伯耆大山北壁大屏風岩
豪雪に敗退・・・


目的 伯耆大山北壁大屏風岩の冬季登攀

期間 1975年1月11〜15日

参加者 内田憲男(アタック)、挾間渉(アタック)、栗秋和彦(サポート)

    

大屏風岩の冬季登攀というはっきりした目的をもって、大分より大山にやってきた。しかし、1月10日に新聞で見た天気図が頭にうかぶ。…初めての冬の岩壁ということもあって、どうしてもサポートが必要だったので栗秋をユートピア小屋に残してサポートしてもらい昨年秋の挾間とトレースをつけた港ルートを登るという計画であった。

1月12日 雪、視界10m〜30m

スキーバスが予定を大幅に遅れ、我々が元谷小屋に着いたのは2時すぎであった。明日登攀を考えると、どうしても食糧を上げておきたいので5時半までにユートピア小屋に着けば、と考え進む。

 ワカンをつけ小屋を後にすると風が強く吹いている。ユートピア小屋から降りてきたパーティのトレースをたよりにラッセルをする。ラッセルは中宝珠沢の取付きで腰くらいである。進むにつれだんだん深くなり、傾斜がきつくなると、新雪と旧雪がなじんでいないのである。夢中で中宝珠のコルまで行くと尾根ぞいにトレースがついているので安心する。しかしそのトレースはワカンをはいてラッセルするのに腰まであるのにビックリする。上宝珠に近づく頃は腹までのラッセルとなり、風は元谷より真横に吹いてくるため雪庇が少し出ている。上宝珠を10mも行ったコルで時計を見ると4時45分である。そして、ラッセルの深いところは胸まであるのでこれより上部は無理と思い引き返す。

            

 ここで無理と判断した理由は、まず時間である。あと動ける時間は1時間とみたため。次に視界。これは10m前後。それに積雪量。旧雪と新雪がなじんでないため。また、ラッセルのときに斜面を切るためにいやな感じがする。それにユートピア小屋からのトラバースはこの積雪ではラッセルの交替は自殺行為に思えた。以上のような理由から引き返すことに決めてしまった。帰路がまた大変であった。中宝珠沢には雪崩のデブリがあったりで7時すぎに元谷小屋につく。

〔コースタイム〕元谷小屋14:15〜中宝珠越15:20〜上宝珠山16:45〜中宝珠越17:40〜元谷小屋19:15

1月13日 雪ときどき曇

 裏日本をおそった今冬初の大雪は、ここ大山では、まる3日3晩降り積もり、昨日のラッセルで屏風に対する意欲は、はなはだしく減退した。ユートピアはあきらめて、ラクなはずの夏道経由で頂上にデポすることに決めた。

 今日は頂上へのデポのため、食糧少々にメタ、水1リットルと軽量なのになぜかやはり背中のザックは重い。六合目より上部は1パーティがラッセルしているだけで、まったく見通しは暗い。壁は来月にして引き返すことにする。そうと決まれば、あとは下りあるのみで転びながらどんどん下る。

〔コースタイム〕元谷小屋10:00〜夏道入口12:00〜六合目14:15〜大山寺15:00〜元谷小屋18:30

    

1月14日 曇ときどき晴

 降り続いた雪も止み、はじめて北壁が見え出した。今日はゆっくり下山できる。H、Kは一足先に大分に帰り、私はスキーを楽しむ。なんだかすっきりしない山行であった。

〔コースタイム〕元谷小屋8:00〜豪円会館11:40(内田記)