今西錦司先生と脊稜の山旅     加藤英彦
 今西先生が1500山を目指して九州最後の山旅として登り残した扇山や他の4山を登り1499山とする山行が、10月に行われた。以下その時の記録である。

 10月18日 大分発夜11時、レンタカー2台に分乗し目指すは熊本県矢部町の民宿「平家の湯」。そこには今日、京都より着いた今西先生と熊本のJACの連中が泊まっている。我々大分よりの一行16名は深夜1時過ぎに「平家の湯」に到着。事前に連絡していた通り宿の玄関は開いていた。みんな寝静まっている中、明日の朝食の用意のしてある部屋に寝袋をもってごろ寝と決め込む。廊下の方を探したら湯舟が見付かる。そっと手を入れて見るとややぬるめだが入れそうだ。早速真っ暗闇の中一人で静かに浸かる。ちなみに入り口に入浴科400円也と書いてあった。重曹泉のボイラーによる沸かし湯であった。

 翌日は民宿にて朝食、今西先生にまずご挨拶。仮眠代は取られずにまずは作戦成功と言ったところ。

 内大臣川に沿って登り目指すは椎矢峠、九州横断林道と称する道は良く整備されており、峠まで一路登り、峠では宮崎よりの出迎えの連中と合流した。さて、峠に車を置き、まず三方山く1577.5M)。高度差は無いが、道がややはっきりせず薮こぎ気味に約30mで山頂へ。狭い痩せ尾根の一部で特徴の無い山頂。例によっての全員での万歳と乾杯、そしてヤッホーの掛け声で山頂を後にする。すこぶる好天に恵まれ脊稜の山々のパノラマが良く見える。

 先生は、登りはまあ調子が良いが、下りにかかるとかなり苦労する。お年のせいで多少目が悪くなっており、下りは特に私の右手をしっかりとつかまえて支えるようにして一歩一歩と下りていくかっこうだ。さて、峠へ下りつき、次ぎは反対側の高岳(1563・2m)へ。この方がやや急な斜面で、最初谷沿いのルートを取りかなり苦労して山頂へ。三角点は最高点よりやや外れた林の中にある。例によってのセレモニーの後はまた厭な下りである。下りになると私が指名される。最後の下りでトラパース気味に谷へおりる厭な所はロープを張って道を確保するほどのところがあった。厭な下りの所ほど、私にもたれている先生の右手にぐっと力が入るのが解る。どうにか予定通り峠へおりつき本日の行動はこれまで。後は車で上椎葉の宿、「奥日向」まで一気に下っていった。「奥日向」では一行40名が盛大な宴会で、盛り上った一夜を過ごした。

 翌19日、いよいよ先生の念願の扇山く1661.3m)へ。車にて上椎葉ダムを登り松木部落を左折。林道を登り登山口より登りにかかる。かなり大きな山だ。登りも骨の折れる山である。先生一行のスローペースで先頭との差は開くばかり、我々は今日大分まで帰らねばならぬので気はせくが先生のペースにはまったままである。この山はかなり整備されており8合目には村営の無人小屋〈20名収容〉があり水場も小屋のそばに確保されていた。

 山頂はシャクナゲなどの潅木に囲まれているが、展望も良く、昨日登った三方、高岳、そして昨年登った向坂山、さらに南に転ずれば市房山、そして明日登るであろう黒岳と、一大パノラマである。山頂にて先生一行を待つ間のしばしの良き眺めに満足した。さて、やっと1時過ぎに先生一行が登ってきた。M君は座布団持ちでずっとそばにつきっきりで登って来た。頂上にてセレモニー、乾杯の後、我々大分組は遅くとも3時には車にて発ちたいという計算から先生達より一足先に下山。「加藤君、下りはまた頼むよ」と指名されたが残念ながらお断りする。これで先生とも最後の山行ではないかと思われ下山する前に一人一人先生と握手、それぞれ先生よりコメントを貰い、皆満足して一気に下山3時30分に車にて出発し大分へは8時30分に帰着した。楽しい山行であった。

 なお、翌日先生一行は黒岳へ登り合計4山を征服し1499山目を達成。そして11月3日、奈良県の白鬚岳(1378m)の山頂に立ち念願の1500山登山を達成したという新聞記事が出ていた。「登りたい山に登った。1500というのはしんどかったで。でもおれはいろんな意味で恵まれていると思うよ」と感慨に浸っていたともある。まさにそのとおりである。1500山のうち私がお供をしたのは数えただけで10山しかないがいろんな山にお供したし、その衰えを知らぬエネルギーは強烈な印象を受けた。特に70代後半以降に残りの500山をやったという事は大したものである。
”今西錦司先生 おめでとう!!”

back