日向国の尾鈴山で牧水に想いを馳せるの巻
              栗秋和彦

 充電中の高瀬はこの秋、晴耕雨読ならぬ晴登(山歩き)雨読を楽しんでいるらしい。しかも山歩きの方は特に前以て計画はせず、その日の天候を確認した上で秋晴れに誘われるように出かける。もちろん騒々しい週末は避け、行き先はせいぜい車中か麓に辿り着いて決めるラフさが身上である。この無計画さ、衝動に駆られるままに決断を下すといったあんばいが何とも羨ましい。もっとも先々の身の振り方を思えば、こっちが考えているほど安穏とはいかぬだろうが、人生の充実期に思うがままの行動形態をとれることは、刹那的にせよ尊ぶべきであろう。
 さてひるがえって我が身を振り返ると、社長業で忙しく立ち振る舞った今夏までの高瀬ほどではないにせよ、それなりのサラリーマン人生に身を投じてきた。(休暇を取って)ウィークディの山歩きはちと気がひけるのが偽らざるところだが、「皆んなが仕事に精を出している時に落葉を踏み締めながら小春日和の稜線歩きをしようじゃないか。尾鈴あたりはどうだい?」との魅力的な提案には抗し難かった。「おっちゃん、オレも男だ?行こうぞ」と。 

 一方、挾間との間にも九州100山を稼ぐにあたって抜け駆けはいかんぜよ、との暗黙の了解事項があった。そこで一応週日(11/19金曜)決行の計画を伝えたところ、彼の次男にも似た口調で詰問してきたのだ。曰く「どうして土曜日に行かないの。尾鈴山は九州100山やろ?オレも行きたいのに!」と彼は尾鈴という山そのものより100山の名、つまり権威に支えられ推奨に値した山(に登る機会を)外されたことをこだわるのであろう。で、どうして週末に行かないの?の疑問に高瀬は「だって週末なら誰でも行けるじゃないか」と。けだし迷言であった。そぅ、我々は普通のサラリーマンにはなかなか出来ない、小春日和のウィークディにこだわって登るところに意義があると考えたのである。

 で、大分から延々160kの道程はなるほど異国を感じるに充分な南国の日差しに迎えられた。尾鈴山塊は太平洋からわずか20kにも満たぬ地にあるので、海岸線からは間近にはっきり見てとれる。しかし顕著なピークを持つ独立峰ではないため、なだらかな稜線が連なりどれが最高点かは新参者には見分けがつかぬもどかしさがあるのだ。はやる心を乗せ、ノンストップで先ずは登山口の九重頭(くえんとう)キャンプ場(標高およそ450m)に到着。既に名貫川の源流域に位置するこの地は深山幽谷の真っ只中の感有りである。登路については予め高瀬と白滝〜矢筈岳〜尾鈴山と南稜線から攻める手筈で了解していたので早速、指導標に従って谷沿いに白滝方面の登山道へ分け入る。

        

 地図にはケヤキ谷とあり、この上流に紅葉の滝、すだれの滝、さぎりの滝などを経て落差75mの白滝が現われる筈である。さて日向の国は綾町に代表されるように本来、照葉樹王国である。もちろん尾鈴山も山麓から頂上に至るまでコウヤマキ、オスズカンランなどの照葉樹に覆い尽くされるべきところであるが、この地も例に漏れず山麓一帯は杉や檜などの人工林が幅をきかせている。(後刻分かったが、標高1000m以上まで林道が延びており、殆ど頂稜付近まで人の手が入っていた)

 さてルートはほどなくトロッコ軌道跡に出くわし、白滝まではこれが本来の登山道だと分かる。途中の案内板によると、この軌道跡は昭和30年代までは木材搬出に活躍した模様で、上は白滝方面の標高800m付近から九重頭の登山口を経由して、名貫川沿いに日豊線の都濃駅まで総延長55キロも敷設されていたと言う。個人的には手付かずの自然林を望むところだが、いにしえの代から生業としてヒトの執念には恐れ入ると同時に、林道やトラックが発達していなかった時代でも先人の労苦は計り知れないと思うのである。で、杉や檜の人工林の中にも照葉樹はしっかり存在感を示しており、特にこのケヤキ谷沿いに展開する前述のすだれ、さぎりの滝や谷の深さなど深山幽谷のスケールは大きく想像以上の感有り。九州山地から遠く離れた海岸線の小山塊などとあなどってはならず、尾鈴もなかなかやるのだ。しかし圧巻は何と云っても落差75mの白滝になろう。

        

 樹海を分け入ると突如目の前20〜30mの位置に落差75mを擁する岩壁が現われるのだ。この時期、水量は少ない(と思う)がナチュラリストの己としては一気に迫り上がる圧迫感と壮大さには、見上げる角度もさることながら、最近ではあまり感じることのない自然に対する畏怖の念に囚われるのだ。一方、齢50を過ぎても若かりし頃の「岩と雪」世界への没入願望が抜け切れぬピーターパン・高瀬は、この滝の弱点(があるのかは分からないが)を目で追い登攀の可能性をまさぐっていた模様。彼のどんぐり眼を見れば容易に想像がつくぞ。「おっちゃんよ!いくら充電中でエネルギーの蓄え?は充分だとしても、この壁は登れまい」とボクは眼で訴えたが、喜々として眺める彼には知る由もなかろう。

 閑話休題、けっこう行程は長いのであまりのんびりもできない。尾鈴山への登路は白滝の右岸に渡り、左側の顕著な尾根をひたすら登ると、なだらかな稜線に出て後は杉林を突っ切ったり雑木林を彷徨ったりしながら高度を稼ぐが、眺望は殆どなく、目印の赤いテープが頼りである。実際、二人ともルートファインディングに長けている方ではないので、何度となく見失ってはこのテープに助けられるというシーンがあった。まぁ、我々の実力を棚に上げて申せば、ひいき目に見てもこのルートは分かりづらくけっこう長いので、久しぶりに神経を使い、かつ登りごたえのある山登りとなった。

 さてシャクナゲ混じりの潅木帯に入ると尾鈴から矢筈へと至る稜線は間近である。地図で判断するとどうも東矢筈岳と矢筈岳の中間点で頂稜に出た模様だが、高瀬との共通の関心事は「腹が減った」と云う現実的問題への対処方であった。とにかく直近の小ピークでも辿り着けば、そこが昼食会場となるのは自明の理?であろう。

         

     
 で、腹ごしらえした後の稜線漫歩は、一組の中年ハイカーに会っただけ。晩秋の穏やかな陽をいっぱいに浴びつつ、軽い息遣いと落ち葉を踏みしめる足音のみの静寂の世界が広がり、まさにイメージどおりの「秋の日だまりハイク」に没頭できた。このひとときは間違いなく人生の小さな幸せの一つになり得るものと思うのだ。

 で、くだんの昼食ピークから50分程でようやく目的のピークである尾鈴山に到着。スズタケや雑木に遮られて眺望は望めないが、これは折り込み済。おもむろに広くなだらかな頂の一角に座り込んで登頂の実感をかみしめた。これといった派手さはないが、山懐の深さはそれなりの高度に裏打ちされた証であろうし、挾間流に申せば、かねてから機会を伺っていた日向の国の名峰であり、何と云っても九州100山の一つとしてのステイタスに浴したことになる訳であります。しばしまどろんだ後は裏手にある尾鈴神社奥の院の小さな祠にお参りをして下山開始。

 ルートは東面の切り開きを直下降し、膝がガクガクしてきたところで林道へ出てホッ。更に甘茶谷沿いに渓谷美を愛でながら小1時間で九重頭登山口へ帰り着き、6時間に及ぶ久々の長時間行動の山歩きを終えたのだ。そこで安堵感と共に考えるに豊後国境の山は別としても、日向国の山々は未登が多く課題を多く残している現実がある。その中にあって一つではあるが名のある山を登ることができた意義は大きいと、自分なりに感慨深く思うのである。とまれ往復320kをものともせず黙々と運転をし、かつこの山旅を企画、立案、エスコートした高瀬兄に感謝しつつ意気揚々と帰路の途に就いたことは云うまでもない。 

 さて尾鈴山といえば「ふるさとの尾鈴の山の悲しさよ 秋も霞のたなびきて居り」と詠んだ若山牧水をすぐ連想するほど尾鈴山と牧水は切り離せないが、もちろんアカデミニズムへの探求心を追い求める我々にとっては、東臼杵郡東郷町坪谷にある彼の生家と記念館は是非訪れたいポイントである。しかし尾鈴山の麓とはいえ九重頭登山口とは全く谷筋が違い、大きく回り込まなければならず、帰路からも離れるのでちょっとした決断が必要であった。もちろん回り廻って閉館30分前に滑り込みセーフとなった記念館では、牧水の遺墨や遺稿、著書等に直接触れ、学芸員女史(小学校の先生を勤め上げたような)の説明に頷き、しばし牧水ワールドに浸った。

            

  

 またこの余勢?をかってくだんの歌が詠まれた生家の裏手の高台へも足を延ばしたが、坪内川を隔てて望む尾鈴の山嶺は、淡い西日を受けセピア色に染まり何かしら物悲しい。はるか昔大正元年、志を捨て山深いこの地で家業を継ぐことを要請され、煩悶の日々の中で詠んだ彼の心中が、この地に立つと少なからず分かったような気がしたのだ。ただ物理的な見地から申せばこの高台からは尾鈴の頂は望めない。くだんの学芸員女史によれば牧水は尾鈴山の北西に位置する万吉山を指して詠んだと言うが、当時とまったく変わることのない重厚な山塊全体を故郷の心象風景としてなぞらえ詠まれたことは想像に難くない。

          

 晩秋の夕景につつまれてまさにタイムスリップしたように、ふつふつとその情景が浮かんでくるのは感情移入しやすい己の性癖に因るものかも知れぬが、日向の山旅のフィナーレでボクは少しだけ歌人になった!?

(コースタイム) 大分(寮)5:30⇒車⇒九重頭キャンプ場(白滝登山口)8:40 58⇒さぎりの滝9:43⇒白滝10:11 19⇒稜線10:57 11:01⇒1350mピーク11:47(昼食)12:06⇒矢筈岳12:16 20⇒尾鈴山12:55 13:16⇒尾鈴山登山口(林道手合い)14:02 05⇒九重頭キャンプ場14:58 15:07⇒車⇒若山牧水生家&記念館(東臼杵郡東郷町坪谷)16:23 17:15⇒車⇒大分20:25
                    (平成11年11月19日)

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