宮沢賢治の周辺を探る U  
     
みちのく紀行  花巻−遠野−盛岡の印象
                                 
高瀬正人

花巻
 賢治は故郷・花巻をエスペラント風にハナマーキャと呼んだ。宮沢賢治記念館は新幹線の新花巻駅より車で5分、胡四王山の中腹にある。賢治没後50年を記念して建てられた瀟洒な造りである。ここには賢治のすべてが収められ、展示してあり、興味のある方は是非一度訪れて戴きたい。花巻市民憲章には“私達は花巻市民としての自覚と誇りを持ち、自然と文化を大切にし、力を合わせて明るいイーハトーブの実現を目指します”とある。また花巻には温泉が多く花巻温泉郷と呼ばれ、12の温泉がある。花巻、台、松倉、志戸平、渡り、大沢、山の神、高倉山、鉛、新鉛、金矢、新湯本温泉である。その中でも特に私のお薦めは、大沢温泉と鉛温泉である。いずれも昔の湯治場の雰囲気を今も味わえる貴重ないで湯である。
 花巻で忘れてはならないのは、高村光太郎が晩年を過ごした山荘と記念館である。市の東はずれにあり、ひっそりと地味ではあるが、光太郎の晩年のストイックな生き方や息づかいが聞こえてきそうであった。2回目に訪れた夏(平成3年8月)、ちょうどお盆の最中で、盆踊りの囃子に誘われ、花巻の夜を旅館の浴衣と下駄履きでそぞろ歩いた。花巻での盆踊りもなかなか風情があるもので、賢治もこのお囃子を聞いていたのだろうか。
 「花巻は詩にいで湯に鹿踊り」

遠野
 遠野の中で最も気にいったところは、遠野市立博物館である。日本民族学発祥の地としての遠野、そして人と自然の在り方について『伝承の新しい在り方』をテーマにつくられたこの博物館はなかなかのもの。「遠野物語の世界」「遠野の自然と暮らし」「遠野の民族学」、この三つの展示室は民族学に興味がなくとも、見る人を引きつける何かがある。
 また、遠野はサイクリングにちょうど良い。3〜4時間で観光コースを一巡りすることができる。中央を流れる猿ケ石川、周囲をとりまく早池峰、六角牛山の山々。それぞれが美しく静かな雰囲気の中にあり、ここが民話の宝庫であることがうなづける。「その昔、農家の娘が飼い馬に恋をした。怒った娘の父親が馬を殺したところが、馬と一緒に娘も天に昇りオシラサマになった」
 「遠野物語」は柳田国男が遠野出身の佐々木喜善からの話をまとめたものであるが、この佐々木喜善は宮沢賢治とエスペラント講習会を通じて親交があった。喜善は10才年下の賢治を敬愛していた。同じ土俗の民話の研究者同志でもあった。喜善は賢治の土俗を土俗に終わらせず、さえざえと透徹した詩に昇華させていく独特の芸術性に、尊敬の念を禁じえなかったという。花巻そして遠野、豊かな土俗性は、その土地の文化の尺度でもあろう。柳田国男の言葉を思い出す。
 「何が新しく生まれた美しさで、何が失われ
  た大切なものか、それをいつも考えること」
                   遠野にて

盛岡
 今なおサケが遡ってくるという中津川「与の字橋」でぼんやりと川面を眺めていた。ふと、どこからともなくチャイムが流れてきた。美しいメロディだ。今までに聞いたことがない曲だ。どうやら対岸の市庁舎屋上かららしい。思わず、鳴り終わると同時に市庁舎案内所に駆け込んだ。「今の曲は何という曲ですか」日頃は引っ込み思案のおくゆかしい私も、こういう時はがぜん元気が出る。案内の盛岡美人より貰った資料によると、曲は『春まだ浅く』であった。この詩は啄木の有名な小説『雲は天才である』の一節であり、啄木が渋民小学校代用教員時代に創ったものである。そしてこの曲は、昭和11年春の日活映画『情熱の詩人・啄木』の伴奏曲として古賀政男が作曲したものであった。是非、盛岡へお出かけの際は、聞き逃しなく。“百見は一聴にしかず”である。
 盛岡は杜と水の都、みちのくの小京都と呼ばれるにふさわしい街だ。啄木、賢治ゆかりの地としての歌碑や美術館、博物館も多い。緑なす盛岡城址、多くの寺院、それでいてセンスのいい街並みや“色白”の人々。盛岡の風景保全の為に、市制100周年記念事業として『もりおか100景』が選定された。このガイドブックを見ていると、盛岡の四季のすばらしさや人々の暮らしが伝わってくる。盛岡の祭りといえば、『チャグチャグ馬コ』が有名だが、『ほんのひやこ、夜明げかった雲のいろ、チャンガがチャンガうまこ、橋渡って来る』という賢治の詩だが、これを長岡輝子さんが朗読すると何とも言えずいい味だなや。
 「春まだ浅き盛岡は、やさしく我を抱く街なり」
           (平成2年8月、3年8月)

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