いくえのエッセー
| 家族の心を満たす『食』 日ごろから「食」には特に関心を持っており、医食同源という言葉が好きです。「医食同源」の考え方は昔の中国の「薬食同源」から来たものです。言葉どおり医(薬)も食も健康保持には欠かすことのできない大切なものであり、その源は、同じだといわれています。食は即ち体をつくる基であり体調を整えるものです。 若い頃は何も考えずに、食べたい時に好きな物を好きなだけ食べていたような気がします。その頃は、よく頭痛がしたり、胃を悪くしたり、気分の優れない日が多く、風邪も年中引いていました。 子どもの時分から体はあまり丈夫ではなく、体調の悪いこともさほど気にしていませんでした。ある時父から、「一回風邪を引くと一年寿命が短くなるというから気をつけなさい」と注意されたことがあります。 年を重ねるうちに、本を読んだり、人の話を聞いたりして、健康がいかに大切かを知りました。それからは、人が体に良いといえば即実行し、食べ物が体にとても影響することに気付きました。その後、一日三十品目を目標に、炭水化物4、蛋白質3、脂肪3の割合に気をつけて食事を作るようにつとめました。 わが家の食事は朝起き抜けに100%のトマトジュース無塩のもの200ccを飲み、ラジオ体操の後朝食、内容は、季節の果物三種、自家製ヨーグルト100cc、牛乳150cc、ナッツ少々、食パン少々などなど。昼食は、たいてい麺類と肉類と野菜など、夕食には、魚、酢の物、生野菜、温野菜、味噌汁、大豆製品、ワイン、ビール等の飲み物などなど。もちろん毎回、魚と肉、野菜のバランスも考慮しています。 現在は飽食の時代と言われています。食材を使い切ることも大切なことです。ある時、ゴミステーションに豆腐が容器に入ったままのものを捨てているのを目にしたことがあります。たとえ賞味期限の過ぎたものでも、自分の舌で確かめて大丈夫だったら、熱湯をくぐらせて、砂糖、醤油、酒、生姜などで煮込めば十分おかずとして役立ちます。使い方を工夫して食材を使い切ることが生産者に対する礼儀だと思っています。十年くらい過ぎた頃から体調が良くなり、最近は、年間を通して風邪を引くこともなく爽快な気分で生活しております。 過日、西部公民館で開催されている女性セミナーに参加し、弟二回目に「楽しい食育」と題して山崎一恵先生の講演を拝聴しました。 ・ 食は命の源、元気と健康は食次第 ・心を満たし愛が育つ健全社会の土台は食 ・子ども達の問題行動は乱れた食が原因とも言える ・老化を遅らせる秘訣はバランスのとれた食事と笑顔 等々まったく心に響く楽しいお話でした。今まで私が感じていたこと、実行してきたことが正しかったことを証明してくれたような気がして本当に嬉しく思いました。 昨今、食に関する偽装表示や輸入食品の農薬汚染など問題が多く、私ども消費者には真に厳しい時代になってきました。真剣に選ばなければ命に係わるところまできております。また、最近は自宅で料理を作らずにデパートやスーパーなどで調理された食品を買い求める人が多くなったように感じています。これでは家族に真の愛情が伝わらないと思います。 毎日、三度の食事を心をこめて作り、家族に美味しく食べてもらうことが医につながると信じます。常に家族の心を満たす「食」にしてゆきたいと願っています。(2008年7月) いまの日本に欠けているもの 戦後60年余り、最近の教育の荒廃には驚かされると共に悲しい思いを禁じ得ない。自由平等の下、親と子、先生と生徒、上司と社員、先輩と後輩等の関係は、「長幼の序」の言葉が死語と化したかのような時代となっている。日本古来より育まれてきた美しい習慣はいまや無残にも打ち壊されてしまった。その結果が多くの問題や犯罪を引き起こしているといっても過言ではあるまい。例をあげれば、毎日身近に目にし耳にしている詐欺や殺傷事件等珍しくもないが、こんなことでよい筈がない。親が子どもを叱れば腹をたて家出をする。あるいは親を困らせらせるために家に火をつけたり親を殺してしまう時代となってしまった。親は少ない子どもを宝物のように扱い、子どもの意思を尊重するあまり、我がままいっぱいに育てる。先生が生徒を叱れば暴力で対抗し、保護者は学校側を批難する。これでは学校教育は成り立たない。社会に於いても同じように自分の我を通して他へ譲ることを知らない。自分の思い通りにならない時、他人を傷つけるか自分の殻に閉じこもる。果ては自分を傷つけ自殺にまで発展することさえある。協調あるいは妥協は出来ないのか、それを誰も教えないのか。自分が一番正しいと思って育てられているから他を許すことの出来ない人が多い。最近新聞の広告欄で本のタイトルに「自分以外は皆バカ」というのを目にしたが、現代の風潮をよく言い得ている。 昨秋、信州旅行をした時のこと、混んだ電車の中で外国の四人家族が立っていて3歳くらいの男の子が座りたいらしく愚図っていた。私も立っていたが、見渡すとその子の横の席にはヘッドホンをかけた若者が目をつむっており、隣には本を読んでいる女性徒も知らぬ顔、近くのシルバーシートはと見ると40歳台の父親と小学4年生くらいの男児が掛けていた。シートの背には大きな文字で「体に障害のある人、老人、子供用席」と書かれてある。誰かが席を譲ってあげないかなーと思っている内に時間が過ぎていった。その子が愚図るたびに日本の若者や学生のマナーの悪さを恥ずかしく思った。皆疲れているのだろうが、やはり体力のある若い人が幼児や高齢者をいたわる心が欲しかった。 昨今、教育基本法改定に関して「愛国心」が問題になっている。確かに愛国心は大切である。以前英会話を学んでいた時、フイリピンの青年との交流会で歌を所望した。青年は快く起立して堂々とフイリピン国歌を歌った。たいへん感激したことを今でも覚えている。日本の青年が外国で日本国歌を朗々と歌っている姿は全く見えてこない。果たして国を愛している若者がどれほどいるのだろうか。先のWBCでイチロー選手が日本国のために涙を流し大活躍をしたことは記憶に新しい。これはひとえに彼が外国での生活が長いゆえ日本の素晴らしさをよく理解したうえでの愛国心の表れであると感じた。心に残ったシーンである。確かに国を愛することは大切なことであるが、それ以前にまず自分自身を愛することの方がもっと大切だ。自分自身を愛するということは自分の命や考え方を大切にすることである。次に自分にとって大切な人、すなわち親兄弟を始めとする家族、友人、地域社会の人々であり、そして国歌へと発展していくのが順序であろう。自分を大切にする心があれば、挫折した時にも自殺など考えられないし、ましてや他人を傷つけたり殺したりはできないだろう。要は、まず個々の命の重み、正しい心のあり方をしっかり教え育んでいくことこそ教育の根源ではなかろうか。愛国心を教えるより先ず自分と他人を愛する心を教えることが最も大切である。 最近ごく少数の小学校で道徳教育に取り組んでいる例がテレビで放映された。若い教師も初めてのことで事前学習をし、本番では体験を交えて一生懸命に取り組んでいる姿は好ましく思えた。生徒も真剣に考え活発に意見を述べていた。「鉄は熱いうちに打て」ということわざが生きていると思った。また最近小学1年生から英語教育をという提案があるが、その前に先ず国語力をつけることの方が大切である。正しい言葉づかいはもとより日本古来の優れた文学作品に触れることにより心のあり方を学んでほしい。先ごろ夭折したロシア語通訳の米原万里さんは「言語の習得はまず母国語をしっかり身につけるのが何より先決、日本語の下手な人が学ぶ外国語は日本語よりさらに下手にしか身につかない」と陳述。(5月31日付毎日新聞「余禄」より) 日本は先進国で最も自殺の多い国、自分の命を軽く捨てる人は、他人の命をも軽く奪ってしまう。今の日本に欠けているものは、人間らしい感情と情感を育てる教育である。四季の風景などを歌う美しい音楽、優れた絵画、文学等を教育の中に大いに取り入れ、小さい頃から無意識のうちに豊かな心と情操を育てることが大切である。(2006年7月) |