まると同時に、会場は歓声に包まれた。これは彼女の明るく美しい歌声や表情、しぐさによるものと感じた。
童謡・唱歌は心の原風景である。特に子どもたちの熱狂的な喜びの声には私自身心が弾む思いがして、あふれる涙を止めることができなかった。
真に「美しい国、日本」を目指すならば、義務教育の段階からこういう童謡・唱歌を主体とした情操教育をすべきだと痛感した。そうすればきっと素直で思いやりのある子どもが育つに違いない。(育枝の作品 平成19年2月13日大分合同新聞「読者の声」掲載)
温かさ感じるはがきと手紙最近は携帯電話や留守電、ファックスなど情報連絡の手段が便利な世の中になってきた。だが、私はいまだに携帯電話を持っていない。電話機には留守電もファックスも付けていない。もっぱらはがきと手紙で交流している。 親類や友人らから贈り物をいただいた時は電話ではなく、はがきか手紙でお礼を述べるようにしている。その方がこちらの気持ちがよく伝わるように思う。 もちろん、私自身もお礼は電話よりもはがきか手紙でいただく方がうれしい。とくに手書きの場合は字の巧拙に関係なく、書いた人の温かさが感じられる。 礼状に限らずはがきや手紙をもらうことは、とてもうれしいものだ。毎日、郵便配達員のバイクの音がすると、「今日は誰から手紙が来るだろうか」と楽しみである。 はがきと手紙は名文は書けないまでも、できるだけ分かりやすく相手の心に響くような思いやりの感じられるものを書きたいと心がけている。(平成19年2月7日朝日新聞「声」掲載) 書き込みカレンダーで日々充実 ダイニングキッチンの壁に掛けたカレンダーには書き込みがいっぱい。誕生日、結婚記念日はもちろん、趣味でやっている俳句、コーラス、卓球、水彩画、福祉の勉強と講座の日程など。
私の生活はカレンダーに1年中、大変世話になっている。分かっている行事予定をすべて書き込み、その行事に合わせて生活するようにしている。例えば、該当日のバスや電車の時刻表を見て昼食の用意をしたり、帰りの時間に合わせて買い物、夕食の用意など頭をめぐらせ準備に余念がない。 昨年は夫との旅行日程、友人来訪、訪問そして新たに取り組んだ卓球などの講座の時間、予定など生活は忙しく、充実していた。カレンダーも赤や黒のインクの書き込みで毎月いっぱいに。その状況は今年も続く。 多忙で目まぐるしい現代において、私にとって書き込みカレンダーがなければ事がスムーズに運ばない。カレンダーこそは毎日の生活に欠くことのできない大切なものだと実感している。(育枝の作品 平成19年1月28日毎日新聞「みんなの広場」掲載)
知的好奇心で黄金の人生 定年退職後の第二の人生は、神が与えてくれたご褒美で「黄金の人生」だと思う。だが、黄金にできるかどうかは本人の生活態度次第だ。有意義に楽しく過ごさなければもったいない。 59歳で退職するまで高校商業科で教えていた。この間、1970年、教育現場に導入するコンピューターの勉強に半年間、東京に内地留学させてもらったり、病気療養を体験したりと山あり、谷ありの人生だった。そのため第二の人生は「黄金に」との気持ちが強い。 大事にしているのが知的好奇心を持ち続けることだ。退職後は毎日のように図書館に通い、全国・地方紙に目を通し、政治や経済、歴史関係の本や、随筆を読む。俳句や短歌にも親しみ、新聞への投稿やエッセーも手がけている。童謡・唱歌も歌っている。 大自然に触れ、できるだけ多くの人に接し、映画や演劇、コンサート、絵画・書道展、講演会、旅行にも努めて出かける。そこで投稿や俳句、短歌の素材も見つかる。作品を何度も推敲して完成させる。人の心に響くような作品ができればこれに過ぎる喜びはない。 私としては身の丈の黄金の人生を歩いているつもりだ。一日を一生と思い、毎日を大切に生きたい。(平成19年1月27日讀賣新聞「気流」読者のページ掲載) 修身的教育こそ必要 本紙14日付「東西南北」で御手洗富士夫氏の近著「強いニッポン」の内容が紹介されていたが全く同感である。特に「人間としての価値観を教えよう」のくだりが素晴らしい。
今の日本を見ていると、あたかも大海で羅針盤を失った船のようである。経済的には豊かになったが、現実は毎日のようにいじめや自殺、殺人、強盗、汚職などが続発し、まさにけじめや品格のない国家になり下がってしまった。 かつてある学者が「修身のような教育のないところ、犬や猫に類する人間獣のはんらんする国家となるだろう」と言った。まさにその通りだ。先生と生徒、親と子、夫婦、きょうだい、働く者同士等々至るところでその関係が悪くなってきている。満たされ過ぎて我慢することを知らない。また、社会規範における善悪のきちんとした判断ができなくなってきている。 今こそ人間としての正しい生き方を教える教育、すなわち、修身的教育こそ必要であると思う。(平成19年1月25日大分合同新聞「読者の声」掲載) より良い社会を目指して 今私が真剣に憂えていることを申し上げたく存じます。現在の日本はまさに大海で羅針盤を失った船のようです。なんとかせねばなりませぬ。政治然り、教育然りです。 政治に関しては、年間3万人を超える自殺者、格差拡大、社会保障費の負担増等々まさに「弱肉強食」政治そのものです。かつてマックス・ヴェーバーはその著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で宗教的観点から資本主義の行き過ぎにブレーキをかけています。日本でも良識ある政治家たちは「弱肉強食」社会にならぬよう真剣に取り組んでいます。私も「資本主義と仏教」という観点で市場原理主義と慈悲を考慮しながら理想社会を考えているところです。 教育に関しては、現在の日本は社会規範における善悪のきちんとした判断ができなくなってきています。今こそ人間としての正しいあり方、生き方を教える教育、つまり、しつけ、修身的教育こそ必要性だと考えています。 常に知的好奇心と問題意識を持って、より良い社会を目指したいです。国政や地方政治に携わる政治家の皆さんが、新聞に掲載される国民の真の「声」を真剣に見たてくださることを心より願っています。 私は一人息子として大事に育てられた。そのせいか子どもの頃は腺病質で体が弱く病気がちで医者との縁の切れることはなかった。当時は、71歳のこの年まで生きられるとは到底思えなかった。 中学1年時には、肺結核を患って1年余り休学し、1学年下の生徒と一緒になった。高校時代には肝炎で1ヶ月余り休んだ。大学に入ってやっと元気になったと思っていたら、3年時に結核性の病気で手術をした。 教職に就いてから後は特に病気もせず順調であった。だが、責任感が強く完ぺき主義の私は、16年目頃、心を病み、心療内科に1ヶ月近く入院した。そこの医師は私の将来を考慮して「自律神経失調症・うつ状態」という診断書を出してくれた。薬物療法と精神療法で程なく回復し職場に復帰したが、この体験で柔軟な「あるがままの心」の大切さと「心に遊び」が必要なことを学んだ。 紆余曲折もあったが、講師も含めて41年間の教職生活を終え、シニア・ライフを迎えている今日、毎朝、今ある幸せに感謝して仏様に「ありがとう」と手を合わせている。 風邪予防 日ごろの生活大切 若いころから毎年のように秋風が吹き始めると風邪を引いた。風邪の状態は冬の間はむろん、梅雨明けまで続いた。改善されたのは40代後半から。栄養のバランスのとれた食事や適度の運動などを続けているおかげだと思う。 風邪引きは体質が弱いので仕方がないと半ばあきらめていた。風邪薬を飲み、薬疹が出るくらいだったからだ。父も「風邪を1回引くと寿命が1年縮まる。気をつけなさい」と注意してくれたほどだった。この間、食事面では好きなものを好きなだけ食べ、夜ふかしをするなど勝手気ままな生活をしてきたように思う。 栄養のバランスのとれた食事作りに取り組んだのは20年くらい前からで、友人から食事の大切さについて助言されたのがきっかけだった。以後、毎日、肉や野菜、果物など30品目を取ることを心がけ、規則正しい生活、十分な睡眠と適度な運動も続けている。 運動は今は週3回の卓球の練習に加え、週に1回、30分程度のウォーキングで、71歳の夫も毎日、1時間半のウォーキングを欠かさない。おかげで風邪を引かないどころか、2人とも生活習慣病とも無縁。これからも健康第一に生活していきたい。(育枝の作品 平成18年11月29日讀賣新聞「気流」読者のページ掲載) 心情を短歌に込めて 風景や情感を表現するとき、画家は線や色で、音楽家は音で、文学者は言葉で表す。退職後の第二の人生、ありあまる余暇を有意義に楽しく過ごそうと、俳句を始めて数年がたつ。
俳句は五・七・五と短く、よく一枚の写真といわれるが、決してそうたやすくはない。本紙「読者文芸」俳句欄に拙句が載ったとき、電話やはがき、メールなどをいただいたり、街で会ったときに「見たよ」と声をかけられるのもうれしいものだ。 最近、以前から興味、関心を持っていた短歌をするようになった。短歌は五・七・五・七・七と幾分長いので、なんとか自分の心情を奥深く表現できるのではないかと思ったのがきっかけだった。 短歌といえども、常に省略を旨とし、できるだけ選び抜かれた言葉を用いて、凝縮された味のある表現を心がけている。今の私の心情を次のように詠んでみた。 風流の世界に遊ぶ幸せよ雨降れば雨陽が射せば陽に(平成18年11月12日大分合同新聞「読者の声」掲載)
年金分割より夫婦一緒に 離婚後に夫の年金の一部を分割して妻が受け取る厚生年金分割制度が、来年4月から始まる。今のところ、妻側からの申し出で離婚件数が増えることが予想されるが、何だか政府が離婚を促進しているように思えてならないのは私だけだろうか。 縁があって夫婦になった者同士でも、一度も離婚を考えたことのない人はほとんどいないだろう。しかし、私に言わせれば、そう軽々に離婚すべきではないと思う。離婚した先に本当の幸せが待っているだろうか。 離婚してよかったと思う人はそんなに多くはいないのではないだろうか。 長い夫婦生活では、決していいことばかりがあるわけではなく、腹の立つこともあろう。それでも、「天気がいいね」「暑いね」「寒いね」といったちょっとした会話の中に、夫婦の幸せがあるように思える。 ある程度の我慢も必要で、相手に春風のような温かさを送ることも、もっと大切ではなかろうか。 「結婚は苦しみを半減し、喜びを倍にする」とも言われる。離婚して年金を分割するよりも、しないで一緒にいる方が幸せではないかと、私は思う。(平成18年10月24日讀賣新聞「気流」読者のページ掲載) 読書を楽しむ訳 目下、2週間に1回「童謡・唱歌」の教室に通っています。過日、「赤とんぼ」や「「ちいさい秋みつけた」、「虫のこえ」、「里の秋」「紅葉」などなど秋の歌をたくさん歌いました。童謡は心の原風景であり癒やしになります。 また、ほとんど毎日、図書館等に行き、全国紙、地方紙に目を通しています。新聞は、私にとってまさに知識の宝庫です。 ところで、読書に関してですが、太宰治の「人間失格」に引き続き「斜陽」を読んでいます。更に、夏目漱石の「こころ」や「道草」、「硝子戸の中」なども用意しています。 小説は作者の経験や知識を駆使して書くので、読書することにより作者のことがよく分かります。私は、特に人間の生き様に興味関心があります。名作を読むことによって人間や情景の描写の勉強にもなります。また、作者の年齢を越えて、いろんな作品に触れてみると、文章や知識など違った観点からものが見えて来るような気がします。 太宰治「人間失格」を読んで 秋の夜長にふと思い立ち、パソコンのキーに向かっています。サンデー毎日の日々を過ごしている私はもっぱら読書の秋を楽しんでいます。この年になって夏目漱石や太宰治の作品を読むのも結構面白いものです。 今回は太宰治の「人間失格」を読みました。この作品は一応フィクションですが、彼の自画像と言ってもよいでしょう。彼(葉蔵)は幼少の頃よりずば抜けて優秀でした。また、大地主の生まれで経済的にたいへん恵まれていましたが、彼は、この富が小作人からの搾取により成り立っていることに悩み、罪悪感を抱くようになり共産主義思想へと走ります。しかし、奥野健男氏が解説の中で「太宰は政治活動に深い違和と絶望をおぼえる。革命のために手段を選ばぬ政治活動に、彼の心は傷つき耐えられなくなる」と述べているようにだんだん活動から遠ざかって行きます。 小説は全般的に諧謔味があって面白く読めました。例え思っても私には行動できませんが、彼は実に自由奔放に生きました。余りにもその度が過ぎていたので、側の者が気を使って精神病院に入れたので、彼は、自分のことを「人間失格」と呼びましたが、決して精神異常者ではありません。 現在、NHK朝ドラマ「純情きらり」の原案は太宰治(本名津島修治)の次女作家津島祐子さんの「火の山 山猿記」によるものです。長女園子さんは代議士津島雄二夫人です。雄二氏は婿養子になられています。 やはり太宰治の「人間失格」を読んでみて、彼はすごい人だと思いました。本能の赴くままに、実に人間らしく生きた人だと感心しました。 殺伐社会招いた3点 8月15日付本欄、藤本忠雄さんの「歴史学びつくる平和」に全く同感である。日本が何故にこのような殺伐とした国になったのか。戦前と大きく変わったことが3点あるように感じる。 まず、年長者を敬うという「長幼序あり」の精神が失われたこと。ちなみに「長幼序あり」を国語辞典で引いてみると「年上の者と年下の者の間には、道徳上当然守るべき秩序がある」とあるが、現在ではほとんど死語と化している。 次に、戦後、奇跡的な経済成長を遂げ、多くの国民が拝金主義になったこと。まさに経済で富んで、心で滅んでいると言っても過言ではない。 最後に、かつて徳川家康は「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。堪忍は無事長久の基なり」と言ったが、現代の多くの人は忍耐心に乏しく、非常にキレやすくなってきている。以上のことに力点を置いた教育こそ急務ではなかろうか。(平成18年9月7日大分合同新聞「読者の声」掲載) 「国家の品格」に共感と感銘 藤原正彦著「国家の品格」。ぜひ読みたいと思って図書館にリクエストしていたが、なかなか順番が回って来ないので購入した。内容がすばらしく、斜め読みすることが多いふだんとは異なり、丁寧に読んだ。実に含蓄のある本だ。 著者は数学者ながら、政治・経済はもとより文学、哲学、歴史、芸術など文科系にも造詣が深く、心の持ち方、教育や国家のあり方などについて述べている。 特に印象に残ったのは「英語よりも国語をしっかり勉強して日本文化を学び、我々日本人一人ひとりが美しい情緒と形を身につけることが品格ある国家を保つことになる」という趣旨のくだりだった。 共感するところが多々あり、とても感銘を受けたので多くの人に薦めた。最近読んだ本の中では白眉の存在といっても過言ではないと思う。(平成18年8月7日讀賣新聞「気流」読者のページ掲載) 館長の経験は貴重な財産に 団地に住むからには一度は自治会に奉仕しなければと思い、公民館長を引き受け6年間努めた。しかし両ひざが悪くなったので、この3月末をもって辞任した。 この間、他の公民館を訪問し、活動内容や状況などを学んだ。公民館は地域づくり活動の拠点として、住民の文化や福祉の向上をはかる社会教育施設であると認識した。 また自治会役員として、「安全で安心、住みよい町づくり」を目指してきた。公民館便りでは、ことあるごとに「夜間門灯をつけて休みましょう」「駐車違反はやめましょう」「犬のフンの後始末をしましょう」「家からはみ出している木は枝切りしましょう」などと訴えてきた。 住民の皆さんの協力もあって、門灯の点灯率がよくなり、窃盗など犯罪防止に役立っていると思う。駐車違反については、駐車場を利用する人が増えてきているが、まだ十分ではない。フンの後始末や庭木の枝切りなど、さらに協力を仰ぎたい。住民の皆さんと知り合い、交流ができたことは私の貴重な財産となった。(平成18年8月3日朝日新聞「声」掲載) 歌い継ぎたい叙情歌 14日夜、NHKのBSで川田正子さんをしのぶ番組「みかんの花咲く丘」を見た。子どものころに遊んだ山や川、海などの風景が、昨日のことのようによみがえってきた。 彼女とほとんど同時代を生きてきた私にとっては、大きなノスタルジーであった。真空管時代のラジオを通して聴こえてくる美しい彼女の歌声に、あこがれたものだ。特に印象に残っている歌は、「みかんの花咲く丘」である。この歌こそは一幅の名画を思わせる。 川田正子さんは、ブラジルなど海外でもコンサートをされた。番組の中で安田祥子さん、由紀さおりさん姉妹が登場し、ブラジルでは日系の親たちが子どもに日本の伝統・文化を伝えるべく「みかんの花咲く丘」を歌わせていると語ったことには驚いた。 日本でも、美しいことばで美しい自然や人生をうたった童謡・唱歌など叙情歌を、子どもたちに歌い継がせていくべきであろう。私も叙情歌を愛唱し続けたい。(平成18年7月24日大分合同新聞「読者の声」掲載) テーマ「桜で一句」 幸せくれる花 心のふるさと 私が住む団地で、早咲きの桜が2、3輪ほころんでいるのを見つけ、心がほっと温かくなるのを覚えた。年を重ね、季節の移ろいに敏感になってきたせいかもしれないが、その年の初めて桜の花を見たときの感激は言葉では表現できない。
今年も元気で花を見ることができる幸せ。桜は私たちの身の回りにあるが、毎年幸せな気持ちで見るとは限らない。10年前の春は体調を崩し、1月ほど寝込んでしまった。病院への行き帰りに咲き誇った桜を見て、健康の大切さを知った。
今は亡き両親と、花の名所である墓地公園にお弁当を持って出かけたことがある。両親の喜んだ様子は、今も私の脳裏を離れることはない。満開の桜の下にゴザを敷き、うれしそうに笑っている写真を撮った。桜は日本人にとって心のふるさとであり、幸せをくれる花である。 「初花や心に紅を点すごと」 (育枝の作品 平成18年3月31日朝日新聞大分版「読者のひろば」掲載) “弱者”に福祉政策を 最近、「格差社会」の声をよく耳にするようになった。 資本主義社会では競争原理が働く故、能力のある者や、やる気のある者が報われ、その結果が経済成長につながる。だが、競争が行き過ぎると落ちこぼれが生まれる。 近ごろ、これが顕著になり、一握りの「勝ち組」と大勢の「負け組」が誕生したといっても過言ではあるまい。小泉首相率いる政府と自民党は、「小さな政府」を目指して、改革をし無駄な費用を使わず効率を上げようとしているが、決して弱肉強食の社会を醸成してはならない。いわゆる社会的経済的弱者に、もっと日を当てる福祉政策を推進すべきであろう。 福祉の先進国では、社会的な弱者に配慮した国づくりを推進している。競争を温存したまま、経済成長と福祉のバランスをとることは大変難しいが、とても大切なことである。これをしなければ格差社会の解消にはつながらない。国民みながこの国に生まれてよかったと思える政治をしてほしい。(平成18年3月24日大分合同新聞「読者の声」掲載) 充実の日々 送りたい 昨年の暮れ、古希を迎えた。私は、携帯電話を持っていない。電話機には留守電もファクスもつけず、はがきや手紙による交際をしている。また、1984年に自家用車をやめ、もっぱら歩くか、バスや列車を利用している。パソコンを除いて自然派指向である。 私の生活は、ラジオ体操をし、新聞に目を通す。読書が好きなので、よく図書館に通い政治や経済、歴史、随筆等を好んで読む。インターネットを楽しみ、月に1、2回ホームページを更新する。 2週間に1回程度、映画鑑賞をしたり童謡や唱歌を歌う。折に触れて俳句や短歌を詠み、エッセー等を書く。散歩や自治会活動、日記をつけるなどもしている。 常時ではないが卓球、ガーデニング、コンサート、講演、絵画・書道展、旅行、観劇、外食など楽しむ。笑いや喜び、感動のある生活が心や体の健康によいように感じているこのごろである。できるだけ心豊かに充実した日々を過ごしたいものだ。(平成18年1月25日大分合同新聞「読者の声」掲載) 映画は大きな感動と癒しを与えてくれる テレビでも映画をよく見るが、映画の醍醐味を味わうには、何といっても大きなスクリーンがある映画館に限る。シニアライフの今、映画鑑賞を楽しみに、2週間に1回の割合で映画館に足を運んでいる。60歳以上のシニアには1,000円と割安なサービスがあるのもうれしい。 あらかじめ内容を新聞やインターネットで調べて、できるだけ名作を見るように心がけている。ストーリーによっては胸を打ち、情感あふれる音楽や壮大な映像により大きな感動と刺激が得られる。映画の描く様々な人間模様から生きざまを学ぶことも多い。 わけても史実に基づいたドキュメンタリーが好きだ。かつて見聞したことがリアルに描かれていて興味津々である。中には知らなかったこともあり歴史を学ぶ上でも大いに役立つ。 平凡なシニアライフを過ごしている私にとって映画こそは非日常性であり大きな感動と癒しを与えてくれる。 |