脊稜への想い   挾間 渉
(本文は「九州脊梁の山山」の刊行に際し、「葦」(1994)に寄稿されたもの)



 山の愉しみ方は、歳を重ね経験や感性に磨きがかかってくるとともに、少しずつ変容していくものだ。かつて、北アルプスの槍・穂高や剣、山陰の伯耆大山に足繁く通い詰め、アルピニズムのみが全てであるかのように信じて、ひたすら、がむしゃらに雪や岩を追い求めた青春時代があった。

 そのような時代にはまるで気の付くことのなかった山を巡る周辺の様々な事象−−例えば、自然の造形美、動植物、山の付属物としてのいで湯等々−−に自然と心が動き、深い味わいと感動を覚えることの多くなったこの頃である。これも年齢の為せる技かも知れない。登山は普通の肉体的スポーツに比べてはるかに広い精神的分野を含んでいることを、この頃少し分かりかけてきたような気がしている。

 結婚し、家庭を持ち、仕事と生活に追われ、まるで「燃つき症候群」のように「山」が頭の中から遠ざかり、一度は離れ離れとなったかつての山仲間が、壮年期にさしかかった頃、誰言うとはなしに、示し合わせたかのごとく再び集うことになった。もう10年も前のことである。

 かつて「危険を甘受しなければ真のアルピニズムは存在しない」との高名なアルピニストの言葉に酔い、自己の限界との戦いをエスカレートした面々が、日常生活の心地よさに悩みながらも、妥協の産物とも言える新しい登山スタイルを見出したのである。

 すなわち、それは山に関わる諸現象の結果としての付属物、とりわけ「山のいで湯」を、真摯な態度で追い求めようとする行為である。

 これは一種の新たな精神的覚醒と言えよう。決して浮ついた気持ちからではなく、苦痛の対象としてのハードな部分をオブラートで包み込んでしまい、厳しい山に対しても、静かにも潤いのある、気楽な心の対象としてソフトに捉えようと言うものであった。単に山に登るだけでもなく、また、単にいで湯に浸るだけでもなく、である。これは決して半端な気持ちでできるものでもない。

 地元大分の薮山の低山徘徊に始まり、九重、阿蘇、霧島、雲仙、屋久島と麓に豊かないで湯を擁する山々を貪りながら、山といで湯を求めての山旅が続けられた。既に九州の地に真の意味での秘湯などというものが存在し得ないかもしれないにもかかわらず、実体のない幻影を追い求めている行為にすぎないかも知れないのに、である。そんな中で、若い頃から少しも埋まらない幾つかの空白地帯が少しずつ気になりはじめた。とりわけ、脊梁と呼ばれる山地のことは最も気掛かりな部分となってきている。

 山を多様性のある自己完結型の「スポーツ+α」と観るとき、自己の「山のある人生」における成長ステージに応じ、多様な対象としての山がそこにあるべきである。平たく言えば、今登るべき対象の山、過去において当然登っておくべき(かねばならなかった)山、まだ登るべきでない山、などである。

 「まだ登るべきでない山」・・・・すなわち、今登っても現時点の自己の感性が、その山の持つ底知れぬ奥深さを受け容れるには余りにも貧困なるが故に、機が熟すまで「あとに取っておくべき山」などがそれである。それはあたかも大切なものであるが故に大事にしまい込んでいるようなものであり、イメージの中で想いをしだいに増幅させてしまうことになる。

 私は脊梁と呼ばれる山域には、市房山を除き、ほとんど足を踏み入れたことがない。時に、峻険な岩稜や幽谷を擁する祖母・傾や大崩の山頂から、あるいは市房山の頂に立ち垣間見る脊梁の連嶺は、私にとって鈍頂かつ地味な山容の薮山で、暗雲低く垂れ、靄に覆われた、秘密のベールに包まれたような、何か掴み所がない対象にしか思えてしかたがない時期もあった。

 そこには、壮年以後の登山における重要な副次効果としての「いで湯」が皆目見当らず、ついぞ遠退かせることになった。だからと言って、つまらなそうな山と考えている訳では決してない。いや、そう考えた時期が確かにあった。未知なるが故に、また、未熟なるが故にである。しかし、今直ちに登ろうとする対象の山でもない。

 いつかは登ってみたい山、決して後回しにするというのではなく、今現時点の自分自身の奥行と感性からして、たとえ忙しげに今登ったとしても何程の感慨を得ることができようか。

 伝統的な焼畑農法に対する、あるいは植物学的には分布の北限と南限の接点なるが故の豊富な植物相に対する職業的な興味、椎葉荘や五家荘の秘境と平家落人伝説、五木の子守歌などに対する民族学的な関心、西南の役における西郷軍の退路となった天包山など歴史的背景、狩猟、生活など、この地を訪れるには人間の幅、人格というものを意識してしまい、まだまだ二の足を踏ませてしまう。

 付かず離れずの距離の山の頂から、いつの日か脊梁山地の全価値観と融和できる日を夢見つつ、脊梁に想いを馳せながら、いつまでも変わらぬ地であって欲しいと願わずにはおれない。

 言い訳でも、お世辞でもなく、脊梁山地は、最近の私にとって、正に「あとに取っておくべき山」として、永く温めてきた久恋の山になったと言えよう。

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