佐藤義美略年譜

   


1905(明治38)年

 

1月20日、大分県直入郡岡本村(現竹田市)に、父平太郎、母キツの長男として生まれる。

1912(明治45)年

7歳

鹿児島師範付属小学校に入学。

1919(大正8)年

14歳

大分県立竹田中学校に入学。

1920(大正9)年

15歳

父が横浜市視学になったため、横浜に転居。
二学期より、横浜第二中学校(現、翠嵐高校)に編入。
詩・童謡をかきはじめる。

1924(大正13)年

19歳

「赤い鳥」「童話」「金の星」に童謡の投稿をはじめる。父が東京市視学になったため、東京に転居。

1925(大正14)年

20歳

早稲田大学第二高等学院に入学。同級生の、石川達三、新庄嘉章等と同人雑誌を創刊。

1928(昭和3)年

23歳

初期の童謡の代表作とされている「月の中」を「赤い鳥」に発表。「コドモノクニ」等からも、童謡原稿をたのまれるようになる。

1930(昭和5)年

25歳

早稲田大学国文科卒業。早稲田大学大学院に入学。

1932(昭和7)年

27歳

早稲田大学大学院修了。東京第三商業学校に就職。国語・作文の教鞭をとる。童謡集「雀の木」を刊行。

1934(昭和9)年

29歳

詩集「存在」を刊行。

1939(昭和14)年

34歳

青木民と結婚。

1940(昭和15)年

35歳

母キツ死去。

1943(昭和18)年

38歳

妻民死去。

1946(昭和21)年

41歳

日本児童文学者協会創立委員となる。須賀静子と結婚。長男美紀が生まれる。

1947(昭和22)年

42歳

柴野民三、奈街三郎、加賀山敬二と、雑誌「こどもペン」を創刊。

1948(昭和23)年

43歳

父平太郎死去。長女緑・次女由木子生まれる。

1950(昭和25)年

45歳

長編童話「ぼくとさる」を毎日小学生新聞に連載。

1952(昭和27)年

47歳

毎日小学生新聞に発表した詩「木をうえましょう」が、小学館賞となったが受賞を辞退。

1954(昭和29)年

49歳

童話集「あるいた雪だるま」により、第一回産経児童出版文化賞を受

1956(昭和31)年

51歳

童話集「くじらつり」を刊行。

1960(昭和35)年

55歳

「佐藤義美童謡集」を刊行。

1962(昭和37)年

57歳

交通事故にあい、前頭打撲・両足複雑骨折。9時間の大手術。翌年まで入退院をくり返す。

1963(昭和38)年

58歳

童謡曲集「今のこどものうた」を刊行。

1964(昭和39)年

59歳

長編核爆弾童話の資料集めに、長崎・広島に旅行。

1965(昭和40)年

60歳

童話集「王さまの子どもになってあげる」を刊行。

1966(昭和41)年

61歳

積年の夢、ヨットを手に入れ、神奈川県逗子に仕事場をもつ。

1968(昭和43)年

63歳

内臓癒着による、全身衰弱のため死去。


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