地球一周船の旅

第46回ピースボート 地球一周航海(2004年7月14日〜10月19日)に参加



予てより船の旅に憧れていましたが、私の経済力ではとても無理だと半分諦めていました。ピースボートが地球一周の船を出していると知っていました。青年の船、私のような高齢退職者は無縁のものと思い込んでいました。新聞広告で高齢者も参加出来ることを知りパンフレットを取り寄せ、費用もリーズナブルで決心次第では可能なことが判りました。長期日程で老齢の母と同居のため、周りの了解を取り付けるのに苦労しましたが説得し参加することが出来しました。料金前払いで事故で参加出来ない時はキャンセルが出来ず、大変なので4月から健康管理のため旅行出発まで3ヶ月半禁酒しました。



神戸港新港衛星写真

 7月15日 午後3時 神戸港新港第4突堤 ポートターミナル集合なので大分を9時に出発、JR三ノ宮駅からポートライナーで2時半に到着  トパーズ号は3時入港着岸しましたが、5時出航予定が乗船手続に手間取り5時半に乗船7時出航となりました。甲板風景 船内アラカルト

 7月16日 神戸乗船者に9時から1時間船内生活のオリエンテーション・ガイダンスが開催され、10時半から乗客の避難訓練 神戸乗船者の船内ツアー、夕刻 船長主催のウエルカム・パーテイーが開かれフォーマル・ディナーで地球一周航海の仲間になることが出来ました。

 7月17日 7階デッキの各コーナーや会場では毎日ピース・ボートや乗客の自主企画の行事が催され、有料の語学研修GET以外は基本的には乗客は自由に参加出来る。毎日発行される船内新聞に時間と会場が掲載されているので朝新聞をチェックしてその日の行動計画を立てて計画的に過ごせるので便利でした。明日の台湾基隆の上陸説明会が開催されました。全員参加、後はそれぞれ好みに合わせ出席。

 7月18日 早朝 台湾の基隆に入港、船の大広間ブロードウエイ・ラウンジに入管の係員が乗船、一人一人入国手続、意外と早く終わり映画のロケ地で人気の悲情城市チョウフェンを散策、台北の龍山寺、基隆の中正公園を観光。

 7月21日 ベトナムのダナン入港、ビルも何もない港ですが美しいアオザイ姿の娘さん達のダンスの入港歓迎に感動!1泊2日のフエ観光をしました。

 7月25日、シンガポール入港、半日観光の後、シンガポール空港から一足先にスリランカのコロンボへ、オーバーランドツアー”セイロン島世界遺産とペラヘラ祭”に参加

 7月30日にコロンボ港でトパーズに合流


 8月3,4日 インド洋からアラビア海に入る頃から大揺れが続き、船酔いの乗客が続出、950人で何時もは混雑するレストランも比較的すいていました。私は経験しませんでしたがマラッカ海峡を過ぎてベンガル湾でも結構揺れたらしい。

 8月7日 早朝エリトリアのマッサワ入港、田舎の漁港に毛が生えた程度の港それもそのはず1993年エチオピアから独立したアフリカで一番新しい国。ラクダに乗ったあと、市内を観光しました。しかし本当に暑い。曇りでこの暑さ、晴れた日の地獄の暑さは尋常ではないだろうと思いました。

 8月9日 夜ポート・スエズに到着、紅海はさすが内海、穏やかな航海でした。運河待ちの船と共にコンボイを組む為、沖合いに投錨。

 8月10日早朝 日の出と共に最初の貨物船がスエズ運河に進入、1.8Kmの間隔で次々と続き、トパーズも9時に進入左舷のポート・スエズの街のモスクを見ながら速度は8〜9ノット、左舷のナイルの沃野、右舷のシナイ半島の不毛の砂漠、対照的な風景を眺めながら、熱中症も心配される暑さの甲板上乗客の大半が見物。中間点グレート・ビター湖、チムサ湖イスマイリアのパイロットの交代、回転道路鉄道共用橋、鹿島架橋の平和橋をくぐりポート・サイド港に到着したのは夜遅くでした。1日の猛暑の甲板での見物に疲れ、ポート・サイドの入港は見ませんでした。

 8月11日 エジプトピラミッド観光、6時ごろバスもコンボイを組んで砂漠の高速道路を軍隊の護衛で4時間でサッカラへ屈折ピラミッド赤のピラミッドを遠望しながら、階段ピラミッドを観光、その後ギザへ、3大ピラミッドとスフインクスを観光してトパーズへ。夕食後船上からポート・サイドの夜景を楽しみそのまま出航しました。

 8月13日 早朝ギリシャのミコノス島沖に到着、ギリシャ官憲の指令に従ってアテネのピレウス港がオリンピックのホテルシップの係留でケラチーニ港に変更になり係留中のクインメリー2や他の豪華客船を遠望しながら入港しました。流石にエーゲ海、外洋クルーズ・ヨット、モーターボート、ヨット、紺碧の海のセット。3時半からスニオン岬のポセイドン神殿とアポロ・コーストの夕日の観光をしました。

 8月14日 オリンピック観戦の人が大半でしたが、僕はアテネが始めてなのでアクロポリスとブカラ地区の散策に参加。切らしたプリンターのインクを調達すべく英語が意外と通じず苦労したが何とか成功。しかしブカラ地区の散策の時間をそれに費やしました。好天に恵まれアクロポリスの散策は最高でした。

 8月16日、早朝 日の出と共にイタリア・シチリア島カタニアに入港。エトナ山の幽かな噴煙が朝日に映えていました。アグリゼントの神殿の谷とピアッツア・アメリーナのローマ別荘の観光に出かけました。ギリシャ、カルタゴ、ローマ、ゲルマン、サラセン、ノルマンと次々と支配された歴史的変革の激しい、何処を掘っても遺跡が出てくる島です。

 8月19日 ジブラルタル海峡に入りました。右舷にヘラクレスの柱と呼ばれるイギリス領の要塞の半島を見ながら、左舷のスペインの要塞は遠くて見えず、航路の要衝らしく貨物船等の船影は濃い。流石に狭い海峡風が強いのでしょう、右舷のスペイン側の山に沢山の発電用の風車が林立していました。10時過ぎ、モロッコのタンジェに入港、旧市街の白いメディナの密集家屋が美しく、高い建物は少ないが綺麗なビルの新市街と対照的な街。12時半、タンジェは車窓で、そのままフェズとマラケシュの6日間のオーバーランドツアーに参加しました。

 8月23日 トパーズに合流する為、マラケシュ空港からカサブランカ経由ロンドン・ヒースロー空港へそのままホテルへ。

 8月24日はロンドン市内観光。23日夕刻ドーバーに入港したトパーズから別グループのロンドン観光のメンバーと久し振りの再会。夕刻ドーバーのトパーズに帰船。


 8月26日 早朝 ノルウエーのベルゲン入港、独特の家並に懐かしさを感じました。市内観光は前回しているのでバダンゲル・フィヨルドの観光をしました。作曲家グリークゆかりのホテル、果物のたわわに実る女性的なフィヨルドの遊覧クルーズ、スタインダル・フォッセンの瀧を観光して帰船。甲板から夜景を撮影中オーロラらしきものを。

 8月27日 ゾグネ・フィヨルドのフロム付近まで遊覧、28、29日と3日間遊覧の予定でしたがトパーズの大きさでは狭いフィヨルドの遊覧は危険が多いので、急遽北海を北極圏まで回遊することになり、スカンジナビア半島沿岸を北上29日9時、バイキング島の地球儀の北極圏モニュメントを遠望確認、反転北アイルランドのベルファストに向かいました。

 9月1日 北アイルランド・ベルファースト入港。タイタニック号の建造した造船所ハーランド&ウォルフが隣接面影を残した建物、キュナード・ラインの大型豪華客船「クイーン・メアリー2世号」の受注競争でフランスの造船所に敗れて現在休業状態だそうだ。IRAとの抗争地区を観光。IRAのカトリック居住区フォールス通り、英国支持のプロテスタント居住区シャンキル通り、ストーモント議会の議事堂などを観光後名物パブでのギネスビールを飲み、シティーホール前で自由行動 の後、帰船

 9月2日 アイルランド唯一の、世界遺産ジャイアンツ・コーズウエイの観光、途中、世界最古の公認ウイスキーの蒸留所オールド・ブッシュミルズ醸造所を見学、最後はキャリック・ア・リードの吊橋観光でした。

 9月2日 深夜ベルファストを出航、北大西洋は結構荒れていました。9月7日やっとやや穏やかになり船上運動会が開催されました。関係者は早くから準備、皆童心に返り楽しい1日を過ごしました。

 9月10日 北大西洋の久し振りの快晴の朝、いよいよニューヨーク入港です。9.11のメモリアル・デイの前日とあって海に空に厳戒態勢でした。最初の出迎えは沿岸警備隊のモーターボート空には数機のヘリが舞っています。ハドソン河の河口の大橋をくぐり自由の女神を左舷に眺め、マンハッタンのど真ん中客船ターミナル88番埠頭2番バースに10時着岸。入国審査が厳しく、乗客全員の審査が終わらないと上陸出来ません。観光は2時過ぎから、国連本部とグランドゼロの 観光のあとユニオン・スクエアーでツアーを離脱プリンターのインクを調達コンビニで寿司を食べ、アサヒスーパードライを飲みマジソン・スクエアーガーデン、タイムズ・スクエアー、ブロード・ウエイクリントン・パークを散策、10時に帰船。最後は一人歩きでしたが、警戒が厳しいせいか不安は感じませんでした。

 9月11日 ハドソン渓谷とワイナリーのOPツアーでした。橋を渡り隣のニュージャージー州へ、ベイ・マウンテンのビュー・ポイントから渓谷の絶景が見られるとの触れ込みでしたが、路を間違え肝心のビューポイントには到達出来ず、ポカンティコ・ヒルズのユニオン教会とワイナリーの昼食だけのツアーとなり、その説明もごまかしが多く旅行社の姿勢が問われ、帰りのバスは乗客の怒りの声で騒然となりました。帰船後、同行の乗客から日本料理のレストランを紹介され徒歩で出かけ、久し振りに寿司とそばを食べ、甲板上から夜景の撮影を楽しみました。

 9月12日当局から突然全船舶にハドソン河の一時航行禁止令が出て出航が遅れ見学ができました。

 9月14日、トパーズのブリッジ・ツア−をしました。1956年就航の証拠の非常ベルが付いていました。

 9月16日 8時頃左舷にハイチの島影を見ながらカリブ海に入りました。右舷のキューバは遠くて見えず11日に襲来した超大型ハリケーン、アイボンの被害状況も判らぬまま10時ジャマイカのモンテゴベイに入港しました。

 9月18日 朝コロンビアのカルタヘナに入港、ハリケーンが嘘のような穏やかなカリブ海の航海でした。9時停泊地の側の船着場で小型高速艇に乗り換え湾の入口のサン・フェルナンド要塞の観光、引き返し世界遺産の旧市街の観光、最後はサン・フェリペ城砦の観光をしました。ノーベル賞作家ガルシア・マルケスが世界一と称えた展望を満喫。

 9月19日 夕刻 パナマの大西洋岸 クリストバル港沖で停泊、運河入りを待つ船と共に20日の朝まで順番を待ち

 9月20日 6時にパナマ運河に入りました。最初はガトウン閘門で3度水位を上げガトウン湖に乗り入れました。湖内で何艘かの対向船と行き交いながら、運河の開通のため湖の水位が上がり孤立した生態系で有名なパロ・コロラド島を右舷に見てゲイラード・カットと呼ばれる掘削された部分を掘削の工事現場や浚渫船、削岩船を観察しながら11時50分、ペデロ・ミゲル閘門で1段水位を下げ12時20分、ミラ・フローレス湖に進入しました。ミラ・フローレス湖は狭い湖で次のミラ・フローレス閘門で2段階水位を下げ14時20分、太平洋に出ました。


 9月23日 日の出と共にグァテマラのプエルト・ケツアル港に入港、4艘の貨物船で埠頭が塞がっていてトパーズは反対側の仮設の浮き桟橋に接岸しました。上陸後、軍用空港からチャーター機でマヤ遺跡で最大のティカルへ1泊2日の観光後、すぐ荷物を纏めメキシコシチー経由のカナダ横断オーバーランドツアーに参加しました。

 10月3日 トパーズへ合流すべくカルガリからバンクーバーへフライト、バンクーバーの市内観光の後帰船翌4日はスタンレー公園を徒歩で一周したかったが風邪で体調が悪く自重し朝日に映えるビル群を見て、一人で港の近郊を散策,他の乗客と一緒に寿司屋で久し振りに寿司を食べて、一人で帰船しキャビンで休憩。ビクトリアのOPツアーが濃霧のため飛行機が欠航、出航が1時間遅れたために夜景の撮影がゆっくり出来ました。

 10月4日 夜出航、一路カムチャッキーを目指しましたが低気圧圏に突入、北太平洋は大荒れで船の速度が出せず3日ほどの遅れが 予想される事態になり、危険も伴うことから船長の決断で寄港中止、南下して晴海直行に変更されました。しかしなかなか荒天域を抜けられず一週間船は大揺れ、船酔い続出で何時も混み合うレストランが比較的すいていました。

 10月10日 日付け変更線を通過、11日は1時間で終わり、12日になりました。やっとこの頃になり多少船の揺れは少なくなり船酔いの人も回復、人に勧められて、寄港地ごとに自宅宛てに郵送していたオリジナル絵葉書の個展を14日の誕生日に合わせて開催しました。船でも今度の航海中に製作したり、稽古をしたものを披露する展示演芸会が15日に開催されました。


 10月19日 1日遅れの晴海到着でしたが、台風23号の接近で、神戸までの回航が危険になり航海は晴海で終了することになりました。神戸下船予定の乗客には東京から神戸までの新幹線のチケットが支給されました。私は静岡で途中下車、長男宅で台風をやり過ごし22日帰宅しました。



晴海埠頭衛星写真

TOPページへ

初めての船の旅でしたが予想と異なり、航空機のツアーと比較して寄港地での観光の時間が短く、観光旅行としては不満の残るものでした。三つのオーバーランドツアーに参加しましたが、船旅の場合は寄港地の港付近を重点的に観光するのが本来でオーバーランド・ツアーに参加したのは失敗だったと反省しています。もしも再度船旅をする機会があれば旅行社のオーバーランドやオプショナル・ツアーには参加せずに寄港地での自由行動を選択したいものだと思いました。