[ 我が家の賞味期限] 5/27 なにやら台所がうるさいので覗いてみると、家内と長女が言い争っていました。どうしたのと訊くと、ママは勿体ないことをするのよ、賞味期限が切れているものを冷蔵庫に沢山入れているの、これが私のお弁当のおかずになるなんて我慢できないって言ってるのよ。う〜ん、そうか、わかった。そして、ママの意見は?YUKIはわかっていないのよ。賞味期限の意味が。う〜ん、わかった。ではパパから二人にアドバイスしょうと言って、賞味期限の説明に相成りました。
食品衛生法という法律があってね、美味しく、安心して食べられる期限を設けたのね。昔はなかったのだけど、今は大量に食品を買い込んで、家庭に保管できる設備が整ってきたので食品の劣化を心配してでき た法律なんだ。しかし、一般家庭では余り、神経質になることはないと思うよ。
例えば、期限にも消費と賞味があってね、痛みやすい食品は消費期限といって、出来るだけ早く食べてしまうように心がけるといいね。それから、賞味期限だけどこれも目安であって、例え期限を過ぎてしまても可食期限は1,5〜2倍の期間を設けているんだ。だからそれを過ぎていれば廃棄するしかないだろうど、少々過ぎても熱を通せば大丈夫だよ。それよりも期間に惑わされて神経質になってしまうほうが問題だよ。YUKIはそんなことより、ママにお弁当を作ってもらっていることに感謝しなくてはいけないし、ママも娘の潔癖性を配慮してできるだけ賞味期限内の材料を使ってあげなさいと仲裁して、話しは終わった。誰でも、美味しく、安全な食べ物を戴きたいものです。私も食品を扱う仕事をしてます関係上、かなり品質管理には気を使います。それは当然の事だと考えてます。身近で起こったささやかなトラブルを通じて、私達の周りにいる人間関係を、いつもスムーズにさせる賞味期限も考えてみたら如何なものでしょうか。
続編:末娘のアドバイス
私達の一連のやりとりを聞いていた末娘が突然アドバイスしました。ママ、お買い物したときのレシートを冷蔵庫に貼って使った分から消していったら、何がないかすぐわかるよ。私は自分の物はそうしてるんだ。それから、YUKIネー、おかしいよ。今までママが作ったお弁当を食べてて、急にアルバイトのお店で賞味 期限をおぼえたからと言って、ママに喧しく言うのは?と完全に二人は一本とられてしまった。しかしこの子はすえおそろしそう。
[ 禁煙とは?] 5/24 愛煙家にとって禁煙の二文字ほど天敵である言葉はないと思う。禁煙して1年半になるが、正直言って今でもふぅ〜と吸いたくなるときがあります。以前は一日3箱吸って いましたのでなかなかニコチンの味が忘れられないのでしょう。ニコチンと言えば、テレビで面白い実験を見ました。二人の禁煙志願者に医師がただの丸いリバテープのようなものを渡して、これを毎日貼ると禁煙できると言いました。すると4〜5日はイライラしながらも我慢できますが、ニコチンが切れますと 限界がきました。この実験である程度は意志の力で操作できることがわかりました。
日本チバガイギーからニコチネルTTS30という禁煙志願者には嬉しいパッチの形をした腕に貼る医薬品がでました。これは体内のニコチンがなくなるのを皮膚から吸収させ補充するものです。少しづつちいさなパッチにしていき最後は禁煙する代物です。一日40本以上吸う愛煙家でもイライラがなく止められるそうです。確率は53%だそうです。
私事になりますが、今でもモニターの上にはクリスタルの小さな置物があります。そのなかには私のタバコが一本入ってます。長女がもし、吸いたければ割っていいのよと言ってくれました。私はこの一年半これを見ながら子供達のために、絶対吸わないと誓いました。今でも誓い続けています。家族からも、友人達からも、取引先の皆さんからも、よく禁煙できましたねと言われますが、ある一時期が苦しいだけです。父も私と一緒に禁煙してくれましたが、我慢できずトイレで吸ってましたね。気持ちはいつも嬉しいのですが。禁煙できるのであれば、挑戦したほうがいいと思います。しかし、仕事やご飯の後の一服はたまらんですねと本音がでたりして!
[ その後の喫茶メイクメリー] 5/22 その後の喫茶メイクメリーの報告です。何とエクセルの勉強会から始まった 喫茶メイクメリーを繁盛させる計画が動き始めた。先ず、お客様カードを作り、500円で一個判を押し、その判が15個貯まると一品なんでも無料です。さらにそのカードを作るために、お客様にノートを回し氏名、住所と電話番号を顧客リストに書き込んで戴きます。決して無理強いは致しません。お帰りの際、ルーレットゲームをレジでしていただき当日の数字(今日は5/22だから、22とその倍数44が当たり目)がでると、注文された全商品が無料になります。初日のランチでは3人のお客様が当たりを引かれ、ラッキィーと飛び上がられた方もいたそうです。1週間でランチタイムの客数が10%増えましたとオーナーが言ってました。
各テーブルにはメッセージカードが置かれ、お客様のニーズやクレームを書いて戴いています。お客様がレジでルーレットをされた後に、またのご来店をとカードを差し上げてます。そのカードには顧客番号が書いてあり、毎月末には抽選があります。そして毎月一名様にブランド品(お店推薦品)があたります。
来週から、手作りチラシを作り家族や有志でおよそ5000所帯にローラー作戦でポストに入れるそうです。どんな結果がでるか楽しみですね。マスターも料理のレパートリーを増やされ、喫茶で丼物や寿司を食べられるようにするそうです。勿論美味しくて、安く、愛情こもった品にすると張り切っています。
今後の課題は週末と日曜日に目玉のイベントと料理を考えていますが、なかなかアイデアが浮かびません。何か良いアイデアがあればアドバイスをいただければ嬉しいです。
さて、どうなることか、喫茶メイクメリーの繁盛記の経過報告をまたいたします。
[ tktrさん、50万アクセスおめでとうございます] 5/21 tktrさんの「マック ビギナーズ ダイアリー」トビトビ日記はトビトビファミリーのバイブル、コラーン、仏典となってきている。
インターネットをはじめた頃、YAHOOでマック ビギナーと検索して自分と同じ悩み持っている人間を捜してみた。直ぐに飛び込んできた一覧の中にこの日記があった。洒落たレイアウトだったし、ビギナーという表現に共感を覚えた。時間を忘れて読んでしまった。マック第一号がパフォーマ5220、え、私と同じだとわかると、tktrさんはぐ〜んと身近になりました。しかも年齢もほぼ同じ、職種も似かよっていました。何よりも、tktrさんの人間味溢れる一面が文面の中でなんどとなく読みとれました。
読み終えた時、tktrさんは私のこれからのマックな生活に、必要な人になってしまったのです。それからの私は、一日がトビトビ日記に始まり、トビトビ日記に終わるという日々を送りました。どんなに遅く帰ってきた日でも、必ず日記を開いていました。そして我が家にtktrという横文字が飛び交うようになりました。tktrさんの今日の日記ではね・・・・と食事の時でも家族に話す始末でした。
その日もいつものように日記を開くと、tktrさんの誕生日だった。初めて知らない人にメールをだした。そして返事が来て、私達のマックな付き合いが始まった。
マックというパソコンがなかったなら、そしてインターネットとHPがなかったなら、出会えなかったと思います。マックはその運命的な人と人との結びつきをより現実的にする便利機械、否道具かもしれない。
そのtktrさんのHPのアクセス数が50万回に達成した。おめでとうございます。益々、tktr節でトビトビ日記の更新を末長くお願いします。
トビトビ日記大ファンのeddieより。
[ 畳屋Oさん] 5/20 最近の職人は口数が多くて駄目だな、職人に口は必要ねぇ〜んだよ。黙って仕事して、一日に二言、三言喋れば充分なんだとそれはそれは良く喋られた。Oさんは、行きつけの喫茶店の常連さんで、気さくで歯に衣を着せない話し方をする60歳前後の男性です。Oさんの店は津久見市では親子3代、100年ぐらい続いている由緒正しい畳屋さんだ。
畳職人になって、嬉しいときと辛いときを教えてくださいと尋ねると(eddieの輪風)、そりゃ、職人だから客が喜んでくれることが一番うれしいよ、つらいのは、年をとると身体が言うこと訊いてくれんから畳を運んだりするのが辛いな、仕事だから文句は言わないが引っ越し屋と勘違いして、家具を今度はこっちに動かしてとたのむ客が最近増えたから頭にくるよとも言われていた。
どうして畳職人になられたのですかときいたら、家の家業を継いだだけよ、昔も今も一日畳床から作り始めると2枚が限度やな、当時大卒の給料が月額8000円位だったときに畳は一枚600円位だから、日当は1200円、職人は休みなんてないから、月額36000円位なったそうだ。今は規格商品になって、コンピューターで一日50枚位作るのは簡単だそうです。
知り合いが、内の坊主は出来が悪いから、あんたの所で修行をさしてくれんなとたのまれる事があるそうです、馬鹿にしちょるな、畳屋は馬鹿でもなれるとおもってるからなと笑いながら話された。
良い畳の見分け方を尋ねると、真上から見て目がはっきり出てる奴がいいな、でも最近は技術も進歩したから機械製でも見た目はかわらんな、でも踏んだらわかるわとおっしゃった。人間の肌が受ける感覚は良いものがわかるんだよと言われた。
「畳と女房は新しいの限る」と言われますが本当ですかねと尋ねますと、「いゃ、わしはそう思わん、畳床が住人に馴染むのには時間がかかるから、折角馴染んだ畳を手離すのはもったいない、痛んだら畳表と縁だけ修理すれば新品で馴染むって感じよ」と言われた。「まぁ、かぁ〜ちゃんも古い方が亭主の事ならなんでもわかるからいいじゃないのか、服でも買ってやって、美容院に行って化粧でもしたら別人みたいになるけど、気持ちがぴったし合う恋女房で最高やんか」と言われた。
なるほど、畳も女房も長〜い付き合いが一番かと、ちらっと畳に座って帰りを待っている、お!家内の顔がよぎった喫茶店でのOさんとの会話でありました。
[ それはそれなりに源深し] 5/17 父はお酒が大好きです。母がこの人はとっくに家一軒分くらいに値する酒を飲んでるんじゃないと批判します。酒を父が飲まなかったらどんなに私達は幸せだったでしょうと溜息をつきます。だから、母はアルコールを「キチガイ水」と言って嫌ってます。父はマイペースです。男は酒よ、酒も飲めん奴は男じゃないと言い張ってます。以前父から聞いたことがあります酒を好きになった理由を。祖父が猟師でそれはそれは焼酎が好きだったそうです。山に入ると何週間も帰ってこない時があったそうです。山のあちこちに拠点を置いて大事な生活用品を保管してたそうです。勿論、焼酎も生活用品の一部だったのでしょう。だから下山するときは焼酎がきれた時が一番多かったそうです。
当時(今でもそうですが)鹿児島と熊本の県境のそれはそれは山深い所に住んでいました。勿論交通手段は鉄道か馬車の時代です。鉄道と言っても一日に2回しか来ない所だそうです。駅前に一軒雑貨屋があり、そこでなんでも売っていたそうです。父は祖父から「焼酎買ってこい」とよく言われたそうです。山道で一里もある所を何時間もかけて行ったそうです。
特に冬は冷たい風が吹く山道をカンテラ(原始的な照明器具)下げて行くと、身体が氷りの様に冷え死にそうだったと言ってます。だから、焼酎を飲み飲み帰ったそうです。家にたどり着く頃には一升瓶は半分くらいになってしまい困ったあげく、一計を思いついたそうです。井戸水で薄め、ほろ酔いかげんの祖父に差し出したそうです。祖父が味が薄いなと言うと、父が独占販売だから文句言ったらこの先は飲めんよと諭したそうです。勿論、父は寒風の中で冷えた身体が暖まるから顔が赤くなるのでしょうが、大半は酔っぱらっていたせいだからです。そして段々焼酎の味を覚え、好きになったそうです。
こんな父ですから、母は息子三人にいつも「お父さんは、仕事はできるし、人望も厚い、これは学びなさい、でも酒はいけません」とたたき込んでいた。学習とは恐い物で、酒もタバコも私は成人になるまでたしまなかった。最近、焼酎を寝酒に飲むようになったし、ビールも飲めるようになった。焼酎は血栓に良いと聞いてから飲み始めた。以前は父が酒を勧めても断っていたので父も飲み相手がいないので寂しい思いをしたと思う。息子と差しつ差されつ飲みたいと思うのが一般的な父親の願望だからとおもうからです。
昨日、父が我が家を訪ねた時、ビールでも飲まんね?と誘うとニコとして貰おうかと嬉しそうだった。そ の笑顔はきっと山道を一人焼酎をちびりちびり飲みながら歩いていた少年の延長線上なのかもしれない・・・・?
http://www.synapse.ne.jp/‾denen/chisiki/tisiki05.htm
焼酎が脳血栓に言い理由です。
[ 親不孝の息子です ] 5/16 久しぶりに両親が我が家へやって来た。二人は車で15分位の所に住んでいます。しかし頻繁に行き来がありません。たいていの用件は電話で済むし、会って話さなければならないことが起こると、中間地点の事務所の方に顔を出して済ませます。きっと、長女がもうすぐ誕生日だから、娘に何か持ってきたのでしょう。ケンタッキーフライドチキンを山盛りお土産に買って来てたので皆でほおばりひとときの団欒をすごしました。
そのとき、大正製薬の発毛剤が話題になったのです。育毛剤と発毛剤の違いは確率の違いだろうとか、例え毛が生えても体制に別に影響はないのだけど、心情の問題としてあったほうがいいと考えると父がやけに強く主張していた。帰り際、お前が先に買って試して良かったら買うわと言うことであった。恐るべき父親である。要するに私の毛の薄さはeddie家の血統の正当性の証であると断言しているように思えた。しかし、親とは本当にありがたいものです。最近、私の体調が良くないので心配して来てくれたのでしょうけど。感謝してます。
[ 愛の戦士達よ!] 5/11 アメリカに結婚で行ったのと言えば、一昔前だったら進駐軍で駐屯していた米軍と一緒になって本土に渡ったという女性がおおぜいいた。そしてそのイメージは暗くて敗戦の人身御供の相を呈していた。由紀子のリビングルームで知り合った女性群はそんなイメージは全くない。否、それどころか愛に満ちあふれた生活をされている。
今朝、一通のメールを戴いた。律子・ロビンソンさんからのものでHPを開かれたと書いてあった。やはり彼女もリビングルームで知り合ったのですが、そのHPの内容は愛に満ちあふれ写真家のご亭主とのラブロマンスは、まるでスクリーンをみているようです。
20年前の遠距離恋愛は大変でした。電話代はかかるし、手紙を毎日日記代わりに書いて、まとめて送ったらこれは本みたいですねと家内から言われたものです。
現在の遠距離恋愛はメール、掲示板、チャット、インターネットホーン、テレビと距離感を克服させるツールがたくさんあるからがらりと様相が違ってきている。
HiddyさんとKaoruさんはメールで結ばれ、二人のHPには愛の戦士達が屯している。これから恋愛を育てるカップル、どうしていいのかと悩むカップル等が集っている。
お二人の愛の行方を見守りながら、そして見習いながらこれから恋愛していくカップル(愛の戦士達)のオアシスにお二人のHPがなっていく事を祈ってやまない。
[ 母の日に思ったこと ] 5/10 どんな人にも母がいる。どんなに偉大になっても母より偉大な人間はいないと思う。家内は結婚して以来、両家の母に贈り物をしているみたいだ。その内容がなんであるかを私は知らない。親不孝の息子で申し訳なく思っているが、母はただ微笑むばかりである。
我が家では高校生の二人の娘達がアルバイトのお金を出し合って「パパと大好きなお寿司でも食べに行ったら」と封に入った一万円貰ったと家内が私の前で涙ぐんでいた。「小賢しい事をしやがって」と言いながら、つい私も落涙してしまった。母の日に思ったことは娘達は着実にいい女になってきているということと、自分は親不孝だなと確認したことである。
5/9 [ MakeMerry ] 隔週毎のEXCELの勉強会に新しい仲間が加わった。卒業生のご父兄で喫茶店のオーナーのKさんだ。3年前IBMのノートを購入され、メニューをつくったり、ネットサーフィンをしたりしていたが、喜びや苦しさを共に語れる仲間がいないので次第に遠のいていた。
たまたま、私がHPの話しをしたのがきっかけでKさんの忘れかけていた情熱が再燃した。とにかく、マックでも、IBMでも、PCでいい。仲間になっていろいろ話し会おうと言うことになり、さっそく勉強会の仲間になりました。
雑談の中で、Kさんのお店が「集ってワイワイ話し合える場になって欲しいのでMakeMerryとつけたんです」とわかった。そうしてオープンした店だがまだまだ宣伝が足りないのか集客が芳しくないと打ち明けられた。みんなで何とか流行る店に出来ないかとEXCELの勉強会がお店繁盛作戦会議に体制が変わっていた。さっそく、現地に私達が行ってみて地理的条件を調べ、戦略を立てた。
戦略の1.
ご飯物(ランチとディナー)に力をいれる
*ボリュームがあって、簡単に出来て待たされないもので、美味しくて安いもの。
具体的には・・・・・内緒。
戦略の2.
*遊び心でサービス。(ルーレットサービス)
注文の際、ルーレットを回し、今日の日付がでればお勘定はいらないというお客様には全然デメリットがないサービス。
戦略の3
*会員カードを発行して500円単位で判を押し、一杯に判がなると、お食事が無料に、そして毎月会員からお一人様にブランド品をプレゼントする。
常時サービス:
お子さまにはデジカメで写しプリクラにして差し上げる。
ここ2ヶ月間この戦略でお店をやっていこうと卒業生達がワイワイと話しながら計画する様はもうすでにMakeMerryの真っ最中って感じでしたね。
PS:毎土曜日と日曜日にイベントを考えています。
マジックとか占いなど。他に何か良い案がありましたら教えてください。
お店のその後も結果がでればアップします。
5/7 『Fright Corner 恐怖のコーナー』 先日の日記に「光る物体の謎は?」と20年前に経験したことを書きましたら、いろんな反響がありました。恐いから駄目、不思議な体験をされたんですね、好き好きこの手の話し大好きと評価をしていただきました。
特にKambeさんと意気投合をしまして、8月末までの限定バージョンで恐いお話特集を交互にアップしませんか呼びかけましら、OKと同時にもうページを更新されました。Kambeさんはやることが速い。「FrihtCorner」と銘打ってオープンです。eddieと神戸さんのeddicanコンビがどんな恐怖のコーナーを作り上げていくか楽しみにしていてください。また恐いお話を提供してくださる方を募集しております。よろしくお願い致します。
5/4 『光る物体の謎は?後編』 私は一瞬目を疑った。身体は固まり目だけが上がっていく光る物体を追っていた。それは地上数メートル辺りでピタっと停止した。手の様なものが、手招きしているように見えた瞬間、その手がス〜と伸びてきたんです。生まれて初めて髪が逆立つのを感じました。頭の中は真っ白になり力一杯アクセルを踏んでました。
4〜5分道を戻ると、対向車がやって来ました。私は相当焦っていたのでしょう。対向車レーンに車を停め助けを求めました。運転されていた方は年輩の方で、「バカヤロ!なにやってるんか」と怒られた事を覚えております。
そのおじさんは私の青ざめた顔から事故かと思ったそうです。「変なもの、光る変な物を見たんです」と言うと、「どこで?」「この先です」とこたえると、「ついて来なさい」と言うことになり、おじさんが先導してくれた。「今のところプレイバック、プレイバック〜」とカセットは復活していた。
雨が益々酷くなり、視界が相当悪くなっていた。2〜3分すると、おじさんの車が突然視界から消えた。私は恐怖のあまり、車を停止させ、クラクションを思いっきりならした。すると、おじさんが脇道からバックで出てきた。「にいちゃん、そっちは工事中で行けんから、川まで一旦下りんと向こう側にいけんよ」と言われた。
210号線は大分川の支流に沿った山道だった。道路拡張のため迂回するようになっていました。私はおじさんに真っ直ぐ進んだ事を伝えると、それは無理だと言われました。砂利の山と工事道具等が置いてあるから関係者以外入れないと言って、その柵の所まで連れて行ってくれた。確かに杭が打たれて柵ができていた。私の車の幅だと杭を一本抜かないと通れない狭さだった。
「でも、向こうにうっすらと見える砂利山の近くでUターンしたんです」と訴えました。しかしおじさんは寝とぼけてたんじゃないのかと言って笑ってました。
なんとか、帰宅し母にその事を説明すると、父が出張中でしたので家中の明かを一晩中つけてました。家内も当時を振り返って、あのとき元気のないうつろな返事をしていたねと言ってます。
納得がいかないので、友人に昨日の話しをすると、昼間で3人もいれば、もし少々の事が起こっても大丈夫と考え出かけました。現場は湯布院と庄内の境で山の一部を削って道路の拡張工事の最中でした。現在この辺りには幽谷稲荷が近くにあり墓を工事のため移動したとかいう話しがあります。
友人が道路工事の責任者の方に事情を説明して、その光る物体の出た辺りを調べましたが、何もわかりませんでした。工事現場には光る材料になる物は置いてないし、第一工事がないときは杭を打つので車は入れないそうです。でも、私は確かに見たんです光る物体を。それは宇宙人、幽霊、物の怪か定かではありません。当時かなり疲れて運転していたことも事実です。
しかし、杭を通り抜け、砂利の山の所まで行き、そこでUターンし、百恵ちゃんのテープが途中で意味もなく停まり、光る物体をみて、その場を逃げると百恵ちゃんのテープが復活していたという経験を通して、今言える事は人智では計り知れない不思議なゾーンというものが存在しているかも知れないと考えたりします。
5/3『光る物体の謎は?前編 』 今から20年前の5月の第2日曜日の出来事だった。その日私は福岡の九州大学で司法試験を受験し、大分に帰る途中であった。現在では大分まで高速ができていますけど当時はできてませんでした。午後5時に福岡を出れば遅くとも11時には帰宅出来るだろうと計算しながら家路を急いでいた。
当時婚約者(現在の家内)と遠距離恋愛中で、11時半頃に名古屋から電話がはいる予定だったので脇目を振らず真っ直ぐ大分に向かっていたのである。
日田を抜けて水分峠の近くに来たとき、シトシト降っていた雨が激しくなってきた。私は試験が終わった開放感と彼女の声が久しぶりに聞ける嬉しさとが重なって、フロントガラスを打ち付ける激しい雨も気にならなかった。山口百恵ちゃんのテープから流れるメロディーに私は酔いしれながら湯布院から庄内の山中をぬける道路を運転していた。順調に行けば後1時間で自宅に帰り着くと確認し、真っ暗な210号線をライトをアップにしながら走っていた。
急に道がアスファルトでなくなった。かなりでこぼこ道のせいか揺れが激しくなったのでスピードを落としていくと、道の正面に土がかなりの高さで盛られていて道路を遮断していた。
ワイパーを一番速く動かさなければ前方が全く見えないほど雨が激しく降っていた。え、工事中なのかと私は思い、車をUターンさせたとき百恵ちゃんのテープが止まっていた。オートリバースなのに 変だなと一瞬思った。
バックしながら思いっきり逆ハンして方向を変えオートマチックをRからDに変えた瞬間、何気なく前方を見ると木と木に挟まれるように人影のようなものが光っていた。
そしてその光る人影はゆっくりと宙に・・・・!
5/2『ありがとう、中国の友よ!』
本屋から注文してた「日本語練習帳」が届いたと連絡があった。早く読みたかったので、自宅の近くの河原で車を停めしばし読書に耽った。辺りが少し暗くなったので戻ろうとUターンをすると急に車が動かなくなった。地面が緩くなっていたので、砂を多量に敷き詰めた所にタイヤがはまってしまった。ドアを開けて調べると後輪が空回りしている。
辺りが大夫暗くなってきたので、なんとかしなくてはと気持ちが焦り始めた。今日は休日なので携帯電話も自宅に置いてきているし、車椅子もトランクに入れていて外にもでられない状態だった。向こう岸に魚つりをしていた人がいたので、「助けてください、車が動きません」と叫ぶと助けに来てくださった。事情を説明すると、ニコニコ笑いながらチェーンを取り出して繋いで引っ張るからエンジンをかけなさいとジェスチャーするだけだった。彼らは聾唖者なのかなと考えたりしたが、中国人だと後でわかった。
奥さんと二人のお子さんは車の後ろを押してくださり、旦那さんは軽自動車で引き上げてくださった。シェシェニ、ティエンタオ、ニーヘン、カオシンと咄嗟に中国語でお礼を言うとニコっとされ、手を振りながら夕暮れの闇の中に消えて行ってしまった。彼らに、ありがとう中国の友よ!と叫ばずにおれなかった。
5/1『日記ー1999年度バージョン』 最近、日記の表示方法がコロコロ変わってるねと言われます。その通りです。出来るだけ、みなさんに読みやすく、表示に時間がかからないようにと改良してきました。HPを更新し始めの頃はトキドキ日記のファイルを作り日記を書いてアップするだけでした。しかし、段々開くのに時間がかかるようになったので月毎にファイルをこしらえました。
これでなんとか動きはよくなったのですが、それでも今日の日記を読むときはフロントページを開き、当月のリンクをクリックして始めて日記にたどり着くのは面倒臭いと思うようになりました。
そこでフロントページに今日の日記を置き、開くだけで読めて便利にしました。しかし今日の日記を毎日コピーして、当月のファイルにペーストしていく作業にちょっと嫌気がさしました。それでまた楽できる方法を考え始めたのです。
タイトルだけ日記ページに表示させ、タイトルをクリックすると日記の内容にジャンプする形態に落ち着いた。いまはこの形に満足している。このバージョンになるまで、ともさんに何度も作っていただき感謝しております。ありがとう!