暖冬と言えどもさすが豪雪地帯、西中国の
寂地山塊で、雪と戯れるの巻
   栗秋和彦

 先月の英彦山行では久しぶりににわか雪には遇ったものの、九州の岳人の一人としてはまっとうな雪山に恋い焦がれるものである。まして昨今の暖冬では豪雪をイメージできるような雪山にはとんと縁がなく、この時期、新聞の“スキー場だより”欄で近県の積雪状況を注意深く見入りつつ、想像だけの世界に甘んじているのが現実である。まして最近はいずこも積雪量は少なく、更に人口降雪機を備えているスキー場も多いので、少ない中でもそのまま数字(積雪量)を鵜呑みには出来ないのだ。しかし広島・山口県境に近い恐羅漢(おそらかん)スキー場(広島県の最高峰、恐羅漢山の中腹)だけは未だ天然降雪だけに頼っている頑固一徹(資本脆弱?)なスキー場だと言えよう。

 九州からもっとも近い地にあっても、裏を返せばこの辺りは九州では考えられない“豪雪地帯”の証しであって、2月の上旬までは例年と比べれば少ないながらも150aを誇っていた。となれば、恐羅漢に近い山口県の最高峰・寂地山塊でも状況にあまり差異はなかろう。山口・島根・広島県境に位置してブナ林で覆われたこの山塊は西中国山地国定公園にあり、ガイドブックでも“知る人ぞ知る豪雪地帯”と紹介している。まともな雪山をこの西中国山地で体験しようではないか、ボクは意を決して2月の第3週に、寂地山塊雪中行軍を企てたのだ。

 もっともこの寂地山は3年前の初夏、愚息・寿彦とアプローチの林道はMTBで攻め、主稜線は早駆け登山で稼いでおり、その時のブナ林の“葉裏のそよぎ”が光りを散らす点景が忘れられない。よって今回の主題は“積雪で埋もれたブナ林を訪ねて”としてボク自身この山域の完結編として位置付けたいとの思惑もあった。いずれにしてもおおかたの地形はインプットしており、主催者は即ガイド役としても通用するので、山行に先立って案ずるものは何もなかったのだ。

 で募る遠征隊員の一人は年末の微雪石鎚山行で不完全燃焼のままとなっている(?)挾間直上的昏睡おじさんであるが、もう一人は選考の末、会社の同僚で、知る人ぞ知る全天候型居眠り名人(?)で、我が道を行くB型人間の典型・金子スヤスヤおじさんを指名した。この二人、昨夏の九重は星生倶楽部大宴会で既に顔を合わせており、「おぉっ、何だ何だ。この見事なまでの直上的酩酊昏睡技は!これは無形文化財の域であるわな(金子驚愕談)」や「ムム、人が居ようがいまいが、場所も選ばず、ごろんと横になったかと思うと瞬時にスヤスヤと規則正しい寝息を立てるこの高等芸には感服つかまつり候(挾間感心談)」と、お互いの秘技を知り尽くしているので、遠慮はいらず話は早かろうとの思いもあった。

 さて話は飛んで本番日21日(土)は午前10時過ぎ。鬱蒼とした森と渓谷のはざまに位置する登山口、寂地峡キャンプ場である。余談だが、ここの地名は山口県玖珂郡錦町宇佐と言い、12世紀中頃、豊の国は宇佐八幡宮総本山から名を貰い、小ぶりだが風格を備えた社を建立して現在に至っている。この社、そのものずばり“宇佐八幡宮”と名乗っているので、昔の権勢は多少なりともうかがい知ることができる。しかし今となっては、周りは十数戸だけの山村で“宇佐八幡宮”の名だけでは、集落のなりわいを維持できるものではなかろう。その意味では西中国山地国定公園の第一級の名勝地、寂地峡が世に出なければ、通過点でしかない寒村であったに違いない。マァ、何故これほど紙面を費やして(?)この地の紹介をするのかとなれば、本家本元の宇佐で、奉職の徒となって久しい挾間兄の強いこだわりを察知してのことである。

          

 閑話休題、主題は雪山彷徨であった。立春を過ぎると西日本の気温は異常に上がり、昨日の恐羅漢(スキー場)は積雪が50aまで激減していた。となれば当然、寂地山地も右にならいであろう。最大の気懸かりはまさにそこにあったのだ。本来なら標高480mの寂地峡キャンプ場界隈でも、一面の銀世界であって欲しかったが、現実は日陰に雪塊が散見される程度で、まぁ止むなしと言ったところか。

 渓流は澄み切ってはいるが、ドゥドゥと水量多しで、上流の雪解け水をいっぱいに集めた証左であろう。で気になる天候は時折薄日の差す高曇りなので、まずまずの登山日和だが、山嶺から吹きつける風は思いのほか冷たく、山頂付近の雪深い稜線を目一杯撫でて吹き降りているに違いないのだ。春まだ遅いこの時期、豪雪地帯の一角に身を置けば風はあくまでも冷たく、まだまだ中腹でも人を拒むくらいの冷徹さを予感せねば、雪山彷徨のシナリオは始まらない。そして高度を稼ぐにつれ、少しづつではあるが谷合いを中心に雪原が現れはじめる。

         

 やがて林道から別れ、渓谷沿いの遊歩道へと導かれて寂地峡(正確には犬戻し峡と言う)の核心部に立ち入ることになった。前回のMTB行では、林道を忠実になぞってしまったので、「ハァハァ」ときついばかりの思い出のみ。この秀逸な渓谷は迂回してしまい、その恩恵に預かれずにいた。となれば、新たにこの渓谷美は大いに喧伝しなければなるまい。紆余曲折した渓谷は清流を繋いで二段の大滝が、突然急峻な森の中から現れる。更にナメラを経てその上流には三段の大滝(犬戻しの滝)が現れ、豪快に落下する水勢は冬枯れの渓谷とは言っても、その迫力はなかなかのもので新たな感動があった。

         

 さて行き行きて又行き行く。やがて遊歩道は谷間から離れてグッと高度を稼ぎ、再び林道に合する。そこは既に標高800mに達して、水平道の趣を表しながら、蛇行するたびに本格的な雪道へと化すのだ。そして林道のどんづまり、メウゼン谷出合い(標高900m)で一本立て、スパッツを仰々しく着ける。何かこう、この晴れやかな(?)行為は大袈裟に言うと雪山に入る期待を包み込むような、或いは足元を固めて雪山への新たな思いを誘うような、メンタルな儀式に似てなくもない。

 で整備の行き届いた登山道も標高1000m(読図により)を越すと、あたりは巨大な杉の美林に変わり、薄暗い足元はもうまっとうな雪原になっていたのだ。そこで、先人のかすかな踏跡を頼りに見当をつけて高度を稼ぐことになるが、この劇的変化におじさんたちは、うろうろと蠢(うごめ)き、谷筋を忠実に詰めるぐらいしか目下の取るべき道はなかった。

 そしてまもなく杉林は消え、ブナ林の植生が目立ちはじめるようになると、知らず知らずに積雪は50〜60aにも達し、あるいは斜面ではそれ以上にも感じられるようになり、本来の雪中登山の様相を呈してきたのだ。そして傍から見る挾間・金子のおじさん二人の雪山歩きは、なかなか対照的でおもしろい。と言うのも、すばしっこいキツネ・挾間の踏跡をおっとりタヌキ・金子隊員が忠実になぞると、「アレ、こんな筈では・?」とズブズブと股先まで潜ってしまい、悪戦苦闘する表情を見て楽しむことが、ことのほか多かったことに因る。これは単にウェイトが重いだけではなく、雪山の効率的な歩き方の差異に因る、と断言したいんですね。
 
         

 更に行き行きて重ねて行き行く。さていい加減、雪からもて遊ばれるも、ようやく辿り着いた寂地山頂での過ごし方で特筆すべきは、記念写真を撮る時も、ビデオカメラを廻している時も、ず〜っと口はモグモグと動かしっぱなしのおじさんが一人いたことか。これだけ徹底して物事に没頭できれば何も言うことはないのだ。もちろん頂とは言っても、鬱蒼としたブナ林の中のだだっ広い鈍頂なので、ここが1337mの山口県最高峰とはとても思えないし、眺望は全く効かないので感激度合いもいまひとつなのだ。あぁ、食ってる以外何もすることがないのも分からぬ訳ではないなぁ。

 一方、こだわりおじさんは己の高度計(腕時計)をいじくっては、実際高度と寸分違わぬ表示に「おぉ、さすが我がコードケイはいとしきなり!」とワニ目を細めたり(?)、双眼鏡をうやうやしく取り出しては、眺望も効かぬのに樹木を観察したり(本人はバードウオッチングと称しているが、小鳥のさえずりなど聞こえやしないぞ)、とおじさん二人の生態は見ていて飽きない。しかし他人ばかりを言及しても片手落ちではないか、との声も聞こえてきそうなのでひとまず止めよう。
  
          

 で、都合30分ほどの頂滞在中でもホンの前段で、三人ともあらかた昼食(行動食)はたいらげてしまい、後はウロウロと広い森の中(山頂)で逡巡するのみであった。ここは次の目的地へ向けて行動を起こさなければなるまい。そこで南寂地山(1309m)を踏むべく、一旦コルまで下り、ブナ林をかいくぐり、踏跡も全くない雪面をいとおしみ、かつ深みにはまらぬように用心さも持ち合わせつつ、ゆるゆると目指した。とは言っても、本峰・寂地山とは目と鼻の先にあり、20分足らずの尾根歩きなので、おおぎょうな話ではないし、頂は山名標もなく寂地山から南西に伸びる尾根上の小ピークに過ぎず、注意しなければそのまま気が付かず縦走してしまいそうなたたずまいなのである。

 しかし快方へ向かった天候にも助けられて、木々の間からは本峰・寂地山や南へ伸びるたおやかな冬枯れの尾根の全貌と青空のコントラストが楽しめて、ささやかな人生の幸福とはこんなシーンなのかも知れぬと思い、同時に挾間兄のほころぶ表情を盗み見ては、ガイド役としての責任の一端を果たせたものと、それなりの安堵感に浸ることができたのだ。

 でまたまたおじさんウォッチングになるが、再びコルへ戻るまでボクはず〜っとビデオ担当を命じられていた。が、“我が道を行く”スヤスヤおじさんの方は、どんどん先行してしまい、なかなかビデオカメラに収めることができない。そしてようやく捉えたのがコルでの一休みシーン。ファインダーから覗く画面の中央でスヤスヤおじさんは、やおらベンチに腰掛けると、そのまま横になってしまったのだ。いくら特技とは言えども、氷点下に近い(と思われる)この地ではそのまま寝入ることはなかろうが、高をくくっていると本当にどんな条件でもスヤスヤと化してしまうおそれ大である。このあたりが尋常ならざるこのおじさんのすごさなのであって、まったくもって油断はできないのだ。(反面、このスヤスヤ芸術を垣間見る期待感もある訳だけどね)

 さて下山シーンは雪面を滑ったり、転がったりと童心に帰って、雪と森の合わせ持つ静寂さや山風が木々を揺らすざわめき、或いは谷川のリズミカルな瀬音など刻々と変化する山の表情を楽しみながら、体感的にはわずかな時間でキャンプ場へ辿り着いた。それでも全行程では6時間余りの間、重力やμ(ミュー・摩擦係数)に逆らって身体を動かしていたことになり、心地よい疲労感が呼び水となったのか、おじさんたち(くだんの文化財おじさん二人)は「早よぅ宴会しよう・」と眼は訴えかけるのである。しかし先ずは近隣の吉和町(広島県)に湧出する潮原(うしおばら)温泉へ案内せねばならぬ責務がボクにはあった。下山後の一点はこの湯をおいて他にはないと、前以て喧伝していた手前もある。また早春とは言ってもそれなりのアルバイトは強いられ、さっぱりと汗を流して気持ちよくキャンプを営むのが、今流の山での過ごし方であろう。

 そこで都合1時間半ほどのラジウム温泉の旅を済ませ、慌ただしくテント設営その他諸々の準備を終えて、「さぁ宴会だ・」と色めき立ちテントに入るも、スヤスヤおじさんだけはテントの傍らにあった作り付けのテーブル付きベンチに座ったまま動こうとしないのだ。「もしもし、おじさん、どうしたの?」と急き立てると、「アレ、テントの中で(宴会)するの?」と真顔で尋ねたユニークさが、いとおかしい。そして本心「冗談じゃないよ、この寒空と明かりもないのに屋外でやるかよ」と思うも、傍らでは「押さえて押さえて」と示唆する挾間の眼差しを認めながら、人間、常識と非常識は紙一重でもあると言う人生の真理を垣間見た気がしたのだ。

 さてそれはさておき今宵のメイン・ディッシュは、食材吟味の上調達した特上(?)キムチ鍋である。3年前の正月、九重は坊ケツルキャンプで舎弟・矢野から教わった秘伝のキムチ鍋の技を一挙大公開だ・、とは前口上だけで、今や既製のスープだけで事足りる時勢であって、少し酔いが回れば、おじさんたちの味覚レベルでは十分満足してくれる筈である。でよっぽど腹を空かせていたのか、はたまた齢の割りには食が太いおじさんばかりであったのか、食材は多めに用意したにも拘わらず、しぶとく食い粘って跡形もなく平らげてしまったのだ。もちろん酒はすすみ、話は大きく、広く、声高になってしまうが、森の中のたった一張りのテントだもの、誰に遠慮がいるものか。事の成り行きは容易に想像できるというものである。

 そしていとおしく時間は過ぎ去り、無形文化財的な直上昏睡突入が予知できる頃合いになってきたのを見計って、さしもの大宴会もお開きとした。ボク自身を含めて久しぶりのハードスケジョールをこなしたことで、老躯(ろうく)にはキッチリとツケが回っていたのかも知れぬ。

                  

 さて翌22日(日)、目を覚ますと早起きおじさん二人の寝床は既にもぬけの殻であった。昨夏の星生倶楽部でも実証済みであったが、彼らの早朝徘徊癖は進行することはあっても、治まることはまず期待できない。故に朝餉の支度は一人でこなし、待ちわびることに違和感はないが、それでもなかなか帰ってこない。きっと放蕩旦那の帰りを待つ奥方の心境とはこんなものかと、あらぬ方向を想像してしまい苦笑しきりであった。

 おっと、そんなこんなですっかり出立が遅くなってしまっが、雲ひとつない快晴の下、行動計画はキッチリとこなさなければならない。そこでキャンプ場と目と鼻の先にある竜ガ岳峡へ分け入ることとしたが、のっけから切り立った断崖が続き、岩の間から吹き出すようにして、標高差150mの落差で何段もの滝が垂直に落ちている様は壮観であった。さすが寂地山塊随一の景勝ポイント、五竜の滝の迫力に感嘆の声を上げずにはいられない。

 そして更にはこの山塊の絶好の展望台である花崗岩の尖峰・竜ガ岳(672m)へ至る道すがらの峡谷美に「フム、フムなるほど」などと頷き、更にはゾクゾクするような圧倒的高度感を味わった頂でのひとときを満喫して、昨日のたおやかで芒洋とした雪尾根の歩きとは明らかに趣の異なる、変化に富んだ渓流と岩峰探索をたっぷりと楽しんだ。まさに白眉な秀景の連続であって、その意味では是非推奨しておかねばならぬが、それはともかく、かかるおじさん二人は元気で、若く、混沌として、一生懸命で、訳が分からなくて、怪しげで、珍無類で、愉快で、これはどうしようもないくらい非日常を味わさせてくれるパートナーたちであるわな、と今更ながら思い、あっと言う間の二日間を反芻しつつ、ボクは車上の人となったのである。
  
         

 アッこれは余談だが帰路、助手席で挾間宣うに、「クリさんの山行報告書は日帰りで原稿用紙10枚、2日間なら20枚も珍しくないからね(もっと簡潔にならんのかねぇ)」。そして更に「それはまぁ仕方ないとしても、問題は特定の人物評に関して、針小棒大に上げつらうことだわね」とひとくさりを忘れない。今までの例をなぞり、また今回も報告書作成係を買って出たボクに牽制球を投げているつもりであろうが、これは(対象となる御仁が)それなりのキャラクターを持ち合わせた人でなければ描けるものではないのだ。

 もちろん書き手として、気にしていては精神衛生上好ましくないし、だいいち筆が進む訳がない。つまるところ、ちょっとした人のもたらす仕草に、興味をもって自分なりに分析、考察することが楽しみなのである。そしてそのことが強く印象に残り、それは謂ってみれば『故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る』ような、山旅を媒体としたおじさんたちのキャラクターの再発見に辿り着くのだ。故にこの習癖は当面、治まることはない、とボクはそぉっと囁いたつもりだが、さぁて挾間兄の表情は知ってか知らずか、いつものポーカーフェイスのままであった。

(コースタイム)
2/21 門司7:45⇒車・(中国道六日市I.C経由)⇒寂地峡キャンプ場10:04 29⇒寂地林道犬戻し遊歩道入口11:00 06⇒(犬戻し渓谷周遊)⇒寂地林 道終点12:02 16⇒寂地山13:35 14:07⇒南寂地山14:26 31⇒林道終点15:20 29⇒犬戻し遊歩道入口16:04 07⇒キャンプ場16:30(by車・ 広島県吉和村の潮原温泉入湯後、キャンプ場まで戻り大宴会) 
2/22 キャンプ場9:33⇒(竜ガ岳峡遊歩道経由)⇒竜ガ岳10:00 10⇒(竜ガ岳峡〜宇佐八幡宮経由)⇒キャンプ場10:50(昼食)12:10⇒車・(中国道六日市I.C経由)⇒門司14:25   
                           (平成10年2月21日〜22日)

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