大山報告 

目標 大山一帯

期間 1974年1月12〜16日

参加者 CL姫野、内田、佐藤、中上、挾間、桂、御手洗

 

総括

 出発間際に新人のHが参加できなくなったので、残るは中堅クラスの粒揃いであったが、結果的には計画を消化できなかった。

 この原因は予想以上の積雪、メンバーの変則的な参加などが考えられるが、今一つ冬のメイン合宿を終えた連中が大半を占めていたことによる気分的な緩みはかくせなかったようだ。

 これは特に今冬初めての合宿に参加する連中の志気を削ぐことに通じ、自制すべきことで、今後は個々の山行をもっと大切にしたい。

 行動面で初日は予定よりやや遅れてブナ林に設営。明日からの登山活動に期待してスキーを楽しむことのみ。進歩につながらず。

 2日目は早々にテントを撤収。内田の到着を待つことしばし。出発やや遅れる。

 計画の八合沢は我が会には因縁の沢である。おびえるSの志気に尻をたたく。雪は深い。装備のワカンを持参しなかったK。脱着のまずいこと今さら論をするに値しない。

 とにかく猛烈なラッセルで遂にタイムアウト。駒鳥小屋の予定はあっけなく山頂小屋ストップ。残る力量は歌声となって小屋を揺るがす。

 3日目、予定では槍尾根の日であった。皮肉にも快晴である。Kは下山。残る6名はかつてない快適な縦走に満足。大いに写真を撮りまくり、早々に宝珠尾根を経て下山。

 大神山神社で装備を解いたが、リーダーであった私もここで解かれてしまった。大山寺を1人さまようこと1時間余り。最低の義務である下山届、事務局への連絡をすませて、ようやく見つけた。時すでに彼らは何かの祝杯を上げていたのである。そのいきさつはともかく、そこで飲むビールは冷たかった。

 装備については個人用は前記のとおりで、共同はほぼ完全であったろう。

 食糧については内容はよいが、当事者だけしか解からぬレーションであればしない方がよい。量とともに一考を要す反省事項。(姫野記)