寂地山〜安芸冠山、たおやかな初夏の山旅の巻
                   栗秋和彦 
 「山口県の最高峰はどこ」「....?」「じゃあ広島県では」「...?」 これは九州の岳人の標準的回答例ではありますまいか。中国山地の山名でそらんじて言えるのは、伯耆大山や三瓶山あたり、マァせいぜい氷ノ山や蒜山、スキー愛好者なら道後山、比婆連山も思い浮かべるやも知れぬが、全国的には非常にマイナーな地域であろう。まして山口や広島の山なんぞは丘陵地帯のイメージでしかないのではとの質問に、私なら「図星である・」としか答えられない。しかし北九州在住5年目を迎え、いつまでも北九州の山々巡りでは低山たりとて長州、長門、安芸あたりの山々に失礼になろうというもの。地の利を生かさない手はあるまい。

 そこで少し勉強してみると(とは言っても山口・広島の山のガイドブックを探して見るだけ。しかし意外にこの地域の本は少ない)、山口・広島・島根の三県を境にする西中国山地に主だった山々が集中しているのですね。つまり、山口県の最高峰はこの山塊の横綱格でもある寂地山(1337m)、広島県ではこの山塊の最奥(北東)に位置する恐羅漢山(1346m)が最高峰、そして広島第二位の峰は寂地山から直線距離で2k余りしか離れていない安芸冠山(1339m)といった具合で、同時(同日)にこの三山を登るのは無理にしても、寂地山と安芸冠山は完全に縦走射程内である。「フム、フムこの西中国山地なるエリアが本命であるぞよ、トシヒコ君・」と強引に愚息をパートナーに指名して、寂地山と安芸冠山をやることにした。

 ガイドブックによるとこの山塊のブナの原生林はそれは見事で、この時期“葉裏のそよぎ”が光を散らす風景は一服の絵を見るが如く、また山懐の渓谷(寂地峡)は滝やナメラに緑々の世界が加わり、まこと白眉であると謳い上げているのだ。冬場は1〜2mの積雪はあたりまえの豪雪地帯だからこそ、初夏のブナ林のみずみずしさは観賞に充分耐えるのであろう。そして安芸冠山の東麓には潮原(うしおばら)温泉が控えている。ここは下山後の一点に最適のロケーションであり、見逃す手はない。という訳で親子登山隊は水無月の第二土曜日を待って、寝ぼけ眼をこすりながら中国道をひたすら東へ、隣県なのに180kは意外にロング・ディスタンスではあるが、2時間足らずの所要時間はそぅ苦にもならず、快適ドライブの範疇である。

 そして車の屋根にはしっかりとMTBを2台載せ、登山の過程を楽しむ味付けも忘れないのだ。すなわち、登山口(寂地峡入口・標高450m)から4.5k、標高差430mの林道をMTBで攻めること。緑々の世界の真っ只中を、排気ガスに責められることもなく、自分の脚力のみで高みへ誘ってくれる爽快さは、筆舌には尽くせない。(一方、寿彦は「それは親父の感性であって、俺は親孝行のつもりで付き合っているだけだ」「こんなキツイことは好かん」とほざいているが....)

 で、前置きはこのくらいにして本題へ。実はスタート地点の寂地峡入口でちょっとした事件があったのだ。キャンプ場の広々とした駐車場の一角に車を止め、出発準備に勤しんでいると、髪を振り乱したオババが憐れむような表情で駆け寄ってきたのだ。「ムム、なんだ何だ!事件発生か」と色めき立つ寿彦。すぐ後ろに、筋肉隆々で大柄な白人男性2名が控えているではないか。まさか、オババを口説いている訳ではあるまいし、かと言って風貌から察するに恐喝、強盗のたぐいではないと思って構えていると、ポパイ氏の一人が「Can you speak English?」ときた。ボディランゲッジには多少の自信有りだが、この手は経験上初対面にはあまり有効ではないので一瞬たじろぎつつも、すかさず「A little」と答えたね。するとオババの方が先に口をはさんできて、「この外人さんたちゃあ、昨日からこのキャンプ場に泊まっとるんで、使用料を貰おうとするも言葉が通じねぇ。兄ちゃん言ってくれんか、1200円!」とのことである。

 ここの管理人と泊まり客の“相克の図”とはいささかオーバーだが、オババの方は結構必死の形相なので、一肌脱ぐことにして早速、流暢な(?)ジェスチャアで意を伝えると「円は持っていない、ドルならある。我々は海兵隊(岩国の)だ、ウソつかない(何故かここからは日本語になる)」と20ドル紙幣を差し出してインディアン風に返してきたのだ。するとオババは「村ん中で換えられるかのぅ」と心細そうにつぶやいてボクの方を見る。彼女には悪いが、「マァ、街の銀行に行かんと無理やろうね」の言葉で、これまでの執念がウソのように消え、あっさりと諦めた様であった。そして反対にポパイ・ザ・セーラーマンたちは、戸惑いの表情なんぞいっさい見せずに喜ぶんだよね、「サンクス.ユー・アー・カインドネス」と実に陽気に。これには仲介した己の意にもそぐわぬなぁと、若干後悔の念も湧くのが人情というものであろう。あのはしゃぎぶりを見ると、本当は『円』も持っていたのかも知れないし、まさに自動車の日米交渉最終局面を控えたこの時期、我が国にも強力なネゴシエーターの出現が望まれるように、せめて橋本龍太郎通産大臣ぐらいの論客であったらね、と思ったのです。

 さてMTBで林道をつめる話であった。ボクはこの会話で精力を使い果たしたのか、どうも足取りが重たい。あれよあれよという間に、息子の先行を許してしまい、一人黙々と緑々の谷筋道をつめていくことになった。しかし汗をかきかき、日頃のストレスが発散していくのがよく分かり、気分は上々である。結局寿彦には、舗装も切れた林道のかなり上部でやっと追いつくことができて、面目をやっと保った次第であるが、マァそれだけ息子が成長したということでしょう。

          
   
 そして林道のどんづまりは、小さな沢(メウゼン谷)に行く手を阻まれてはいるが、ちょっとした広場になっていて5〜6台は駐車可能で休息に格好な地でもある。既に車が一台止まっており、中年の夫婦がトランクから目一杯ポリタンクを取り出して、この清冽な沢水の汲み取りにかかろうとしているところであった。こんな山での楽しみ方もあるのだなぁと感心することしきりであるが(この夫婦は後にちゃんと寂地山々頂まで登ってきた。欲張りである)、我々としてはあまりのんびりと休憩を取る訳もいかず、標高900mから登山の第一歩をしるした。ムム、しかしのっけから急な登山道がつづき、呼吸を整えつつ態勢の立て直しを図った。

 一方、寿彦も「自転車で脚を使い過ぎたかなぁ・父さんキツイぜ」と珍しく弱音を吐いたが、途中“延齢の泉”の甘美なる清水に生き返った模様である。そしてこの泉を過ぎてしばらくは、杉の大木が天空に突き上げるように整然とした美林の中を歩く。しかし稜線近くになると、ブナと笹の混生が目立ちはじめ、涼風は吹きわたって、ちょっぴり贅沢な森林浴漫歩となった。まさにガイドブックの謳い文句どおりのブナ林に舞台は変わったのである。文字どおりの“葉裏のそよぎ”を体感しながら、寂地山と南寂地山を分けるコルへ。そして更にわずかな登りで寂地山に到着。林道終点からは1時間弱の登山であったが、山頂を含めてこのルートは眺望は全く利かないので、それを期待しての山登りなら、お薦めはできない。ブナやコナラ、カエデなど広葉樹のみずみずしさを堪能する山と位置付けて、楽しむことが肝要であろう。

          

 さてその山頂は薄暗いほどのブナの森の中といった印象であった。確かにピークではあるが、広い丘陵帯の一角といったイメージは否めず、とても1300mを越す、山口県の最高峰とは思えない。二組の先客とあいさつを交わし、慌ただしく昼食をとった後は、早速冠山を目指すこととした。復路も同じコースをとって返すので、性分として早く冠山を踏んでおかぬとどうも落ち着かぬのだ。ルートは山口・広島県境尾根を南下し、適当な所で東へ分け入って、小さな谷を挟んで冠山へ至るとあるが、このコースも眺めは利かず、高低差のあまりない森の小径を脇目もふらず、ズンズンと進むといったあんばいである。しかし要所要所には道標やテープが巻き付けてあるので、迷うことはない。冠山へのつめは谷を少し下った分だけ、それなりの登りがつづいたが、それでも50分ほどで着き意外にも短時間で所期の目的を達することができた。こちらの方も木々に遮られて眺望を楽しむことはできないが、寂地山のそれとは違い明るく開放的である。そして潮原温泉方面からであろうか、次々とまではいかなくとも絶えることがなく、広島弁が飛び交う登山者の賑わいは、この山が地元の民から親しまれている証しであろう。

 そして復路は親子互いに意地の張り合いの早駆走で、南寂地山までとって返した後、林道終点に降り立つ。もちろんMTBによる豪快なダウンヒルの醍醐味は言わずもがな。ここでも執拗な親子のバトルが展開されたが、バイクテクニックに勝る父親に軍配が挙がった。(と自慢しても仕方ないか。しかしまだまだ負けられぬ)
 さて下山後は計画どおり、回りまわって一軒宿の潮原温泉(放射能泉20度を加熱)を訪ねた。ごく常識的な造りの山里の湯といったところであったが、ゆったりとくつろぐ間にも、冠山々頂で見かけた何人かの登山者を認めたぐらいであるから、中国地方の山には珍しく、山といで湯がキッチリとセットで認知されているのが分かり、是非推奨するに足りるエリアであろうぞ。もっとも湯煙もぅもぅの白濁した山のいで湯は望むべくもないが、この山域にあっては無理難題というものであろう。むしろ蔭ながら応援すべき対象として、“おゆぴにすと”諸兄に少しばかり喧伝をして、この山旅を終えたい。

(コースタイム)
門司6:45⇒車・(中国道・鹿野S.Aにて30分休憩)⇒寂地峡入口パーキング9:30 10:15⇒寂地林道(by MTB)⇒林道終点11:10 23⇒延齢の泉11:43⇒コル12:07 12⇒寂地山12:17 31⇒冠山への分岐12:58 13:00⇒冠山13:20 38⇒冠山への分岐13:52⇒寂地山14:20 35⇒南寂地山(西寂地山)14:45⇒コル14:50⇒林道終点15:13 19⇒寂地林道(by MTB)⇒寂地峡入口パーキング15:35 50⇒車⇒潮原温泉16:15 57⇒車⇒門司19:15                 (平成7年6月10日)

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