参拝記  常楽寺(白丹町) & 萬休寺(久住町)  H22.12.12(日) R6.1.20再アップ


前回まで、

・上宮跡(今の池の小屋前・馬洗いの池周辺)・・と、

・中宮跡(今の北千里ガ浜の丘の上周辺)・・と
  
・下宮跡(今の法華院山荘観音堂の上周辺)・・の、

それぞれの場所の確認が出来た。
  
下宮の観音様への参拝は済んでいるが、上宮の観音様は参拝していない。・・。
  
上宮跡を確認したが、ここに奉られていた肝心の観音様を参拝しない訳にはいかない・・。
  
前回にも記したが、上宮の十一面観音自在菩薩像は、
  
岡藩の九重山法華院白水寺と、肥後藩の久住山猪鹿狼寺の両寺が共同で奉っていた。
  
それが明治2年の神仏分離令による廃仏毀釈の国策により
  
明治初期に仏教排斥運動が広がり、そのあおりで、猪鹿狼寺は廃寺になった。
  
仏像が不要になったので常楽寺(白丹町)は上宮の菩薩像を譲り受けたいと申し入れた。
  
ところが、萬休寺(久住町)もこの仏像の引き取りを申し入れたので話がつかず、
  
くじ引きで決めたそうである。
  
その結果、上宮の菩薩像は常楽寺、猪鹿狼寺の菩薩像は萬休寺になったそうである。
  
以上の事が「九重山・法華院物語」に書いてあった。
  
上宮跡を訪ねるのも大事だが、苦労して山を下りられた御本尊様のお顔を見ない訳にはいかない。
  
観音様に早く逢いたい一心で、急遽両寺を訪問する事にした。

  
常楽寺を捜し当てるのに苦労した。
  
白丹町は結構広くて、立派な道路があちこちにあり、
  
旧道と複雑に交差していて本当に分かりにくい・・。
  
地元のオジサン、3人に道を聞いたがこれが失敗だった。
  
どれもこれも不正確で、あちこちの道に入り込み、訳が分からなくなってしまった(苦笑)。
  
30分くらい走り回り、気がついたら最初の地点に戻っていた(苦笑)。
  
もう一人のオジサンに聞いてやっと常楽寺に辿り着いた。
  
常楽寺は小さなお寺だった。
  
「九重山・法華院物語」には「浄楽寺」と書いてあったが
  
正式には「南銘山・常楽禅寺」だった。
  
祭壇のある部屋を覗くと、オバサン達が20人くらい座敷に座って食事をしていた。
  
社務室の方へ行くと住職さんがいた。
  
訪ねた旨を言うと、今日は年に一度の檀家との招待食事会との事で、
  
忙しいので自由に拝観して下さい・・との事だった・・。
  
若い住職さんだった。
  
祭壇の横のコーナーに上宮から下りられた十一面観音自在菩薩像が見えた。
  
すぐ隣に不動明王もいた。
  
どちらも石像で、私はすぐに分かった。
  
観音様は座像で背丈が1メートル弱か・・。
  
手に蓮の花を持っている・・。
  
やはり、数百年の風雪に曝されてお身体は苔とシミだらけだった。
  
しかし、思ったよりも綺麗なお身体で安心した。
  
信心深い村人が、あの中岳山頂下からどんな苦労をして山を下りたのだろうか・・。
  
本には30貫(約120s)と書いてあった。
  
村人達は観音様を傷つけない様に大事に大事にしながら険しい山道(今の神明水を通る南登山道コース)を
  
運び下ろした・・。
  
お顔もほとんど傷がない・・。
  
何よりも柔和な表情が印象的だ・・。
  
あの厳しい九重山頂で数百年の間、烈風吹きすさぶ中、 
  
風雪に曝されながら修験者達を見続けてきた・・
  
山伏達は苦しい修行に打ち込み、観音様にどれくらい励まされた事だろうか・・
  
私(オアシス)の夜討ち朝駆けの苦しい山行・・などなどが重なり
  
私は胸が熱くなってしまった・・。
  
私は今日、ここに来て本当に良かった・・と思った。
  
改めてくじゅうの山に入る目的を教えて貰ったと思った。
  
30分くらい観音様の前に座って眺めていた・・。
  
すぐ横では檀家の人達が食事をしているので、長居はお邪魔と思い失礼する事にした。
  
住職にお礼を言うと、「今日は忙しかったのでまたお出でなさい」と言ってくれた。
  
お忙しい中、お邪魔をし、ありがとうございました。

  
次の目的、萬休寺に向かう・・。
  
ここはすぐに分かった。
  
久住町支所のすぐ近くだった。
  
ここも小さなお寺だった。
  
住職がおられた。
  
80歳くらいだろうか・・。
  
訪問の旨を言うと、よく来てくれました・・と言う感じで 祭壇の部屋に案内してくれた。
  
私は 「明治初期の廃仏毀釈で猪鹿狼寺から十一面観音自在菩薩像が
  
当寺に移されたのですか?」・・とお聞きしたら
  
住職は「それは知らない」と言った。
  
そして住職は「でも、私がよく分からない十一面観音自在菩薩像が祭壇に奉ってある。
  
それは阿弥陀如来の隣にある」と言った。
  
また住職は言った。
  
「私の寺は阿弥陀如来が本尊であるが、
  
何故、この祭壇に十一面観音自在菩薩像が奉ってあるのか疑問に思っていた。
  
貴方の言う事を今聞いてその訳が分かった。勉強になった・・どうもありがとう」・・と
  
住職が言ったのだ。
  
私はビックリ仰天してしまった・・。
  
私は宗教の事は何も分からないので、住職が言ってる事の意味が分からなかった。
  
十一面観音自在菩薩像は大きな祭壇の一番上にあり、天蓋に隠れて全然見えない・・。
  
住職は「せっかく来たのだから、天蓋を退けて見ても良いよ・・」と言って脚立を持ってきた。
  
でも、私はそんな変な事はしたくなかったので遠慮した。
  
住職が言うには、背丈は3尺もなく、軽いので木像みたいだ・・と言っていた。
  
「九重山・法華院物語」には木像と書いてある。
  
住職が言うには、以前、祭壇の部屋にイタチが入って暴れて
  
その観音様が転げ落ちたそうである。
  
その時、手に持った時の記憶で軽かったので木像だと思った・・と言っていた・
  
そんな事で、ここの十一面観音自在菩薩像のお姿、お顔は拝観できなかった。
  
でも、ここの住職は凄く面白い・・。
  
私はお寺の住職に「いろいろ教えてくれてありがとう」などと言われたのは生まれて初めてだ・・。
  
住職は冗談を言っているのでは・・と今でも思っている。

  
今日は上宮におられた観音様に会う事が出来て本当に嬉しかった。
  
あの柔和なお顔と、辛く厳しい修験に励む僧達がダブって見えて
  
改めて信仰の山・修験の山・・九重山の奥深さを感じた・・。
  
萬休寺の観音様は逢えなかったが、またいつかチャンスがあるかもしれない・・。

  私の修験山行の謎が深まるばかりだ・・。
   ・上宮、中宮、下宮・・はどんなもので、いつ頃出来たのか(観音様含め)?・・。
   ・そこにあった他の仏像、仏具類はどこにいってしまったのか?・・。
     (例えば、昭和5年8月に遭難死亡した青年二人が目指した上宮の石室は?・・)
   ・法華院弘蔵家の家宝「九重山記」の見学・・などなど。

  たまたま、来週23日の法華院山荘で感謝祭があるので、
  山荘の弘蔵社長(第26代法華院院主)とお話出来るチャンスがあるかもしれない。
  凄い楽しみが出来た・・。

 
    上宮から山を下りた十一面観音自在菩薩像(左)と、不動明王(右)です。

 
    お顔をアップ・・。
    綺麗なお顔です。
    数百年の厳しい歴史を生き抜いてきた思いが伝わってくる・・。

 
    久住町・萬休寺です。 


 
    萬休寺の祭壇です。
    最上段の天蓋の中の真ん中に阿弥陀如来像がチョッピリ見えます。
    その右に十一面観音自在菩薩像があるそうですが全然見る事が出来ません。
    残念・・でも、またいつか・・。


       ご訪問いただきありがとうございました・・