写真は語る「長者原」  加藤英彦

                     

  大分県玖珠郡飯田村大字田野硫黄山という地名が、当時私が住んでいたところでした。今でいう長者原登山口一帯ののことです。昭和17年、戦争が激しくなるなかで、私達一家は福岡市を離れていわゆる疎開というかたちで九重山のふもと硫黄鉱業所に、父が職をもとめて移り住んだのです。だから私と九重山とのつながりは、私がゼロ歳の頃からずーっと今日まで続いているのです。

 当時、私が入学した小学校は、飯田村立飯田小学校で、1学年にわずか20数名、長者原から距離にして1里半(約6km)、時間にして1時間30分のところにありました。勿論、毎日歩いて通学していました。今日でこそ、道は舗装され、また、交通機関も充分の時ですが、当時は飯田高原独特の黒土の道を毎日毎日歩いての通学は大変なものでした。その小学校の校歌の一節に

       九重の霊峰を仰ぎみて  気も澄み亘る大自然
       四季とりどりに花は咲き  小鳥は高く空に舞う

とあったように記憶している。まさに、大自然との戦いであったし、また、大自然の素晴らしさを堪能した毎日でした。

 春:いっせいに芽を出したワラビを、学校の帰りにランドセル一杯に摘んで帰ったら、翌日はワラビの味噌汁だ。
 夏:短い夏休みだが、それでも街から登山に来る人たちがあると、私たちは嬉しくて道案内を品柄九重の山を駆けめぐった。
 秋:遊びに夢中になって栗やアケビなど採ったりしていると、つるべ落としの秋の日が急に暮れて、暗い夜道を息せききって家へ走った。
 冬:突然の大雪に喜んで、途中までスキーをはいて学校へでかけたが、雪の冷たさで手足が動かなくなり、ついには泣き出してしまった。

 様々な思いが去来するのである。こんなに鮮やかな記憶がもう昔の話となってしまったのだろうか。

           

 この1枚の写真もそうした通学の思い出のものです。バックにある建物は当時の大分県営ヒュッテで、九重の登山者相手の山小屋でした。我が家はここの管理人として住んでいました。ある冬の朝、大雪が降った時、私たち兄弟3人が通学のためスキーをすべって出かけようとするところです。バックの山は泉水山です。昔はこの位の雪はしょっちゅうでした。特に、この泉水山の裾野に西ノ小池という牧場があって、そこのスロープと草原の具合がよくて、雪が降るといつもスキーをかついでは出かけていました。

 勿論、リフトもない、にわかスキー場でした。一度すべったら、また一歩一歩と歩いて登る、またすべる、といったくりかえしでした。特に、雪面が少し凍った状態となる夜間に月の光の下ですべるスキーは最高でした。足腰が鍛えられたのも当然のことでした。

 ところが、先日、その西ノ小池牧場に行ってみたら、そこはなんと一大別荘地と変わってしまっています。昔のあの雄大さは失くなってしまつていたのです。一体誰が、何のためにやっているのでしょう。いえ、ここだけではありません。最近、飯田高原は別荘分譲地の看板がやたらに目につきます。開発する業者は金もうけのためだけでやっているのでしょうが、購入した人たちもその土地をどれだけ利用できるのでしょうか。はたして自然ということをどうとらえているのでしょうか。近年、自然志向が高まる中、環境問題も討論される時代となりました。「地球にやさしく」という言葉も、マスコミその他が好んで使っています。

 果たして、人は地球にやさしくしているのでしょうか。やさしいのは、地球が人間に対してであって、人間は決して地球にやさしくしているようには見えません。そのやさしくしてくれている地球を人間は気づかないうちに壊しているとしか思えません。 山に登る人にとって、その行為自体が自然を壊している、荒らしているという人もいます。しかし、これは言い過ぎであってほんとうの山に登る人は決して自然を壊しているとは思えません。今年の夏の長雨、冷夏や、地震、噴火等は一体何でしょうか。人間が地球をやさしくしていない為の反動ではないでしょうか。地球は怒っているのです。人間の身勝手さ、わがままに対してのしっぺ返しように思われてなりません。

 以前は確かなる四季の変化がありました。あざやかな季節の変化でした。この地方の古文書『九重山記』には、移ろう九重山の四季を表すのに「春は黒色となり、夏は青色となり、秋は赤色となり、冬は白色となる」と記されています。これは決して「くじゅう山記」ではありません。九重、久住の呼び方の争いは古くからありましたが、近年遂に『くじゅう』という平仮名を統一したかたちのものができてしまいました。ご承知のとおり国立公園の呼び名を昭和61年に阿蘇くじゅう国立公園と設定したからです。

 しかし、我々のように九重の山で育った者にしてみれば『九重山』でなければならないのです。観光地であれば『くじゅう』でも仕方ありませんがね山というとらえ方をするのであれば、九重山が正しいのです。『くじゅう』では重みがありませんし、味がないのです。そして、歴史がないのです。九重山にこだわるのはそういうことからです。

 九州の岳人の山登りは「九重に始まって九重に終わる」と言われています。私の山登りもまたそれと同じ道をたどってきました。九重山を『くじゅう』と書くようになってから、山ヤを対象にした、ほんとうの意味での九重山は失くなってしまったように思えてなりません。(平成5年9月稿)

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