2月の大山 

目的:振子沢下降、槍尾根登攀、主稜線縦走

期間:1973年2月9〜12日

メンバー:CL;内田、SL・食糧;佐藤、記録・会計;挾間、装備;杉崎

2月9日

 約30分遅れの急行「日南」で19:00に大分を発つ。宇佐で内田と合流する。必要以上の暖房で著しく不快である。しかも順法闘争による時間遅れで、国鉄じゃなくてまさに酷鉄といった感じである。

2月10日 くもり

 11時20分に大神山神社に着く。予定より2時間遅れである。ここでオーバーズボン、スパッツ、ワカンをつけていよいよ登山開始である。いつもであればスキーヤーで賑わう元谷小屋付近も、中ノ原に雪が多いせいか、今日は実に静かである。宝珠尾根はトレースがなく、きついラッセルを強いられる。早め早めにトップを交替しながら、深雪のラッセルが続く。主稜線はガスって見えないが、屏風の取付き付近には、大勢のパーティが雪上訓練をやっているのがよくわかる。

 象の鼻の道標よりみると、南側には3つの沢があり、どれが振子沢かわかりにくく、それぞれ意見も食い違って要領を得ない。

 結局一番右の沢をとることにする(正しかった)下りとはいえ、深雪のラッセルはこたえる。

 挾間、佐藤がワカンの結びが悪く、しばしば遅れ気味となる。下りに2時間を要して半ば雪に埋もれた淋しげな駒鳥小屋に入る。さっそく差し入れのサヨリを焼いていっぱいやる。

2月11日 雪と霧

 5時35分起床。昨夜の星空はウソで、雪が舞い降り、いやなガスが沢の上部を覆っている。昨日にひきつづきまたまたラッセルで鳥越峠へ突き上げる。稜線に出たもののガスで肝心の槍尾根の取付きが全くつかめず、登攀をあきらめる。昨日つけたトレースも振子沢の核心部に入る頃には消え失せ、眼の前はただ真っ白で、自分の頭までおかしくなる。

 前夜の降雪による雪崩とラッセルの苦労を考えて右側の稜線へ突き上げる。稜線は適当にクラストしてアイゼンが小気味よい音をたてる。1時間で象の鼻の道標に達する。小屋で最後のタバコをまわしのみし、宝珠尾根を下る。中宝珠からの下降は快適なシリセードで3分少々で元谷小屋に着く。

 目的の槍尾根は登れなかったが、トレースがなく我々だけの雪山を充分に満喫できた。

(タイム)

10日 大神山神社11:40〜元谷小屋12:15〜中宝珠越13:35〜ユートピア小屋15:40〜駒鳥小屋17:45(泊)

11日 駒鳥小屋8:40〜鳥越峠9:40〜駒鳥小屋10:40〜ユートピア小屋14:20〜大神山神社15:25

(反省:3月8日)

(1)  行けばなんとかなる的な安易な気持ちが全員にあった。

(2)  槍尾根、振子沢のいずれも経験者がいたにもかかわらず、尾根の取付きがわからなかった。まして、安易感からだれも地図を持たなかったことは一大失点である。今後の山行にあたっては概念の研究を怠ってはならない。(挾間記)