おゆぴにすと6周年企画  「あゝ徳本峠」
・・・失われし山岳ロマンチシズムを求めて・・・・
 高瀬正人
 祖先は夢み、子孫は行ふとかや、暗き中世の昔より幾多のすぐれたる先達ありて、おゆぴにずむに通ずる道を開拓し、自然の堂屋に参することを教へたりき・・・。
 去る80余年前、藤村はかかる名文を小島烏水著「山水無尽蔵」に寄せた。会創立以来6年を経し今、鈍化した活動を振り返り、この言葉をかみしめている。「おゆぴにずむ」の原点、いやそのまた原点の「あるぴにずむ」に思いをはせる。時同じくして、挾間いわく、「徳本越えをやりたいなあ」。かくしてこの企画が陽の目を見る事に相成った訳である。

 今更説明する必要もないが、島々谷から徳本峠への道は、穂高、神河内(上高地という俗化したあて字を極度に嫌ったスウィス日記で著名な辻村伊助に敬意を表して、こう呼びたい)への古典コースである。黎明期の登山者たちは皆この峠を越えたのである。
 かの日本アルプスの父 W・ウエストンは、日本を去る前にこの峠から明神・穂高をいつまで眺め、みつめて涙を流したという。小島烏水も岡野金次郎と共に、又、穂高の主・嘉門次もこの峠を幾つ越えたことであろうか。

 山を歩くという基本的行為の中に自己自身を置き、この日本のアルピニズムの歴史を刻み眺め続けたこの徳本峠への道は、今、失われつつある山岳ロマンチシズム希求の旅路であろう。登山ではない。山、あるいは岳なのである。スポーツではない。何故ならそこにロマンチシズムが存在するからである。

 我々は、この失われしロマンチシズムを求めて、この徳本峠を越えようではないか。

 おゆぴにと流ロマンチシズムとは、シナリオの一部を紹介すると、
その1.黎明期当時の人々を再現する。
    ウエストン、小島烏水、嘉門次等当時の装備、服装等も再現する。
その2.島々谷より徳本峠を越え、徳本小屋にて泊す。翌朝、朝日に映ゆる明神、穂高に合掌。     穂高神社、嘉門次小屋を経由し、梓川、ウエストンレリーフ前で賛美歌 合掌。
その3.中の湯、白骨温泉を辿りおゆぴにずむの原点を探る。
その4.大阪支部松田氏、東京支部鈴木氏等の参加を得て、山の神(嫁はん)、こうるさいガキ共    によって失われつつある一家の長としての落とし前をつける事により「おゆぴにすと」の    再構築を図る。
  
 以上、気宇壮大、浪漫彷彿、、無知蒙昧、、抱腹絶倒etc「あるぷにずむ」の原点、インテリ原ちゃんとして、チョモランマ登頂同時衛生放送のこの時代に、あえて貧夫の我々の意気を示すべし。

 希望者は早めに申し込みを行うこと。キャスト(ウエストン、小島烏水、嘉門次等)の決定は、この企画プロデューサーの私がやります(袖の下も可也)。
◎遠征予定 昭和63年9月15日〜18日あるいは10月7日〜10日とする。

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