12期登山会Ⅴ




'15年11月の3 12期登山会


大分百山達成登山と祝宴会と忘年会

11月29日(日)晴れ後曇り時々雨。今日の登山で、メンバーのUさんAさんKさんの三人が大分百山登頂達成となる。最初に登る山は筋湯温泉近くの涌蓋山(1500m)で、Uさんの100山目。Aさんはここは99山目。次に縦走できる一目山(1287m)に登る。ここでAさんが100山達成。次に牧の戸峠の向かいの猟師岳(1423m)に登る。ここでKさんが100山達成となる。今日は互いに近くにあるとはいえ、3山を登り、夜は長者原の「花山酔」で祝宴会兼忘年会と忙しい日程。
参加者 男9 女9計18名。これは一番目の涌蓋山登山の人。この他3番目の猟師岳登山からの新参加者が5~6名。その他宴会のみ参加者も多く、夜の宴会は総勢30余名と盛会になった。
8:50分 筋湯の疥癬(ヒゼン)湯登山口から登る。登山道は一部林道の中に入るが、全体的には子笹、ススキ、牧草など解放感のある草原状の中を進んで行く。所々に鉄線を張った柵があり狭いゲートで抜けるようになっている。放牧地になっている模様。30分くらいたって、草原に出ると、右前方に二つのピークが見えた。前は女岳、奥の高い方が涌蓋山。この時点では、はるか遠くに感じた。林を抜けると急坂の道が頂上に向って延びている。やっとの想いで女岳の頂上に着くと、尾根伝いに、もう一つ大きな山に、直登の道が伸びていた。再びガレ地の急坂登り。息がはずむが頂上も見えるので、頑張ることができた。10:45分 涌蓋山登頂。曇っていたが、頂上からは遮るものもなく全景。南の方にこれから縦走する一目山が低く見えた。持参のシャンパンで乾杯して、Uさんの百山完登を祝った。時間が遅れ気味なので、早めに下山。12時前、みそこぶし山経由、一目山への分岐点の草原で昼食。ここから、運転者は登山口に戻り、一目山まで車を回し、一目山にはそこから直登する。10余名になった継続登山者は、高原の先に、長く横たわっている感じの尾根を足先から肩口まで登って、12:30分 みそこぶし山登頂。後方(北)は登ってきた涌蓋山が、今は頂上を雲に隠して、高く聳え、前方(南)の一目山は、半分が防火帯の草地でバリカンで刈られたように、目立って見えた。一目山に近づくと、上方から声がかかってきた。運転手組が先に一目山に登っていた。頂上直下の刈られた、草地の急斜面は登るのが大変だった。上に待っている人が見えているのに、足が続かない。休み々歩いて、13:30分一目山登頂。ここはAさんの100山目の山。皆で乾杯、万歳で祝った。一目山の東側は急斜面の登山道。直下に舗装道路とその先に九重スキー場の白く細長いゲレンデが臨めた。県道の駐車場に駆け下りる。次の3つ目の山、牧の戸の猟師岳に向う。猟師岳登頂済みの一部の人は長者原の宿に向った。猟師岳の駐車場では、ここが百山目のKさん等が待機していて、合流して登る。小雨が降り始めた中、14時○○分猟師岳登頂。ここでKさんが100山目登頂で、本日の100山達成の登山は無事完了できた。
長者原「花山酔」での祝宴兼忘年会は18時開始。宴会メンバーの参加もあり賑やかであった。
翌日は有志が飯田高原の崩平山に登った。
12期登山会が2007年1月に第一回が始まって以来8年。加藤リーダのもと大分百山を主体に月一回の登山会が行われてきました。これまで登山会で12期生の大分百山登頂達成者は2014年の吉田さんと今年の上田さん安部さんの三人です。積る年令もあり、今後の達成予定者は未定です。12期登山会は続いています。皆さんの参加とご支援を今後もよろしくお願いします。



スタート



女岳と涌蓋山



涌蓋山頂上



みそこぶし山頂



一目山頂上集合



猟師岳頂上



宴会風景



百山完登3人





'15年11月の2 12期登山会


鹿鳴越連山の百合の山から七つ石山縦走
11月15日(日)晴れ。日出、豊岡の背後に連なる鹿鳴越連山(カナゴエ)の百合野山(569m)古城山(コジョウノヤマ)(557m)板川山(イタゴヤマ)(603m)七つ石山(623m)を縦走した。今回のコースは12期登山会の第1回目(2007125日)と同じコースである。それから8年余り、登山会は回数では100回を超えた。1回目の参加者は11名。今回も同じ人数であるが、今回重複して登っているのは3人。また今回の12期生は5人で少なくなっている。参加者 男5 女6 計11名。
9:37分 JR豊後豊岡駅着で集合、地元の2人が加わった。ここから東鹿鳴越道の登山口まで、豊岡の町内を1H近く歩いて、登る計画であった。しかし地元のAさんとYさんが車3台を準備してくれていた。配慮を受けて、登山口まで分乗した。10時すぎ、登山口発。この街道は日出藩主の殿様が山香に行くのに利用していたので、通称「殿様道」と呼ばれている。道幅は広いが、落葉が積った下は岩が出ている。登りが急になると、普段あまり使われていない様子で、熊笹が道を遮ってくる。足元も石が多く歩きにくい。明るい尾根に出て、東鹿鳴越の峠にかかったようである。11:05分百合野山の案内板が出てきた。15分位で登れるらしいの声がでて、左折して登山道に入る。ひのきの植林の中の坂道は滑りやすく、頂上近くの草地は茂って、道が分かりにくくなっていた。11:32分 登頂。東側の日出方面は少し開けていたが、他方は、木で眺望はなし。12:03分下山。街道に戻り、少し先に「鹿鳴越城址」の札が立木にかけられていたが、周りは木で遮られていて、その形跡を感じることはできない。ここから殿様道とは別れて、縦走路を進む。古城山の標識板でまた植林の中の登山道に入る。急傾斜のところもあったが、道ははっきりしており、今度は本当に15分くらいで登ることができた。12:25分 古城山登頂。木に囲まれ見晴らしはなし。昼を過ぎているが、K氏と13時(途中でもう少し遅れるの連絡あり)に七つ石山で会う予定があったため、先を急ぐことにした。13:07分 板川山 道路脇の熊笹の中に標識板が立っていた。周りに道らしきものが見えず、そのまま通り過ぎた。左側の方が開けてきて、日出の町が下に見えだし、最後に少しの登りがあって、13:47分、七つ石山の頂上着。頂上は開けていて、東南の別府湾側は一望できた。頂上には石が何個か点在していた。ここで昼食。下山の道で、遅れていたK氏と出会った。それで女性6名はK氏とその友人の車で下山することにし、男性5人が西鹿鳴越道を下った。こちらの道は広く整備されていた。一貫して下りで滑りそうな岩、石道部分が多かった。15時ごろ、山田湧水に下山。そこでJR、温泉立寄り、直帰など別れ解散。温泉組は浜脇の日の出温泉に寄った。

 
豊後豊岡駅前集合



殿様道登山口スタート



百合野山頂上



古城山頂上



七つ石山頂上



七つ石山から別府方面





'15年11月の1 12期登山会


別府の連峰、鶴見ー内山ー塚原縦走
11月8日(日)晴れ。別府の背後に連なる、鶴見岳(1375m)鞍ヶ戸(1344m)内山(1275m)伽藍岳(1045m)を縦走した。大分百山の完登まで残りわずかになったA氏の未登の山である。参加者 男7 女2 計9名。朝8時鶴見岳東登山口で合流し、猪瀬戸登山口着。道路の向こう側には由布岳の東登山口が対地している。今日は伽藍岳まで縦走するため、車1台を下山口の塚原温泉に置いてくる。運転手は後から追いかけてくることにし、8:10分、落葉で埋め尽くされた明るく、広い林道からスタート。20分近く歩いて、鶴見岳西登山口の案内板から登山道に入る。まばらな自然林の中、急坂は少なく、谷筋は晴天が続くせいか、殆ど乾いていた。途中登り始めて間もない低い所で紅葉の林が見られた。9:37分 馬の背。後発の運転手組が追いついてきた。この辺りにくるとススキの原となり、勾配も急坂で上方に鶴見岳のアンテナが見えてきた。9:50分 鶴見山頂着。ロープウェイで来たと思われる、若い男女グループが来て華やかな雰囲気ができた。間近の由布岳、眼下の別府市街など、360°の眺望が楽しめた。来た道を引返し、10;20分 馬の背着。ここからはその先の、鶴見山の北西方の、従者のような山、鞍ヶ戸を目指し登りが始まる。11:10分鞍ヶ戸登頂。頂上は一面のススキの原で北方の先にはこれまた草原が目立つ内山が、間が谷のため、お互い山の底が見えず、空間を置いて間近に対座していた。直進して直下すれば、早いのだろうが、大分からも見てわかるように、内山との間は鋭角の切れ目で、そこは船底といわれている。この下りを回避して船底に行く、船底新道の標識があり大きく左側から回りこんで谷間を進む。12:00分 船底着。南北(前後)をススキの山ではさまれた、これまたススキの平地は東西は吹き抜けで、強い風にさらされていた。目の前に盛り上がった、これから登る内山を眺めながら、ススキの下に潜りこみ、風を避けながら、昼食。長めに休憩をとり、12:40分 目前の内山登りに出発。見た目は草叢の急斜面であるが、背の高いススキの中に枯れ木のような低木があり、進行を妨げる。またくねくね曲がる急坂は道を見失いがちで、意外と時間がかかった。13:10分 内山登頂。登りついたすぐの所の岩場が頂上だった。内山は遠景でいつも見ているが、頂上部は台形状で北方に緩やかに下り、その先塚原近くでは大きく落ち込んでいる。予想したように、登頂後は緩やかな下りの歩き易い道で快調に進んだ。塚原近くになり、木の間越しに地獄の黄色っぽい山肌が見えてくると、下り坂がきびしくなり、滑りやすくなった。ロープや木の枝、根に摑まりながらで苦労し、楽なままの下山とはならなかった。14:20分 伽藍岳登山口に下山。舗装道路が伽藍岳を巻いて上がっていた。有志5人が登ってきた。朝まわし駐車していた、塚原温泉まで下り、猪瀬戸登山口に戻り、そこで分車し、帰宅についた。大分方面者はかいかけ温泉のおさるの湯に立寄った。
大分からいつも見上げている一連の別府の山々、これからは見ると、今日経験したことが、いろいろ思いだせるかなと、思っています。



スタート



鶴見山頂集合



馬の背から見た鞍ケ戸と内山



盛り上がった内山



内山頂上



内山から鶴見・高崎山







'15年10月 12期登山会


難関の木山内岳登山
10月4日(日)晴れ。大分百山の内、登頂のハードさではトップクラスの木山内岳(1401m)に登った。過去2回雨、台風などで、登りが延期されていた。今回は連続した秋晴れが続き、絶好のコンデションで登ることができた。参加者 男8 女3 計11名。朝8時前県境の道の駅「うめりあ」に車4台集合。さらに南へ下り、右折し、藤河内渓谷沿いの枝道を進む。途中「藤河内湯~とぴあ」の温泉施設、夏木山への分岐があった。道路脇に駐車場あり。他に登山者なし。少し歩いて、8:25分 標識があり、登山道に入る。登山道はずっと渓谷沿いに進む。登り口付近は屏風のような一枚岩で挟まれて谷川が流れる。丸太橋3本を含め6,7本の橋を渡る。上流になり流れが小さくなると、石伝いに、渓流を何度も渡った。岩、石が多く足元の不安定な、登り坂は心身ともに疲れる、ハードなものでした。10時前、木の葉の間に、観音滝が見下ろせた。ここは寄らずに、下りの時に行くことにする。これからの登りは渓谷と離れることになるが、山腹登りが始まり、急坂が厳しくなった。上辺の木々に隙間がみえて、尾根上の峠、喜平越に11:25分着。今日のメンバーは、登山素人の12期生以上の、山岳会所属の登山家が多いこともあり、順調に登ってきたようである。後30分で頂上ということで、一段と傾斜がきつくなり上を目指す。急坂であるが、岩石はなく、足元はしっかり歩けた。12:00頂上着。頂上は平で広場があり、木もまばらであった。合間から南に大崩山、北に傾山、東に桑原山が臨めた。昼食、撮影など少し長めに休憩をとり、12:45分 下山。傾斜が急で、岩場もあるため、下りも慎重になる。14:30分過ぎ、観音滝まで下りてきて、滝のある場所まで登山道から下る。滝は落差65m水量豊富で大きな姿を見せていた。水辺は一枚岩の特徴で薄く平な岩が広がっており、滑りそうで、そこに下りていくのはためらわれた。岸辺にジャージ姿の女性が滝のてっぺんを注視していた。聞いてみると、滝の上からロープ伝いに、懸垂下降をしてくるのを待っていると言う。よく見ると、滝の落下水流の中に、ロープが上から下まで、下がっていた。待つことしばらく、滝の上の水の落下口に、人が現れ、ロープを持って、足を滝面で踏ん張りながら、歩くようにそろそろ滝を下ってきた。下まで10分くらい(?)、滝つぼに下りると、ウェットスーツを着ていて、浮かんでいた。見ていた我々ギャラリーは思わず拍手して、迎えた。狭間市にある滝下りの同好会で、他にも出かけているとのこと。待機時間もありここには30分以上もいたろうか、思わず長居をしてしまった。温泉が5時までのため、急いで下山した。16時30分前、登山口に下山。帰途、途中にある「藤河内湯~とぴあ」で汗を流した。



スタート



橋を渡る



渓谷沿いの登山



山腹の斜面



木山内岳頂上



観音滝





'15年9月 12期登山会


両子山と津波戸山に登る
9月23日(水、祭日)曇り時々晴れ。大分百山完登に残り一桁になった、未登の山。国東の両子山(721m)と宇佐の津波戸山(540m)に登った。参加者 男10 女1 計11名。天気予報では、午前中は曇り、午後から雨。南から前線が近づいているであったが、7時に大分駅を出発する時すでに雨が降っていた。しかし国東路に入ると止んできて、国東中央部の両子山付近では、道路は乾き、雨の形跡はなかった。この後も今日一日は穏やかな一日で天気には恵まれた。8:35分 両子山(寺)駐車場着。今日は秋分の日であるためか、華やかな服装の若い女性など、人出が多かった。両子山は頂上にアンテナが並んでいることもあり、舗装道路が頂上まで続いている。奥の院からの登山道もあるが、登りは舗装道路を上がることにする。本殿、護摩殿を通り、8:50分 登山開始。桧林の中、道路は小枝が一杯散在している。登るにつれ傾斜がきつくなり、流れる汗でサウナ状態になる。曲がり角で正面に空間ができて、アンテナが見えてくると頂上。9:35分登頂。展望台があったが曇りで遠くは見えなかった。下りも同じ舗装道路を下る。見おろすようで、急坂の激しさが改めて感じられた。下山間近のところで、奥の院の標識があり、登りの時には通らなかった山道に入った。岩の割れ目(鬼の背割)、ロープ付の小さな下り岩穴(針の耳)、山路沿いには小さな石仏が並んでいた。奥の院では付設の洞窟の奥で、壁際に石仏が並ぶ前で暗闇の中、水を飲んだ。(長寿の水)下山後、立石で10号線に出て、JR西屋敷駅の北方の津波戸山を目指した。国東路は色着いた田圃と畦道の彼岸花が満開で秋の気配いっぱいだった。10号線の登山口の大きな看板で右折する。部落の入口あたりに、登山道、霊場巡拝道の案内図のある駐車場着 11:45分。ここで各自座り込んで昼食。津波戸山は中央の谷筋沿いに登山道があり、東西両側に岩尾根がある。尾根の八十八ヶ所に石仏が祭られている。今回は尾根の霊場巡りはやめて、登山道を往復した。12:25分 駐車場出発。しばらくは平地の舗装道路を進む。道脇にアケビ発見。完熟のようで、パックリ開いた実の中に薄紫色の果実を見せていた。長身のS氏が収穫して、振舞ってくれた。実の部分は少なく、種が多く、食べるというよりは、クリームをなめているようであった。12:38分 案内板があり登山道が始まる。左側に弘法大師像の分岐点(ここは帰り道で寄った)、右側に東尾根への道が鎖付の急坂で見渡せた。この辺りから谷筋の岩道が厳しくなってくる。所々に水が溜まり左右歩けそうな岩の上を登って行く。洞窟の入口に奥の院があり、穴の奥で岩から水がしみ出ていた。乾いた喉には、少し冷たくおいしかった。
これからの斜面を少し登ると、空が開け、13:40分 頂上尾根の鞍部に出た。これからは草地で歩き易い。左側に展望所と、その先に
524mの頂上標識と三角点があった。13:55分第一頂上着。リーダの指摘でまだ高い頂上が反対側にあると言う。鞍部まで戻り、右側の林を登って行く。道がはっきりしないが、上を目指し、2つ目のピークを登ったところに、山頂の標識があり、そこに540mとあった。第二頂上 14:30分着。木に囲まれ眺望はなかった。ここ第二頂上まで来たのは5人のみで、他の人は第一頂上で下山した。下山は登りと同じ道を下った。15:50分 駐車場に下山。
帰途、杵築市山香温泉センター(旧山香温泉)に寄った。



スタート



両子山登り開始



両子山山頂



津波戸山第2頂上



弘法大使像





'15年8月 12期登山会





県北の山(中摩殿畑山、樋桶山)に登る

8月30日(日)曇り(雨降らず)。大分百山完登を目指すU氏の未登の山、耶馬溪地区の中摩殿畑山(ナカマドンノハタヤマ991m)と隣接する樋桶山(ヒオケヤマ877m)に登った。予定では県南の木内山登山であったが停滞する秋雨前線の影響で南の方は雨の確率が高かったため、リーダの判断で県北の山に変更になった。おかげで一日雨に会わず順調な登山ができた。参加者 男6、女2 計8名。
朝7:56分 高速、玖珠インターで2台が合流し玖珠の山越で中津の耶馬溪地区を目指した。8:30分 道の駅「やまくに」で小休止。新鮮な農産物を購入する人がいた。途中の部落の中に中摩殿畑山登山駐車場の広場があったが、今回はここには止めず、さらに先に進んだ。コンクリートの急坂の林道を相当進み、行止まりの道脇に車を停めた。途中の道沿いに砂防ダムが数基作られていたが、この工事のためか、林道が上の方まで延びたようである。9:10分 山頂を示す標識があり、道脇の登山道に入る。最初は人工林の中。自然林の中に入ると、急坂の山腹登りが始まった。右に左に細い踏み跡状態の土の道は、落葉、ガレが混じり滑り易かった。尾根を越えて、下ったところに、また林道が出てきた。ここで息を整え、再度の取り付きの登り。林間から時折ピークが見え、2,3回目を超えて、10:20分頂上着。丸い広場に小さな石の祠があった。木はまばらで眺望は良さそうであったが、曇りでガスがかかって、遠くは見えなかった。少し早いが、ここで昼食。10:50分 下山開始。11:40分下山。東方に隣接する次の樋桶山に向かう。12:15分頃、往く時にも見かけたが、道路沿いに「雪舟庭」の看板があった。出入り自由なようで、民家の横から奥のほうに小振りのツツジの木が目立つ庭園があった。説明板によると1470年ごろ、雪舟が豊後に滞在した時に作られた様子。お婆さんが出てきて説明をしてくれた。13:00 林道横のカヤの中に「樋桶山南登山口」の標識があり登り開始。防獣ネットをめくって進む。ネット区域が過ぎると林の中で相当な登りとなる。ガレ場状で、補助ロープや小さな岩場も多く。所要時間は短いが、登り、下りには苦労した。特に下りの時は数回尻もちをついてしまった。頂上付近は身の丈を越す、ススキの原で前の人を見失わないよう苦労した。13:45分 登頂。頂上は木に囲まれ、見晴らしはなし。14:40分 下山。改めて道路から見上げると樋桶山は茶碗を伏せた形で、身近に大きくかぶさった姿を見せていた。帰途、15時すぎ、温泉に向かう道で、耶馬溪ダム湖で大きな噴水が上っていて、車を停めて鑑賞した。水質を保つ為定期的に行っているとの掲示板があった。温泉は深耶馬溪の折戸温泉に立寄った。
本日の山は所要時間は比較的短時間で登れたが、急坂で足元が不安定なところは、苦労したところでした。



中摩殿山山頂



雪舟庭



樋桶山山頂



樋桶山登山口から



耶馬渓湖の噴水



'15年6月 12期登山会

くじゅう山開き登山

 

6月7日(日)、久住山の開山際に参加した。大分駅上野の森口を6時45分にスタート。梅雨に入ったばかりの曇り空であったが、雨は降りそうにはない。車2台で途中男性A,K氏の2名が加わり男性6名、女性5名となった。赤川登山口の駐車場に8時20分着。山開きに合わせて県外からの車も多く、駐車場は既に満杯、道路わきに長い縦列駐車、その後方に車を停める。登山準備をしていると駐車場から車が1台出て行き、空いた場所に運よく1台を移動させ駐車できた。8時40分登山開始。赤川からのコースは上りばかりでかなりハードであった。11時までのペナント配布に間に合わせるため男性陣が先行。林を抜けて9時30分久住山の尾根に着く。振り返ると阿蘇がうっすらともやの中に浮かんで見えた。祖母山は雲に隠れていた。そこからは階段状の急斜面を苦戦しながらゆっくり登る。山開き取材のヘリコプターが頂上付近で爆音を轟かせて何度も旋回していた。見晴らしの良い尾根に着くと、我が登山メンバーの女性Kさんと出合った。1人で車を飛ばして来たとのこと。10時40分山頂着。開山記念ペナントを後続の女性陣の分も含めてもらった。女性陣の到着を待たずに昼食開始。11時20分女性陣到着。全員揃って昼食。久住山周辺には雨雲はなく時折薄日のさす天候で、山頂から雲に浮かんだ由布岳の頂上を望むことが出来た。11時50分まで山頂でくつろぎ、記念撮影して12時下山開始。下山ルートは歩きやすい南登山口方面を選んだ。12時20分稲星山との分岐で、大分百山の稲星山に登るグループと南登山口へ下山するグループに分かれた。12時40分稲星山山頂着、記念撮影後下山。12時55分南登山口方面の分岐着。やや早足で先行グループを追いかけまもなく合流。14時30分赤川登山口への分岐に到着、赤川登山口へ向かう。15時赤川登山口駐車場到着、15時15分帰路に着く。途中長湯温泉のはずれにある「ながの湯温泉」で汗を流し、17時過ぎ大分着。



上空のヘリコプターと登山者



久住山頂上



山頂より由布岳を望む



稲星山頂上





'15年5月 12期登山会

祖母山系の古祖母山と障子岳登山

(その1)
5月17日(日)晴れ。大分百山完登まで残り少なくなってきた
3人が未登の祖母山系の大きな山、古祖母山(1633m)と障子岳(1703m)登頂を目指した。参加者 男9、女6 計15名。朝7:30分 道の駅きよかわに車4台が集合、いつものように県道7号線を宮崎県境に向って登る。8:40分尾平トンネルを抜けた、宮崎県側の登山口着。ここで1.古祖母山だけに登る人4名。2.古祖母山から障子岳に登る人7名。3.親父山経由障子岳に登る人4名 に分れた。1,2グループはここの登山口から、8:55分出発。このうち2のグループは障子岳往復となるため、途中を急いで、9:25分、尾平越えの稜線着。11:10分 古祖母山山頂。12:20分 障子岳山頂。と快調に歩いた。3のグループは宮崎県側の高千穂町を相当下って、南西の四季見原キャンプ場地区にある、親父山登山口を目指した。途中カーナビの近道指示により進入した道は数年来使われたことのない荒れた様子で、2度ほど車から降りて進めるかどうかチェックして、やっと通り抜けたほどであった。1H位かかって、10時すぎ、親父山登山開始。同行のKさんは膝の具合が悪いため、登山口で待機することとなった。親父山の登山道はずっと登りであるが、大きな岩や石はなく、すず竹の路肩の土の道であった。11:25分 親父山登頂。頂上広場があったが、木の間越しの眺望であった。隣接する障子岳へは最初に少しの下りと障子岳直前のピークへの登り以外はフラットで開放的な平道であった。中間地点にB29殉職を慰霊する飛行機の部品を付けた銘板があった。12:00分障子岳頂上着。広場があり360°の展望が開けていた。尾平からのグループはまだ到着していない。アケボノツツジの木が一本、まだ花を咲かしていた。昼食にかかる。12:20分 下から声がかかり、予想より早く、古祖母山からの2のグループのメンバーが登ってきた。7人が合流し10人になり頂上が賑わってきた。往復し出発地に戻る人には、まだ半分。昼食、集合写真などをすませ、下山は各人の登頂状況により、次の4つにわかれた。①古祖母山から出発地の尾平トンネル南側登山口に戻る往復ルート。4人②黒金尾根から尾平登山口に下りる。そこで下ってくる帰りの車を待つ。2人③天狗岩往復、親父山登山口に下る。2人④ここから、親父山登山口に下る。2人。
 ※ここにいないが古祖母山往復のグループが他に4人
12:50分①~③の人が障子岳から離れて行った。①の往復グループは、14:05分 古祖母山、16:25分 出発地戻りと、順調に完登した。④グループは③グループが戻ってくるまで1H、障子岳頂上で待機休憩。その間何人かの登山者が障子岳を去来した。ある大分の人は親父山登山口から、ここ障子岳経由祖母山に登って来た。登り、4H位ですと言っていた。14:10分 4人そろって、障子岳から下山開始。14:32分 親父山。15:25分 親父山登山口に下山。尾平のトンネルには戻らず、竹田方面を目指し、宮崎県内を相当走って、16:50分 道の駅、原尻の滝の集合場所で、尾平からの車を待った。まもなく全員合流し、今後の予定などを確認。今日は遅くなったので、温泉には寄らず、ここで解散となり、帰路に着いた。今日は各人の要望を取り入れた、いろいろなルートに分かれての登山となったが、天候にも恵まれ、それぞれ満足できる日となったようです。       (上田記す)


古祖母山頂上



親父山頂上



障子岳頂上



障子岳から見る祖母山



障子岳のアケボノツツジと傾山

(その2)

 5月24日 新緑の祖母山へ。
 A君が90山目の山 祖母山へ登りやすい宮崎県側北谷コースを採った。参加男6名女1名。  車2台分乗して大分発7時。竹田経由五ヶ所ー北谷林道 登山口発9時10分
 祖母山頂へ直登する風穴コースを採る。新緑の中やや曇っていたが予報は回復に向かうとのこと。
 小さな谷を3ヶ所渡渉し登りにかかる。大岩をロープにたよりながら登っていく。このコース中間点の風穴の梯子をのぼり穴を覗く。スズタケの急登を汗をかきながら、喘ぎながらの登りとなる。ゆくて右側の谷、最後のしゃくなげの花もみえる。天気もあがってきたころ11時20分山頂着。見晴らしも最高となる。
 先週のぼった古祖母や障子岳を見下ろす。さすが日本百名山、静岡や栃木からの単独行の人登っている。
 7人で安部君の90座めの山頂での万歳をして9合目小屋経由千間平コースを下山。このころから日差しがさしまぶしいくらいの好天となり3時過ぎには下山。
 竹田 「但馬屋」により温泉「花水月」にて汗をながして帰った。  (加藤記す)   



風穴コースから登山



風穴



祖母山頂














'15年4月 12期登山会





宇目地区アケボノツツジの夏木山登山

4月29日(水)曇り(午後から雨予報)。祖母、傾山系の夏木山(1386m)は、今時アケボノツツジが見頃である、ということと、メンバーU氏の百山未登の山として選定した。参加者は男14、女5 計19名。今日は連休の始まり、ということもあってか、リーダK氏の山仲間の参加もあり、盛会であった。ボックスタイプの車で熊本、宮崎の山を巡って来て、今日はここ大分の山に登るという、北九州の夫婦もいた。8:15分 宇目の道の駅に車5台が集まって、出発。326号線のトンネルを超えてすぐ、右折し、藤河内渓谷沿いの道に入る。最後はジャリ道の悪路を走って、登山口手前の道脇に駐車。林道を数分歩いて、9:32分 標識から、いきなりの急登で林の中の登山道に入る。自然林の中ずっと登りが続く。出会った婦人グループはアケボノツツジは落花してしまっているので、アケボノ平まで登って、引返してきたのだと言っていた。(高度が上るといっぱい咲いていたのに)10:30分、アケボノ平着。開けた所で小休憩。山頂まで1:10分の標識アリ。木の根が急坂の登山道に張り出してきて、またぎながら、苦労して登る。このころから、周りの木の中に、上品なピンクのアケボノツツジの花が見られるようになった。山頂まで、高度が増すのに合わせて、アケボノツツジは多くなり、道脇でも、近くに大きく見ることができた。岩壁状の下部の石の陰に、ひっそりと、黄色の日蔭ツツジの花が咲いていた。石楠花の花が咲いているのも見られた。11:32 頂上着。アケボノツツジの木が沢山あり、それぞれ満開の花を咲き競っていた。頂上は広いスペースがあったが、木が立っており、霧が立ち込めて眺望はきかなかった。昼食、写真をとり、12:30分 下山開始。途中まとめた、休みはとらず、14:10分、林道に下山。帰りに長い山道の中で唯一の建物である、藤河内湯―とぴあの温泉に寄った。清潔で広さもある、気持ちのよい温泉でした。
往路、トンネルを出て、三重町を望んだ時、一時雨に会ったが、その後は雨に会わなかった。翌日は朝からの雨であった。天候にも恵まれ、まずは満足できる一日でした。


スタート



アケボノ平を登る




アケボノツツジ



夏木山頂上



アケボノツツジの花と日蔭ツツジの花





'15年3月 12期登山会

岳滅鬼山登山と百山登頂達成祝賀会
3月29日(日)、30日(月)晴れ。メンバーのSさんとAさんが大分百山登頂達成の最後の山である岳滅鬼山(ガクメキサン1040m)に登り、夜はお祝いの会を開いた。参加者、男11名、女8名計19名。午前中は雨の確率が高かったが、西の日田方面に進むにつれ、天気は回復した。8:00分、高速日田を出た所のコンビニで待ち合せ。車4台が揃って出発。英彦山方向に北上する。林道に入ると道は相当荒れていて、路肩が落ちたところもあり、苦労して進んで行く。林の中に、登山口の小さな標識がある所に車を停めることができた。実際の登山口はもっと先であるが、道路状況から、この先は歩くことにした。40分ほど歩いて、前より大きな登山口の標識があった。10:00分 人工林の中をトラバース状に登り始める。道は木の葉が積り、その下はガレ状か、石がゴロゴロして歩きにくい。岩石をくり貫いたような、岩穴状のトンネルがでてきた。「法華窟」の岩額がかかっていた。修験の山を感じさせた。10:20分 岳滅鬼峠着。「従是北豊前国小倉領」の石塔が建っていた。これからが難所で、岩場が始まり、数か所での鎖やロープでの岩登りがあった。稜線上の狭い登山道の脇に石楠花の低い木が相当あった。開花時期には登山者が増えるかな、と思われた。数回の急坂を超えて、標識もあり頂上かと間違えたピークの次に頂上着、11:10分。大分百山完登の字幕が広げられ、シャンパンでお祝いの乾杯と万歳を行った。お返しに100と描いた由布岳形の手作りクッキーが配られた。頂上付近は、木が間引き伐採され、見通しが良かった。登ってきた南東側の日田方面の山並がよく望めた。13:00分すぎ、駐車場所まで下山。昼食は、夕食の食材を購入する日田市内のスーパ内で食べることにした。昼食後は今夜の祝賀会と宿泊場所である「くじゅう倶楽部」に向った。長者原の西南にある会員制別荘である。夕食は自炊のため全員で準備した。美味くて、充分な食事、飲み物で、お祝いができました。料理、食材、鍋、器、野菜、飲み物の持込み準備など、メンバーの方の多くの協力に感謝々です。
翌日は有志7人が間近の三俣山に登った。



スタート



法華窟の岩窟



岳滅鬼峠



岩登り



頂上集合



祝宴会





'15年2月 12期登山会

津江山群の三国山と渡神岳登山
2月15日(日)曇り時々晴。福岡、熊本との3県の県境にある三国山(994m)とその近くの渡神岳(1150m)の登山を計画した。参加者は男8、女5 計13名。8:00前高速九重インターに集合し、車3台で熊本県の小国町の方に南下。西へ進み再び大分県に入る。鯛生金山の前を抜けて、9:00熊本県境の宿ヶ峰尾峠に到着。道沿いに宿ヶ峰尾不動明王の鳥居が立っていた。鳥居をくぐって、石段が登山道の始まり。9:15分、登山開始。石段の上に簡単な社殿があり、その裏手から、林間に入る登山道になった。自然林の中、落葉が積った踏み跡状の細い土の道の登り坂が続く。ピークを越えて、下った後、木の間から頂上らしき高みが見えた。10:00分 頂上着。途中のピークで息がはずみ、汗が出たがまずは一山目登頂。頂上は小広場状になっていたが、周りの木が伸びていて、眺望は木の間からで、見渡せない。昼食には早く、万歳をして早めに下山。10:50分 下山。次は北東方向にある、渡神岳に向う。途中中間地点にあたる鯛生金山跡に寄った。売店、坑道跡など広い敷地に大きな建物が建ち並んで、山の中に忽然と観光施設が現れた感じで、観光客がちらほらとぶらついていた。中津江の鯛生と言えば、サッカーのカメルーン代表が合宿したことで有名である。続いて鯛生スポーツセンターに行った。坂道を登った上に切り開かれたと思われる、手入れされた芝生の緑のグランドと宿舎が立ち並び、ライオンの彫像が据えられていた。今はJリーグ開幕前の合宿の時期、宮崎では多くのチームが集まっているようだが、ここ鯛生は無人であった。やはりここは少し山の中すぎるようである。まだ昼前。次の山、渡神岳の石建峠登山口をめざす。峠までもう少しの谷川沿いの坂道にかかると、道路上に残雪が目立ち始めた。先頭の車はスノータイヤ装着のためかスイスイと登って行ったが、2,3台目はノーマルタイヤ。慎重な運転で一度止まると、再スタートではスリップ、タイヤが空転して、逆に下がってしまう。前に進めない。高度が上がるとなお雪道になることが予想され、進むのは諦めて、後退して安全な道脇に駐車した。先頭の車は峠に到着し、車が使えないなら、歩いて来いの連絡があったが、距離も分らず、また山は雪が多いのではないかの不安がある。今日の登山は中止の提案をした。先頭グループも登山道の様子を見に行って、雪が多く、中止と決まった。昼食時になっていたので、それぞれの地で昼食をとった。登山口から戻ってきた車と合流し、まだ時間も早かったので、津江地区唯一の温泉である「つえ温泉」によって、帰路に着いた。今日の三国山と渡神岳は直線で10km位しか離れていないのに、三国山では積雪の問題はなかった。
ただ渡神岳は標高が1150mと1000mを超している。これは先週登った時の伐株山(690m)が雪なし、すぐ隣の万年山(1140m)が積雪、吹雪であった場合と同様であった。2月の時期では1000mを超すと、山には雪があることを改めて思わせられる、一日でした。




スタート




三国山頂上



鯛生金山



鯛生スポーツセンター



渡神岳雪山状態



'15年1月-2 12期登山会

城ヶ岳から湯布院へ
1月17日(土)晴れ寒風強い。今日は車を使わずJRと歩きで、庄内の城ヶ岳(1168m)と南方に山続きの倉木山(1160m)に登り、湯布院に下るコース。参加者は男12、女3 計15名。今回は既登で長距離のためか、女性の参加が少ない。8:16分 久大線の庄内駅着。線路を超えて、北側の山裾の舗装道路を西北に歩き出す。小1時間経って、遠くに山の向こうに城ヶ岳が顔を覗かした。さらに少しずつ登りながら、平地の人家や畑地の中を1H以上歩く。桧の人工林の中に入りそれを抜けると、上にまた舗装道路があった。これを北西の湯布院方向に歩いて1H足らず、道脇のカヤの中に城ヶ岳、陰陽石コースの登山道の標識があった。10:50分 庄内駅から2.5Hかかって登山開始。石ころ道でなく、柔らかい土の道であったが、このコースは利用する人が少ないのだろう、いたる所に倒木があり、道を塞いでいた。下を腹ばいになって潜ったり、乗り越えたりと大変であった。1Hほど登ったところに、陰陽石があった。真中に切れ目がある角ばった石がでんと座って居り、その上に石柱が乗っていた。陽に比べ、陰の石は大きく迫力があった。中心部のしたるところに木を生やしているのもリアルであった。もう少し登ったところでは、防獣ネットに角を絡ませたミイラ状の鹿が引っかかっていた様子。(筆者は未確認)林を抜けると、ススキと熊笹のピークになっていた。土道や道脇の熊笹の根元には白いザラメ状の残雪があった。登りの時には気にならなかったが、下りの時には、この雪に難儀した。12:15分 頂上着。草原状態で南西から寒風が吹きつけていた。東側の斜面で昼食。眺望は東側と一部北側を除いてはよくみえた。倉木山はすぐ近くに、湯布院は低い山並みが間に2,3はさまっており、相当遠くに見えた。一時間近く休憩し、倉木山への縦走は中止とし、湯布院目指して下山することにした。13:15分 下山開始。頂上近くの草叢は急坂のうえ残雪で滑る。小道脇の笹竹の上を歩いて下る。林の中に入ると歩き易くなった。登った道とは違う、湯布院側に下る登山道であった。登りの時にあった倒木等は今回の下り道にはなかった。13:45分 30分位で舗装道路に下山。西尾根コースの登山道でこのコースが城ヶ岳登山の最短コースのようである。降りた林道は庄内、湯布院間の林道大分中部線であった。これからは舗装の林道を湯布院を目指して、ひたすら下る。途中山間部に入ると、全面ではないが、道路上にかなり白く雪が残っている。時には凍結場所があり、滑り転んだ人が何人かいた。山の中を1Hぐらい歩いて、草地になり放牧牛に出会った。下って来た山の方をみると低い山の上に城ヶ岳の三角形の山容を見ることができた。南由布の先で湯布院の町に入り、16:10分 湯布院駅着。途中休憩から1H以上歩く間に、3~4グループに分かれてしまった。温泉に入る等の予定があったが、グループ別の行動で解散となった。今日は、庄内駅から登山口まで2.5H、下山してから湯布院まで2.5Hと長く歩いた日でした。 万歩計では36,000歩と長丁場の正月3社詣りを超える歩きでした。


庄内で遠くに城ヶ岳が見えるようになった




陰陽石



城ヶ岳頂上



残雪の残る下山林道



湯布院側から見た城ヶ岳




'15年1月-1 12期登山会


新年恒例の3社詣りと高崎山登山
1月4日(日)晴れ穏やか。春日、柞原、朝見神社への初詣と途中の高崎山(628m)に登り頂上で正月恒例のぞう煮会。参加者は男12、女8 計20名。今回はK氏の先輩3名とTさんの孫で小6年生の新参加があった。8時春日神社集合で、16名が境内に集まった。初詣での人、ジャージの高校の部活の団体などで、賑わっていた。平服姿の県知事にも出会った。まずは一社目のお詣りの後、次の柞原神社に向う。神社行きバスの時間までは相当あったため、待つよりは先へと歩く。バス停で4~5先まで歩いて、9時過ぎになって、バスに乗車。大分市の人は特典のワンコイン料金で半額以下の100円で乗れた。健脚2人(内一人は小6生)は旧道の山道を歩いた。9:10分、柞原八幡宮着。石段を登って、本殿前は混み合っていた。まだ正月幕ノ内、お祓いを受ける企業名がマイクで次々と呼ばれていた。ここで2台の車が合流。高崎山登山と雑煮会に参加する人である。9:40分 柞原神社発。高崎山南登山口を経て銭瓶峠に至る舗装道路の登り坂を歩く。昼食の具材などで膨らんだリュックは車に乗せてもらう。10:45分 登山口着。荷物なしで歩いたが1時間余りかかってしまう。昨年、市民に親しみ安くするため高崎山の整備をしたと、報道されていたが、登山口はトイレの新設、ベンチ、テーブルが増え、城跡の解説など歴史的な遺跡の説明パネルが多く新設されていた。11:30分 頂上着。頂上からの見晴らしは思ったほど良くなってなかった。木が少し少なくなって、合間から別府方面が見えた。大分方面はわずかな隙間しかなかった。鍋、コンロ、餅、野菜、かしわ、調味料、水のペットボトルなどをリュックから出して、ぞう煮の作成開始。併せて恒例のK氏作成の青竹で作った運勢付小カップが配られ、清酒で年始の乾杯が始まる。途中でS氏夫婦が自家製の里芋持参で参加。これで20名となった。ぞう煮は豊富な食材で2,3杯のお代わりもでき満腹できた。その他自家製漬物が豊富に提供された。持参の清酒、焼酎などは、今日は運転の心配がなく、ゆっくりと飲めた。皆さん満足の新年食事会ができました。毎度のことながら、有志による提供、準備には感謝々です。13:00分下山開始。13:23分登山口に下山。ここで車で来た人が帰る。15名で別府の朝見神社を目指して歩き出す。14:00分、銭瓶峠着。別府方面の下り道は、今年は右側の旧道で東別府を目指した。舗装道路の下り坂を、殆ど車とすれ違うこともなく、休憩なしで、1H余り黙々と下った。途中半ば以上下った所で2,3匹の猿に出会った。年寄猿のようで、道路脇を、特に警戒することもなく、歩いていた。東別府駅まで下ったところで、日出方面の4人がJRで帰った。3社目の朝見神社にはさらに30分、11人で向かった。朝見神社は出店のテントは一部片付けに入っていたが、本殿の前には参詣の人が長い行列を作っていた。端でもよかったのだが、列の後ろに2~3人単位で並んで、待ってお参りをした。帰りに別府駅から5分の市営「不老泉」に寄った。熱めの湯で歩き疲れた体を伸ばすことができた。その後有志で別府の町に繰り出した。



春日神社前



柞原神社鳥居と石段



高崎山頂上での雑煮会



高崎山頂上で



八幡朝見神社