宮沢賢治の周辺を探る V 
        賢治は“おゆぴにすと”か?
 
                    高瀬正人

  詩人、童話作家、農業指導員etc....、さまざまな顔を持つ天才『宮沢賢治』。没後60年を経て、賢治の研究はますます盛んになっている。最近では特にエコロジストとしての賢治に注目が集まっているようである。“おゆぴにすと”として私に課せられた命題なんて大それたことは何もない。ただひとつ『賢治は“おゆぴにすと”やったんやろか』なる点を検証して見たくなった。彼の山行歴、いで湯歴を調査し結論を出して見たい。

 賢治の山行歴(彼の時代、明治29年から昭和8年)は盛岡中学校時代より始まる。中学2年、14才の時に植物採集の為に、初めて岩手山(2,041m)に登る。彼は岩手山をこよなく愛し、学生時代だけでも30数回を越えたと言われている。身支度はわらじに脚半、たいまつの時代である。中学の友人に『宮沢の友達は岩手山なのだから、人間の友達はいらないんだ』といわれたエピソードもある。この岩手山登山に関しては、多くの詩や童話、短歌にその印象を残している。彼の心の山、故郷の山である。賢治はその信仰より、西域(現在の新彊ウイグル自治区・シルクロードの一部)に非常に興味を持っていた。愛読書の中には、スウェン・ヘディンの『トランスヒマラヤ』、河口彗海の『チベット旅行記』等があり、岩手山の火口頂上、薬師岳を聖地・カイラス山に、御釜湖をイーハトーブのマナサローワル湖(阿耨達池)に見立て、山頂でお経を読んでいた。彼の登山はfaith climbing(信仰登山)、あるいはrelygion climbing(宗教登山)であり、大半がAlleinganger(単独行)であった。

      詩・[岩手山]    (1922.6.27)
      そらの散乱反射の中に
      古ぼけて黒くゑぐるもの
      ひかりの微塵系列の底に
      きたなくしろく澱むもの


 岩手山の次は早池峰山(1,914m)である。賢治は地質調査の為に二度登っている。この山行はかなりハードであったが、賢治にとっては、深い想いの残る調査山行であったと思われる。文語詩『早池峰山嶺』『山の晨明に関する童話風の構想』等を残し、童話『どんぐりと山猫』はこの山域、薬師岳と岳川を舞台にしたものだ。賢治は花巻の北上川岸をイギリス海岸と呼び、この早池峰山をイギリスの最高峰スノードンになぞらえたと言われている。

  [山の晨明に関する童話風の構想]
   つめたいゼラチンの霧もあるし
   桃いろに燃える電気菓子もある
    ・・・・・中略・・・・・
   おお青く展がるイーハトーボのこどもたち
   グリムやアンデルセンを読んでしまったら
   じぶんでがまのはむばきを編み
   経木の白い帽子を買って
   この底なしの蒼い空気の淵に立つ
   巨きな菓子の塔を攀ぢよう


 賢治は他の山行歴も多いと思われるが、彼の有名な「雨ニモマケズ」手帳には、「経埋ムベキ山」としてイーハトーブの32の山1)、森、峠が記されている。いずれも賢治が県下をくまなく歩き廻った事と推される。特に農沢川流域では、地図をたよりに雪のある谷川を腰まで浸かって遡行したり、猟師のように山越えをしたという。唯この中には八幡平、栗駒山、和賀岳等秋田県や宮城県等、県境の山が含まれおらず、唯一駒ケ岳のみである。賢治はこれらの名山をイーハトーブの山と認めていなかったのであろうか。いずれにしても賢治の山行歴は並の人以上であり、また学術的目的(土性調査)と信仰の対象としての山であった。
 次に、賢治のいで湯行脚について調査してみる。岩手には大分と同様、多くの山のいで湯があり、まさにイーハートーブ湯と称してよい。岩手山、八幡平周辺、花巻温泉郷、南に夏油(げとう)温泉周辺と数多い。賢治は小学4年、10才の時に花巻近郊の宮沢家行きつけの湯治場、大沢温泉の仏教講習会に参加している。また、盛岡中学時代にはウルシでかぶれた治療の為、志戸平温泉、13才でつなぎ温泉、14才の頃、岩手山からの帰りに網張温泉に入湯した記録がある。盛岡高等農林在学中には地質調査の疲れを鉛温泉、台温泉で癒した。また賢治は花巻温泉の花壇設計も行い、今もそのなごりの日時計が残っている。
 更に賢治の童話『なめとこ山の熊』『鹿踊りのはじまり』等の名作の中にも、湯治場の事が挿入されている。賢治はひなびた、素朴ないで湯を好んでいたのは容易に推測できる。
 さて賢治は“おゆぴにすと”かの結論を出さねばならないが、私一人の独断と偏見で決める訳にはいかぬ。賢治を“おゆぴにすと”と認めるか否かは我が会にとっても重要な問題であり、日本の文学史上への影響も憂慮される。従って、この結論は更に慎重を期し、決定されるべきである。賢治はこう言っている。

   「永久の未完成、これ完成である。理解を了えば
   われらは斯かる論をも棄つる、畢竟ここには宮沢
   賢治1926年のその考があるのみである」
               (農民芸術概論綱要より)


     1)経埋ムベキ山のリスト
旧天山(100m)、胡四王山(176m)、観音山(260m)、飯豊森(131m)、物見崎、早池峰山(1,914m)、鶏頭山(1,445m)、権現堂山(472.3m)、種山(870m)、岩手山(2,041m)、駒ケ岳(1,600m)、姫神山(1,125m)、六角牛山(1,360m)、仙人峠(887m)、東稲山(596m)、駒形山(430m)、江釣子森山(379m)、堂ケ沢山(365m)、大森山(543.6m)、八方山(716.6m)、松倉山(380m)、黒森山(414.6m)、上ン平(560m)、東根山(928m)、南昌山(848m)、毒ケ森(782m)、岩山(345m)、愛宕山(200m)、蝶ケ森(223m)、鬼越山(444m)、篠木峠(420m)、沼森(582.6m)

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